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国内講習会報告
■国際合気道指導者講習会シリーズ
アリサン.ウルダク先生デンバー講習会
 平成17年6月27日〜7月5日

 
指導中のアリサン先生
フォトアルバムは文章の最後にあります

トルコ、イスタンブールに本部の有る「国際ウラダク連盟合気会」の創設師範、アリサン.ウルダク先生をお招きして、日本館本部道場において二日間の講習会を行いました。
アリサン先生の米国訪問は日本館AHAN本部がスポンサーとなり、合気道を通し異国間の相互理解を深める為に企画されたものです。アリサン先生はトルコ各地、イランなどの中東、カザフスタン、ジョージア、など旧ロシア圏諸国を中心に活躍しておられます。
尚、トルコには昨年5月本間館長一行が訪問しています。レポートはこちらをご覧下さい。

■トルコ国イスタンブールにて「小児白血病財団支援講習会」

今回のアリサン先生招聘に関して本間館長は「アリサン先生の日本館訪問はアメリカ訪問でもあります。稽古を通して互いに技を研鑽する事が合気道家の講習会であるけれど、稽古はもちろん、語り合う事も普段は出来ない「異なった文化を背景とする、同じ合気道を稽古する人々」との交流が大きな目的です。とくにイスラム諸国の合気道家との稽古交流相互理解はイデオロギーを超越した民間レベルでの平和外交ともいえる重要な事です。アリサン先生などイスラム諸国で指導に当られる方々と距離を置く事無く、そのままのアメリカ、アメリカ人を知っていただき、良きメッセージを自国の合気道家の方々に伝えて戴きたいと願い、アリサン先生をご招待いたしました。
話が変わりますが、数年前、デンバーのある有名デパートのドアウエーを私が抜けようとしたら黒いベールを被った二人の若い女性が入ってきました。後から追う様に入ってきた二人の若い白人男性が「こいつら、ここは何処だと思っているんだ!ここはアメリカだ。」と罵りさらに文章を憚る言葉を投げつけました。二人の女性は怯えその場で肩を寄せあってしまいました。この無教養な男達の言葉は多いに私を刺激しましたが私はそのまま外に出てしまいました。しかし外に出て私は後悔してしまいました。なぜ抗議してやる事が出来なかったのか、イザコザになってブタ箱に入って、たとえ裁判沙汰になってもこの連中を謝罪させるべきでなかったのかと。しかし30年のアメリカ生活は、その実行に多くの時間と金が必要で、ときには正義は通らず、自己信用すら失うという「現実のアメリカ」が私を引き止めました。
あんな若蔵の二人くらい、ボコボコにして逃げれば済む事でしたが、いまさら拳を痛める歳でもないので、何が私に出来るかを考えることが一つの慰めとなりました。

私に出来る事は「合気道を通した相互理解」これしかありません。まず私自ら宗教、生活習慣、などの異なる国の合気道家を訪ね、交流を深め、その体験を少しでも多くのアメリカ人門下生に伝え、さらには米国に招聘し相互交流を深めてもらう事でした。
第二次大戦前後、米国在住の日系米国人は米国人でありながら、大きな屈辱を受けました。しかし戦後60年、この長い時間が多くの屈辱をクリヤーし、さらには良好といえる日米関係を築き上げた原動力ともなりました。ドイツ、イタリア系米国人もレベルこそ異なれ同じ様な体験を潜り抜けました。
一部の過激な思想によって多くの同胞が苦しい思いを強いられる事は大変な事では有るけど、近世においてベトナム、カンボジア、米ロ冷戦時代、ベルリン崩壊ETCと乗り越えたように、「この時今も」起こっている各地の紛争も、やがて時間を経たなら、「人類の最も愚かな事」として終わりが来る事を信じ、一人一人が親愛をもってポジテブな活動を積み重ねることが大切と私は信じています。

東洋と西洋の架け橋の国、トルコ、イスタンブールから米国を始めて訪れたアリサン先生を心から歓迎したいと思います」と語りました。

アリサン先生は二日間のユーモア溢れた親しみある指導をされたほか、滞在中多くの方々との交流も深め、ロッキーの自然も楽しまれました。
なお、アリサン先生の武道具制作販売会社の製品である袴、木剣、杖、武器バック、タオルなど販売総額5000ドル余りの商品がAHANに寄付していただきました。これらの品物は素材、制作供に高品質のもので中近東、ヨーロッパ等で好評を得ている品物です。日本館はアリサン先生のお許しをえて、卸値価格で販売し、中東、旧ロシア圏の合気道及びAHAN活動の活動資金の一部とすることにしました。

この企画に辺り、最初の出会いをアレンジした、スコット ルニー氏、通訳を勤めた日本館門下生のメメット カザガン氏、奥様のハンナさん、ロッキードライブを担当した日本館指導員スコット オイルソン氏。大変ご苦労様でした。また講習会、歓迎会に参加いただきました門下生の皆様、有難う御座いました。
アリサン先生と同行されたバヌアさん、理解有るご主人の計らいで初渡米。これからも首都アンカラの道場での子どもクラス指導頑張って下さい。
写真の後にアリサン先生からメッセージがあります。
吉村 記


日本館庭園でー後方右、アリサン先生、
エミリー.ブッシュ AHAN会長、
今回の同行助手バヌアさん、前、本間館長

米国空手界のパイオニア師範と。
右、松涛館師範矢口先生、 アリサン先生、
本間館長、和道流師範黒羽根先生


世界的空手家、国際空手道円心会館 
二宮城光館長と

モンゴル住居内の歓迎会で

突然駆け寄った赤ちゃんと


生徒主催の歓迎会

アルコールは飲まないアリサン先生、
コーラで乾杯


稽古をしていた子供達と

映画村で


映画村で

先住民博物館にて


寛ぐアリサン先生と本間館長

観光スポット、ロイヤルゴージでスコットさんと

今回の訪問に関する感想がアリサン先生から送られてきています。
 
親愛なる本間館長そして日本館の皆様

最初に今回の訪問につき、私と助手であるバヌアをご招待下さった本間館長、日本館門下生に心から感謝申し上げます。
英語が全く理解できない中で、日本館の門下生の方々と過ごした体験は貴重なものであり最高の出会いとなりました。
日本館の門下生の方たちと私の技を分かち合い、そのお返しに戴いた笑顔ともてなしは一生忘れる事はできないでしょう。
今回のアメリカ訪問は心の奥に深く感ずるものがありました。合気道を通してお互いの意志の疎通、文化の交流が出来たと思っております。
素晴らしい日本館の門下生に出会え、供に稽古ができ、さらにはアメリカの大自然をも見物できました。旅行中とても充実した時を過ごすことが出来ました。

本間館長、エミリー先生、日本館の皆様有難うございました。トルコ、アメリカのどちらででもお会いできる事を楽しみにしています。

国際ウルダク連盟合気会
会長 アリサン ウルダク 



本間館長AIKIエキスポ参加
 平成17年5月27日〜30日
 


同行した右、マイケル.バレラ副指導員と左リック.トンプソン指導員。
指導講師で参加された斎藤仁弘合気修練会肝練塾 塾長と

ロサンゼルスで開催された、合気ニュース主催「AIKIエキスポ05」に指導師範として参加のため、本間日本館館長はリック.トンプソン日本館指導員、マイケル.バレラ日本館副指導員を同行、日本館合気道の紹介をしました。
この催しに関して本間館長は次のように述べています「米国戦没者慰霊日のこの週末、私は米国に於ける日本武道の存在、そして指導者としてのあり方について多くの事を考えされました。
今回のエキスポ05では、日本人武道家として屈辱的であり理解しがたい企画構成に腹を立てながらも、「これがアメリカ」とそれを理解し飲み込み、海外における日本武道はこれでいいのだと納得をする全く異なった二人の自分の存在に気が付きました。さらにはその二人のどちらにも属せない第三の人物として、どちらにも成り切れず彷徨している自分の姿に不快感を感じました。米国に30年生活し「日本とアメリカ」の間に生きる武道家の姿です。それは主催者であるスタンレー.プラニン氏に起因する一切のものではなく、あくまでも自身に対する不満と疑問に過ぎません。  
戦没者の日というのが頭にあったためか、いまこの国の為に命を掛けて海外で戦っている戦士達の事を考えました。週末に高額なお金を払い、合気道に酔いしれている人々は本当に死生を分かつ武道の世界に生きているのだろうか?と考えたのです。何の抵抗もしない受身を取る為に掛っていく人間を投げて武技を主張する合気道に、無理やり愛だ和合だと理論付けている指導者のあり方に、現実離れした逃避の世界、ごまかしの世界があるようで、その疑問がさらに深まった事は、これからの自己修行の目的を方向つける大きな収穫であったといえるでしょう。私もその指導者の一人なのですから。仮面舞踏会のような自己満足、現実錯誤の世界に入り込む事は私の合気道ではありません。
一人で押さえるに充分な女性が木剣、模造刀,杖を持った6−7人の男を投げ飛ばすナンセンスを「武技」と信じる人間と合気道を共有する気は私にはありません。
参加師範の演武で私はそういったものを否定する気持ちを込めて、力と痛み、相手の抵抗を否定しない合気道らしからぬ演武をしました。それが今回のエキスポ05の参加者達へのメッセージだったからです。エキスポ終了後売り出されるDVDの撮影や観衆を意識した演武はしたくありませんでした。
今の私は、行きずまりを打開しようと幾度も書き崩す油絵画家のように、誰しもが感銘する作品を床に叩きつける陶芸家のように、独立道場のリーダーとして常に模索を繰り返し、合気道と私の生存争いを続けています」

なお、EXPOで指導された神信合気修練会肝練館の斎藤仁弘塾長が岩間流木剣の販売収入の一部700ドルを日本館AHANに活動資金として寄付してくれました。今後の活動に役立てたいと思っています。誠にご好意有難うございました。                
日本館指導員  E.B記



国内AHAN活動報告

太田総領事、4万食の記念サービス
 平成17年6月19日
 



気軽に食事中の人々に話しかける太田総領事、鈴木会長

日本館が1991年より継続しているホームレス食事提供サービスが4万食を数え、日本館のボランテアスタッフに加え、日本国デンバー総領事館太田裕造総領事、日本の企業団体である懇話会の鈴木隆之会長に快く参加していただき、ささやかな記念の食事提供サービスがありました。

デンバーレスキューミッションをwww.Denverrescuemission.org を訪れた太田総領事、鈴木会長はスタッフの案内で館内を視察、説明に対して質問を返されるなど、ホームレス対策に対する真摯な姿が心を打ちました。


スタッフから施設の説明を聞く太田総領事、鈴木会長、ケリー日本館会長

視察後は食事提供にも参加、太田総領事は食事を求める一人一人に食事プレートを手渡し、4万食目となったアレン キャンベルさん(55歳)と気楽に写真に納まってくれました。また鈴木会長はテーブルを回っての水のサービス。両手にピッチャーを持ち「ゴルフよりいい運動」と汗をかかれていました。
また、ジョン ヒッケンルパー、デンバー市長よりメッセージが届けられ、ミッションからは記念の感謝状が手渡され、その模様は地元TVニュースで放映されました。


ボランテアに入り食事を盛り付けるお二人

TVニュースも駆けつける


ビックリ四万人目のアレンさんにプレートを手渡す太田総領事




デンバー市長からの感謝状

この日は日本館ボランテアも多く参加、継続する事の大切さを確認し、「これから始まる4万1」を合言葉に350食余りをサービスして解散しました。

今回、太田総領事が私共の活動を理解いただき、しかも日曜の夜にお出掛けいただいた事は単に日本館スタッフのみならず、多くの方々に好感と、感動を与えてくれました。深く感謝申し上げると供に、我々の4万食のプレートが日本国総領事よりサービスされた事を、私日本人として大変光栄に思います。お心の広い「粋な計らい」の太田総領事に深く感謝申し上げます。


早朝下拵えの皆さん有難う

日本館スタッフには本当の笑顔が有る

日本館 館長 本間 学 記



海外AHAN活動報告

モンゴルにコンピューター 第二便30台届く
 平成17年6月4日
 


贈られたコンピューターを前にーーオットコンバイル師

本年4月にデンバーよりモンゴルに向けて発送していたコンピューターが到着したとの報告がありました。今回の寄贈先は首都ウランバートルに有るガンダン寺の教育施設に15台、ゾルグ財団10台、各小学校に5台です。また希望学校には文房具や教育機材が贈られました。これに対してモンゴル最高位ラマ チョウザンツ師より感謝状と写真が届いています。



感謝状

マイコンピューターとラマ僧

モンゴルにはこれまで30台を送っており、100台を第一期目標に活動を進めています。現在、日本館には調整が追いつかない程のコンピューターが、門下生や一般市民から持ち込まれており、今後コンテナー事情の良い開発途上国を選び活動を拡大したいと検討しています。              
依田 記

関連リンクはこちらをご覧下さい。
■モンゴルにコンピューター寄贈 第2便30台
■モンゴルにコンピューター第一便30セット
■新中古コンピューター100台寄贈



ネパールAHAN報告
 平成17年5月25日
 


ネパールAHANの活動者、プジャ.ライさんから活動報告が届きました。
今年一月ネパールを訪問した本間館長によって届けられていた文房具の寄贈先である「Drubgon Jangchup Choeling Monastery」のセンネミシシ師から感謝の手紙と写真が届きました。この修道院は事情のある子供達を収容している寺院で、AHANネパールの支援先としました。今後活動を展開していく事になっています。
本年一月の訪問の関連記事はこちらをご覧下さい。
■ネパール合気道日本館、活動始まる



日本館道場活動報告

日本館、地方紙で大きく紹介される
 平成17年6月9日

ウェストワード紙において日本館の活動、本間館長、日本館内弟子などの紹介が大きく報道されました。この記事の影響あったのか、今回の初心者クラスは70人をこえる参加者となりました。これまで真夏のクラスとしてこれ程集まった事はありませんでした。記事が5ページもあり翻訳は時間を要するため英語版のみ掲載します。

こちらをご覧ください。
http://www.westword.com/issues/2005-06-09/news/feature.html



夏の集中クラス終わる
 平成17年6月20日〜7月5日
 

本間館長が指導する二週間の集中クラスがありました。これは一般的に行われる「夏合宿」に相当するもので、あえて長期休暇をとり高額の経費を要する避暑地などでの合宿をさけ、夕方のひとときを自宅から二週間の目的を定めてチャレンジできる事にこの集中クラスの意義があります。多くの門下生は家族や、責任ある立場の方が多いためです。
また本間館長には、門下生の支出をなるべく抑えたいという常に変わらぬ信念があります。最近は高額な費用でリゾート地や海上クルーズをしながらの講習会などが、あたかも「合気道ステータス」として闊歩する事に否定的な日本館の道場思想です。「我々はこうして自分達の道場で稽古できるだけで幸せである。求める事はこのマットの上、足の下に有る。熱い道場、寒い道場それで充分。山に篭もらずとも、船に浮かばなくともよい。不足している者は豪華なものを身につけて補おうとするものだ」本間館長談。



道場改築
 平成17年6月20日〜6月25日
 

日本館オフィスの内装の改築がありました。現在の新道場を開いて9年目にしてやっとオフィスが「奇麗に」になりました。波のように押し寄せる日本館の色々な活動のため、日本館のオフィスは書類や企画の為の品々で溢れ、特に本間館長のオフィスは「足の踏み場もない」ほどでしたが、突然本間館長が大きなゴミ処理用のダンプを注文、道場に泊まり込んで改装を済ませました。「トルコのアリサン先生の訪問にゴールを定めて始めたわけ、途中で止めるわけにいかないでしょう、そうでもなければ腰が上がらないんです」と本音。

思い切ってスッキリと


瞑想室(館長の昼寝用との陰口も)



05日本館Tシャツ完売
 平成17年6月27日
 

ニカラグアの癌サバイバー合気道家アルマンド君(19)の渡米を支援する為のTシャツが完売しました。有難う御座います。基金集めのこのシャツは一枚22ドルで、Tシャツとしては高い値段でしたが、主旨を理解した多くの門下生の支援があり、制作した150枚が1週間で完売しました。第二版を製作中です。



武道の進化は続いている



日本館オフィスより

「マイケルさんからの手紙」メールの回答に関して 
 平成17年6月18日
 

日本館や本間館長宛には多くのメールが飛び込みます。多くは合気道に関する質問で、それは「稽古着何処で買う」から「言霊って?」など、単純なものから複雑な事柄まで様々です。「受身の取り方、木剣の持ち方」などをしつこく質問する人も居ます。難しいことを訊ねる人の殆どは「知らないのではなく、知っている事を主張したい人」の方が多い様です。いわば「合気道オタク」の話し相手です。また自己の合気道感を淡々と述べたり、開祖の伝記を真に受けて「私も水を被ったら金の光が天から降りてきた」と訴える者、「開祖が現われ、私に教示を与えた、私は開祖の生まれ変わり」という手紙も数通あります。

今では最初の数行を読んで「過去の同様の手紙」と比べることができ、時間の無駄がだいぶ省けるようになりました。こういった手紙は処分されるか「本間館長へのおかしな手紙」としてファイルされます。
こういった「合気道オタク」や合気道宇宙人を上手に踊らしてオンラインでも始めれば充分な事業が出来るほどです。
そんななかで、AHAN活動に関すること、差出人やバックグランドのはっきりした手紙は館長デスクにまわされ、回答がなされます。
本間館長は誠意ある手紙には誠意をもって回答しています。今回特別、差出人であるマイケル.デフロンゾ氏の承諾をえて、彼の質問に対して回答した本間館長の手紙を公開します。
尚、マイケルさんの手紙にある金井先生とは、米国合気道パイオニアのお一人で、2004年3月亡くなられた合気会師範  金井満也八段でマサチューセッツ州ボストンを中心に各地で活躍されました。また千葉先生とは現在サンデイゴ合気会師範の千葉和雄八段です。


400通を超える「先生へのおかしな手紙」コレクション
将来「武道変人史」を発行するとの悪い冗談も

日本館オフィス 依田


マイケルさんからの手紙

 このコラムは差出人であるマイケル、デフロンゾさんの承諾を得て公開するものです。最初はマイケルさんの手紙、私の回答は後に続きます。

本間先生へ
 私は金井先生に5年間教えを受けました。また奥様のシャーロン、お子様のメイシャそしてユキとも大変親しい関係でしす。先生が亡くなって1年を過ぎましたが、私達はいまだに先生を失ったショックは大きく、方向を見出せないでおります。
 金井先生の合気道はパワーの有る素晴らしいものでした。しかし彼の真の価値は技のみではありません。多くの彼のシニア門下生は技は習ったけど、彼の最も素晴らしい、忠実、正直、謙遜、親愛の心を受け取る事はしなかったようです。先生は自己を省みる事より他人の幸福を考え、常に控え目で自己主張はしませんでした。先生には幾度もビデオ制作や出版のチャンスがあったにもかかわらず制作しようとしませんでした。先生はそういったものに囚われない真の合気道家でした。
 今、残された我々の道場運営の問題は、シニア門下生が自分自身の事を考え、残念ながら金井ファミリーの事は忘れていることです。これは私(達)にとって大変に苦痛なことです。千葉先生が色々と金井ファミリーに心を使ってくれて入れることには深く感謝しています。

 私は本間先生のホームページのコラムのファンの一人です。私達が置かれている今の状態に対して何らかのアドバイスありませんでしょうか。――中略―――。

心が落ち着いたら先生の道場を3〜4日訪問したいと考えています。ご都合をお知らせ下さい。

マイケルより



マイケルさんへ
 
 貴方の手紙を読ませていただきました。確かに私の印象も貴方の思われているように、簡単に云えば「地味な師範」であったと思います。日本刀を愛していた事、豪快に相手を投げ、その後で長い前髪をかき上げる金井師範独特の癖、私の知っている金井師範はこの程度なのです。
 貴方の年齢も、金井師範のご家族とのお付き合いの程度も分からないままに貴方の質問にお答えするのは、残されたご家族を蔭ながら支援くださっている方々に申し訳ありませんので、金井師範に限らず、日本から「派遣」というサウンズの良い代名詞を付けられ、海外合気道パイオニアとして渡った指導者たち全般の事を話したいと思います。またこの手紙は貴方だけへの返事ではなく、多くの合気道家にも考えて欲しい事だからです。

 パイオニア師範の訃報に接するたびに聞かれる、残された弟子達の苦悩、分裂騒ぎ。昨日までの稽古仲間が今日は罵り合う悲しさ。しかし、貴方がいま直面している事は「事実」であり、誰をも責める事はできないのです。それは当事者の価値判断であって、その価値を決めるインフォーメーションがどれほどその人物の頭脳に蓄積されているかの結果が判断となって出てきます。

 多くの海外派遣パイオニアが、遠く日本から離れた世界各地でその使命を終えているなか、私に出来る事はパイオニア師範たちの生き様の証言を多くの合気道家に伝え、「価値選択の幅」を広くする事くらいしか出来ません。そう思ってこれからを読んで下さい。

 1960年代、世界に飛び立った多くの若き合気道指導者たち。二十代中頃の血気盛んな方々でした。当時日本は不景気、大学を出ても職が見つからないという状況と、海外、特にアメリカ、ヨーロッパなどでは武道ブームが始まり、70年に入ってブルースリーが武道ブームを決定つけました。其の需要に応じるように合気道青年指導者は世界に飛んだのです。

 しかし、「派遣」とは名前だけ、急激な国内発展にすら体制が追いつかなかった状況下で、海外から云われる条件のままに指導員を「送り出し」ました。当時は招聘状なしでは米国などの入国査証は貰えず、海外からの声が掛るだけでも「天の声」でした。

 こんな状態ですから、海外に渡り招聘先の条件通りの生活を送った人はおりませんでした。しかし招聘先の条件に苦情を言ったところで、それは米国での法的滞在査証を失うだけの事でした。耐えて耐えて今日を築き上げたパイオニア師範。それこそ命を掛けて今日の海外合気道を築き上げた功績は、いかなる派閥、流派を超越して、高く評価すべきと思います。

 「生徒が入らないと金がない。先ずは道場の家賃を支払い、残ったわずかな金で食量を買う。6月余りラーメンだけを食べた事もあった。体が黄色くなるかと心配した」と証言する元派遣師範。「金がないので安い米を買って塩辛をぶっかけて毎日食っていたら塩分が感じなくなったーー」と証言し腎臓病で亡くなった派遣師範。「こんなものを吸ってたら長くないね。しかしビンボウ人生にとって此れとビールが唯一の楽しみ。金のある師範は上部の受けも良くてね。俺には送る金なんか無い(1976年デンバーにて録音)」といってチェーンスモーカーを続け、肺がんで亡くなった派遣師範。「日本から来たばかりの先生は言葉も出来なく、お金も無く、惨めな生活で、余りかわいそうだからと私の両親は食事とベッドルームのお世話を5年しました」と証言したヨーロッパに派遣された派遣師範の元秘書。「夜、小売店の裏に行くと、捨てるのは勿体無いので、店の人が置いた少しだけ古くなった野菜なんかが袋に入れて置いてあるわけ、それを持ってきてね、料理してくれるわけーー」笑いながら語ったある派遣師範の以前のガールフレンド。こういった話には尽きません。

 こういった証言もあります。日本から訪れる先輩高段師範の為に、借金をしてキャデラックを借り、ホテル代の工面が付かず、言いつくろって自分のアパートに泊め、挙句の果てには「君も大きな外車に乗り、大きなアパートに住んでいるじゃないか」となり、そんな苦労も逆効果。「あれだけ派手な生活ができるのは、きっと多くの門下生が存在し、日本の上部団体への上納金をごまかしている、という信じがたい誤解を受けた。その時の空しさは言葉に出せなかった」とある派遣師範は回想しました。当時の日本は外車に乗れるのは大変な事、そして海外からは「ウサギ小屋」と言われた小さなアパートが生活の基準でした。アメリカでは自家用車(もちろん外車)、大きな間取りのアパート、大きなソファー、大きな冷蔵庫も当たり前の事である事を知らない「島国先輩高段師範」に、多くのパイオニア派遣師範は翻弄され、日本の上部団体との間に誠に詰らない、かつ深刻な誤解が生れ、先輩高段師範に別れを告げた派遣師範もいます。

 パイオニア派遣師範に対する理解度はこの程度であり、海外開拓定住の出来なかった派遣師範には「努力が足りないから」の一言。加えて日本の上部団体の内輪揉めによる組織分裂。
同じ団体のタコ糸にしがみ付き通した者、他に乗り移った者、糸が切れ何処かに飛んでしまった者など、前線で命を張っていたパイオニア派遣師範たちにその「選択の重さ」がのしかかりました。残った者も、去った者も「明日に生きる事、家族を養う事」を前提に行動をしました。当時のパイオニア派遣師範は日本の上部団体からは金銭的サポートは何も無く、招聘先から抜ければ自分で収入源を探す以外「飢え死に」しかなかったのです。
 ある日本の上部団体から分かれたパイオニア派遣師範は「頭が割れたら我々はどうしようも無いだろう。残るか、付いていくか、それしかない。残った者も、付いて行った者も責められる理由は一つも無い」。頭、つまり上層部高段師範の問題で多くの純真な若き指導者がその皺寄せを蒙ったのです。

 当時、前線で泥水を啜るような生活を送りながら、今日の海外合気道を築き上げたパイオニア派遣師範たちの状況を把握する事無く「崖っぷちに追い込んで」いた事を日本の高段師範たちは理解はしてはいなかったことでしょう。その高段師範たちも現在では数えるほどになりました。
 「アイツらは日本にいたって職も無かった。それを我々が助けたようなもの」と豪語する現役高段師範もいます。しかし、合気道が世界各国に普及し、これだけの組織を維持できる団体に発展したのは、決して日本国内のホーム道場で月給が保証され、指導場所も約束されているサラリーマン師範たちの力ではなかったはずです。

 合気道を稽古されて5年余りの貴方にとんでもない事を話してしまった様です。しかし、貴方に伝えたかった事は、これ程厳しく、複雑な人生を無事に上手に切り抜け、信じるものにすがりつき、合気道で一生を終えても、死んでしまえば「冥福を祈ります」の一言なのです。そして現実はそれ以上の何物も無く、ただ何も無かった様に新しい現実が動き出すだけなのです。

 金井師範が亡くなって一ヶ月ほどして、金井師範関係の道場門下生からボストンでの講習会を私に依頼してきました。私はお礼の言葉を述べた後こう付け加えてお断りしました。「日本人の一般常識からして一年間は喪に服すべきであって、困っているのは充分理解できるけど、暫くは道場をしっかり守って行ってください」と。しかしこの道場は支えきれず、ある在米日本人指導者に吸収されました。   
 合気会、気の研究会から転身、AAAを立ち上げ波乱万丈の人生を合気道に奉げた故豊田文男師範、合気会派遣師範であった故藤平明師範の傘下道場にも、この指導者は両師範の死後わずか1−2月で接触し自己の団体に吸収しています。ハイエナのような人間と思っても、それが其の人間の生き方であり、物事に関する価値観が異なる者にとっては「組織拡大の絶好のチャンス」と判断してもおかしくは有りません。
 現在も多くの日本人師範が活躍しています。当然「事業展開」上の激しい争いは続く事でしょう。それが現実です。しかし人生を終え眠りについた者には、一切の派閥や流派を超え、「合気道志士」として敬意ある行動を取るのが「武人」のあるべき姿でしょう。

 今、貴方の周りで起こっている事柄は貴方にとって苦痛な事でしょう。しかし事実から逃れず、しっかりと真正面からみつめ、人生の空しさ、醜さを認識して下さい。それが人生を知る事の出来る最大の近道と私は考えています。
貴方が日本館を訪問し稽古する事は何の問題も有りません。貴方の金井師範への思い、家族への思いは立派なことです。どうぞ今後とも金井師範の偉大な功績を残った皆様に伝えて下さい。

       平成17年6月2日
日本館 館長 本間 学 記

筆者記
 この手紙の内容は、私の資料集「パイオニア達の証言」を基にしています。


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