台湾をキックボクシングの試合のため訪問した際「韓国と同じ合気道と書く日本の合気道」を知り、其の時に出会った小林師範との関係から小林道場に住み込んで修行を始められ、日本の合気道を始められました。その後度々日本の小林道場を訪れ稽古を重ねておられます。
小林師範との出会いはユン先生にとって衝撃的であり「隣の人の好いおじいさんみたいな小柄な人に、ハップキ道6段、テッコン道5段、過去にはキックボクシングのチャンピオンにもなった自分がポンポン投げ飛ばされる。ハップキ道とは全く異なるその不思議な技に私は益々興味をもち、この道を修めたいと決心した」と著書に述べておられます。1994年にソウルに始めて道場を開き、現在では韓国全土に支部、門下生を有する組織に育て上げました。
韓国には戦後、ハップキ道(日本ではハブキ道と書くようですが、ここではアメリカ読みに書きます)という日本語で「合気道」と書く武道があります。ユン先生が合気道(アイキドウ)として指導を始められた時には多くの方々が「混乱」したのは云うまでも有りません。色々なご苦労があったとお聞きしました。
30年前のアメリカにもハップキ道と呼ばれた合気道はどこの街にも道場を開いていました。その多くは合気道開祖植芝盛平の写真を掲げ、漢字で「合気道」と書き、私は随分と疑問を感じたものでした。最近は写真も合気道の漢字も除かれ、韓国オリジナル武道として指導しているようですが、数はだいぶ少なくなりました。
私が調査した「ハップキ道と日本の大東流や合気道の歴史的関わり」についての考証は、このコラムで触れる事はしませんが、戦後、韓国内の日本文化払拭時代に始まったハップキ道が、どの様に発展したのかは大変興味のあることです。
ユン先生の本部道場で若い方々と稽古をさせていただきました。その日は韓国各地の指導者の研修会であったそうです。道場には一種独特なパワーがあり、俗に云う「体育会系」のムードが張り詰めていました。稽古後は懇親会を開いていただき、フレンドリーな青年門下生とマッコリを飲み交わしながら有意義な一時を過ごし、翌日にはユン先生や幹部のお弟子さんがソウルの町を案内してくれました。穏やかな心使いはとても温かいものを感じました。
道場の皆さんと |
私はユン先生の道場訪問前、南北境界ゾーンDMZにある板門店を訪れていました。1953年南北朝鮮戦争停戦協定以来、同じ民族が南北に分かれ、分断国家として今日に至っています。この悲劇の歴史を紐解く時に、日本の植民地侵略が大きく関わっていた事実を、同行の若いガイドさんは一言も口にする事は有りませんでした。
年老いて死期の迫った分断家族の事、南北間の友好事業の事など、悲劇の中にポジティブな将来を探る若い韓国人女性ガイドさんに、熱いものを感じ、心の中で「ありがとう」と言いました。
板門店北朝鮮側にて |
DMG板門店南側より |
ユン先生を中心に飛躍的発展をしている大韓合気道連盟。韓国の若い合気道家が、前向きな日韓関係、そして世界の架け橋となって活躍してくれる事を心から期待するのです。
今回の訪問にあたり、私は事前に日本の小林保雄師範にユン先生道場訪問の承諾を得るためEメールを送りました。数時間にして返信があり「私からも伝えておきます」と快諾してくれました。小林師範が育てあげた日本人、外国人指導者は世界各国で活躍されています。最近、合気道生活50年を振り返ったご著書を拝読し、大変なご苦労の末に今日の小林道場が有る事に感動しました。
小林師範の寛大寛容なお心によって、私は韓国で素晴らしい出会いをする事ができました。深く感謝申し上げるものです。同時にお世話になりましたユン先生、奥さま、門下の方々にも感謝申し上げます。有難う御座いました。
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