本間日本館総本部館長をリーダーとした一行9名がネパール、インドを訪問しました。この訪問はネパール政府の国立スポーツ審議会に所属する武道団体からの招聘によるものです。昨年に続き2回目の訪問で、3日間の講習会を行いました。一行は日本館副会長でありAHAN会長でもあるエミリー ブッシユ先生や日本館オフィススタッフ3名、内弟子修了者4名で、合気道の稽古を通してネパールの方々と交流を深めました。
楽しく稽古することが大切さ |
やっと外も明るくなった道場、
外には多くの見学者 |
今回は国立スポーツ審議会から代表審議委員のキソアー.バハデアー.シン氏(Mr.Kishor Bahadur Singh)に立会い戴き「ネパール合気道協会、ネパール合気道日本館」を正式に発足させました。
日本館一行とシン氏(中央トピ帽の方) |
協会発足の打ち合わせをするネパールスタッフ |
この会の発足にあたり多くの皆様がご協力下さいました事を深く感謝申し上げます。日本館総本部では総本部指導員の中から長期滞在指導者2名の派遣を予定しています。
「アジアの前線道場より」をご覧下さい。
待ち込んだ文房具などを前に、寺院前での一行 |
一行は昨年から支援しているカトマンズ市内 の Drubgon Jangchub Choeling 寺院を訪問、日本館総本部に集まった文房具
300キロ余り、日本館が行っている中古コンピュータープロジェクトで集まった中から2台、AHAN支援基金から1000ドルが贈られました。
約300キロ余りの文房具などを運び込む |
荷を解く一行 |
贈られたコンピューターに喜ぶ修行僧たち
手前は日本館内弟子修了生のスコットさん |
この寺院は貧困の子供達や孤児の教育に力を入れ、カトマンズから2時間余りの山中には英語などの一般教育も含めた全寮制の仏教ラーニングセンターなど多くの施設を持ち、積極的に子供達の教育に務めています。山中の寺院に招待された一行は大変美味な菜食昼食で持て成しを受け、暖かい歓迎を受けました。
歓迎を受ける本間館長、
エミリー、ブッシュAHAN会長 |
山中で修行する年少僧たちと |
寺院についてお知りになりたい方はhttp://www.drubthobrinpochenp.org/
をご覧下さい。
一行は積極的な合気道交流、AHAN活動をこなし、ネパールの古い歴史に触れ、有意義な日程を無事終了し、ネパールの友人達に別れを告げました。現地AHAN日本館ネパールのコーデネイターのプジャさん、ダイヤギさん、案内や通訳、ご苦労様でした。
Eブッシュ記
公開演武の本間館長 |
インドでの合気道人口は人口比からはまだまだ少なく、この講習会のスポンサーであるSUN Group社主Shiv Vikram Khemka氏の肝いりで、広く青少年に普及するべく多くの皆様が努力されています。Shiv Vikram Khemka氏はご自身も海外での合気道稽古歴があり、奥様と二人のお子様と講習会に参加されました。氏はインドの、奥様はネパールのロイヤルファミリーという由緒あるお家柄です。指導リダーであるパリトス カー(Paritos Car)先生は日本の合気会本部で14年余り稽古された「本部有名人」。稽古時間に合わせるため駅前のチラシ配りで生活費を賄ったなど、ご苦労の多かったパリトス先生の日本体験談は尽きません。
稽古風景 |
TVの取材に答える本間館長 |
右から本間館長、Khemka氏、奥さま、
パリトス先生 |
パリトス先生と本間館長
木剣16振り、杖16本を寄贈する |
段のとき、ロシアのハバロフスク市で2年間生活、2つの道場を開設、その後04年インドに戻り現在の道場を始めました。生徒さんは素晴らしい方々が集まりながらも道場を無難に維持するにはやや時間を必要とし、大変なご苦労をされているようです。
こういった「前線道場」で努力されている合気道家たちとの積極的交流を深め、指導者のご苦労や悩み、活動状況を直接感じる事も大切な支援活動であるとの本間館長の教えの通り、稽古はたった2日間ではありましたが交流の深まる貴重な体験をする事ができました。また公開演武にはローカルテレビ局などメデアも取材にあたり、ニューデリーの方々の合気道に対する興味の程が伺えました。講習会は成功裏に終了、感情を抑えきれず涙するパリトス先生に私共も共鳴してしまいました。講習会に参加した方のレポートがありますので、ご覧下さい。(英文のみ)http://www.aikikaiindia.com/page07-9.htm
インドに於ける日本からの直接指導は少なく、今後多くの皆様に注目していただきたい国と言えます。合気道は世界に存在し、特に日本に何らかの理由で生活した方々が母国に帰り指導を始めた道場がが多くあります。しかしその国の習慣、宗教、伝統、経済的理由などから普及、指導が思うように進まないケースも多いようです。当然の様に組織が小さければ、日本の上部団体へのアピールも届かず、或いは届いても響かない例が多いようです。
米国、日本に限らず、多くの国々がインドの経済的発展に注目している今日、果たしてどれだけ私達がインドを知っているのかは疑問です。
日本とインドの架け橋として努力されている合気道家パリトス先生、マネージャーのユリア ポール(Yulia Pal)さん、そして多くのインド人門下生が日本の武道を通して日本を理解しようと努力されているのに対し、私達の理解度が「カレーとヨガ」程度では、いつまでも双方の理解は深まらない事でしょう。日本の合気会本部でもお馴染みで日本語も堪能なパリトス先生が母国インドで灯し始めた合気道、「ヨー頑張ってるかい」と立ち寄ってやるのも大きな心の支えとなる事でしょう。
また彼の職業はガイド、通訳(日本語、英語)、ビジネスコーデネイターです。インドにはカーストを含んだ複雑な人間関係が存在します。インド人日本理解者であるパリトス先生の存在は、観光やビジネスを考える人に大きな力となってくれるはずです。ぜひ彼と連絡を取り、ガイド、通訳などをお願いしてください。彼の合気道活動を支援する経済的支えとなるのは云うまでもありません。paritosk1@hotmail.comに連絡下さい。
私達は観光客では経験できない「地元」の体験を充分に楽しんだほか、タジマホールなどの史跡も訪問、本間館長を除く私達は帰国の途に着きました。
私達には珍しい |
サリーがまぶしく美しい |
インドでお世話になった皆様、本当に有難うございました。来年インドは「日本年」と制定、各種の行事が政府レベルで企画されています。本間館長は再度この企画参加のため訪印することになっています。
M .ガーナー記
■本間館長インド、ダラムサラ訪問
平成18年2月8日
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ツクラカン寺院を背に本間館長 |
インドに残った本間館長、日本館内弟子修了した私、スコット.ルニー、AHAN日本館ネパール コーデネイターのプジャさんの3人はニューデリーから北方600キロ余りのダラムサラに向いました。
この地は1959年、ダライラマ法王がチベットから亡命、アッパーダラムサラのツクラカン寺院前のパレスにお住まいです。ダラムサラにはニューデリーから夜行で12時間、さらに3時間余りのドライブで到着します。
この訪問に関して本間館長は「この地を訪問したのは私的なものであり、インドに行ったら訪れてみたいと考えていました。今回、縁があってこの地を訪問できた事を喜んでいます。感想やコメントは個人的な事として控えたいと思います」と写真のみ提供していただきました。安易な感想や報告は敬意を損じる場合があるという本間館長の希望からです。
S.ルニー記
■本間館長バングラデッシュ人民共和国訪問
平成18年2月11日〜2月15日 |
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AHAN日本館バングラデッシュ世話人マジ シャイーク君がレポートを送ります。
本間館長のコラム「アジアの前線道場より」をご覧下さい。
私の国は1971年12月に東パキスタンから独立した人口1億3000万人余り新しい国です。インドの右横に位置してます。主要産業は縫製品やニット製品で米国は最大の輸出国です。
合気道日本館総本部、本間学館長が私達の国バングラデッシュの首都ダッカの合気道グループ2ヶ所を訪問してくれました。昨年の本間館長のネパール訪問を知った私が総本部にメール。最初は今年の本間館長のネパール訪問に合わせて私が訪問する事を考えましたが本間館長より「私が行けば一人の経費で多くの人が稽古できる」との暖かい配慮をいただき私達の国を訪問してくれることになったのです。
本間館長はお一人で気軽に手を振って飛行場の外で待つ我々に挨拶してくれました。迎えた我々は「本当に来てくれた」と感激しました。本間館長は旅の疲れも見せず直ぐに庶民のマーケットを見たいと、テーシャツに着替え小型カメラを持ってリキシャに飛び乗り町へ。どこの国に行っても庶民のマーケットを見て、まずその国の生活を知るのだそうです。
国民的乗り物リキシャ30万台とも |
リキシャに乗る本間館長 |
夕方にはグルシャン地区のブラックベルト アカデミー道場にて指導していただきました。この道場はアメリカに留学後、縫製品関係の輸出業を手広くしている実家カゼ エムカイス氏(Kazi M,quasi)氏が自宅の一角を道場として青少年の育成の為に開放しています。エムカイス氏はアメリカで和道流を稽古されご自分でも指導されている他、我々合気道愛好家の為にも道場を開放してくれています。本間館長はこの道場で三夜稽古をしてくれました。
一人おいて 左からエムカエス先生、
本間館長、私 |
パリス私立学校での朝稽古 |
翌朝はゴラン地区にある私立小学校の校庭での朝稽古を指導して戴きました。私達は最初、その稽古場所がレンガを敷き詰めたしかも凸凹の校庭であったので本間館長に指導をお願いするのに躊躇していました。しかしそんな心配も館長の一言で飛んでしまいました。「むかし、戦いは畳の上だけでやったわけではない」と。子供から大人までの生徒を前に熱心に指導して下さいました。
この学校は校長のMd.Achraf.Hossain先生が1970年に開校した私立校で、武道クラブは子供達の健全育成を目的に1991年からA.B.Z.Nain先生が中心となって指導しています。授業の始まる前の一時間半が稽古時間です。この場所にも本間館長は私と一緒にリキシャに乗り、三日間指導に出掛けてくれました。
私の父を始め家族、友人が本間館長が本当に問題なくダッカでの滞在が出来るよう心配しましたが、本間館長は積極的に毎日を過ごされ、私共の国を、生活を楽しまれたようでした。
※編集部より
バングラデッシュの首都ダッカに滞在の方は是非マジ君の家族が経営する中央駅前のHOTEL SEA−LANDをご利用下さい。清潔で安全です。 |
本間館長は朝夕の稽古の合間に孤児院などを訪問したいと希望し、ダーマラジカ仏教寺院とタライスラ寺院にご案内しました。仏教寺院には約500人の孤児が生活してます。300年の歴史あるイスラム寺院には150人余りの孤児が生活しています。本間館長は子供達や調理場の方々と親しく話されたほか、老師や聖職者から施設の状況などを詳しくお聞きしていました。
寺院運営孤児院の食堂で |
モスク運営孤児院で勉強する子供 |
寺院を出た本間館長は私に「米屋に行きましょう」と云われ、近くの米屋で米を購入、寺院に届けました。「500人の子供が一日2回の食事をして160キロの米が必要」との話を老師から聞いていたからでしょう。結局、本間館長は孤児院などに合計一トン余りの米を寄付されました。
米屋と値段交渉 |
寺院に米を運び込む |
本間館長は「この国に来て、多くの貧しい人、特に子供達の姿を見て、そしてその子供達に愛を注ぐ人々を見て私の心の中がとても明るくなりました。考えさせられる事、気がつくことが沢山ありました。米はその授業料です」と説明されていました。また「これからバングラデッシュに合気道が普及する様に願ってAHAN活動の一つとして寄付しました。今日、この時がAHAN日本館バングラデッシュのスタートの日です」と話され、AHAN活動と合気道普及の関連性について詳しく説明してくれました。今後AHAN活動を展開したいと思います。尚、イスラム寺院では大変親しく本間館長を向かえ、好意的に施設を紹介してくれました。この施設に日本人が入ったのは初めての事です。
本間館長は我々に合気道以外の様々な事も指導してくれました。再訪を約束して次の訪問地モンゴルに向われました。本当に有難う御座いました。
最後に私の合気道活動を理解してくれている私の父、ラハマン(Rahman)、道場を開放してくれているカゼ エムカイス氏、パリス私立学校の皆様に深く感謝いたします。
マジ記
■本間館長モンゴル訪問
平成18年2月17日〜22日 |
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AHAN日本館モンゴル、コーデネイターをしています私、アリマがレポートを送ります。
本間館長とモンゴル合気道日本館世話人ガンゾリグ氏(右)指導員ボルド氏(左) |
バングラデッシュから日本に立ち寄り、日本館日本支部スタッフと打ち合わせを済ませた本間館長はソウル経由のモンゴル航空で私達の待つウアランバートルに到着しました。空港にはモンゴル合気道日本館の世話人ガンゾリグ氏が自分の経営する警備会社の特殊車両3台を待機させての歓迎振り、到着された本間館長も驚くほどでした。
先ずは私の家に集まったスタッフが、早朝5時までという「ミーテング兼歓迎会」。翌日はモンゴル合気道日本館の稽古場所「ウルフ クラブ」へ。この武道クラブはウランバートル市の中心街にある40畳の広さの道場でDashdorj Ganzorig氏が経営する警備会社の付属施設として始めたものです。
指導中の本間館長 |
今回昇級した方たちと |
80人余りの警備会社従業員が合気道の他、空手、柔道、サンボ、剣道、ボクシングなどを毎日稽古しています。現在ではこの道場は非営利団体150人余りの一般の人も門下生として稽古しています。ガンゾリグ氏は1993年モンゴルに始めて合気道が入り、組織を立ち上げた時の副会長として現在のモンゴル合気道協会(合気会)開設の貢献者でしたが現在は独立、日本館総本部で内弟子をしたモンゴル日本館指導員のボルド先生と一緒に活動をしています。モンゴル日本館は当初、モンゴル合気会と歩調を合わせていましたが、稽古内容や実力、普及活動そっちのけで組織や役員地位の保持ばかりに奔走する現団体とは一線を画し、「一人でも多くのモンゴルの方々に合気道を紹介する」「AHAN活動を通して、コミニテーと一体となった合気道の展開」をするため「モンゴルの新しい合気道道場」として飛躍的な活動しています。
ガンゾリグ氏の合気道普及の意欲は凄まじく、すでに3本の合気道紹介のTV番組を制作しています。その制作にはモンゴルの有名ロック歌手グループをスタッフに迎えるなど若い方々への普及を積極的に進めています。今回の本間館長の訪問でも、彼の企画によって、モンゴル大手TVステーション「チャンネル9」のゴールデンタイムに、道場で取材した演武映像を基に本間館長のスタジオインタビューが生放送され、放送後には大きな反響がありました。
TV出演中の館長 |
モンゴル相撲コーチのバハルサイハン氏
(右2人目)と資料収集中の本間館長 |
矢車投げ? |
浮き腰か |
限られた日程の中、本間館長の希望でモンゴル相撲「ブフ」の取材を行いました。丁度開かれていた大会を見学後、練習場を訪問して技の動きなどを熱心に見ておられました。本間館長はモンゴル訪問の度にブフを取材しており、モンゴル相撲の記事もまもなく発表される事でしょう。(編集部、本間館長に聞きましたらこの次の更新ぐらいまでにはーーという事でした)
ダッシチョーリング寺院のダンバジャブ師と |
先ず皆様に申し上げたいのは、ガンゾリグ先生の道場そのものがAHAN活動を実践している道場であると云う事です。指導料などに拘らず、地域の青少年に場所を提供し合気道を指導しているからです。また私費を投じてあらゆる角度からの普及活動にガンゾリグ氏は貢献されています。特に合気道とは直接関係のない分野にAHAN活動を展開して、幅広く合気道のイメージアップを計ろうとする本間館長の理解者として大きな役割を果たしています。
子供達に合気道を指導するガンゾルグ氏 |
剣道の指導をするガンゾルグ氏 |
今回の訪問で本間館長は、日本館総本部プロジェクトである「新中古コンピューターリサイクル」で贈られた70台のコンピューターの使用状況の確認と、今年1月に総本部から送った30台の寄贈先の受け入れ態勢などの確認をしました。
支援後の確認はAHAN活動にとって大切な仕事です。支援が正しく使われているかを確認する事は、日本館に物品や資金を寄付された方に対する責任でもあります。また事前の調査も同じ理由です。今回贈られるのはDashiChoilingダッシチョーリング寺院の学校とゾルグ財団を通して地方の中学校に贈られます。ゾルグ財団関係記事はこちらをご覧下さい。
アリマ 記
新年を向かえ、日本館新中古コンピューターリサイクルプロジェクトが大忙し、クリスマスや新年に買い換えたコンピューターが日本館に集まり、担当のエリック モーァさんと内弟子、門下生ボランテア、ユースプログラム生などが調整に当たってくれました。
発送を待つコンピューター |
発送のためトラックに |
調整されたコンピューターはモンゴルに30台発送され、ネパールの2台は本間館長一行が持参、メキシコにも2台送られました。新企画として、バングラデッシュのコンテナー事情を調べ100台を目標に送る事を計画しています。
■日本館路上生活者食事支援活動報告
平成18年3月19日
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16年目に入ったこのプロジェクト、今年も活発に行なわれています。サービスには常連の門下生のほか友人や知人の「飛び込み参加」もあります。飛び込み参加から常連となる方もおります。
食事サービスを体験するダシカ君 |
僧服で本間館長と |
最近のユニークな参加者はモンゴルからデンバーの大学に留学しているダシカ君。米国の福祉ボランテア体験のため参加しました。ダシカ君はモンゴルの仏教寺院で14年間仏教修行を修め、仏教大学卒業後寺院より派遣訪米しました。
3ヶ月間の食事サービスは
1月度(18年1月15日)―――――――――――――――312食
2月度(18年2月19日)―――――――――――――――354食
3月度(18年3月19日)―――――――――――――――291食
1991年1月に食事サービスを開始以来の合計――4万2千793食
本間館長の指導で活動始まる |
アジア4ヶ国からの遠征を終え帰館した本間館長は翌日、AHAN日本館バングラデッシュの立ち上げ基金募集講習会を開く事を発表、白帯、黄帯、緑帯を対象とした講習会を開きました。「私はいつもここの道場で指導しているので、あえて講習会などやら無くてもいい、生徒に参加費の余裕があるならゲスト師範に来て頂いた方が良い」そういって常に門下生の経済負担を心配される本間館長。本間館長指導による総本部での講習会は3年ぶりとなりました。
この講習会には60人余りが参加、遠征の報告を交えての本間館長の指導は多くの参加者に感動を与えてくれました。講習会後には日本館指導員を招き交流の場がもたれました。
参加者が列を作る |
指導員も交えての慰労会
左からオイルソン指導員、デメン指導員 |
今回の講習会で集まった基金はバングラデッシュの孤児院に米を贈るプロジェクトに使われます。バングラデッシュ側の体制が整い次第、米6トンを12ヶ月に別けて現地購入し支援されます。
今年は日本館、右、二宮館長、隣、本間館長 |
11年目のこの大会、今年は100人余りが参加しました。このボーリング大会は、日本館の本間館長が円心会館の二宮館長の誕生日記念に呼びかけて始めたものです。今回は日本館に大きなトロフィーが戻り、これまでの勝敗は辛うじて日本館がリード。毎年恒例の、負けた道場の内弟子が氷水を頭からかけられる行事は「これまで10年間、内弟子に水をかけてきたので、今年は我々がーー」と言う冗談が本当になり、二宮、本間両館長が11回記念として水を浴びられました。全く異なる武道場の指導者や門下生がこういった交流を持つことの意義は大きいと思いました。
R ジェースン記
受付スタッフご苦労さん |
多くの参加者で賑わう |
親しく語り合う両館長 |
両道場のユース門下生も楽しむ |
年寄りの冷や水との声も
左、本間館長、右、二宮館長、冷水担当、太田氏(あえて明記) |
左から松尾君、ヘクター君、ジョシュア君の内弟子仲間 |
3人の内弟子が修了しました。ジョシュア,ケムリー君、へクター,シード君、そして日本から参加の松尾壮昌君が最も寒いデンバーの冬を越して内弟子一期を修了しました。
ジョシュア君は修了後は大学に戻ります。ヘクター君はメキシコからの内弟子でコロラドの寒さはかなり厳しい体験となった事でしょうがしっかり頑張りました。松尾君は京都大学農学部の学生さん。京大では合気道クラブの主将を務めていたとあって根性はすばらしいものでした。卒業式までの滞在でしたが、日本館の米国人門下生にとっても貴重な経験となりました。帰国後は大学院で研究を続けられるそうです。日本の若い合気道家が気軽に滞在される事を日本館では希望しています。松尾君が帰国後送ってくれた日本館での体験コラムがあります。こちらをご覧下さい。
H ホーガン記
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