館長コラム◆◆  

アジアの前線道場より

「善の合気道」とバナナの話
 

 私は「人間が武道を創ったのであり、武道が人間を創ったものでない。今後も武道は師弟一体となって育まれていく」という持論が有ります。自己の武道をさらに深めて行くためには、「合気道を指導する」事に甘んじ組織の雛段に安座する事を最も恥ずかしい事と思っています。
自己修行の積み重ねにおいて自己の武道が発展していくのであって、どんな大組織の武道であっても、その人に修行がなければいつまでも知る事は有りません。    
 大東流の武田惣角師にあってはその大半を諸国修行放浪の人生とし、最期は青森の田舎でした。合気道開祖植芝盛平翁も青年期からその晩年に至るまで波乱万丈の人生を重ねられました。合気道の世界的飛躍、新道場の建設、華々しい合気道の発展にあって、晩年を迎えた岩間での開祖の生活を振り返り、1946年岩間道場に入門、開祖御入神まで23年間最も身近で使えた故斎藤守弘9段は「開祖の晩年は、合気道開祖としての威厳に敬服のみしていた門下生には理解しがたい生活状態にありました。孤独と向かい合っての生活、経済的貧窮が存在していました。たまに訪問する門下生などが神殿正面に残す玉串や、地方の裕福な家庭の門下生が担いでくる米や食料品で凌いでいた程でした」と語っています。    
 この二人の武道家がそういった平坦ではない人生から、今日名を残すまでに至ったのは、武道家として常に自己を修行の場に置き、一切の苦難を「自己修行」と捉えてその道を歩まれた事にあります。

 合気道をどう捉えて修行するべきか、などと始めますと「私の勝手、余計なお世話」となるのが最近の風潮のようです。とくに、合気道の中に含まれると「信じられている」エッセンス、ミラクルのみを求めている修行者、そしてそれを伝えると言う指導者の中には「聞き耳持たず」の方も多いようです。
 夜、石庭を歩いていて石に脛をぶつけた時に悟ったという老師の言葉を聴いて、その夜から同じ石に脛をぶつける若い雲水たちが列を作っていたという話があります。野生のサルにバナナを与えているとサル自身で餌を探し出す事が出来なくなります。バナナのありかを教え、短絡的に悟りを求める若い雲水達を警鐘する禅の笑い話です。
 一ヵ月の海外遠征後オフィスに戻り、郵便物を整理していていましたら、チラシや葉書の中に夏の講習会案内がありました。夏の講習会参加者を今から集めているのですから、よほど事業として魅力があるか、今から集客しないと大変なのか、いずれにせよ、相変わらず高額の講習費、交通費、食費、滞在費を支払って「自己の求めを満たす為」山中に集まる合気道家はいるのでしょう。確かに山中には手頃な石は沢山ありますが、この老師のようにそういった行為を戒める指導者はいない様です。
 
 旅に出ていつも感ずることがあります。それは、いかなる高段師範の合気道講習会からも学ぶ事の不可能な体験が存在し、先の老師の様な人物とも出会う事さえあります。特に開発途上国などの前線道場で純粋無垢に指導や稽古に取り組む武道家と出会うたびに、私は多くの事を学びます。
 今回の遠征3ヶ国目の訪問国、バングラデッシュの訪問でも多くの心豊な人々と出会いました。そこには愛があり、思いやり、労りがあり、身近な平和が存在していました。そこで出会った武道家たちは、武道の社会的役割を正しく引き出し、武道を「人間教育の教材」として生かし、将来の礎となる青少年に対して献身的な活動をされていました。
 バングラデッシュの武道家たちの紹介を通して、合気道と向かい合う根本的な違いの存在を知って戴き、開発途上国で青少年育成、国力の発揚などに献身的に努力されている多くの武道家の立場の理解に繋がれば幸いと思い書き進めました。


 インドの首都、ニューデリーから北に600キロ、ダラムサラにあるダライラマ法王のツクラカン寺院を参拝。滞在する同行者と別れ一人旅となった私は朝を迎えた夜行列車のデッキで外を眺めていました。気がついたら開けたままの乗降口に3時間も私をしゃがみ込ませていました。大抵の事柄は過去の経験と並べてファイルできる年齢と自認していた私も、朝霧の中から飛び込んで来る驚き感動を仕舞い込むファイルスペースが見つからず、時間すら忘れていたのです。
 バングラデッシュ行きの飛行機のなかで、ファイルスペースに収まらないインドでの体験に混乱している自己と語り合い、結局は仏陀の手の平で「勝どき」を挙げている小さな自分でしかない事に思わず苦笑いをしてしまいました。
ニューデリーを発って1時間40分、飛行場も近くなったころ、窓の下にはレンガ工場の巨大な煙突が距離を置いて50本以上立っていました。以前ニカラグアの飛行場で飛行機の進入方向に向って口を開いた大砲用の塹壕が無数に有った事を思い出し、こちらはミサイルかな、などと考えているうちにバングラデシュの首都ダッカのジア国際空港に到着。招待してくれたマジ シャイーク君たちが出迎えてくれました。彼は首都ダッカの玄関口カムラプアー(Kamulapur)中央駅の前でホテルを経営する家族と暮らす大学生です。


 マジ君の家族が経営している「ホテルSea−Rand」から見たカムラプアー中央駅


 マジ君は飛行場からの道、紹介や挨拶を終えた後「バングラデッシュは貧しい国です」と訴えました。しかし私は、聞き流して沈黙を守りました。ネパールでも、インドでも、そしてこれまで訪れた「開発途上国」と云われる国々でも必ず耳にする言葉です。「そうですね」とも「違います」とも言い返せない難しい話題なのです。
 訪れた国の方が自国の貧しさを訴えたとき、私には何を基準に答えていいのか解からないのです。豊富に肉や魚、野菜や果物が並び、電化製品、衣類装飾品があふれんばかりに売られ、祭りや娯楽を多いに楽しみ、驚くほど賑やかに結婚式を祝い、人々は神々に祈りを奉げ、余裕のない生活の中にあっても路上で物乞いをする障害のある方や、訪れる物乞いに何がしかの恵みを与える心の豊かさを、私自身が幾度も目撃しているからです。勿論、慢性的食料難、物資不足に苦しむ国々もありましたが、信仰心や家族愛など人間の心まで貧しくなっているとは私には思えないのです。


新鮮な野菜や果物


 肉屋が数十軒続く

陽気な人たち


イスラムの方の帽子トピの露天

イスラム寺院で使うスピーカーを 売る店が
軒を連ねる

 「先進国」と云われる国が、世界レベルの貨幣価値を基準として横線を引き、上下に別けていいものだろうか、もし開発途上国の人々がその横線にそって自国を「貧しい国」と思うようであれば、それは平然と横線を引く先進国の身勝手な差別行為と私には思えるのです。
 ダッカでは2リッター入りのミネラルウオーターが3円、床屋が4円です。日本なら水が250円、床屋が安くても1500円です。数字を比べ横線を引くだけでは大きな無理があります。単に全てが安い事に気を良くしていると、知らぬ間に現地の人に対して大変な失礼をしている事があります。「現地の人たちはその貨幣価値、経済構造で精一杯生活している」という事実を蹂躙し、彼らの心からの持て成しを見逃してしまう事があるからです。私達が3円の水を250円で飲んでも「金持ち国」ではないのです。マジ君、今度会ったときは胸を張って「私の国は水をたった3円で飲める豊な国です」と言って煙に巻いて下さい。


ラマハン氏一家、本間館長の前ラマハン氏、右前マジ君

 マジ君の父上であるラマハン氏は元政府国務次官の要職にあった方で、パキスタンからの独立運動などにも関与された方です。ラマハン氏は穏やかな英語で現在のバングラデッシュの状況を話してくれました。そして氏は「私は植芝盛平の人生が好きです。決してその人生が平坦でなかったからです。現在の世界の合気道はこの平坦でなかった道から生まれたのです。私は息子に合気道を通してこの事に気がついて欲しいのです。それがバングラデッシュの道でもあるからです。 武道の修行一つとっても決して平坦ではない事は貴方もお解かりでしょう」と微笑みながら語ったのです。最後に「合気道は試合もなく争わない、イスラム教徒としての教えとも重なる武道です」と言って握手を求めてくれました。自分の息子に「平坦でない道」をあえて希望するラマハン氏に非常に奥深い教養を感じ敬意を持ちました。
 開発途上国といわれる国々で、合気道に大きな期待をよせ、若者たちが稽古に励んでいます。期待を寄せているのは政府や教育者などの大人たちも同様です。満足できる稽古環境どころか自己の生活さえ厳しい中、指導者は献身的に指導し、また多くの人たちがそれを支えています。
 合気道開祖植芝盛平の波乱万丈の人生から世界への飛躍の手段となった「合気道」に自己の、自国の状況を重ね合わせ、その道筋を辿ろうとする姿は、今回訪れた、ネパール、インド、バングラデッシュそしてモンゴルの武道家との語らいで強く感じました。まず開祖の人生に共感し、そこに存在するのが「合気道」であると言う考え方です。まさに「人間が創った武道」の考え方であり「先ずは人間ありき」です。「植芝が歩んで創った武道であれば何でも良し、いわば営農の過程に心を引かれているのであって、収穫された物がカボチャでもニンジンでも構わない」極端かもしれませんがそれほどの意味を持ちます。「植芝の歩み」の探究であって、産み落とされた合気道の中のミネラルやミラクルを直接求める姿勢とは大きく異なります。


ナイン先生の元気な門下生たち

 私が朝稽古に訪れた私立学校のパリス国際学校は、失礼ながら校名とはマッチしない、校長のホッサン先生自身が認める「貧乏学校」です。1970年にホッサン先生が開校し、現在は2部制で2歳半から10歳まで300人の生徒を12人の先生で教えています。月謝は8ドル、「政府などの援助は一切無い」と胸を張ります。この学校の校庭で授業前の朝、子供達に熱心に武道を指導するA.B.Z.ナイン先生の姿がありました。「全ての子供が私の子供」とナイン先生はここで15年余り子供達を指導しています。レンガを敷き詰めた校庭で子供達は素足で熱心に稽古していました。ナイン先生は食肉輸出業の本業を持ち、また手伝いに集まる大人の方々も勤務前の時間をここで奉仕しています。


朝稽古に通った学校

2部制の校舎


稽古に送ってきたお母さんたちと

授業開始の鉦を打つ

 私は3日間朝稽古を共にしましたが、とても素直で礼儀正しい子供達でした。稽古後は校長室に招かれ、米粉で作った蒸しパンとチャイを振舞ってくれました。質素な食べ物ではありましたが、稽古後のひととき大人たちがそれを分け合いながら子供達の事を語る中に「教育としての武道」が存在していました。
 話題の中心はやはり開祖植芝盛平の事、開祖に関わる人生の歩みを自分達で互いに語り、その波乱に富んだ人生をまるで自身に言い聞かせている様に私には映りました。


右、ナイン先生 左、ホッサン校長

稽古後校長室で雑談のひととき

 日本で評判を呼んだTV番組「おしん」が59ヶ国で放映され、特にアジア諸国では大評判となりました。この番組は明治生まれの一人の女性が大変な苦労をして成功するというドラマです。アジア諸国の人々はこのドラマの主人公おしんに自身の生活を重ねて、苦労の末、成功した事に自身の夢を託したと言われます。坂道で荷車を引いていた女性が「おーーしん」といって気合を入れていたとか、町の縫製工場に出て行く子供に「苦しかったらおしんの事を思い出してーー」と言ったりする事もあったそうです。近所に一台しかないTVは多くの人で囲まれたそうです。


元気な子供達と

6人乗りのスクールリキシャ

 校長室に集まった大人たちは「おしん」のファンのように開祖植芝盛平を慕い、開祖の人生と向き会いながら「道を歩む」事に重きを置き、自身の武道家人生の指針として捉えているのです。これは欧米諸国合気道家に見られる、自己開発とか、健康とか、護身術とか、愛とか調和とかの言葉遊び、ましてや合気道によって気を開発し事業を成功させ人間関係を円滑とし、ゴルフが上達し、病気さえ治るなどと言う物欲営利で合気道を捉えるあり方とは大きく異なっています
私は、決して充分とはいえない環境の中で開祖を慕い、武道を育むナイン先生たちに大変純粋な求道心を感じました。


自ら先頭に立たれ子供達とマットを運ぶエムカイス先生

 夜は比較的高級住宅街にあるカジ.エムカイス先生の道場に伺いました。手広く事業をやっているエムカイス先生は自宅の一部を開放し道場としています。ご自身も和道流空手を指導しておられますが、地位や名誉などが優先し雑用に時間が取られると国内武道組織などには関与せず自由な立場で指導されています。エムカイス先生はこの道場を合気道の稽古場としても開放され、バングラデッシュにおける合気道の理解者のお一人でも有ります。青年、子供達の将来の為にこの道場を開いたと話されました。
 少々驚いたのは場所柄か、稽古が終わる頃になると運転手付きの高級車が道場の駐車場に待機、子供達を迎えに来ている事でした。
 稽古後、リキシャの狭い座席にマジ君と乗った私は彼に尋ねました「凄いね、彼は運転手付きだよ」「これだって運転手付きさ」私は大声で笑ってしまいました「金持ちは、苦しい人を雇い、その家族さえ養っているわけ、だから彼は人助けしているんですよ」アッサリと言い切るマジ君の言葉に、以前同じ様な話をブラジルやニカラグアでも聞いた事を思い出しました。裕福な者にとってそれは当然の事であり料理人や庭師、洗濯人、運転手など少しでも多くの人を雇う事が「徳を積む事」であるという話です。いろいろな問題も潜在する事でしょうが、失業者や弱者の救済は国の責任と突き放す国々には存在しない、国体自体が腰の弱い開発途上国独自の社会福祉システムと私は理解しました。


昼食を待つ子供たち、左はマハテロ師

 私はマジ君に案内されダーマラジカ(Dharmarajika)仏教寺院の運営する孤児院を訪問しました。AHANバングラデッシュの立ち上げの調査でした。そこには500人余りの男の子が生活していました。500人の孤児を毎日世話をするという事は大変な事です。米だけで一日160キロ必要とするそうです。多くの大衆がこの施設を支えてなければ維持は不可能でしょう。


孤児院の調理場

調理場で奉仕する方たち


食事を待つ子供達

山盛りのライスに大根塩味カレー


食事は楽しみの時

孤児院宿泊施設での本間館長

熱心に独学の少年

 タラ イスラム寺院の孤児院にも150人余りの男の子が生活していました。ここもまた大衆の支えがなければ維持できないはずです。施設のあらゆる所で善意有る人々が其々の貢献をしている姿を直接見て、私はバングラデッシュの人々の心の豊かさに触れる事が出来ました。


イスラム孤児院で勉学に励む少年たち

モスクの先生達と

 私はこのレポートを書こうとしたとき、余りにも表現の難しい事柄が多く困ってしまいました。私には訪れた国のイメージを損なうワードは打ち出す事は出来ませんでした。爆弾テロやカースト制度の悲惨さを熱っぽく語ってくれた人や、貧困の状況を間近に指差して私に伝えた人もいました。女の孤児たちはどうしているのかも聞きました。両手足の無い4−5歳の子供が荷車の上で必死に物乞いの声を上げているのを見たときには、力が抜けてしまいました。しかし、私達の物差しだけで物事を評価する事は、この国の善良な多くの大衆に大きな失礼になると考えました。悲惨な状況に目を置くより、国力の向上に向って献身的に努力されている方々を紹介し、正しく評価をする事がやがてはこう云った方々の自信となり、生きがいとなり、国力改善の大きな力に導く事になると考え、その多くの記憶を心の中にしまい込む事にしたのです。いつか「アノ頃はねーー」と振り返る時がくる。おしんや開祖植芝のフィナーレに向って進む人たちに、心からの支持と応援をすることこそ大切と思いました。

 今、この時も多くの開発途上国の合気道家が不自由な稽古環境の中で熱心に稽古に励んでいます。この方たちに伝えるべき私たちの務めは「善の合気道」です。有名ブランドの稽古着袴を身に着け、一式3−4万円はする大小木剣や杖などを整え、高額な費用を費やす講習会を渡り歩く合気道家の姿では有りません。すでに自己の組織や地位維持の為の惰性的行動しかない指導者の「言葉遊び」でも、ましてや安っぽい合気道映画の暴力シーンでも有りません。
 貴方が合気道を「愛と平和の武道」と確信し、道場正面に黙想などを欠かさない合気道家であるなら、あなた自身、大きく振り返って開発途上国の合気道家の現状に目を向けてはいかがでしょうか。
 この夏、いつもの講習会とは決別し、開発途上国の合気道家に何か「分かち合う事」が出来ないか貴方の道場の仲間達と考えて見てください。何かしらの実行によって貴方は多くの事に目覚め、これまで求めていたバナナが自分自身で探し出せるようになる事でしょう。
 日本館AHAN総本部の活動は今世界中に展開しています。日本館はデンバーにある個人道場です。それが世界に展開できるのは「善の合気道」に有るからです。合気道家である貴方が、そして貴方の道場が本当に満足を感じ、発展を見る事が出来るのは「求める事ではなく分かち合う事である」と私は助言します。
 ネパール、インド、バングラデッシュ、モンゴルの武道家の皆さん、この記事が皆様から学んだ私のレポートです。心から感謝を奉げると共に、近いうちの再訪を心待ちにしております。有難う御座いました。

      平成18年3月20日
日本館総本部
館長 本間 学 記



カトマンズの武道家たち

 


 まだ薄暗いカトマンズの朝、牛糞で作るメタンガスを使うガス灯や、ヤクのミルクから作るヤクバターを使ったキャンドルが闇を照らし人々の一日が始まる頃。ランガサラ(Rangasala)サッカー場に若者達が集まってきます。その数500人から多いときは千人を超えるともいいます。それは決してサッカーをする為では有りません。
 サッカー場の観客席の下は20を越える武道グループの道場となっています。
それでも足りず近くの広場や、プールサイドに至るまで稽古場として使われています。もちろんサッカー場として使いますが、これ程の武道が一箇所で稽古をしている例は私の知る限り他国には有りません。このサッカー場の下は、ネパール政府の「国立スポーツ協議会」の監督の下、青少年の健全育成を目的に運営されている大武道道場なのです。


指導中の本間館長

 若者達の稽古熱心さは驚くほどで、礼儀も正しく、それほどの異なった武道(多くは空手などキック、パンチを中心とする武道)がそれこそ軒を連ねていながら整然と其々が稽古に励んでいます。彼らがこれほど朝早くの稽古をするのは稽古後に学校や仕事に行く為なのです。金銭を目的としないこの道場群は決して快適とは云えない稽古状況の中で熱心に稽古されています。
 招待を受け指導した極真空手の道場では、キャンドルを点けて稽古を始め、やがて入り口から差し込む朝日の光が稽古中の明かりとなります。
門下生は純真で潔白。稽古後は私達一行9名に朝食を振舞ってくれました。トースト、ゆで卵、チャイ(ミルク茶)そのシンプルな持て成しに、彼らの精一杯の感謝の気持ちを感じました。
 国の発展の礎となる青少年育成に武道教育を重視、保護している国立スポーツ協議会のあり方は、「武道を人間教育の教材」として捉えるポジテブな姿がありました。
 ネパール国内は現在政情不安で、私達の到着前日まで時間制限の外出禁止令が出され、またゼネラルストライキなども予定されていました。私達は多少の緊張感のもとで滞在していましたが、ネパールの若い武道家たちとの交流がその緊張を解いてくれました。その若い武道家たちを支えるのは多くの大人たちです。若者達は大人たちを敬い、大人たちは若者達を見守る。その信頼関係の絆はとても強く思えました。決して快適とはいえない稽古環境の中で熱心に稽古するネパールの若者達を見ていると、とても熱いものを感じました。
 稽古も終わり朝日も昇った頃、カトマンズには神々を巡りながら一日を始める人々の姿が有りました。一日も早く政情が安定し、世界遺産を抱えるヒマラヤの国、ネパールに平安の神々が鎮座する事を祈るものです。

      平成18年3月12日
日本館総本部
館長 本間 学 記


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