キリギスタン伝統の帽子を贈られて
前列2人目からイリナさん、アリ先生、本間館長、アンドレイ先生、ナジィフさん |
本間館長一行がキリギスタン共和国の首都ビシケク市にある私たちの道場を訪問して子供と大人のクラスを指導してくれました。一向は本間館長のほか、アゼルバイジャン共和国バクー市にあるテレビ局で報道デレクターをするナジィフ.ハシノフ氏とトルコ合気道の会長アリ.ウルダク先生です。
私たちの道場は公営の孤児収容更生センターで100人余りの子供たちが中学校を卒業するまで生活しその後は希望する技能学校で教育を受け自立の手助けをする施設です。私レジニコフ.アンドレイ(ビシケク市合気道センター)は1995年、ウズベキスタンで合気道を習い、2000年からキリギスタンのタシケントで指導を始めました。仕事はは精神科医で、私の国で大きな問題となっているアルコールとドラッグ中毒の治療カウンセル専門に国立病院で働いています。一緒に週3回の合気道教室を支えてくれているのはイリナさん、キリギスタンにあるジャイカの日本派遣制度で2年前に和歌山に一ヶ月滞在。日本語はキリギスタンの日本語スピーチコンテストで優勝したほどです。今は彼女の子供も稽古しています。キリギスタンには日本企業も多く日本文化センターなどもあり日本熱は高いです。道場の問題は予算の関係からマットが狭いことです。しかもクッションの上にナイロン生地のカバーを被せただけです。生徒は夕方の大人クラスも加え30人ほど。2クラスに分けていますがとても狭いです。
道場のある更生センター |
稽古熱心な子供たち |
会話の通じない時は手を取って |
子供たちと |
本間館長はアゼルバイジャン、ウズベキスタンでの乗換えなどトルコから夜間移動したにもかかわらず、とても元気に指導してくれました。子供たちのクラスを本間館長にお願いするのは大変勇気が必要でしたが、しかしお願いの言葉が終わる前にすぐに引き受けてくれました。クラスでは身近にある小物を使い、合気道の技を通して「聞いて判断して動くトレーニング」「見て判断して動くトレーニング」「聞いて見て判断して動くトレーニング」など集中力、判断力、敏捷性など私の専門でもある精神学とも多いに通じる高度なクラスをジョークを交えて2時間指導してくれました。夕方からの大人クラスでは合気道の技の動きを木剣や杖で説明してく合気道の奥の深さを直接感じる事ができました。
大人クラスにて |
町は賑やか |
レーニン廟前にて |
私とイリナさんにとって、キリギスタンの子供たちの健全育成に合気道の動きの繰り返しによって育つ「人間性と哲学」を紹介し普及する事は大変大切なことと思っています。もちろん指導料など考えることすら難しいですが。
本間館長はお別れの席で「合気道家が集まってお金を払い講習会を開き、技の交換や技術の向上に努め、更にはそのこと自体を合気道家同士の交流、更に大げさに、合気道の精神であるハーモニーに通じると確認しあう事に大きな価値観を持ち、東に西にと講習会に参加している人もいる。しかし私に言わせるとそれは大きなクローゼットの中に集まって自己満足の世界に浸っているに過ぎないと極端な判断をしている。しかも時にはそういった集まりは企画主催者に個人的な執念や願望が潜んでいる場合がある。せっかく修行してもその確認をしない。持ち寄って見せ合いしている「合気道という技と哲学」が果たしてクローゼットからでて社会的にどうなのかを積極的に確認しようとはしない。いわば研究室で学者同士で作り上げた合気道薬を研究者同士で飲みあい自己満足し、肝心の必要としている社会の確認を怠っていると同じです。精神科医の貴方には良くわかる事でしょう。現在の貴方たちは合気道を普及しながら確認もしている、そしてそれ自体が稽古となっている。だから常に反省と改善を繰り返しながら自由自在に発展しているわけです。孤児たちの更生のために合気道の技と心を生かしていく。それが命のある合気道と思います。経済的な混乱から大きな合気道展開は現在は苦しいでしょうが、あと10年後には子供たちが20歳以上になります。その頃には貴方とイリナさんの心を引き継ぐ人も現れるでしょう。私たちはその日のための種蒔きを今こうしてお互いにしているわけです。私がここに来たのもそんな理由からです。これがAHANの活動です」と勇気つけられる言葉に感激しました。
本間館長一行は翌朝、車で5時間余りのカザフフタン共和国に出発しました。遠いアメリカから私たちのために合気道教室を訪問してくれて有難うございました。子供たちにとっても忘れられない思い出となることでしょう。
なお光栄にも日本館AHAN総本部より「AHAN認定指導者」の認定を受ける事になりました。ありがとうございました。
キリギスタン孤児更生センター
合気道教室指導員レジニコフ.アンドレイ報告
■カザフスタン共和国アルマティ市合気道講習会
平成20年3月26日〜28日
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カザフスタン合気道の皆さんと |
私たちはで45ドルでタクシーを雇い、キリギスタンのビシケクから車で1時間、国境を車で越えてカザフスタンに入りさらに4時間のドライブ。アルマティの町外れのバス停で下車、迎えの車を待ちました。出迎えてくれたのはカザフスタン共和国合気道トレデッショナル連盟(www.kata.kz)のイゴール.アトキン先生と英語通訳のアレキサンドリアさん
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カザフスタン国境 |
メルギン先生、イーゴル先生、アレキサンドリアさん |
講習会場はカザフスタンオリンピック委員会事務所などがある大きなビルで、200畳敷きの道場が2階と3階にあり、3階ではイゴール先生2階ではメルギン.スラバ先生が指導しています。連盟では200人ほどが稽古をしています。3回に分けて行った講習会にはそれぞれのクラスに60人ほどが参加しました。
連盟が現在この大きな道場で稽古できる様になったのはカザック、アカデミーオブ、スポーツアンドツーリズムのスキーエフ.マゴメット氏の大きな理解ある支援のおかげで、それまでは公園や空き地などと場所探しに大変苦労して今日に至ったそうです。合気道は引辻道雄先生の門下の方から習ったのが最初だそうで「正勝杖道」など個性的な引辻先生の技も残っていました。
連盟道場のあるビル
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アリ先生、本間館長、イゴール先生 |
3回目のクラスになるとみんなの緊張も解け和やかなクラスとなり会を締めくくりました。この講習会では「合気道の技の繰り返しによる心の柔軟性の再生」「合気道の基礎構造からの技の分析△○□」などをテーマにユーモアを交えての高度な講習会となりました。私、ナジェフはこれまでジャーナリストそして合気道家の一人として多くの合気道指導者の講習会への参加や映像で合気道を学びましたが本間館長ほどの具体的な指導法には出会ったことがありません。情報の不足からか質問も多く、「開祖はタバコを吸っていたと言うが本当か?」とか「本部道場で稽古した者は内弟子か?」などという質問もありましたが、本間館長は丁寧にそして明確に答えました。最初の質問には「現在はタバコの有害論などから愛煙家は開祖も吸っていたとなれば勇気がもらえますから興味があるでしょう。開祖が開拓生活をした日本の北海道の白滝村の資料館にキセルと煙草入れ、ケースが開祖の所持品として展示してありましたから吸ったかもしれません。ただし同時に展示してあった開祖の鉄扇が別人の物であったりしていますから良くわかりません。たとへ開祖がタバコを吸ったとしても当時は男のファッション的な部分や人間交流の接待品的な要素もあり現在とは価値観が異なっています。それにキセルタバコで一回に吸う量はキセルに詰め込んだわずかな量で現在とは比べものにならない少なさです。開祖がタバコを吸って80歳以上まで生きたから私もーーーなどと言う愛煙家の言い訳は通りません」と笑わせ、二つ目の質問には「そんな事はありません。内弟子とは道場に住んで24時間合気道三昧の生活をする人です。ただし開祖がなくなる3年位前は誰一人として本部には内弟子はいませんでした。現在本部師範や独立して道場をやっておられる先生方が当時は指導員として本部から1万5千円から2万円の給料をもらい、近くの安い小さなアパートに住んで道場に勤務してはいましたが道場には住んでいません。給料をもらう内弟子など内弟子ではありませんし、第一その頃は開祖は岩間に住んでいて開祖の稽古すら一、二ヶ月にわずかの時間、運がよければ稽古に参加できた程度です。私が開祖のお供で岩間から本部に着くと最初にこういった人たちが開祖の機嫌を私に聞き、良くないとわかると皆どこかに消えて、クラス担当の指導者だけが残るというのが現実でした。現在アメリカで生活するある日本人高段指導者など新本部道場建設で旧道場の脱衣場が壊されたためベニヤ張りの臨時脱衣場となった天井裏の隙間に生活し、驚いた私に開祖には言わないでくれと口止めを懇願した開祖直伝を名乗る者すらいますが、開祖に内緒の内弟子というのも可笑しなものです。最近は多くの開祖を直接知る証言者が亡くなっておりますが、まだ当時の記憶をはっきり覚えている者もいることを考慮してほしいものです。開祖のことを知りたかったら岩間に行けば当時通い弟子として稽古を受けた方々がまだ沢山います。息子,故吉祥丸道主の事を聞きたければ本部の当時の指導員に聞いたら良いでしょう」と答えました。
講習会には昨年アメリカのデンバー市で国費体験留学をし、生活体験として日本館総本部の施設で働いた8人のカザフスタン大学生のうちアルマトイ市に住む4人も面会に訪れていました。また同じビルで稽古する極真空手の方々とも気軽に写真撮影に応じるなど「武道友好交流」にも積極的でした。
日本館体験した学生さんたちと
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極真空手カザフスタンデレクターたちと |
カザフスタンを始め中央アジア各地にはユーゴスラビアに本部があるという合気道10段位を持つ指導者がリーダーとなっている「リアル合気道」という合気道が存在し、残念な事に合気道の正しい理解と普及に誤解を招く結果を生じている事も今回の訪問の話題になりました。
今後連盟の合気道がますます発展する事を祈りカザフスタン伝統料理レストランで乾杯し再会を約束。翌朝、首都アスタナ経由でアゼルバイジャン共和国の首都バクーに移動しました。
ジャーナリスト、同行通訳
ネジェフ.ハサノフ報告
■アゼルバイジャン共和国 国立警察学校指導
平成20年3月30日〜31日
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本間館長、ザマノフ警視、アリ先生 |
本間館長一行は早朝2時にカザフスタンの宿舎を出てアゼルバイジャン共和国の首都バクーに到着。翌日の30日、国立アゼルバイジャン警察学校で幹部候補生を対象としての講習会を開きました。
本間館長は二度目の訪問でフラハド.メメドフ警視の迎えで中国大使館の近くの宿舎から東に50分ばかりの警察学校へ。副校長のガベル.ザマノフ警視とスポーツ担当報道官のハシフ.ハシイフ氏が迎えてくれました。
行進して道場に向かう候補生
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指導教官たちと |
警察官の増員が進み学校施設の拡充を図っている様子を案内してもらったあと、格闘技道場で候補生の代表40人、そして100人余りの候補生が見学する中で警察官や軍人用に本間館長がアレンジした合気道の技を演武、指導しました。
本間館長は演武の前に「これまでのVIP警護やデモ隊の警備では実力行使が比較的簡単にできていましたが最近はすべての人がカメラやカメラ付き携帯電話を持っている時代。プレスの取材もきわめて容易になり、一瞬の防衛行為の実力行使すら過剰防衛としてメディアをにぎわす事が多くなりました。これまでのハードデフェンスからソフトデフェンスに移行する必要に迫られています。公共の安全のために選べられた諸君が時として犯罪者のような待遇を受ける事があってはなりません。VIPの警護者として穏やかにかつ被害が小さく大きな効果を持つ技が必要とされています。今回はこういった目的の技を稽古したいと思います」
と挨拶し稽古に入りました。稽古状況は警察学校の稽古用に撮影が行われたほか地元テレビ局も取材、プライムタイムニュースなどで繰り返し放映されました。
演武前の館長挨拶
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見学者にも気軽に指導
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候補生代表たちの稽古
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切り落としを連続し足腰の大切さを訴える |
胸取り技の指導
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取材に応じる館長 |
稽古後に今後の継続的な指導についての打ち合わせが行われ、翌日夜トルコ、イスタンブル市に向かいました。
今回私は通訳、ガイドとしてキリギス、カザフスタン、アゼルバイジャン三ヶ国を本間館長、アリ、トルコ合気会合気道会長とご一緒し、インターナショナルレベルで活動するには体力の維持調整が最も重要である事に気がつきました。本間館長は講習会前から終了するまでの間、体力や食事の調整に大変気をつかい、アルコールやなじみのない食べ物は口にせず、滞在した8階や6階の部屋にはほとんどエレベーターを使わず、アゼルバイジャンでは6時間も歩いていました。
私は本間館長が食事が口に合わないのかと心配し、あまり安全とはいえないエレベーターに不満なのかと心配しましたが、すべては講習会に集中するための行為であったことを後で知り「私は観光に来たのでは無いものね。プロフェッショナルの武道家としては当然のこと、腹でも壊したら袴は時間がかかるからね」と冗談でかわしましたが、中央アジア3カ国、トルコ、ネパールと3週間も移動をし、時差調整だけでも難しいなか本間館長はやはり武道家だなと改めて敬意を持ちました。
講習会終了後の慰労会の席ではレストランオーナーシェフでもある本間館長は「今度は別の仕事」といって伝統料理とウオッカを積極的に楽しんでいました。
カスピ海に面した議事堂 |
アゼルバイジャンは建築ラッシュ |
古い遺跡も残る |
賑やかな骨董街 |
トルコ語訳「AIKIDO FOR LIFE 」出版記念
■トルコ共和国ブルサ市ストリートキッド支援合気道講習会
平成20年3月21日〜24日
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本間館長の著書「aikido for Life」のトルコ語の翻訳出版を記念し、首都イスタンブルからフェリーなどを乗り継いで2時間半余りのブルサ市で路上で生活する子供たちを援助する「ブルサ ストリートキッド財団」支援目的の講習会がありました。
このチャリティー講習会はトルコ合気会(アリ.ウルダグ先生、本部イスタンブル、www.aikidoturkey.com)とブルサ市日本文化協会の中にある合気道教室(ウルヤマ合気道、代表、ハカン.カプラン氏)の共催で行われました。本間館長はアリ先生からの招きにより訪問、トルコ各地から集まった120人余りに2日間の指導をしました。
第一講習会場 |
第二講習会場 |
AHAN日本館トルコはアリ先生を中心に支援講習会などを自主的に企画し、活動しています。AHAN日本館の目的はAHAN思想の普及であり、日本館支部などの設立は目的としていません。したがって講習会に参加する方は昇段試験などが目的の参加ではなく自主的な「チャリティー目的」の参加であり120名の参加があったという事は大きな意義があります。
財団から感謝状を受ける館長 |
講習会にはブルサ市長のムハメル シュバシュ氏、支援団体の代表、トルコ合気道連盟の役員など多数が参列しました。どうもありがとうございました。講習会の合間にはイスラム教のセマダンスや伝統軍楽隊の練習場など観光客では訪問の難しい体験もでき本間館長も大変喜んでいました。
ブルサの人々は大変親切 |
セマダンス |
ダンス音楽のトレーニングをする人々
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ダンス練習で開いた穴 |
世界で一番古いトルコの軍楽隊 |
練習中の音楽隊員
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シンバルのおじさんは世界中のTV旅番組に現れる
お馴染みの人
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本間館長とアリ会長は講習会を終えその日のうちにイスタンブルに戻り、キリギス共和国に向かいました。
なおトルコ語の「aikido for Life」の出版はAHAN日本館イスタンブルが担当しました。収益はAHAN活動に使われます。すでに世界7ヶ国語に訳され出版されておりトルコ語が8カ国語目の出版となります。世界で最も翻訳出版されている合気道書です。
AHAN日本館イスタンブル世話人
町 恵美 報告
■ネパール合気道 春の講習会
平成20年3月14日〜19日 |
指導者育成が目的、ラジシ指導員の指導を見守る本間館長 |
ネパールで合気道が始まって2年を記念しての演武会と講習会が、ネパール武道館で開かれました。この会にはネパール教育文化大臣でネパールオリンピック委員会事務局長のジェーバン.シャレサ氏など各界の方々の出席がありました。
来賓、役員の方々と |
日本館NAC(ネパール合気道クラブ)はラジシビスタ指導員を中心に活発に活動し、日本館総本部からもこれまで4名の指導研修生を派遣しています。研修生の派遣はあくまでも派遣国における合気道の自立発展であり、AHANの趣旨に沿った活動です。昨年末に30人程度であった会員も常時60人を超えるようになり、クラブ役員とくにラジシ指導員の活躍が大きな発展につながっています。
会は稽古風景演武の後、ラジシ指導員、女性会員のダイアンジさん、日本館派遣員のマレウス.フレンス指導員と演武を披露、最後に本間総本部館長が説明演武をし講習会へと続きました。
講習会場は日本のジャイカから寄贈された「多目的武道会館」で、200畳余りのスペースさらに同じほどの板の間スペースからなっており、他に脱衣場、事務所などが整っています。
カトマンズ武道館 |
木剣、杖稽古 |
講習会は3日間、午前午後各二時間、毎クラス60名を超える参加者があり120畳のスペースいっぱいに元気な講習会となり大成功に終えました。参加者の中にはネパール特殊部隊の幹部や武装警察官なども加わり熱心に稽古されていました。
夕食懇談のあとスポーツ文部大臣とNAC役員の方々と |
最終日、教育文化大臣をお迎えして夕食会、有意義なお話を伺いました。そのお話の中で「ネパールは25年前までは軍や警察以外での武道の稽古は禁止されており、一般市民は本などで独自に稽古を始め、さらに留学や仕事で海外に渡航滞在したときに武道を習ったものが帰国後に町の各所で稽古をしていたが、互いの諍いや治安維持上の配慮からを現在のラガサラスタジアムに集め教育文化省の管轄管理下で行わせるようになった」と経過を話されました。現在は30種類余りの武道を700−1000人の人々が毎日稽古している世界的にも例のない総合武道修練施設となっています。その中で合気道は本間館長の献身的な支援によってネパールで一番新しい武道として発展しています。
NAC書記長 プロモート報告
■フィリピン、ミンドナオ島 本間館長訪問
平成20年1月30日〜2月4日
※ミンドナオ州立大学 合気道が正課に
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学生たちに武道説法 |
ミンドナオ島のイリガン市にあるミンドナオ州立大学(MSU、IIT、開校1938年、学生数5千人)で合気道が正課となったため大学の依頼により本間館長が現地を訪問し公開セミナーをしてくれました。
大学体育館には600人余りの学生や教授など学校関係者が集まりました。この人数は私たちの予想をはるかに超え、合気道部の部員とともに本間館長は午前、午後の二回の6時間、熱心に合気道の説明演武や指導をしてくれました。ワイヤレスマイクが用意できなく、動きまわる館長はノーマイク。圧倒されるパワーに参加者全員感激しました。
参加者が殺到する |
長い指導にもかかわらず、予定に無かった合気道部の稽古指導も滞在中毎日3時間して下さいました。イリガン市長や大学関係者から夕食等のお誘いを受けていましたが「合気道をやらない人と食事をしても貴方たちの合気道は上手にならない。食事は貴方たちの合気道が皆に感心される様になってから。私はアメリカから食事に来たのではなく稽古に来たのだ」と謝辞されて私たちの為に時間を割いてくれました。本当にお疲れ様でした。
本間館長とアバ.ヤンチャ指導員
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正面席にて |
館長の挨拶 |
学生たちと |
武道の説明をする館長
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大学体育学教官たちと |
大学合気道部の皆さんと |
竹で作った杖で稽古 |
また、合気道が正課となった陰には米国デンバーで内弟子までしてミンドナオに合気道を普及してくれているアバ.ヤンチャ指導員の献身的な努力がありました。改めて感謝申し上げます。
ミンドナオ州立大学教育学部教官、合気道部顧問
レオ エスピノサ
高校生たちと |
在校生7千人と云うイリガン最大の高校。ここでは様々な問題が生じています。校内暴力もその一つ。その陰にはネガティブな武道情報、つまり暴力武術映画にその源があります。学校側では試合が無く攻撃性の少ない合気道の技と指導理念に着目、クラスを開いています。
フィリピンの学校では国歌の前に必ず音楽に合わせた踊りがあります。 |
高校生に合気道説明の館長 |
教師たちと |
この日は300名余りの学生が本間館長を取り囲むようにして参加、3時間の講習をしました。ユーモアを交えた本間館長の指導に全員楽しく合気道を学びました。指導のあと本間館長は「どんな状況下でも、相手を引き寄せ思いのままにする技、それが多的の位、でも高校生300人は大変でした」と一言。本間館長はさらにセント.ピーターズ大学でも夜遅くまで指導してくれました。お疲れ様でした。
ミンドナオ合気道日本館指導員
アバ、ヤンチャ記
総出で歓迎してくれた |
ミンドナオ州立大学合気道指導のため、昨年に続いてフィリピン、ミンドナオ島のイリガン市を訪問した私は、さらに車で一時間ほどのマラウイ市を再訪しました。この町は第二次大戦中、日本軍や軍属、一般人が多く生活した町で、日本とは縁が深い。日本敗戦時に残された官僚住宅や日本軍要塞などが残っている。ここではサイダミン君が道場を構えている。稽古人はよく新聞を賑わすモロ民族解放戦線(MNLF)の若い方々。96年フィリピン政府と和平協定が成立したが現在も何かとあるようだが私には一切関わり無い。私の使命は私を迎えてくれるところであれば出掛ける事である。一年ぶりに再会した皆さんはそれぞれの身分証明書を見せて私を安心させてくれた。勿論その身分証明書には赤い文字で大きくMNLFとスタンプされた解放戦線の兵士たちである。リーダーのサイダミン君は大学でエンジニアリングを学んだが、長い間仕事が無く困っていたのをミンドナオ合気道日本館指導員のアバさんが建築技師として国立電力会社に紹介してくれて元気に働いていた。仕事場を訪ねたとき、サイダミンは10人ばかりの職人を仕切っていました。現場が遠いため自宅に戻るのは週一回程度。一日4ドル50セントとはいえ「仕事がある事」に喜んでいた。もう一人の合気道家のベニー君はイリガン市から車で7時間ばかりの町で元気に合気道指導をしているとの報告を受ける。
サイダミン君を訪ねる館長、サイダミン君、アバさん |
戦時中の頃とはいえ日本と縁がとても深く、また日本人に対する感情も良いこの町が世界の注目を集める舞台になっている事は誠に残念である。少なくとも私に身分証明書を見せた人々は純朴で思いやりのある方々であり、その家族もおおらかな方々であった。再会を約束して町を離れた。
歴史的建造物が残る |
賑やかなマラウイの商店街 |
旧日本軍の高級官舎が現在も10棟残る |
旧日本軍のバンカー |
(お断りーー私は武道の先生と言う特殊な信頼関係でこの方々と交流があります。一般の外国人が興味本位から訪問する事は住民に対する侮辱行為で
あり御遠慮下さい。なお私、及び日本館は施設警護の方々との間にIDコー ドがあります。不正に私どもの紹介を名乗る事は出来ません。トラブルに関しては一切関知しません。)
日本館総本部館長
本間 学記
■東ティモール 本間館長再訪
平成20年2月5日〜2月11日 |
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みんなでジャンプ、元気なカメラサービス。 |
フィリピンのミンドナオ島指導を終えた本間館長は東ティモールに昨年の11月に続いて訪問しました。
昨年の訪問記事「本間総本部館長 東ティモール合気道講習会」はこちらをご覧下さい。
今回の訪問は合気道指導訪問が主目的でしたが東ティモールで起こっている「武術戦争」の事実関係の確認のための取材、資料集めも目的でした。滞在中、大統領銃撃事件が発生し緊張が走りましたが幸い大きな混乱にはなりませんでした。
その後の現地からの連絡が入っており掲載します。また罹災民支援をされているを堀江神父からの手紙も紹介いたします。
また館長の東ティモール旅日記をご覧ください。
多くの写真と一緒に館長の承諾で旅日記をそのまま掲載して有ります。
本間先生へ
先生、お元気ですか。
私たちより、先生そして道場の門下生の方々へ御挨拶申し上げます。
先生の海外活動の一環として、東チモールにお越し下さいました事、重ねてお礼申し上げます。
今、私たちは、道場を移転しようとしています。というのも、政府が、サッカーフットボール協会のオフィスを作るために、私たちが借りていた道場を彼らに手渡すためです。そのため私たちは東テモール合気道連盟の会長ノノ氏を先頭に道場を設計し、ノノ氏の土地に道場を作るための基金を作る予定です。
現在東チモールは、落ち着いていますが、依然として危険な状態です。というのも私たちの国は、依然としてGastao Salsinhaの掃討作戦のため、軍の管理下に置かれているからです。彼らのグループは2月に東チモールの大統領と首相を攻撃し襲撃しました。
先生の幸運をお祈りします。
2008年3月9日
TAF書記長 ヤニオ
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堀江神父からの手紙(長文のため一部省略してあります)
本間学様
愛と平和!お元気で毎日の召命に専念しておられる事と思います。
東ティモールにお越し下さったとき、難民の幼子のために多額のご援助をいただきまして有難うございます。早速子供たちのためにミルクを準備し、難民家族の必要に応じて配布しております。御参考までにお知らせしますと、約130人の子供に配られましたが30家族くらいでしょうか。ただし老人3人と結核の母親2人にも配りました。
――省略――
そしてこの子供たちは毎日キチンと飲んでいるわけではなく、インスタントラーメンを生でかじったりおかゆで間に合わせたり、ミルクは贅沢品として飲む人が多いのです。
――省略――
マリアさんは病気の母親ですから多めのミルクを融通していますが4人の子供がおり、はたして彼女がどれだけ飲んでいるものやら
――省略――
私は難民支援のプロではないため配布手順などに不慣れですが、難民の方々が喜ぶ姿を本間様にお届けしたいと思います。
私の乏しい祈りと感謝を通して、神様のみ手に委ねております。本間様とそのすべての同士、家族ご一同の上に祝福と恵みと喜びが豊にありますよう心かお祈り申し上げます。
感謝のうちに
Pe. Silvestre Setsuro Horie, SJ
Seminario Maior de s. Pedro e s. Paulo
Fatumeta, Dili Cx.P. 168
East Timor
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東ティモールの『武術戦争』に関して独自にまとめた本間館長のレポートがあります。第二部は東ティモールの問題に限らず、アメリカの武道ブームにさかのぼり原因を追究しています。こちらをご覧下さい。
■東ティモールの武術闘争集団を考える第一部
■東ティモールの武術闘争集団を考える第二部
日本館総本部
エミリー.ブッシュ記
メキシコ合気道武産合気(www.mexicoaikido.com.mx
フラナンド.ロメン先生、AHAN日本館中央アメリカコーデネイター、AHAN日本館メキシコ)フラナンド先生、そして奥様のロシオ先生は現在メキシコで最も活躍している合気道指導者でメキシコ国内、中央アメリカ各地で講習会の展開、AHAN活動など素晴らしい発展を遂げています。彼から活動報告が入りました。
※メキシコ、クアルタ市に新AHAN認定道場
平成20年2月15日 |
クアルタ道場にてフラナンド、ロシオ、ロベッカ、アルベルトの諸先生方 |
メキシコシテーから2時間余りのクアルタ市のアルベルト先生の道場からAHAN日本館加盟の申し込みがありました。この道場にはこれまで本間館長はもちろん、トルコのアリ先生、韓国のユン先生が訪問して交流を深めています。アルベルト先生、奥様のロベッカ先生は地域に密着した集いの場として道場を提供しています。
日本館総本部に認可を打診した結果、「AHAN日本館メキシコ、クアルタ」としての認可が下りました。
クアルタ市を訪問指導した折の館長コラム「心の里帰り、メキシコ、クアルタ合気道を訪ねて」をご覧下さい。
■AHAN日本館バングラデッシュ活動報告
平成20年1月〜2月
※バングラデッシュ米支援活動報告
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バングラデッシュの子供たちから絵が届く。
(クリックで大きくなります)
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日本館総本部からのバングラデッシュの子供たちへのコメ支援、毎月一トンが二ヶ所の孤児院に贈られています。バングラデッシュ世話人のマジ君から毎月領収書とともに報告が入ってきます。度重なる自然災害のためバングラデッシュでの米の値段は値上がり傾向にあり、日本館では一万トン維持のため不足分の資金を補充して支援しています。お贈り先の一つダーマジカ仏教寺男児孤児院から礼状が届いていますのでご紹介します。また、コンピューターなどの支援をしているパリス私立学校からは、昨年クリスマス前に日本館ユースクラスが送った絵葉書が到着した事の返信がありました。写真が添付されていましたが残念ながら画質が弱く掲載できませんが子供たちの絵と写真が届いています。いくつかを紹介します。この絵葉書はAHAN絵葉書として使われます。バングラデッシュに関する記事はこのHPに多数掲載されています。
子供たちのカードを掲載します。 (クリックで大きくなります)
AHAN日本館の皆様へ
私たちは、先生の子供たちに対する定期的な米の寄付に対し、心から感謝しています。子供たちが、生活を維持するのに、この米の寄付は非常に有用です。
現在、バングラデッィッシュでは、食物の価格がとても上昇しており、特に、米の価格の上昇は際立っています。これほどの量の先生からの寄付は、私たちにとって、非常に価値のあることです。
また、新しい校長が前任者に代わって就任しました。コンピューター学校もよく機能しています。コンピュータ学校をうまく経営することによって、収入を生み出す機関として、十分な収入を受け取ることができるよう尽力しています。
また、連絡差し上げます。
本当にありがとうございます。
ダーマジカ仏教寺院男児孤児院
書記長 スニル.バルア
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家庭用廃油で走るバイオディーゼルエンジン掲載車のクルーや関係者が日本館を訪問、DOMOレストランがスポンサーとなり夕食を楽しんでもらいました。本年2月にカナダのバンクーバーを出発、デンバーに立ち寄ったものです。
エコカークルーと出迎えた稽古着姿のエミリー.ブ ッシュ日本館副会長と
お世話をされた山上デンバー総領事館領事(スーツ姿) |
デンバー訪問にあたり日本館に企画支援を依頼されましたが、公共性の高い企画であり、日米協会やコロラド大学、環境問題などに興味の高い人が多いボルダー市を中心としての活動がふさわしいとの判断から、今回は後方でのお手伝いをする事になったものです。
事務局 テファニー記
■AHAN日本館路上生活者食事支援プロジェクト
平成20年1月〜3月
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日本館は17年間デンバーレスキューミッションでホームレスの方々に食事を提供しています。今年も始まりました。
2008年1月度――――362食
2008年2月度――――312食
2008年3月度――――307食
1991年1月に食事サービスを開始以来の合計――4万9千519食
本年5月には5万食のサービスを達成します。記念の会を計画しています。
審査は3人以上の指導者が担当する。 |
日本館総本部は今年から門人帳を発行しました。いわば門下生の身分証明書ですが、28ページと言うのが大きな特徴です。各レベルごとのカリキュラムが記入されており稽古ハンドブックも兼ねています。三級を例として御紹介します。
また昇級昇段希望者は定期的な講習会を受け、その他の要綱をクリヤしたうえで審査を受ける事が出来ます。これまで日本館は昇級昇段などの審査はしませんでしたが、日本館組織の拡大と門人の増加のための管理上の改善のためと、自己レベルの確認とチャレンジのためのガイダンスとしての目的から発行に踏み切りました。 日本館指導員スタッフ10人による審査委員会を作り、レベルの向上を図る事にしました。
門人帳一級のページ
〔拡大できます〕 |
本間館長の最近の方針は「もう積極的な門下生の募集はしなくても良い。日本館で稽古したい人だけ来れば良い。少数精鋭、私が渡米した時は一人でした。もう指導のための毎日は好まない。私は武道家、道場運営を考える事無く稽古に没頭したい」と言う希望があり、積極的に日本館スタッフに道場運営の仕方をトレーニングしています。
日本館副会長
エミリーブッシュ
■内弟子近況
※日本館総本部よりネパールへ二名派遣
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和美さんとマレウス君ネパールにて |
3月、ネパールに二名が派遣されました。日本館の派遣システムは内弟子修了者に更なる実習経験をさせることを目的とするケースと日本館初段以上の者が自主的に参加する二つのケースがあります。今回派遣された一人は六ヵ月間の研修を終えたマレウス.フレンス君、もう一人は自主参加で初めての女性派遣となる吉村和美さん。現地ではホームステイをしながら日本館NAC(ネパール合気道クラブ)で合気道発展のためのさまざまな支援や指導研修をします。航空運賃は日本館AHANが支援します。また活動によって具体的な成果を展開したものには生活費等の支援もされます。
開発途上国に派遣する者にとって最も戒めなければならないことは、安易な先進国意識による派遣国や人々のジャジメント、膝の高さを同じくできない優越感、現地習慣に配慮しない低モラル行為などで、これらの事柄に関して十分に注意し、派遣国からひんしゅくを買わないよう充分に事前の注意を与えています。特に男子派遣員の場合、飲酒や現地女性とのトラブルの報告があった場合は派遣を取りやめ、日本館除籍という厳しい処分をすることになっています。派遣国での活動は複雑な習慣、人間関係に充分に配慮しなくてはかえって派遣の意義が逆効果となり、その信用回復には多くの時間を要するからです。
日本館第二副会長オイルソン記
朝稽古の内弟子と本間館長 |
一日24時間一週間休みなくの意味から内弟子の稽古着には「24−7」と記されています。稽古時間は一日5時間、数々の道場の仕事をこなし結構忙しい生活が繰り返されます。「内弟子というのは合気道から学ぶのではなく、この生活から学ぶのである」とは本間館長の言葉です。今回のユニークな内弟子、日本からやってきた松雄君。2年前は京都大学合気道部主将、大学院に進む前に日本館で内弟子生活、そして2年後、大学院卒業を迎えてまた日本館へ。就職前の内弟子修行だそうです。
指導研修中の松尾君 |
なお京都大学合気道部の筆頭師範は現在93歳の阿部醒石先生で開祖植芝翁晩年の書道の師であり、現役の合気道指導者です。
ヨンタ、ゲンベイ |
日本館には色々な生き物がいます。化学薬品を使わない日本庭園にはトンボや蝶、カマキリやセミ、キリギリス、そのほかまだ出会っていない多くの昆虫から、蛇、牛カエル、ウサギ、リス、狸、狐、野良猫、鯉などの魚、そして去年はオフィスの中で2羽の子供を巣立たせた白鳩などなど。そして30年以上も前から道場とともに生活しているのが「内弟子犬」です。別に犬が内弟子ではなく、厳しく辛い修行をする内弟子たちのペットとしてのタイトルです。亡くなった初代ポンク、現役の二代ゲンベイ。ゲンベイも老齢になってきたため三代サン太を入門させましたが、残念な事に心臓が弱かったらしく突然死んでしまいました。母親代わりのエミリー先生やオフィススタッフ、門下生一同大変なショックでしたが、サン太のブリーダーがそれを聞きつけ兄弟を連れてきてくれました。わずかの間の内弟子であったサン太の名前は残し、新しい子犬はヨン太とする事にしました。サン太の命は短かったけど命を絶ったその後でも私たちに多くの事を学ばせてくれました。
スタッフ一同
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