ニュース&イベントレポート◆◆  
 

合気道日本館総本部海外講習会報告

■本間館長ネパール指導    
 平成21年2月26日〜3月4日
 

常に待機状態の中で訓練が行われる。

合気道日本館専守防衛技術(NSDT)の春季集中訓練がカトマンズ市内のレインジャー部隊基地で行なわれました。この訓練にはネパール陸軍レインジャー部隊員500名が参加、一日6時間の野外稽古をこなしました。訓練されている技は日本館独自の特殊な技で「少ないダメージで多大な効果」を目的とし組み立てられたものです。群衆、暴動警備対応に適応する日本館専守防衛技術(NSDT)はネパール以外にも数カ国で訓練されています。


ヒンズー教の祝福を受け400人の隊員に迎えられる、本間館長、イカム会長


若い隊員と軍用トラックに乗り稽古場の移動をする本間館長





レインジャー部隊員に指導する本間日本館総本部館長
ネパール陸軍合気道(NAA、ラジシ.ビスタ指導員、プロモート.アデヒカリ幹事)は陸軍内部のみで稽古されている合気道でレインジャー部隊のほか陸軍警務隊でも訓練されています。指導のビスタ先生は陸軍はじめ一般人の道場である「ネパール合気道」も指導しており、小柄な身体ながら以前は極真空手の指導者でありファイターでしたが、5年前に合気道日本館総本部での合気道修業に転向、それに応じて本間館長以下日本館門下生15名がネパールを訪問した事によって始めてネパール国内で合気道の稽古が始まりました。これまで本間館長はじめ日本館指導部スタッフが長期滞在し指導に当たっています。


NAAの指導幹部たち
       左からアデヒカリ幹事、ビスタ先生、右端、ダン,グルン軍曹、そして後方ユン先生、その前、本間館長


NAAの部隊指導員のダン,グルン軍曹と本間館長

アイルランドから駆けつけたマリウス日本館指導員

今回の訓練には本間館長の援助で韓国合気道連盟会長のユン.イカム会長を招待、訓練に指導参加していただきました、また以前ネパールで日本館総本部指導員として長期滞在指導したマレウス指導員も現在滞在中のアイルランドから参加しました。


練兵場で警備兵と本間館長、イカム会長


合気道訓練部隊の隊員たちと


ダン,グルン軍曹の多人数取り



実戦で応用できるNSDT 訓練を繰り返す。


 ネパール陸軍合気道のリーダー、スタッフ等の紹介などは軍規上出来ませんが訓練後に開かれた陸軍レインジャー記念日におけるNSDTデモの様子の一部をご紹介いたします。
こちらをご覧下さい

http://nippon-kan.org/dojo_news/09/jan-apr/jan-apr-09.html#teachnepal

(上のリンクアドレスで一度、日本館英語版に戻りネパール記事中にあります。)


室内専用道場となる建物を視察する本間館長


合気道日本館総本部から雨季シーズン訓練における指導者稽古に備えてNAA道場用マット150枚が寄付されました。誠に有難うございます。
昨年のレインジャー部隊記事、写真はこちらをご覧下さい。

■ネパール陸軍レインジャー部隊特殊格闘技訓練
                        
報告―ネパール陸軍合気道
  ダン、グルン軍曹                 

※ネパール合気道協会定期指導
 


初日の講習会に集まった人々

ネパール武道館で開かれた定期講習会では200人余りの参加者で盛大な講習会となりました。参加したのは一般市民や学生会員、ネパール陸軍兵、武装警察官など多彩なグループで、一般的合気道クラスの指導が3日間にわたって行われました。


一般合気道講習会は200人余りの参加者があった


陸軍警務隊の初心者たちと


史跡巡りの本間館長、イカム会長

指導は技術レベルで二つに分かれイカム先生、本間館長がそれぞれ交代で指導しました。若い各世代の人が合気道を通して交流を深める事は青少年教育の分野からも大きな価値があると思います。      

報告―プロモート.アデヒカリ 

※ネパール、ポカラ方面AHAN視察
 


純朴な稽古態度に感動する

私、本間とユン.イカム韓国合気道連盟会長はネパールの極真空手の草分け的指導者であるビュシュノ.カンタ先生の案内でカトマンズから240キロ西の景勝地ポカラを訪問、朝早くから近くのスポーツセンターの内外でさまざまな武道を熱心に稽古をする若い方々を視察、開発地域での武道教育のあり方など今後の研究の大きな参考になりました。またイギリスのNGOが主催する11歳から15歳までの孤児たちの全寮制学校を訪問〔46人の生徒8人の先生〕、現在構想中の日本館アジア青年指導者養成施設の参考のため運営等の情報交換をしました。


ポカラの極真空手の皆さんと

将来のファイターたちと


早朝から様々な武道が稽古している

ポカラから40キロ西の山中にあるジェシダナダのカンタ氏の村を訪問後、さらに20キロ山中の町ウオーリングを訪問、日本館アジア青年指導者養成施設候補施設の一つを視察をしました。(候補地は現在4ヶ所国があります)


カンタ先生の自宅眼下、はるか遠くに見える道場。


山を降りるのに一時間、登るのに二時間。学校や道場に毎日この道を通ったと云う。


カンタ先生の実家は200年前の旧家、おばあさんと。

台所にて

この地域では過去に共産党毛派による幾度もの襲撃事件があり、すでに警察隊や毛派など1万5000人の犠牲者が出ています。そういった環境下での青少年教育の一つとして極真空手の普及は著しく、現在では15の学校での稽古のほか,6ヶ所の分道場があるそうです。この地域には27年前に極真空手が入っており私の視察した道場も50X25メートルの広さで山中の道場としては大きな施設でした。


カンタ氏の援助で建設された新道場


高台のカンタ先生所有の旧道場

新道場内でカンタ先生(左前)と現地指導員

青少年が熱心に稽古する姿を見学しながら「これまでかなり多くの国々を巡っているけど世界の隅々まで極真空手は存在している、何ゆえこれほど極真空手が世界の辺境といわれる所にまで普及したのか、創立者である故大山倍達総裁の指導理念や人生観が世界の隅々の人々、とくに開発途上国の青少年に希望と夢を与え、地域青少年の情緒安定、忍耐や精神力向上に大きな役割を果たしている」との認識が大変深くなりました。反面、ある種の空手グループがギャング組織や民兵団組織に紛れ込んでいる例を知る私にとって私の武道哲学『武道が人間を創るのではなく人間が武道を作る』と言う主張を裏付ける良い例となりました。

 私が以前のコラム(■東ティモール武術闘争集団を考える 第一部  ■東ティモールの武術闘争集団を考える 第二部)で述べた通り武道が世界の青少年に与える影響は大きく、必ずしも善の方向に進まない事があります。現在、健全に発展したネパール極真空手発展の裏にはカンタ先生を筆頭とする多くの素晴らしい指導者が存在したのでしょう。私にとって今回の訪問は大変に意義のある事でした。
                         
日本館総本部館長
本間 学 記                        

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本間館長ボリビア国ラ.パズ指導
  平成21年4月5日〜12日


高度3千700メートルにあるボリビアの首都、ラパスの国際飛行場。低地から訪れるお客様のおもてなしは明るい笑顔と酸素ボンベ。飛行機のドアが開いてすぐに気分の悪くなる人が多いのです。私アトロウ カワイ(AHAN日本館ボリビアコーデネイター)もボリビアを訪問してくれた本間館長のために酸素ボンベを背負ってお迎えに出ました。しかし本間館長はーーーーー。


気軽に質問などに答える本間館長

日本館総本部で内弟子修行を終え帰国しラパスで同じ弁護士仲間と稽古をしているカワイ氏の「本間館長ボリビア訪問記」が届いています。

※本間館長ボリビア訪問記
 


ティティカカ湖をバックに本間館長と私

私が日本館で内弟子を始めて、まず最初に気付いたことは、本間館長のセミナーの為の海外訪問の多さです。 私が内弟子を務めた三ヶ月の間に、私の記憶が確かならば先生は、カザフスタンに始まり、コロンビア、バングラディッシュ、ネパール、ラオス、日本、エジプト、イランその数8カ国、またはそれ以上の国々を訪問されたかもしれません。そんような、世界の隅々まで訪問されている、先生を私の国ボリビアにお招きする事は私の夢でした。


飛行場からラパス市内に向かう途中の眺望

Eメールで数回、本間先生と連絡取らして頂いた後、4月6日月曜日、館長はラパズに到着されました。ここ、ラパスでは、ほとんどの人々が標高の高さから気分を悪くする事を念頭に、念のため、空港に酸素ボンベを持参させていただきました。飛行場の標高は、何と3,700メートル。例え、標高が高くマラソンの高地トレーニングなどで有名な日本館のあるデンバーの標高でさえも、ラパズの標高の半分にも及びません。私の心配とは裏腹に、先生は酸素ボンベお使いになるどころか、初日でさえも普段とお変わりなく過ごされました。 本当のところ、初日は体調調整のための休養に充てるはずでしたが・・・・・・・。先生のリクエスト、また体調が良いことから、当初の予定を大きく変更し2日目のスケジュールに移ることにしました。


中央広場


酸素ボンベは本間館長には必要なし

到着後、二、三日の間に、先生はラパズのダウンタウンを視察の為、訪問されました。そこでは、日本コミュニティー、日系人の方々と対談をもたれました。また、出発直前に私が見つけた町の小さな合気道道場、グループの方々にもご指導頂きました。

水曜日、先生はティワナク遺跡を訪問されました。現代ではあまり知られていませんが、ここは、逆上る事遠く昔、インカ帝国時代に栄えた古代文明が存在した場所です。古代文明の風に吹かれ、古代文明を肌で感じる絶好の機会に恵まれました。


復元遺跡の前で本間館長。
標高3千870メートル

呼吸法道場での稽古


呼吸法道場コンドリ先生と


呼吸法道場の仲間たちとお茶のひととき

4月9日木曜日、この日はカトリック教徒にとって特別な日でした。それは、イースターの始まりを告げる“GOOD FRIDAY”の前日にあたりました。(イースターとはイエス・キリストの復活を祝う祭り)またとない機会であり、ボリビアのカトリック巡礼の中心であるティティカカ湖の隣に位置するコパカバーナを訪れました。


ティティカカ湖を見下ろす高台にて

コパカダナの教会と巡礼に向かう数万の人々

バージンコパカダナは中世時代に建てられたカトリックの教会に祭られています。ボリビアの人々はバージンコパカダナをセイントメアリーやアヤマランの大地と肥沃の神、パチャママと連想させます。私は、この特別な日にこの地で、ボリビア人独特の祭儀に参加さして頂いた事が、先生に喜んで頂ければ幸いです。

また、世界で最も高い所に位置する航行可能な湖、ティティカカ湖も訪れ、私達はバジリカを満喫しました。その後、私達はイスラ・デル・ソル(太陽島)を訪問しました。ここは、インカ帝国時代に僧侶達の宿泊施設として使われた場所です。宿泊施設は僧侶の階級によって分けられていました。ここで私達はまた驚くべき光景を目にしました。400段以上もある階段を先生はいとも簡単に 先生お一人で休むことなく、頂上まで登られました。その高さ、標高3800メートル(12,460フィート)。


イスラ・デル・ソル(太陽島)を一気に登る本間館長


太陽島からはアンデス山脈が。

本間館長は1週間あまりラパズに滞在されました。私は、先生とご一緒に充実した貴重な時間を過ごさせて頂きましたが、1週間という短い時間内にラパズまた、ボリビア全てを案内させて頂く事は難しく、それが私の心残りです。足りぬ事も多々御座いましたが、今回、先生がボリビア訪問を満足して頂き、ボリビア、またその人々について少しでも知って頂く機会になりましたなら幸いです。今後、私はボリビアの合気道家と共に植芝先生から直々にご指導をお受けになった先生が再びボリビアを訪れ、またご指導して頂く機会を一同心より楽しみにお待ちしております。それではまた会う日まで。ありがとう御座いました。失礼します。

※なお私が今回AHAN日本館ボリビアのコーデネイターを任命されました。今後AHANインターナショナルスタッフとして頑張りたいと思います。
                          
日本語訳 ヒロ 八木

                   



AHAN日本館グアテマラ巡回講習会
 平成21年2月14日
 


グアダリア ベルヘンデル カミノの子どもたちと

グアテマラの首都グアテマラシティー市の合気道愛好家が集まって昨年結成されたAHAN日本館グアテマラ(エスクィア,セントロ合気道、代表ぺブロ,ブエナタフェ氏)で定期講習会があり、本間館長も始めてグアテマラを訪問し6時間の指導をしました。


左からスコット総本部指導員,フランシスコ神父,ぺブロ氏、本間館長


同行し日本館総本部指導員のスコット.オイルソン先生(AHAN日本館総本部ラテンアメリカコーデネイター)がこれまで指導を担当しています。若いときは奉仕団体の一員としてグアテマラ奥地で学校建設に参加した経験を持ちます。
 この講習会の講習会費はグアダリア ベルヘンデル カミノに寄付されました。この団体は仕事のため家を開ける低所得者層の3歳から7歳までの子供を無料で預かる保育園で食事も提供されています。


道場の皆さんと



稽古風景


「支援基金募集講習会ではなるべく支出を抑え少しでも多くの寄付を残す。企画者が必要以上の経費を費やすようでは本物ではない」と常にAHAN関係者に話している本間館長は歓迎会や稽古後の飲食の場は持たず、オイルソン先生とともにこの団体を運営する神父用宿泊施設に泊まりフランシスコ神父の暖かい歓迎を受けました。また旧首都であるラ−アンタグアを訪れグアテマラの自然、歴史に触れていただきました。本間館長、オイルソン先生ご苦労様でした。


フランシスコ神父、本間館長



ラーアンタグアにて

AHAN日本館グアテマラコーデネイター
プエブロ報告                        

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AHAN日本館総本部海外活動報告
■ミヤンマーAHAN日本館発足
 平成21年3月10日〜3月14日
 


ミヤンマーはどこ?地球儀を囲んで


 計画中であったミヤンマーAHANの設立のため本間日本館館長がヤンゴン市を訪問してくれました。今回の訪問目的は今後支援する団体の選考のための視察であり一切の事前通知なく施設を訪問し、日本館が支援可能な施設を選びました。
その結果、60人余りの近在の孤児たちを引き受けているヤダナポン,ヤックニエン仏教孤児院(1992年10月マケンダ師によって開設)を支援する事になり毎月の食料米250キロを今後二年間支援する事になりました。


ヤックニエンの子どもたちと

昼寝の子どもたち


明るい笑顔の子どもたち、孤児院の生活環境を判断する大切なポイント

素晴らしい絵を描く子どもたち

米の買い付け交渉の本間館長と私


品質を調べる本間館長

タクシーがトラック代わり

届いた米を運ぶ子どもたち


届けられた支援米を前に

施設訪問に限らず本間館長は庶民の生活を知りたいと積極的に訪問、現地の
方々と交流を持ちました。私は多くの日本人をガイド通訳しますがこういった日本からのお客様は初めてでした。
 多忙の中、ミヤンマー合気道のユ,ミャ,シン先生の道場を尋ね2晩のクラスを指導しました。シン先生と本間館長はシン先生が日本で修行中の頃からの知り合いです。


シン先生の道場にて、窓からはライトアップされた仏塔の景色


シン先生、本間館長

生徒の皆さん

私は今回ミヤンマーAHAN日本館コーデネーターとなりましたニラー,サンです。日本などのNGOの支援で開かれたワールドブッデスト メデテーションInstituteの日本語学校を卒業し現在はミヤンマー公認の通訳ガイドです。今後出来る限りのミヤンマーAHAN活動のお手伝いをしたいと思っております。4月と5月のヤダナポン,ヤックニエン仏教孤児院へ支援米を届けたときの写真や領収書を送ります。また寺院の子どもたちが描いてくれた素晴らしい絵があります。

こちら「あなたはこの子供たちの絵を見て何を感じますか?」 ご覧ください。


領収書


4月度支援米と子どもたち


領収書


◆フォトアルバム

*1300人の子供たちを収容する
[Kalaywa Tawyakyaung Scrip-Tural LearningCentre&The Monastic Education Schoolnite」にて

 


翌日の大学入試試験のため英語の勉強をする若い修行僧たち


4歳でこの施設に入り現在18歳。所持品はこれだけ

修行僧の居住空間


勉強に励む小僧たち、明るい笑顔が素晴らしい

*ワールドブッデスト メデテーションInstituteにて  


学校の前に立つ日本語ガイドのニーさん


ミヤンマーの子どもは良く勉強をする


英語辞書を片手に英語の独学、猫は昼寝ニャン

*ヤンゴン市内にて  


大きな教会とビルボード。ヤンゴンにて

新旧のバランスが良い

寺院は安らぎの場


涅槃仏の足元に立つ館長

仁王様のルーツか

ミヤンマー人は信仰深い

托鉢中の小僧さん


卸売り市場にて

露天から伝統食までーー本間館長は何でも良し

ミヤンマーAHANコーデネイター
 ニラー・サン記                          



本間館長、ミンドナオ島イリガン市、マラウイ市訪問
  平成21年2月20日〜2月25日


ミンダナオ州立大学IITに寄付されたマット

本間館長は昨年末に大きな地域紛争のあったフィリピン、ミンドナオ島の二ヶ所の町の合気道家を訪問しました。誘拐事件が多発しているため到着連絡は数時間前までなし。大きな講習会も目立つため中止しての訪問となりました。
 訪問目的はイリガン市を中心に活躍するミンドナオAHAN日本館のアバヤンチャ指導員の激励と現地AHAN活動および専用道場建設の打ち合わせのためでした。現地では合気道のクラスを指導したほか、マラウイ市内のイスラム系合気道場の訪問やミンドナオAHAN日本館が支援しているイリガン虐待女児収容施設などを訪問しました。この施設訪問では食料品、日用品雑貨などが寄付されました。またミンドナオ大学の正規科目である合気道授業のために稽古用マット70枚を寄付しました。専用道場建設は現在の治安情勢ではリスクが高く、現段階ではすでに施設の整っている大学での普及に重点を置くべきであると判断しマットの支援をしました。

 このマット購入費用は日本館総本部で内弟子修行をしたトルコのジアン カラグオー氏がイスラム教の断食ラマダン終了の喜捨として本間館長に託していたお金を使いました。
アバさんからのレポートがあります。マラウイの子どもたちが描いた素晴らしい絵があります。
「あなたはこの子供たちの絵を見て何を感じますか?」ご覧ください。
 


本部 編集部  

*アバ指導員からのレポート  


困難な状況の中で町道場グループの稽古は続けられていた。

本間館長がミンドナオ島(フィリピン)に突然の訪問をしてくれました。訪問を伝えてきたのは到着の数時間前、誰にも知らせないようにとの話があり、私とジョアンさんがCDO(カガヤン.デ.オロ市)に迎えに行きました。いつもの通り、気軽な服装で今回も白いテーシャツ。館長はいつも数枚の同じシャツを持っていて汗をかくたびにハンカチ代わりに取り替えます。


警察幹部候補生として訓練中のサイダミン君とアバ指導員、本間館長

マラウイ市出身の弟子サイダミン君が警察仕官学校で訓練を受けているとの事で激励しに行こうと訪問しました。大学の工学部を卒業している彼ですが仕事が無く、家族を養うためと頑張っていました。頭を丸めた彼は厳しい訓練のためか体が締まって精悍になっていました。一年ぶりの再会にお互いに抱き合って無事を喜びあいました。彼の村は反政府組織の多い村で昨年末にもイリガン市内で紛争を起こし多数の死傷者が出ています。私もそのときは自宅を放棄してCDOに逃れ現在はイリガン市内から離れた小さな集落の小屋で避難生活をしています。サイダミンさんはあと三ヶ月で卒業するとの事、館長の訪問に大変喜んでいました。


逃れて現在のアバの住まい

避難のときの持ち物は道場看板とマリア像

約三時間のドライブのあとイリガン着、館長はすぐに稽古に。翌日は、マラウイ市を訪問しサイダミン君の義父の自宅兼道場を再訪、戦闘で負傷したサイダミン君の義父を見舞いました。マラウイ近辺では政府軍や反政府イスラム勢力双方が戦闘を続けています。私たちAHAN日本館ミンドナオは人道上の行動としてイスラムの方々とも友好関係を持っています。特に館長は武道家としての信望が厚く大変な敬意をもたれています「私は宗教家でも政治家でもない、毎日畳の埃を叩いている武道家でしかない」この言葉がモロイスラミア幹部の笑いを誘うのです。館長は気軽に傷の手当てをし持参の医薬品を渡していました。今回の訪問では数週間前にイタリア人国際赤十字スタッフ2名と現地ドライバーが誘拐され、その事件に関与したアブサヤの要員も同席しましたが本間館長はすべてを承知で接遇し、袋竹刀の製作や農作物栽培の話をして種子を渡し「まずは生活できる仕事の維持」を熱心に説き、武装解除の出来る状態の環境作りに進むべきである事を熱心に説得していました。また子どもたちにはクレヨン、紙などの文房具を持ち込み絵を描かせて米国に持ち帰りました。どの絵もためらいの無いすばらしい明るい絵で私たちは驚いてしまいました。
子供たちの絵はこちら「あなたはこの子供たちの絵を見て何を感じますか?」をご覧下さい。


モロイスラミア幹部の負傷手当後、歓談する本間館長


若いメンバーたちと友好の乾杯


無邪気に絵を描く子どもたち

翌日は稽古のあと私たちミンドナオ AHAN が支援している性的虐待を受けた女児を保護収容する施設を訪問し米、日用品などを届けました。
 本間館長は4日間の滞在でしたが3回のクラスをはじめ多くの苦しい状況に置かれている方々を積極的に訪問し激励してくれました。館長は「こういった不安定な状況の中で数人でもいいから合気道を続けていることに感激した。すべては平和になったときに備えての種蒔き、現在は安全のため屋根裏部屋での稽古だけど必ず専用道場で稽古できるときが来る」と励まし、道場建設予定地などを下見し館長のアイデアを基本とした設計図の作成をサイダミン君に託しました。またこの日の訪問でAHAN日本館インターナショナルからミンドナオ大学の合気道授業のために稽古用マット70枚の寄付がありました。この資金は日本館総本部に内弟子修行をしたトルコのジアン,カラグオーさんがラマダン(断食)終了の喜捨として本間館長に託していた金を使いました。このほか本間館長は中古コンピュー10台を現地購入しAHAN活動に使われます。


魚の乾物を購入

米の買い付け


食糧を買い込むミンドナオAHANスタッフ


施設に支援品を運び込む


支援品を渡すミンドナオAHANスタッフたち

館長は数日間の忙しい滞在でしたが「我々は忘れられていない」と神に感謝を捧げました。館長がどれほど危険な状況の中で気道家として真心を尽くされている事をもっと報告したいのですが、さまざまな事情から詳しい事は報告できない事が残念です。本間館長本当にありがとうございました。

AHAN日本館ミンドナオ
指導員 アバ.ヤンチャ        
                 

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本間館長バングラデッシュ定期訪問
  平成21年3月5日〜3月8日
 


ダーマジカ孤児院で昼食の列に並ぶ本間館長 

 支援米および支援物資の活用確認、21年度の支援プロジェクトのため本間日本館総本部館長がネパールの日程を終えてバングラデッシュを訪問してくれました。
 これまでの支援施設であるダーマジカ男児仏教孤児院を訪問、3月度の支援米を届け、生活する子供たちと昼食をともにしました。
 午後はイスラム寺院ジャミイスラミア.モヒラ.モデラッサ.アッテカナ孤児院を訪問、3月度の支援米を届けたほか建設中の学校を視察、最終階部分のセメント、ブロック、窓枠、タイルなどの工事資材の支援提供をしました。この支援は過去3年間続いています。多忙の日程の中、21年度の支援米の買い付けのため米問屋をまわり、今年もこれまで通りの値段をつけた問屋と契約しました。

*値段交渉  


米値段の真剣な交渉


100キロを軽く頭に載せて

100メートル先のトラックまで10回

*イスラム寺院ジャミイスラミア.モヒラ.モデラッサ.アッテカナ孤児院  


なんとゲート前が畑になっていた。種は昨年館長が寄付したもの


三年前はゴミ捨て場であった


イスラム孤児院に米を運ぶ

イスラム孤児院キッチンで


校舎完成まであと少し、資材の打ち合わせ

工事現場で

「ハイ、いいですか?ハジメ」絵描きに夢中になる子どもたち


このおじさん一人で一日2食一回300人分を調理する。

届けられた学校建設資材(撮影、AHAN日本館バングラデッシュ世話人 マジ,サカー)   
 

*イスラム寺院ジャミイスラミア.モヒラ.モデラッサ.アッテカナ孤児院  


米運びの方の体力には驚く、
合計2トンを200メートル運んだ事になる


寺院米倉庫にて


炊事のスタッフたちと


食事に集まってくる子どもたち

旺盛な食欲


本堂前に座り食事の順番を待つ

食事はカレーが中心


食事を共にする本間館長

本間館長は新たな支援施設の状況調査のため首都ダカから東へバスで五時間余りのチタゴンへ。さらに南に130キロの小さな集落を訪問しました。この施設はミヤンマーとの国境近くにあり、仏教国ミヤンマーのイスラム系少数民族が迫害を恐れイスラム国であるバングラデッシュに越境し紛争を起こしている地域にありバングラデッシュ政府の許可の下に立ち入りが出来た特別地区です。そのためタクシー運転手は立ち入りを拒否、幾人かのドライバーと交渉のうえやっと訪問が出来ました。


スカーフで顔を隠して

悪路が続く

事前交渉した施設側スタッフが余りにも時間予定を組み不自然な感じがすると本間館長が判断、施設側の計画をすべてキャンセル、訪問は施設側には一切事前連絡する事なくしての突然訪問を行い施設活動の実態を確認しました。施設側の方には申し訳なく思いましたが我々の知りたいのは実態であって、前もって用意されたショーではないのです。また実態を知るまでは相手方すら安全上の観点から信用しないのが紛争地域における活動の鉄則との本間館長の指示の上でした。
 詳細は控えますが今回の訪問施設は「各国の支援金を受けるための受け皿施設」と判断、急遽現場から引き上げました。この施設には日本のあるNGOの名前が使われ、「女児身体障害孤児収容施設」としての事実活動の無い支援金集めが行われていると考えられます。あるいは日本国内では活発な募金活動をして送金支援は月100ドル程度に抑え日本で言う「おんぶに抱っこ」という形態であることも考えられます。この項では日本の支援団体の名前は控えますが、外国人が立ち入りも出来ない場所にある施設に安易に支援をする事はふさわしい事ではなく、充分な確認のうえの支援をすべきでしょう。とくにネットによる支援救済のアプローチに安易に同情する事はこういった不審団体を助長させることであり充分な注意が必要と思います。また支援をする者は確認が不可能に近い団体支援をするよりは近くの赤十字社にでも寄付をしたほうがはるかにあなたの善意が有効的に使えることでしょう。


目的地には古い看板が立っていた

難民の定住テントが目立つ

 私の国は多くの国々そして人々の支援に頼る部分の多い国であることは確かですが、こういった皆様の善意を悪用する団体や人物もいることを充分に知っていただき常に確認の取れた状態で「必要な人に直接支援」をしていただきたいと思います。私はAHAN日本館バングラデッシュの世話人としてAHAN日本館総本部の活動のあり方に多いに賛同しています。
 また今回訪問した女児孤児院の子供達に書いていただいた絵があります。
こちら子供たちの絵は「あなたはこの子供たちの絵を見て何を感じますか?」をご覧下さい。

バングラデッシュAHAN日本館
世話人 マジ.サカー
                        
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AHAN日本館総本部国内活動報告
AHAN日本館路上生活者食事支援プロジェクト
 



19年間続く日曜の朝稽古後の下拵え


2009年1月度――――341食
2009年2月度――――309食                      
2009年3月度――――273食
2009年4月度――――345食

1991年1月に食事サービスを開始以来の合計――5万6000食


今年も「いつもの通り」食事サービスが続いています。「もう長い間」と胸を張って云える活動の持続力は多くの日本館門下生の支えがあっての事です。この活動を始めて5−6年間は日系人コミニテーから「売名行為」のレッテルを貼られ、屈辱的な時期を耐えなければならない事もありましたが、今日では歴代の在デンバー日本領事館総領事や奥様、日系企業幹部、デンバー市関係者などが積極的に活動に参加し私どもの活動を理解いただいています。過去19年の活動は各界から多くの功労の証も戴いています。
 最近の不況は米国、そしてデンバーレスキューミッション(開設100年を超えるコロラド州最大の救済施設)にもあるようです。そんな環境にあってホームレスと呼ばれる生活困窮者にも変化が見られています。詳しくは申し上げられませんが「働ける能力がありながら働けない、働かない」と思われる有知識層と思われる方々が多いような気がします。この変化は救いの声も出せないこれまでの底辺困窮者にプレッシャーとなっているのではないかと危惧しています。
 4月度の食事サービス、レジデントの方々(ミッションに生活する方々)50人ほどが食事の途中で私の名前を呼び感謝の拍手をしてくれました。過去19年で初めての事です。そういえば午後8時からのゲスト(シェルターでは外で並んで食事を待ち午後8時から入館する人々)250−300人にも同じような変化が見られます。これまでは私の目を見つめるだけであったり顎をしゃくりあげるだけであったあの不器用な人たちが少なくなってしまいました。どこに行ったものなのか、私は拍手に手を上げて答えながら大変に複雑な心境になりました。
                       
日本館総本部館長 本間 記




課外授業校の日本館訪問始まる
 


訪問生徒に説明やデモをする日本館総本部副会長エミリーブッシュ

今年も子供たちが日本館総本部を訪れています。日本館の日本文化紹介活動は日本館の名称になる以前の「ジャパンハウス カルチャーセンター」の1978年頃からの活動です。当時のセンターは日本から茶道、華道、日本語、書道の指導ボランテアが共同生活を送りながらほぼ毎日のようにデンバー市内や周辺市の小中学校に招かれカルチャーデモンストレーションをしました。費用は一切無料、そのための経費捻出のため深夜のビル掃除を請い、早朝まで働いて数時間の仮眠のあと学校訪問をするという日々が続きました。
 本間館長とカルチャーセンターを立ち上げ現在日本支部長をしている菊池裕氏などは過労から神経性の円形脱毛症になるほどの苦労をしました。人数が多く列挙できませんが、その頃ボランテアスタッフとして活躍してくれた浅野由美子さん(日本語担当)は現在、長い間公文数学教室をデンバーで開き教育活動に情熱を捧げておられます。清水秀子(華道担当)さんは現在コロラド大学のアジア学部で日本語教育のコーデイネーター、大学院生の助手の指導監督をしており、学部3年生の日本語と社会、大学院生には教授法 、第二言語習得理論、日本語における漢字を教えておられます。また日本進出企業や日系社会の子どもたちの学校であるデンバー補習校の校長もされています。この二人に限らず多くのスタッフの献身的な支えによって今日の日本館があります。今考えて見ますと大変な方々に出会う事が出来ました。
この当時の状況や写真は館長コラム「日本館創設の頃」をご覧下さい。
 現在では学校訪問ではなく、生徒が日本館を訪問するようになりその数は年間3千人余りになります。訪問は日本館に付属するDOMO日本レストランの弁当付きで10ドル、その3ドルを材料費とし、残り7ドルがAHAN活動費として寄付されます。そのため訪問中の子供たちには世界各国でのAHAN活動も説明し、とくに孤児支援の状況説明など、日本文化だけにこだわらない世界レベルの活動をしています。


内弟子による合気道デモ

子どもたち全員の名前を書く本間館長


最近は高校生も学習訪問する

AHANに寄付されたお金はAHAN日本館インターナショナルのコメ支援プロジェクト資金とされます。今年春のアジア方面米買い付けの記録写真はを「米買い付け09」をご覧下さい。
 ボランテアスタッフが活動の中心であるのは現在も同じで、仕事や学校の都合をつけて駆けつけてくれるスタッフの協力によって維持されております。
 4月末に日本館を訪れた全校生徒数600人のデンバー市立エリス小学校は18ヶ国の世界中の子どもが在校しているパブリックスクールでとくに難民として米国に逃れてきた家族の子供たちが多く在校しています。このユニークさを活用して国際相互理解有る子供たちの教育をしています。日本館訪問はその一環です。  
 素晴らしい子供たちそして教師、保護者の方々の積極的な教育姿勢もこの活動を長く支えてくれております。
               
日本館総本部
AHANインターナショナルデレクター
エミリー.ブッシュ記                          




日本館総本部道場便り
■総本部年末年始行事 
 平成20年末〜平成21年1月4日




有志による年越し稽古での一本締め

  恒例の行事が滞りなく行われました。あまり派手な行事にはしたくないと云う本間館長の希望によってここ数年は極めて質素な行事としています。
「AHAN活動をするようになってから派手な行事は興味は無くなりました。開発途上国の前線道場で頑張る人々を見ていたら自然にそうなってしまった。祝いを否定しているのではないので行事のあとに仲間同士で祝って欲しい。私自身はクリスマス、年末年始のパーテーの誘いには一切出ません。またカードやプレゼントも私には一切必要ありません。私は開発途上国で出会った目を覆いたくなるほどの貧しい方々に最も祝うべき日を捧げます」と本間館長は事情を説明しています。本間館長が12月31日深夜から5時間の禊をし、そのあと日本庭園で冷水修行をするのを知るのは僅かの内弟子だけです。


いつも通りの稽古始め

日本館総本部
副会長 エミリー.ブッシュ記                     





新役員、スタッフ認証式 
 平成21年2月4日




和やかな交代式、本間館長を間に左、ケリー前会長、右、メルバラ新会長

これまで6年間、日本館総本部NPO法人の会長を献身的に勤めていただいたダグ.ケリー氏が多大な功績を残し勇退し、新会長にマイケル、メルバラ弁護士が就任しました。
 ケリー氏はユナイテッド航空国際線機長、フライトインストラクター、など勤務が多忙となり昨年から後継者候補を探していました。ケリー氏は道場建設から現在の安定期に至るいわば日本館離陸期そして水平飛行に導いた大きな功績がありました。日本館の更なる展開はAHAN活動を中心とした国際展開となり法律顧問であったメルバラ氏が適任であるとケリー氏からの推薦を得て日本館新会長となりました。この日は新旧会長の交代が月例袴会で行われました。
 またユースプログラムの新指導者をトム,デメン氏からノーエル、キャンプ氏、新内弟子コーデネィターをジェームス,ハゲン氏からジム,マタンチオ氏が任命されました。デメン氏ハゲン氏、長い間ご苦労様でした。
                     

日本館総本部
会計財務、デビット,ゲラス                     



今年は日本館 第14回合気道日本館VS円心空手対抗試合
 平成21年3月22日




さて今年はーー本間館長、二宮館長 

年間毎年行われている対抗ボーリング大会、円心空手創設者二宮城光館長と本間日本館総本部館長の長い間の友人関係から続くこの大会、今年は日本館が勝利。
一ヶ月間のAHANアジアツアーをし帰館したばかりの本間館長は時差ボケの不調からリタイヤ。それが日本館勝利につながったという皮肉な話も。
                    
エベント担当 J,M.ワンド 記



円心空手ファイター日本館滞在  
 平成21年4月16日―19日




今年もファイターが日本館に宿泊

本間館長の長い友人である円心空手創設者二宮城光館長が開催する恒例の「サバキチャレンジ国際大会」が今年もデンバーで開かれ、今年も日本から八名の選手、役員が日本館に宿泊しました。役員全員は以前デンバーに本部のある円心会館で内弟子を成就された方々で、アルコール類を一切飲まない二宮館長の代わりに本間館長が指導したと評判ですが真実は不明です。今回は参加した女子選手が優勝、一名の男子が準優勝しました。本間館長が経営するDOMOレストランの食事がグッドラックと言われていますがこれは本当かもしれません。
 空手と合気道。二人のまったく異なった武道家の友情がそれぞれの門下生にも伝えられていく。「武道が人間を創るのではなく、人間が武道を創る」本間館長の武道哲学の実践があります。
                            
総本部編集部記



本間館長日本訪問
 平成21年4月27日〜5月2日




故斉藤守弘師範のご霊前にて
守弘夫人を囲んで、左から、仁弘会長夫人、天野先生、本間


日本館日本支部での事務打ち合わせのため日本に帰国しました。
この帰国時は合気道九段故斉藤守弘師範の命日が近く、岩間の伝統岩間流の斉藤仁弘塾長宅を訪問し守弘師範ご霊前に感謝を捧げました。


大祭参拝の際は必ず斉藤家に立ち寄り、故守弘師範ご霊前にお参りする
小林道場、小林保雄道場長と小林弘明副道場長。



面を打つ合気修練会斉藤仁弘会長

合気修練会内弟子の皆様

当日は合気会合気道の岩間合気神社大祭の日で多くの参拝者で賑わっていましたが、神主を呼んで地魂祭程度ならまだしも、誰が見ても宗教行事であるのは一目瞭然。合気会は宗教団体であったのだろうか(植芝家が亡くなったお爺さんのために執り行うなら別であろうが、これまたどう見ても合気会の宗教行事としか見えない)
この件に関する私の疑問とオピニオンはこちらの館長コラム「■植芝盛平は神様か? 日本敗戦の日に思う事をご覧下さい。


明確な説明なくしては海外に誤ったメッセージを送る事となる。

私は世界中で合気道開祖神格化の一因となっているこの宗教行事に疑問を持っているため参拝は控え、神社のつい目の前にある斉藤家の前を通り過ぎて参拝に向かう人々を眺めながら、人間を神に引き上げ様としてまでその威厳をアピールしなければ成らない合気会の事情が窺うことが出来ました。世襲主義、家元主義を維持するために宗教行事で威厳付けを必要としている「お家の事情」があるようです。
 
 過去に深く合気会と係わった人で、その非民主的な世襲主義とその取り巻き達に見切りをつけて独立した方は日本国内ばかりではありません。いまや合気会から離別し独自の活動をする合気道家や合気道団体は世界中に実に多く存在しています。そういった合気道家から様々な質問や疑問の問い合わせをいただきます。私は「その多くの場合、指導料収入を基に自己資金で道場運営をし、その一部を上部団体に納めている。しかしあなたの道場経営が悪くなっても上部から資金援助などあるわけでもない。いわばネズミ講の様なもので、免状交付の金の流れを見たら明白です。そんなに悩まず組織に媚びず自己活動を自信を持って行い、他の合気道家、団体と積極的に連携を持って自己の研鑽に努めるべきでしょう。私は多いに独立を薦めます」と助言しています。死人の衣を被らなければやっていけない合気道よりも、開祖の残した合気道をどの様に社会実践して行くかを求める合気道家でありたいと私は考えています。


修心館本部前にて丸山修道会長と


短期訪日の一日、旧師である光気会合気道創設者丸山修道先生を名古屋に訪問、合気会修行時代、米国合気道パイオニア時代の貴重な話をお聞きしました。

日本館総本部 館長本間 記

※これまでの日本関連記事はこちらをクリック




支えられての日本館総本部





道場シャワーの修理をする日本館総本部 中南米コーデネイター スコット.オイルソン先生


化粧シンクの修理をするクリント.イーモア氏


脱衣場を掃除中のデッキ.ヘイ氏 

日本館総本部は一万五千スクエアーの敷地に道場、内弟子宿舎、日本庭園、民俗資料館、レストランがあります。この維持管理には多くの道場門下生の手助けを必要とします。道場内の掃除はもちろん、電気、水道、トイレなどの不都合から、開閉の悪くなったドアの修理、駐車場や道場車両の整備などそれぞれの専門家が快く引き受けてくれます。こういった家族同様の門下生に支えられて日本館は維持されています。深く感謝するものです。
                    
日本館総本部会長
マイケル.メルバラ記
                   




内弟子紹介



元気な内弟子たちが集まっています。「24時間7日間」のパッチを腕につける日本館内弟子修行は決して楽ではありませんが、結構楽しく過しているのは若い事が原因でしょうか。朝稽古の終えた日曜日、日本庭園の手入れに4時間。きつい仕事ですが、しかしそのあとは必ず本間館長が食事に連れだします。これは本間館長が故斉藤守弘師範に受けた助言で「いくら内弟子でもきつい仕事をお願いしたときは必ず飯は腹いっぱい食べさせろ」にルーツがあります。夏には新たな内弟子、短期滞在者でにぎやかになります。
                             
日本館編集部記


ジェースン君

ジェーソン.アスタード
サウスダコタ出身、日本館二度目の内弟子、自営の塗装業の暇な冬にやってきます。



ローズさんとデビットさん

ローズ.バナール
シカゴ出身、日本館レギュラーメンバーから内弟子に。内弟子前に看護士学校に通い資格を取得。
デビット.フォーブス
アイルランドから南にある島国独立国アイルオブメイン(日本名マン島)出身、養神館合気道日本本部の研修生として日本で修行し日本館総本部へ。
フランス北シャーボーグから南のフレジュースまで徒歩で縦断、その後カヌーでイタリアのオベタリオまで漕いだ経験をもつ

春季内弟子には他にカナダ、オーストラリアからの2名が入門したが一名は一週間で退館願い、他は一ヶ月後の早朝自主退館した。




■編集部より



AHAN日本館総本部の世界的展開により活動範囲が広くなり、各国AHANコーデネーターからの報告記事などを日英語に編集翻訳するにはかなりの時間が掛かります。また幾つかの国は長期停電などによるインターネットの障害が多く音信が取れないときもあります。内容によっては冷却期間を開け、発表有無の判断をしてからの記事もあります。
 本間館長の訪問を発表すると後日制裁があるとの事情で「記事や写真の掲載をしない」という約束で講習会を依頼する合気会系団体道場も多くあります。したがって本間館長が訪問している国は記事発表より多く存在しています。
 今回も1−2−3−4月の記事が遅れてしまいましたが事情をご理解下さるようお願いします。


春の雪景色日本館総本部

デンバーの今年の春は枝垂れ桜や姫りんご,梨などの開花時に遅い雪があり樹木の開花や新緑に大きなダメージがありました。しかし驚いた事に今年は例年よりさらに多くの新緑が芽吹いています。「打たれて萌える若葉かな」


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