館長コラム◆◆  

東ティモール武術闘争集団を考える 第ニ部
 

 平成20年2月11日、朝の散策をしているときにその異常に気が付いた。上空をオーストラリア軍のヘリコプター数機が低空旋回し国連警察や軍の車が騒がしかった。朝、打ち合わせに訪問した警察学校の校長から状況を聞いて重大事件が発生した事を知った。東テモール第2代大統領のホルタ氏が自宅で襲撃を受け負傷、首相も襲われたという。私はその日の昼帰国する事になっており非常事態宣言発令前に脱出する事が出来た。2005年のネパールにおける「王様のクーデター」の朝かろうじてカトマンズを脱出した時よりは町は平穏だったといえる。東テモールの事件は反政府分子による「大統領および首相の暗殺未遂」である。
 
 私は政治や軍事の評論家ではなく、人々に安らぎをあえる宗教家でもない。
機会あるごとに述べているが、私は「只の武道家」である。私とともに稽古をする人はいかなる人も道友である。世界を回っているが私は自分自身の傘下道場や門下生を持たない。自分が自由である為には組織や自分のホーム道場以外は持たない。いわば私は旅回りの大道芸人であり、受け入れてくれる海外の道友たちに精一杯の「合気道」と言うパフォーマンスを演じてどれだけの拍手を貰うか、これが私の代価となる。常にフロントラインに我が身を運び、「あらゆる状況に己を従わせ」そのコンデションの状態から精一杯の稽古をする。「指導しよう」とか「普及しよう」とかの野心はもたず、「この地を借りて学ばせていただく」と言う謙虚な気持ちが必要である。この強い意志をもってしなくては開発途上国の合気道未開拓地の前線や政情不安、宗教対立の存在する地域では稽古どころか身の安全すら保障されない。したがってその国の政治や宗教には関与する事無く「只の武道家」を貫く事を信念としている。しかし今回の場合は明らかに状況が異なっている。国の問題として武道が絡んでおり、「只の武道家」であっても無視して通り抜ける事が出来ない状況にあった。私は只とは言えども武道家である。

 今回の訪問では事前に歴史、政治、経済、諸国関係など多くの基礎資料やNGO活動などで東テモールに滞在する方々のネットによる多くの現状報告などに目を通し、その上で直接確認すべき点を焙り出していた。確認すべき点、それは「武術戦争」の「存在」そのものである。
 第一部で「武術闘争集団」などのレッテルを貼られ、諸悪の根源として「取り扱われる」東テモール2万9千人の若者たちの問題を取り上げた。しかしこの問題の陰には一般の人々の脳裏に浸透している武術のネガテブなイメージを賢く利用して「危険な武術闘争集団」という特殊な社会問題を作り出し、その問題をすべての社会問題の根源の受け皿としている政治的な構図が伺える。国民や世界に安定した民主主義政府をアピールし支持を得るには「民族抗争、反政府集団対策」などではなく「治安維持としての若者危険武術集団対策」の方が国連警察官や現地警察が大義名分を持って介入ができるわけである。「東テモールで対立抗争」よりも「武術対立から抗争」の方が世界に流れるニュースとしては響きが大きく違う。
 
「武術戦争」などと大義付けられ民主主義の恥部を隠す板塀に利用された「武道」。関係者が知恵を寄せ合っての事と思うが、武道家の私としてはいささか不満である。第一部で紹介したソン国連警察官も着任直後に感じた東チモールにおける武道感情は極めて悪く「悪の代名詞のようであり、私自身肩身の狭いものであった。合気道を始めようとしたら世界各国から派遣されている国連警察官の仲間や先輩から無謀無駄な事と一笑され、自分が悪い事をしているように感じ大変不快であった」と述べている。
 なぜ2万9千人と報告される問題グループの紛争に「武術戦争」などとつけられたのか、我々武道家側から冷静に捉えたら「たかが武道はこの程度のものよ」というステータスの低さに気が付く。武道の価値観などブルースリーの映画のひとコマ程度、ステーブンシガーの暴力合気道程度としか理解できなくなった人は実に多いのである。この問題を正しく理解していただき、伝統武道を東テモールに普及するためには武道と武術の違いの認識が必要である。そしてそれが武道指導者としての責務と私は考える。
 武道や武道家に対する信頼度は国や地域によって極端に異なり、武道がその国にどういった状態の情報で入ったかによって左右される。たとえばそれが、暴力武術映画であったか、空手キッドのような人間形成的なものか、あるいはミステリアスなカンフードラマであったかである。一般的に開発途上国などや紛争を抱える国々では東南アジアなどで制作された闘争的なものが主体となっているため極めてネガテブな暴力型の武道情報が氾濫している。したがって武道に余り興味を持たない政府や教育関係者などのエリート層ほど一般論での先入観から「武道は悪」のイメージを持ってしまう。その結果の現れとして「武術戦争」なる映画のタイトルのようなものが出現したと思われる。

 この点を理解し問題を解決する為にはこれまでの武道史、特にブルースリー以後の世界における武道の展開をさかのぼる必要がある。しばらく東テモールの問題から遠のくが、武道の社会的影響力を検証し、武道と武術の関係を明らかにする事で武道に対する誤解と偏見を無くさなくては東テモールのような「安易な」武道感によって武道が「対立抗争集団」の代名詞とされる不名誉な事になってしまう。その意味からもこれから私が述べる事は重要な事と考えている。


 それでは、アメリカでの武道の流れからこの問題に入っていく事にする。ただし事前に明記するが、今回の報告はあくまでもネガテブな方向に流れた武道であって、武道によって素晴らしい物事も展開されている事実はいくらでも存在している。この記事を読んだ武道関係者が「その通り」「何が悪い」との論争がある事は承知であるがポジテブな発展を遂げた武道、武術に関してはいずれ書いてみたいと思っている。

 私が館長を勤める米国日本館総本部には年間3千人余りの小、中学生が日本文化研修のためやってくる。私は30年ほど前の日本館創設時からデンバー、および近郊小中学校で多くの合気道演武をおこなった。現在も頻繁に行なわれているが、この30年間の子供たちの反応の変化こそアメリカ人の武道感の変化であり、世界における変化すらも表している。
 最近の子供たちは合気道演武の激しい動きを見て、笑う子供や手を叩きはしゃぐ子供が実に多いことに私は警戒感を感じている。目の前で真剣に行なわれる演武を映画、TVやゲーム感覚で見ているのである。つまりはエンターテーナメントである。30年前の多くの子供は「恐怖心」をもって演武を見ていた。その瞳、顔に持っていった両手、息を止めた肩、寄せ合う体、子供たちの心の内が手に取るように解った。しかし同年代の現在の子供たちからは殆どそういった事は感じられなくなったのである。映画やゲームで暴力格闘シーンに麻痺してしまった子供たちは合気道程度の演武は「お笑い」程度でしかない。痛みや悲しみ苦しみ、暑さや寒さ、空腹や病、悪臭や騒音、蚊や蝿ななどの不快さはスクリーンやモニターを通して感じ取る「視覚と聴覚の世界」であって全身体での体感として感じる事のない「他人事」としての出来事なのである。私はこの変化に大変な恐ろしさを感じている。人が手首を捻られて投げ飛ばされる事を笑って喜ぶ。校内で銃を乱射し自らの命すら絶ってしまう極端なケースに親たちは驚くが、この子供たちの30年間の大きな変化に気付いていない。乱射事件はこの変化の中に語れるような気がする。
 子供と一緒に暴力格闘映画を観たあとで子供を道場に入門させる親や、殺戮武術ゲームを子供としながら「クール」と叫ぶ親も実に多いのである。考えてみれば40−50歳代の大人はすでに「武道ブーム」の中で青春を過ごしている。30年間の間に武道は哲学の存在しない殺戮武術に逆行し子供や親たちはそれを娯楽として視覚と聴覚で楽しみ、リアルかノンリアルかの判断力を失い、様々な社会問題を起こす起因に結びついていると私は思っている

 70年代、日本人が常に悪役だった頃の香港武術映画。設定はサンフランシスコの中華街、年老いた夫婦が働くレストランに悪たれの日本人どもが無理難題を吹っかける。困った老夫婦は香港に電話、そこに登場するのがブルースリー、叔父さん夫婦のためとカンフー装束で颯爽とサンフランシスコに乗り込む。そのあとに登場するのはすべて悪役の日本人空手家、なぜか黒い稽古着。ボコボコにやられるお決まりのストーリーである。実はこの頃、サンフランシスコは東洋人といえば圧倒的に日系人や中国人であった。経済発展を続ける日本、その鼻息は荒かった。そんな中でこのストーリーは中国人はもちろん、東南アジア系の人々にに大うけとなった。その頃のアメリカではベトナムなどの難民が慣れない生活を始めたばかりであった。強いヒーローであるブルースリーを筆頭に多くのアジア系の武術スターが彼らの鬱積を晴らしてくれた。そしてその手っ取り早かった相手が日本人であった。第二次大戦中の日本軍のアジア諸国での爪痕も大きく影響した。世話になっているアメリカ人はこの時点では外に置かれていたといえる。悪役となった日本人や日本人空手家のイメージ。日本人の武道精神など簡単に地に落とされた。
 映画のストーリーを用いて国民の不満を解放したり、国民に悪感情を抱かせる事は別に珍しい事でもなく、戦時中のプロパガンダ映画や少し前には日本車追放のキャンペーンとも取れる映画があった。差別の中で暮らすフィラデルフィアのイタリアンコミニテーのヒーローから結果的にはロシア人ボクサーを叩きのめして米国社会に歓声を上げさせた映画「ロッキー」など良い例で、米ロ関係が「冷戦中」といわれた頃である。
 フィクションであれノンフィクションであれ映画の中で悪役になったものにしてみればその影響は甚大である。当時の武術映画では黒い稽古着の悪党は必ず日本人空手風武道家。白黒映画の格闘を見やすくするたの黒い稽古着がいつのまにか悪党集団のシンボルカラーとなっていった。アメリカ人はこの状況に気がつく事なく受け取った。この手の映画を見る階層には失礼ながら、中国と日本の違いを知らない米国人が結構多い頃である。私自身幾度聞かれたろうか、「日本って中国のドノ辺」立派な紳士淑女がこの程度であった。そういった傾向の中で日本人空手指導者は抗議するでもなく降って湧いた武道ブームに浮かれ、香港空手映画のポスターを道場に張り出し「武道景気」に甘んじた。空手だけではない多くの武道々場がこのブームに便乗し小躍りしたころである。たとえばブルースリーの米国でのデビュー作と言えるTVドラマ1966年の「グリーン、ホーネット」では「加藤」として日系人を名乗り派手なアクションが大ヒットし、在米日本人武道家に「大特需」を与えている。在米日本人武道家や武道の発展はすでに一本のTVドラマに便乗して動き出していたのである。降って沸いた武道ブーム、それはTVドラマの影響である事は考える事無く「自らの力」と勘違いしたところに大きな過ちがあったと思う。 
 世界における格闘技ブームはブルースリーを筆頭に多くの武術銀幕スターによる香港やハリウッド映画を叩き台として広まり、日本武道もそのブームに便乗し自らの武道を映画やブームに合わせようと翻弄した日本人武道家もいた。結局フィクションの映画を真似ても何も残らない事に気が付いた時には人生も終焉を迎える年齢になっていた。「もう一本、武道の映画ヒットしないかな」などと天を仰ぐ日本人シニア指導者はいくらでも出会う。自己武道の信念を失い商業主義に走った指導者からは当然のように「これは儲かる、俺でも出来る」と多くの現地人門下生たちが独立して行った。結局これが武道の発祥した国から乗り込み、命がけで指導していた指導者の命取りとなった。特に日本独自の「武道文化」として指導をしていた日本人武道家のダメージは大きかった。そう云った状態に至っても「なぜ?」を考える事なく、原因を派手に活躍する韓国武道にその不満の矛先を向ける程度のものでしかなかった。
 ブームに乗って多くの格闘技雑誌も発刊され凄惨な格闘シーンが競って掲載された。ほとんどは投稿写真や原稿を基にしていたため、根拠のない激しさだけの読者受けする写真や記事のみが氾濫し、殺戮のためのあらゆる武器販売の広告がページを飾った。その技や販売される武器が青少年に与える影響など一切考慮されず、「武道」の名の下にすべての行為が許されるという不可思議な現象が起き、またしても武道の威厳が蹂躙された。
 秘密主義やシャーマン的儀式を伴う一撃殺戮の格闘武術集団も発生した。「XX流OX派免許皆伝」とか「秘伝伝授XX流」などという素性の解らないこういった集団が電話帳に平然と姿を出した。それに忍者映画ブームがさらに非現実的な武道感を創作し、もはや「武道」とはいえない「別物」のパフォーマンスが発生した。映画から抜き取った謎めいたシーンの儀式を事実と思い込み行なう道場や指導者は現在でも結構多い。映画のシーンにあった飛んでいる蝿を箸で捕らえる事に夢中になったり、必死に手を組んで呪文を繰り返し「消える」と信じ込んで修行する大人すら存在するのである。あえて命名するとしたら「カルト的武術映画洗脳障害」であろうか。
  
 川を渡ろうして担ぎ渡しの背中に乗ったときにその担ぎ渡しが水の上を歩き出した。「人間は水の上を歩かない。これは妖怪なり」と飛び降りたのは修行中のブッタの話。ハリウッドや香港武術映画ブームに武道が引き込まれ始めたときに「いやこれはおかしいと」と気が付き、飛び降りなかった武道指導者のあり方が武道と武術の混乱の始まりといえる。一般庶民の武道感をとんでもない方向に向かわせたと私は考える。
 毅然とした武道家としてのプライドと信念を失ってしまった結果、武術の中に武道が飲み込まれる結果となり、野獣の如く動き出したこれらの殺戮武術はやがて投資家の手の平に乗る事となり、プロボクシング、プロレスリング、キックボクシング等よりはるかに激闘する営利興行のための格闘技に発展していった。古代ローマのコロシアムでの凄惨な試合を楽しむような紳士淑女は結構多いのである。まったく日本の武道とは別物でありながら稽古着をつけたり黒帯をしたり、武道のイメージに便乗しての「武道と称する格闘武術」が大手を振って歩きだした。 

 本来武術は「人を殺すための技術」であり、その稽古を積み重ねる事で他人の生命を躊躇なく葬り去る事に抵抗を感じない己を鍛え上げる恐ろしさを秘めたものである。こう云った殺戮格闘武術を宗教思想なども含めた日本独自(勿論中国などの思想も咀嚼した上で)の思想秩序を持って完成させたのが「日本武道」であり、格闘武術との隔離点はここにある。時間をかけても日本武道と格闘武術の違いを明確にすべきであったが、それを行なった武道団体や指導者の声は私の知る限り存在しなかった。武道一筋派の日本人指導者の多くは体力技量には大きな自信を持っていたが、海外で起こっている日本武道に対する不本意な事柄に対応できる英語力をもっているものは少なかった。確固とした態度を持てないままに流れに便乗して生徒集めに走った日本人武道指導者の態度が現在の日本武道衰退の原因を作り出したといっても過言ではない。特に伝統空手界にそれが目立つ。「あいつらがダメにした」と韓国武術家にその矛先を向けている姿は武道家の潔しすらない。剣道 柔道 合気道すらも韓国が発祥の地であるという主張にすら明確に対応している団体は無い。何かにつけて声を大にして叫んでいた「大和魂、武士道精神」など空鉄砲だったのである。ちなみに合気道、柔道、空手などの国際的な会議に出席する世界各国の代表者の殆どは英語が話せる中、相変わらず日本人役員には話せる者は極単に少ない。本家としての誤った誇りがいまだ続きそれが大きな障害となっている。
  
 制御の聞かない野放し状態となった格闘家たちは「道」を置き忘れ武術家となって世界中に散っていった。先進国の場合は法的秩序が整っており無謀な事は抑制されたが、開発途上国では事情が違った。市中で100人腕試しと称して無関係な相手に稽古着姿で喧嘩を仕掛けて平然としていた馬鹿な男。町の有志が集まって楽しんでいる武道グループに殴りこんで逮捕された者、世界遺産の遺跡の中に入り観光客相手に遺跡の石を割って逮捕された者、極めつけは放牧されている牛を相手に戦い突かれて重傷を負ったものなど笑い話ではすまされない事件すらおきるようになった。当然、こう云った者たちには無謀無教養な乱暴者としての目が向けられる。カトリック、イスラム、ヒンズー、仏教に関わらず、開発途上国の人々はそういった乱暴行為には想像以上に敏感であり、それが「武道の姿」として捉えられてしまう結果を招いた。またそう云ったアウトローイメージと映画などでの悪役イメージが重なり当然のように門下生や支援者は黒い稽古着派のその地域でも特殊な者たちが集まるようになった。
 社会情勢の混乱などを抱える国で出会った格闘武術家の中には武道思想など一切無く、時には社会的モラルすらも持ち合わせない人格を疑う指導者や、最初に目に飛び込んだ粗悪な武道映画などによって叩き込まれた「カルト的武道精神」に毒されたままの指導者に出会う事がある。こう云った最初のボタンホールを間違えたままに今日に至っている武術家たちの陰に存在するのは先に述べたストリートパフォーマー的日本人格闘武術家である。生死に関わる技を安売りし、自己啓示欲に埋没している指導者のなんと多いことか。そして世界にはそういったモラルを一切持たない武術がそして指導者が蔓延しているのである。これは武道とはまったく異なる「別物」である。

 東テモールの武術闘争集団の話に戻りたいと思う。2万9千人といわれる「武術闘争集団」に見られる特徴は、祈祷や自傷行為など闘争性の無い自己認識的なものから、極めて民族主義的攻撃型のものまで様々である。多くは「自己の存在感を認識し外部にアピールする事」を目的としている。しかしそういった行動やアピールの仕方は米国内の青少年ギャングとなんら変わる事はない。また彼らの表現する落書きのデザイン、指や手でのサインも奇妙に一致している。首都ディリではサテライトのアンテナが林立し、この手の情報はいくらでも入っている。 
 東テモールのこれらの「集団」は自然発生したわけではなく、国連などが治安維持するに当たり地域民兵や地域指導者の支持グループたちに武装解除を求めたあとの隠れ蓑として変化した事は充分に考えられる。ギャング集団もしくはそれに近い集団を武術集団や警備会社、宗教集団などに転換した例は他の国でも私自身確認している。
 確かに武道とは異なる武術がこの集団にそのまま、もしくは独自に咀嚼され、あるいはいくつかが組み合わされて存在しているかもしれない。集団を強固なものにするためのいわば「教練」としては最適である。また他を威嚇する為にも必要であろう。この事に関しては第一部で述べたように、これらの集団は多少荒削りではあるけど「ポジテブな才能を持った宝庫である」と捕らえ、先入観をもとに枠にはめ込む事なく短所を長所として、彼らの闘争心すら国力や国の再興の力として引き出すのが支援国の姿であって、こう云った考え方こそ武道そのものの姿である。彼ら同士のパワーバランス闘争や政府に対する抗議行動を「武術戦争」と納めるのは疑問である。東ティモール武術闘争集団を考える 第一部 をご覧下さい。

 むしろ恐ろしいのはこれらの集団を争わせる事で政争を画策したり国連支援などの増強の口実、駐留する某国の介入のきっかけなどに利用される事である。
 私が関係するある国の部落長は資金が底を付くと民兵同士に争いを起こさせ政府からの対策の資金を受け取るという事を極めて事務的に行なっている者も承知している。
 
 東テモールに「武術戦争」などは存在しない。これが私の結論で有る。存在するのは他の紛争を抱える国々となんら変わらぬ、宗教、民族、部落の絡み合った既存政権に対する「権力闘争」「要求闘争紛争」「犠牲者に対する報復」であり、暗躍する外国勢力に対する「抵抗運動」である。
 この「武術戦争」レポートを作成した某国の資料は余りにも真実味があり、ハリウッドの映画作家のようなシナリオである。恐らくこの調査員はきわめて低俗な武術指導者の指導を受けたか、低俗な武術映画に洗脳された人間であろう。(もしくは一切武道を稽古した事がない)ただし情報扇動員としての腕は確かな様である。「武術戦争」と対決中でありながら、調査資料をインターネットで世界に公開している事自体なにか潜在的な目的と矛盾を感じる。
 信仰深く、純粋なこの熱帯の島の住民に武道闘争集団の汚名を被せて緊張感を引き出し「武術戦争」などという大げさなキャッチフレーズをつけて世界の注目を集めその治安維持に国連警察を引き出す。反政府運動や宗教紛争、人種問題の封じ込めでは国連の支持を受けない事を承知の上での工作と私には思える。争いに弓や刀を使ったからといって、不思議な呪文を唱えたからといって「武術戦争に関与する集団」であるなら世界の途上国での紛争がすべて「武術戦争」と言う事になる。石が飛び交う他国の民族紛争を「石投戦争」と扱うようなものである。東テモールには「武術戦争」などというものは実在せず、第一部で述べた通り「事の本質」を覆い隠すための上出来のタイトルである。たとえ「武術戦争」のタイトルが消滅しても他国の介入が続く限り彼らの存在は「騒動屋」として今後も重宝がられるであろう。

 しかし良いところに目をつけたものである。ネガテブな武道感、殺戮武術集団の先入観に犯された人々は「武術戦争」のタイトルだけですべてを理解してしまう。政策的には良いところに目をつけたとしても、武道を修行する世界の善良な武道家にとっては不名誉な事である。もっともこれだけは付け加えたい。すべての混乱は武道指導者の指導力の不足から発生した事である。武道を地に落とし拝金主義に走り、開発途上国においてはその存在感すら暴力団体程度に落としてしまった責任は重い。

 以上が私の結論とする東テモールの武術闘争集団に対する意見である。私の滞在中に武術関係のリーダーと会った。身の危険や不快感など一度も感じる事はなかった。むしろ日本人武道家としての私に礼節をもって接してくれた。東テモールの若い方々が某国などの扇動に乗る事無く、無駄な争いを避け、何が自分のために家族の為に、部落の為にそして国家の為になるのか冷静に考えて少しでも早く平和な日常が戻る事を念じている。互いが諍いを繰り返す事は他国の介入を招く事であり、そういった無駄な時間を過ごしているうちに東テモールの資源が底を付く事になる。それは白檀の木が島から消えたように。



             日本館総本部 館長 
本間 学 
平成20年3月2日記



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