ニュース&イベントレポート◆◆  
 


■日本館AHAN本部より

 
ハリケーンカトリーナの被害者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。また災害救助に従事されている多くの皆様の献身的貢献に敬意を表します。

災害発生後、すでに日本館によって現在継続されている支援活動を維持した上で日本館AHAN(合気道人道支援行動ネットワーク)に何ができるか検討しました。その結果、コロラド州にも被災者の方が移送されてきている状況をから、今後私共の手の届く範囲で支援のチャンスが生じると考えられます。この災害復旧は長期にわたると考えられ継続支援が必要と思います。幾つかの支援を考えていますが、現在の混乱状況が一段落した時点で「被災者直接継続支援」をしたいと思います。
これまでの日本館支援活動と同じく、支援基金は日本館独自の企画によって捻出いたします。
「間接支援」である義援金等の寄付は最寄の赤十字などの公共機関に直接して下さい。日本館の活動において、一切の寄付金等の要請行為はしておりません。

皆様のご理解と今後の日本館AHANの活動をご期待下さい。



海外活動報告

本間館長韓国訪問
 平成17年7月10日〜19日
 


道場前にてユン先生と奥さま、本間館長

韓国ソウルで開かれた「世界平和等に関する会議」に出席のため、本間館長はソウルを訪問しました。南北境界区域にある「板門店」などを視察、日程を終了後、韓国最大の合気道団体「大韓合気道連盟」www.aikido.co.kr を訪問し交流稽古をしました。この訪問に関する本間館長のレポート「ユン先生と若い力」をご覧下さい。



愛、地球博、
本間館長アルゼンチン館来賓として訪日
 平成17年8月29日



藤田師範と並ぶセバスティアン、愛知万博広場にて

日本館で内弟子を修了したセバスティアン バルディさんからAHAN活動に相応しいニュースが入りました。
アルゼンチン人の彼は現在、日本の愛知県名古屋市で開催されている万国博覧会「愛.地球博05」アルゼンチン館で秘書官の仕事をしております。彼はアルゼンチン国内で合気道が始まって40周年である事を記念して、アルゼンチン大使館、万博アルゼンチン館主催の「アルゼンチンと日本の架け橋、合気道演武会」を企画、合気会本部道場師範藤田昌武八段をお招きし、中部地区合気会合気道22団体の多大な協力も得て29日正午より愛.地球広場で行われました。


演武前、緊張のセバスティアンさんと本間館長

セバスティアンさん演武も上出来

本間館長はアルゼンチン館の招待者として訪日し会場を訪問、この演武会を企画し成功させたバルディさんの努力を讃えました。本間館長は「日本館の基本哲学としている"武道の社会的実践"を理想の形で実行してくれた事が本当に嬉しく、彼が日本館内弟子中に学んだ事を正しく実践してくれている事に深く感謝します。また、全員が合気会合気道であったこの演武会で、故斎藤守弘師範が残された岩間の"31の杖の型"を見事に演武され、岩間に縁の深い私にとって一服の涼となりました。この会に招待客として呼んでいただき、彼の立派に活躍する姿をみる事が出来た事を大変嬉しく思いました。今後とも日本館での修行意義を忘れずに祖国アルゼンチンで頑張ってくれる事を期待します」と語りました。


秘書官として仕事も大忙し

子供達のインタビューに答える
セバスティアンさん

この企画は彼が今年5月から練っていたもので、長い間の綿密な計画が成功に導きました。この催しは、新聞、TVなど多くのメディアで大きく取り上げられ、アルゼンチンの知名度アップに大きく貢献しました。

会場に日陰が無く、観客が腰を据えて観ることができなかった事が残念でしたが、その暑さの中、熱心に演武を観ている方がおりました。米国合気道のパイオニア、光気会合気道の丸山修道先生で、お一人で電車を乗り継いで来場されたとの事でした。現在は合気会から離れている丸山先生ですが、40年ぶりという藤田師範に気軽に話しかけ挨拶を交されていました。


左、丸山修道先生 右、藤田昌武本部師範

尚、本間館長は2006年1月、流派組織を超越したAHAN活動啓蒙合気道講習会のためアルゼンチンを訪問します。
M.S記



忙しい夏、日本訪問の本間館長
 平成17年8月23日〜9月1日
 

「日本での休暇はどうでしたか?」と尋ねられ、本間館長は「休暇で年に4回も日本に行くかい」とオフィスに戻って嘆いたとか。半年余りを米国本部以外で過ごす本間館長は、比較的時間の余裕のある夏に普段出来ない合気道関係の資料収集や、取材、考証などの「趣味」を楽しみます。本間館長の居場所は海外か日本館の道場の上、それでいなけりゃレストランで皿を洗っていると云う多忙な本間館長の旅日記より。
(ノーカットで)

もし捜せなかったらここにいます

いつもの通りスケジュールは有って無し。時刻表一冊と日本支部のスタッフの方々のお世話になっての旅の始まり。大型台風が日本に迫っておるとの事、どの様にスケジュールを組むか楽しみ。
東京小平市にある合気道小林道場の小林保雄師範を訪問。すでに東京は台風接近のため強風と強い雨、傘など役に立たない大雨にしばし小平の駅構内に待機する。やっとタクシーを拾い道場へ。合気道小林道場と伝えると直ぐにドライバーは「ハイハイ」といって走り出したが、路地から路地へ、「コイツ回り道をしているな」と思いきや道場の前に停車。譲るか譲られるかは目つき次第の狭い小路に驚く。駅から一人で訪ねていたら見つける事は難しかったであろう。しかしこの道場が世界中で活躍する多くの指導者を育てた場である事は確かであり、これまでのご苦労は小林師範の自伝「我が道合気道―AIKIニュース刊」から充分に察しがつく。小林道場荒稽古のウワサの基となった「天井の足跡」と云うものを見学し写真でも撮りたかったが、ずぶ濡れの状態であり、電車などが止まれば足止めとなるのを恐れて、師範、奥様にご挨拶だけして失礼する。(天井の足跡については師範の御著書に真相があります。)
翌日、DOMOレストランで使うお茶用のテーバックを探す。日本支部長の菊池君に捜すようにメールをしたら「私の家内はそんなものは着けないので、明日銀座でも行って捜してみる」との返事。たかがお茶を入れる袋を銀座に探すとは、あれは河童橋ではないのかと考え込んでややして吹き出す。第一私が女性の下着のテーバックを1000枚も必要なわけがないだろう。河童橋に行き今回もつい余計な物を買い込む。
午後、大東流合気柔術真武館道場の近藤勝之本部長を訪問する。ここでも気のいいタクシー運転手。道場を探せなく「地元の人間として恥ずかしい」と止まってはメーターを止めて地図を開くが老眼が合わない。私も老眼鏡を取り出して額を寄せ合う。この年代は電話は特別の事であるらしくそれに気が付かない。アッと声が出て、やっと電話で聞くことになる。電話を耳にあて外を眺めると真武館道場の看板。道場の駐車場で探していたというお粗末。
稽古指導中の近藤先生は「よう!」といって迎えてくれる。いつもこの調子の気さくさ。会うと直ぐに引き込まれてしまう。先生は建設会社も経営しており道場の指導者には、建築士の資格も取るチャンスを与え合気道以外での生活ができる様に配慮しているとの事。同郷の天野先生が丁度戻られてビックリ、腰には工具類を付けた作業ベルト「大東流は色んな武器も使う」と近藤先生の冗談が飛ぶ。豆腐と湯葉の店にお誘いいただき夕食をご馳走していただく。貴重なお話を伺う。稽古中の写真は遠慮した。
翌日、「合気道開祖と旧日本軍などとの関係」の資料照合のため国会図書館へ。米国国立公文書館資料との確認。戦中、戦後の合気会の七変化が興味深い。


館長室にて養神館井上強一館長

午後、合気道養神館本部道場に井上強一館長を訪ねる。井上館長も「いやー此れは此れはーー」と気軽にオフィスに迎え入れてくれる。最後にご一緒したのは伝統岩間流の斉藤仁弘塾長の発足式での事。入ってこられる先生方に丁寧に紹介していただき恐縮。
指導を終えられた先生方は直立不動で稽古報告をし、井上館長も立ち上がって向き合いそれを受ける。礼儀正しく、けじめのハッキリした雰囲気、窓口のスタッフの優しさ、多いに見習うべき事がある。貴重なお話を伺うことができた。帰り際わざわざ袴を着けて写真を撮らしてくれる。この世界、偉い先生には「写真を一緒に」とは言い出せないもの。すっかり心を見られていた。なぜ故塩田館長の胸像の横に大きな犬の置き物があるのかと質問。「塩田館長はとっても犬好きでねーー。」と顔を緩ます井上館長。養神館のイメージが伺える。大変貴重な訪問となった。



道場玄関にある
養神館創設者故塩田剛三先生胸像と犬の置物

井上館長と

名古屋に。万博で駅はごった返す。その日の予定が開いたため、京都まで行って綾部に。大本教の天王平奥津城などを取材。亀岡の図書館などを再訪。
名古屋に道場のある光気会合気道の丸山修道先生を訪ねる。夏に米国のフィラデルフィアにある先生の道場を訪問して僅か。相変わらずお元気。窓から身を乗り出して待っててくれる。食事の後もう一軒、久しぶりに丸山先生の独特の歌いっぷりを聞く。



丸山修道先生光気会道場にて

月曜日、愛地球広場なるところでアルゼンチン館主催の合気道アルゼンチン40周年記念演武会に来賓として招待され出席。(この詳細はこちらをご覧下さい。)それにしても混雑極まりなく「見学しよう」と言う気持ちすら起きない。スタッフパスポートを戴き入場は簡単だったので文句は言えないが。学生達が演武をするが舞台の大きさに乗り切れない。あの炎天下、草履も履かず焼けたコンクリートの上を飛び跳ねて歩く姿は武道家也しか。「俺の事も写真に取ってくれ」と後から声が掛る。丸山修道先生が立っていた。驚く。この催しのトップゲスト合気会本部藤田昌武師範と再会、丸山先生との40年ぶりの再会をアレンジ。この再会のシーンはご両人とも影響がなくなってから書くことにする。


突然声をかけてきた丸山先生と(中央)

博覧会は人の波

来賓者の立場ではあったがスタッフに感謝を述べて、もっと観ていたいと言う丸山先生を無理に引っ張って会場を出る。仕掛け人の教え子の演武だけで良し、演武後の凱旋会のような事は苦手とする。
長野の松川に飛ぶ。旨い具合に乗り継ぎができ夜9時、響岳太鼓道場着、14名が汗だくになって打っている。入った瞬間クラリ、その熱気に圧倒される。凄い。これならリオ公演も大丈夫。大成功となるであろう。練習後、仲間の家で酒盛り、もう10時をとっくに過ぎているのに裏の畑からキューリやミョーガを採ってきてたちまちテーブルの上はヘルシーな肴が整う。手際のよい事。崩れたのは何時か覚えていない。


汗だくで練習に励む打ち手たち

早朝、東京へ。日本武道館の資料室へ、夜、日本館日本支部のスタッフと一杯。アメリカ日本館本部にいた頃は皆気軽な独り者、今では子供が2−3人の親爺たち。教育や将来に頭を痛め、酒の勢いもない。互いに歳を感じる。
アメリカへ。いつもの通り自問する「俺は米国に帰るのか、行くのか」と。最近は「帰る」が8点くらいになったけど、「行く」の2点は貴重な私自身、譲ってなるものか。
何でこんな便利な輸送システムができたものか。旅先から飛行場に物が送れる。引換券7枚、人前憚らず「蚤の市」宜しく荷物を広げバックに納める。こちらは軽そうな顔をして量りに上げ、カウンターの女性の反応を見る。いつもの駆け引きである。
機上にて。今年の内に訪問する4ヶ国の事を考える。食事も取らず気が付いたらサンフランシスコ。今回の旅もいい出会いがあり、貴重な証言、資料を入手する事ができた。
館長 本間 記




AHAN活動報告

日本館アーミー出動
 平成17年7月30日
 


汗を流す、奉仕をする。アメリカンスピリット。日本館の若いメンバー達

世界のNABESADや大きいところではローリングストーンもコンサートを開いたデンバー市の西にあるレッドロック野外コンサート場、1万人の観客を収容する世界中のエンターティナー憧れの会場です。ここは大きな自然公園になっていて、日本館の今年の「春の勤労奉仕」はここの整備となりました。7月に春とは?本来予定されてものが天候の関係でずれ込んでしまったのです。


雨でも集まった5月の予定日

デンバー公園管理局の指揮下、今回の仕事は其々の体力にあった持ち場を選び、ハイキングコース整備、橋のペンキ塗り、最もきつい仕事は旧地主が牧場に張った鉄条網の撤去。日蔭のない急斜面を相手に奮闘してくれました。
すでに14回目の春の奉仕作業はデンバー市から「日本館アーミー」と呼ばれるほどの行動力を持ちそのパワーとチームワークの良さは高く評価されています。今回も60人余り参加してくれました。参加の方々ご苦労様でした。


朝8時、集合

手すり塗り


ゴミ拾い

橋のペンキ塗り


高地で息がきつく作業はきつい

奉仕活動を欠かしたときのないモーリス氏83歳


時間のある人は皆で一杯

ガラガラ蛇注意、念のため



鯉のぼり250本寄贈される
 平成17年7月22日


鯉のぼり

野県松川村から鯉のぼり250本が日本館に贈られました。日本では5月の男の子の祭りで鯉のぼりを揚げる風習があります。親戚などから贈られ、ポストに揚げられ風に吹かれて勢いよく泳ぐ姿は、くじける事無く、向かい風に進む強い男子になる事を願っています。しかしこの鯉のぼりは男の子が年長になると揚げる事無く、倉庫に眠ってしまいます。
 日本館ではこのリサイクルを考え、響岳太鼓の本拠地、松川村や地方新聞の協力を得て250本が集まり寄贈されたものです。この鯉のぼりは日本館のAHAN活動のエベント用として使われるほか、デンバーとその近郊の小学校に贈られ、キープホープ、カープアップ「希望を持って鯉のぼりを揚げよう」と言う子供の情緒キャンペーンに使う事になっております。エベントの収入は日本館孤児救済プログラムに使われます。
松川村、及び近郊の方々、ご協力本当に有難う御座いました。今後の友好利用状況を常時このホームページで報告いたします。最初の利用はこの10月ブラジル、リオデジャネイロで開かれる響岳太鼓公演で使われます。尚使用後は一部をブラジル日系人会に寄付されます。



モンゴル ゾルグ財団より感謝状 
 平成17年8月19日
 

モンゴル二次コンピューター寄贈に対する、ゾルグ財団からの感謝状が届きましたので日本館にコンピューターを寄付下さった方々に報告いたします。二次寄贈分の15台はガンダン寺、5台は小学校等、そして10台がゾルグ財団を通して各施設に贈られました。
(二次寄贈の詳細はこちらをご覧下さい。)
尚、今年中に更に40台を送る事になっており、調整も進んでおりましたが、今回の米国ハリケーン被害者用に緊急支給するため、モンゴル分は来年度に繰り延べる事になりました。ご支援くださっている皆様、ご理解くださるようお願いいたします。



感謝状




日本館子供クラスAHAN活動に加わる 
 平成17年8月13日
 


エリックさんの指導で活動始まる

日本館コンピューターリサイクルプロジェクトは順調な活動をしており、寄付されるコンピューターも多くなり、調整が間に合わない状態です。そこで門下生の専門家の他に簡単な部分は子供クラスの高学年生の協力を得る事にしました。ご承知の通り最近の子供達は親もしのぐハイテク知識を持つ子も多くなっています。
土曜のアドバンス子供クラス稽古後から二時間余り、日本館門下生エリックさんの指導の下で、調整や組み立て、記録、発送などをします。これは単に技術の習得ばかりではなく、AHAN活動を子供クラスにも組み込み、奉仕の心、他人を労わる心を学ぶ事が目的です。この活動に対して、学校によっては授業クレジットとして認められるケースも有ります。




子供達の応援は活動の大きな力となる

この奉仕に参加した子供達には日本館発行の「日本館券」を支払います。単位は日本館のマークである牛からMOOとし、一時間は「一MOO」が支払われます。一MOOは一ドルです。このMOOは授業料や日本館レストランDOMOで食事ができます。

夏休みの修了と供に、大学進学で他の町に出て行く子供達が多いのがこのシーズンです。小学校の頃から稽古を始めた子供達が道場を離れていくのは大変寂しいのですが、別れの挨拶に来る子供達がみんな明るい顔でやってくるので救われます。
多くの後輩たちの面倒を見た優しく賢こいターリヤさん。日本館のレストランDOMOで独立生活のトレーニング、カルフォル二ヤの有名大学に進学しました。デンバー大学付属高校を卒業し進学のため他州に行った、キートン君とランドン君。キートン君もこの夏はDOMOで働きました。高校を在宅教育で単位をとって進学したディエゴ君。彼は私の助手兼スペイン語通訳としてメキシコ、コスタリカで活躍してしてくれました。なんと100%奨学金で有名大学へ。


ターリヤさん

キートン君、ランドン君


ディエゴ君、楽しかったなー

みんな素晴らしい子供達でした。もちろん、その影には家族達の暖かい応援を見ることができます。日本館の子供クラスは他の武道道場の子供クラスとは明らかに違う指導方針のもと、活発に行なわれています。



日本館活動報告

日本館維持の蔭で
 

日本館は地元、他州、海外等で様々な活動をしています。それには強固な本部が存在しなければなりません。日本館本部は1万5千sfの敷地に道場や内弟子施設、レストラン、資料館などがあります。一日数百人が出入りするこの建物、評判の日本庭園の管理を含め大変な人手を必要とします。トイレが詰ったり、ドアの調子がおかしかったり、空調、暖房、電気、防犯システム、駐車場の整備、などなど補修や管理は常に追いかけっこの状態です。そういった補修や管理を率先してやってくれているのはシニアの門下生達です。
日本館建築時に一切の水道工事を寄付してくれたジョン.ピストネック氏は現在でもシンクの下や、トイレットボールにしゃがみ込み、補修や管理をしてくれます。100人余りの従業員を抱える社長さんであり何も彼がやらなくともいいのですが「ここは私の道場」と云って譲りません。


ここは私の道場。ジョンさん

困った時のスコットさん


道場奉仕、黙々と働く

日本館を本間館長と一緒に建築し、現在は指導員のスコット.オイルソン氏は「困った時のスコットさん」として事務所のデスクに電話番号が貼り付けてあります。大草原の小さな家かボナンザの親爺さんみたいな人で、何から何までやってしまう器用な方で、ハリケーンカトリーナでも向って来い、そんなパワーを持ち日本館の補修管理を担当してくれています。こういったシニア門下生達の行動が自然に日本館の伝統として後輩たちに受け継がれ日本館を支える大きな力となっています。
これまで全てを企画、指揮してきた本間館長が海外指導やAHAN活動で道場を留守にする機会が多くなってきたなか、生徒達が自主的に其々の活動をする事は今後の日本館の新たな発展を方向つけるものです。本間館長は「親がいつまでも元気なわけではない。何が起きても子供達でしっかり家を守り、維持発展させる事ができなくてはならない。世界中の日本人パイオニア道場で指導者を失ってパニックとなるケースは幾らでも起きている。常にそういった例を参考に日本館というボートを操って行かねばなりません」といつも話しています。早朝、奉仕活動に集まった門下生を前に本間館長が「今日、何の日だったけ?」と「生徒先行、館長置き去り」の現象こそ本間館長の求めている日本館のようです。
道場の維持管理に限らず、日本館運営に携わる事務部、指導部など多くの人々、其々のできる範囲で時間を日本館に提供してくれる人々、こういった多くの門下生の善意によって日本館は維持されているのです。道場の開門前のひととき、駐車場に並んで雑草を抜き取る門下生。この姿こそ日本館道場の「クオリテーの証」です。



訪問稽古者たち
 

おかしな噂があるものです「日本館の稽古は荒い」と。勿論、お花のクラスでもありませんから多少は激しいでしょうが、若手のオリーブ指導員とランドリー指導員が指導するかなりタフなクラスである「テクニカルクラス」はいつも人気のクラスで本間館長曰く「俺のクラスより集まる」と公言するほどですから。どうも「厳しく厳格」と「乱暴で粗雑」を取り違えているようです。
日本館には全米各地、世界各国から訪問稽古(飛び込み稽古)の方が訪れます。いかなる訪問者も「本間館長個人のお客」として迎えられます。いかなる流派団体であってもその段位には敬意を払い、黒帯や袴の着用を認めます。生徒一同の前で紹介し歓迎の意思を表します。指導者は、流派や道場が違う事によって稽古上問題が無いか常に注意を払います。館長が道場にいる場合は、挨拶のため道場に入ります。とくに遠方からの訪問者で、上部師範の紹介状などを所持してきた訪問者には夕食などの接待をする事もあります。また訪問者が初心者の場合は数人の担当者が稽古の面倒を見ます。
私共のこういった受け入れに勘違いを起こしてしまう合気道家が存在しないわけでもありませんが、日本館の訪問者には最大の敬意を払って対応しております。訪問される方も充分其の点をご理解のうえ訪問してください。
リンクにある手紙はデンバーに短期滞在したおり、日本館を訪問稽古した女性からの手紙です。(英文のみ)



クリスさんの手紙



井垣英治 米国ナショナル空手道連盟専任コーチ
平成17年8月15日
 


井垣先生と本間館長
JKFの日本講習会に参加、今週はコロラドスプリングスのオリンピックトレーニングセンターでコーチ合宿を終えたばかりの井垣先生が久しぶりに日本館を訪れました。今回は友人の誕生パーテーでDOMOレストランでのお食事でしたが、国内海外遠征が多くご多忙な毎日の様です。
コロラドにお住まいの井垣先生は、空手コーチの傍ら陶芸がご趣味で、最近は忙しく作陶ができないのが残念との事ですが、壷や大皿など素晴らしい作品を制作されています。先生の作品は日本館DOMOレストランでも使わせて戴いております。ますますのご活躍をお祈りいたします。



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