ニュース&イベントレポート◆◆  
 

海外講習会報告
■ネパール合気道日本館、活動始まる
 平成17年1月28日
 
 
ネパールの首都カトマンズ在住の有志による合気道クラスが始まりました。
本間館長滞在中に国王による政変が起き、留守を預かる日本館本部スタッフは緊張に包まれましたが、タイに出国後連絡が入り無事モンゴルに移動しました。
ネパール指導や訪問記を「祈りと銃」として館長がまとめています。こちらをご覧下さい。



モンゴル合気道日本館特別指導
 平成17年2月5日
 


警備会社選りすぐりのボデーガードと両袴の中央がガンゾリング氏

「皆いい人なんだよね」稽古を終えた本間館長の最初の感想でした。モンゴルの男性はその質実剛健の表れとして、一般的には大変厳しい表情をします。
年配者や上司、先生の前では特にそうです。
日本相撲の横綱である朝青龍など、モンゴル出身力士のモンゴル滞在中に於ける警備など(モンゴルでは強い人に触れる事が幸運に繋がるとの考えからモンゴルの現代の英雄である彼の帰国の際は、時には数千人が集まる)モンゴルの各界要人に対する警備会社を経営するガンゾリング氏の要請により、本間館長は彼の会社から選ばれた代表6名を相手に「実際に役に立つ」合気道の指導をしました。指導を受けた方々はモンゴル相撲、極真空手、柔道、サンボなどを常に稽古している「ボデーガード」達で、時にはこの会社の道場に常駐し緊急時の待機をしているエキスパートです。私(筆者アリマ)の兄は以前極真空手を稽古しており、此れまでは合気道に関しては正直「此れ一体武道なの?」でした。今回、本間館長が「日本館16の手ほどき」として指導された内容を拝見してその有効性に驚いてしまいました。常に笑顔で彼らを自由自在にする技に参加者全員多いに感動しました。

稽古風景

指導後、握られてアザだらけになった両腕を摩りながら「合気道家にはこういう刺激がないとダメですよ、もうダメかなと思ったときに本当の力が出てくる。その力とは技ではなく、それまでの潜り抜けてきた自信です。アメリカで一人でやってきた経験と、最近では海外、とくに開発途上国での経験が役に立ちます。気とか合気とか和合とか、合気道の名セリフなんか何の役にたちませんし、呼吸投げ、小手返し、子どものたわ言ですよ。それにしても皆強かった。彼らが強かったから私は助かった。強い人はやさしいですから、なんたって暴れる馬を投げ飛ばしてしまう男達ですから、有難う」そういって稽古後、社長のガンゾリング氏と懇談していました。
この後ガンゾリング氏は日本館合気道に入門され、会社の道場を提供、現地日本館スタッフのボルドさんの指導を受けています。      
アリマ記



海外AHAN活動報告

AHAN日本館ブラジル 100年無償借地権取得
 平成17年1月10日
 

日本館ブラジル、AHANリオデジャネイロ(リック.リオニ先生、日本館ブラジルコーデネーター)はリオ郊外の高級リゾート、ブジョウ市議会、およびブジョウ市自然環境局との間で、250エーカー余りの自然保護地区無償借地権の調整を2年間余り行なってきましたが、このたび成立し100年間の使用権が承認されました。
この土地には環境に配慮したリトリュートセンター建設の計画が進んでいます。AHANリオデジャネイロはブラジル政府よりOSCIP(Oraganization Socil of Pubulic Interrest)という、非営利団体ではもっともレベルの高いタイトルを昨年取得しています。
ブラジルにおける日本館の活動は合気道にはこだわらない「人間と環境」を考える団体として発展しています。取得にあたりご苦労されたリオニ先生、スタッフ弁護士の方々ご苦労様でした。
日本館本部は全面的にこの計画を支援しており、本年4月には斉藤仁弘合気道講習会、9月には日本の和太鼓「響岳太鼓」一行18名の公演などを通してキャンペーンを展開します。




本間館長、ネパール、モンゴル訪問
 平成17年1月27日〜2月2日
 

●ネパール報告
新年の多忙なスケジュールをこなした本間館長は、本年最初の海外出張としてネパールのNGO活動の視察と、AHAN活動としての日本館合気道設立準備のため1月27日から7日間ネパールを訪問しました。現地コーデネイターのプザさんのレポートです。


遠くにはヒマラヤ山脈、ナワブッタ寺院にて

「米国デンバーからタイで一泊、長いフライトを終えて、本間館長は元気にカトマンズに到着されました。ホテルで現地関係者と打ち合わせ後、デンバー在住のネパール人の方々に頼まれた献灯を先ずしなければいけないと、チベット仏教の聖地でネパール最大の仏塔のあるボダナート(Boudhanath)へ。
翌日からは、ネパールの環境、福祉支援グループの方々との面会、合気道や他武道の方々との交流など、忙しいスケジュールの合間に、ネパール最古の仏教寺院スワンヤブナート(Swayambhunath)ネパール最大のヒンドゥー寺院パシュパティナート(Pashupatinath)さらにはカトマンズから東に2時間ほど、広大なヒマラヤの景色を眺めながら行く、チベット仏教3大聖地の一つナワブッタ(Nawabuddha)なども訪れました。本間館長は、観光土産店などよりローカルなマーケットがお好きのようで、力車に頼んで色々な場所に出掛かけ楽しまれていました。地元の関係者の方たちとも積極的に交流を持ち、訪問した家庭では、家庭的なネパールのもてなしに大変喜んでいました。米から作った酒、チャングやラクシィには特にご機嫌で、日本のドブロクや焼酎と同じであると驚いていました。
滞在中に政変があり私は怖くて外に出る事が出来ず、また電話も遮断されたため本間館長と連絡が取れず心配しましたが、無事に帰国された事を知り安心しました。私は今後、AHAN日本館ネパールの組織作りのお手伝いをしたいと思っております。」 
ネパール指導や訪問記を「祈りと銃」として館長がまとめています。こちらをご覧下さい。  
ネパールAHAN世話人 プザさん記







●モンゴル報告

本間館長はネパールからの帰路、東京に立ち寄り日本館日本支部のスタッフと打ち合わせ後、モンゴルに向かいました。AHAN日本館モンゴルコーデネイターのアリマさんがレポートします。


AHAN日本館モンゴルスタッフと


●日本人戦没者墓地参拝

日本人戦没者墓地にて

私は東京での研修があり、本間館長とモンゴルまでの帰路が一緒となりました。到着は深夜少し前、外気温は零下42度。日本館モンゴルスタッフのボルドさん、インクさん達が館長の為にコートや帽子などをかかえて迎えてくれました。
翌日、ここ数年のモンゴル訪問時の恒例となった「ガンダン寺」を参拝し、昨年デンバー日本館をモンゴル大統領一行と訪れた、モンゴル最高位ラマ僧(ハンバラマ)チョウザンツ師と年末勤行中の寺院内で再会しました。


ガンダン寺にて 
 合気道日本館モンゴルのボルド指導員と

日本館を訪問された時のハンバラマ

その後、首都ウランバートルから北に15kmほどのダムバダルジャーにある日本人戦没者墓地を訪れた本間館長は、白と黄色の大輪の菊を、無念の想いでこの地に眠る方々の御霊にささげました。


礼拝堂にて

英霊に敬意を奉げる本間館長


厳冬に経つ石仏と碑
碑には「日本は復興しました。モンゴルで安らかに眠って下さい」とあります。

墓地近くの寺院にて

この墓地は1945年―47年、第2次世界大戦の折シベリアで捕虜となった日本人のうち、モンゴルに移送された捕虜14000人のうち1500人がモンゴル各地の収容所で亡くなりました。埋葬されていた各地の遺体を荼毘、2001年に日本、モンゴル両政府の合意によってこの地に再埋葬したものです。


●ゾルグ財団訪問

ゾルグ財団スタッフの方々と

本間館長はゾルグ財団、また国会議事堂内にDrサンジャスレン.オユン女史を訪問しました。ゾルグ財団はモンゴル民主化の英雄といわれ1998年10月2日に暴漢によって刺されて亡くなった国会議員、サンジャスレン.ゾルグ氏の妹であり国会議員のオユン女史によって設立されたものです。


サンジャスレン.ゾルグ議員と
国会内執務室で
今回の訪問は昨年末、AHAN日本館本部がゾルグ財団を通して30台の新中古コンピューターを支援の必要な学校等に寄贈しており、その寄贈先の確認と今後の支援活動についての打ち合わせのためでした。また国会議事堂内のオユン女史のオフィスを訪問した本間館長は、今後のモンゴルに於けるAHAN活動への理解をお願いし、女史からはコンピューター寄贈に関する感謝の言葉を戴きました。


●希望学校訪問

日本館から贈られた楽器を持って

明るい元気な子供達が迎えてくれました。日本館が支援している「希望学校」はウランバートルから西北に30分のバヤンホシュ(Bayankhoshuu)に有ります。現在生徒数92人のこの学校は校長のアザヤ先生と4人の先生が教えています。


今日登校した子供達と

80年後半のロシアのペストロイカをきっかけとしてモンゴルは大きな変革を遂げ、1992年新憲法のもと「モンゴル人民共和国」より「モンゴル国」として民主化を遂げました。しかしその間の変革期において国内の経済、教育、福祉は大きく乱れました。希望学校はそういった「モンゴル変革の落し子」と言えるもので、自由経済後、農村部から首都ウランバートルにやってくる労働者の子供達を集め教育している民間の学校です。
モンゴルでは他の生活区から移動してくる場合、転住資格が必要で、多くの出稼ぎ、或いは移住労働者はその資格を持たず生活している為、子供達が公立学校に通う事が出来ない状態です。子供を田舎に残しての出稼ぎは中国などでも問題になっていますが、モンゴルは遊牧の国、子供だけを残しての遊牧生活は困難でどうしてもゲル(モンゴル伝統移動用テント、パオ)をたたみ、家族での都市移住となります。
日本を中心に、公立学校の建物や環境整備は国際支援を基に整備されつつありますが、こういった民間の学校は政府の援助もなく(政府は充分努力しているが間に合わない)多くの民間団体の支援によって支えられています。
AHAN日本館モンゴル支部は日本館本部の支援を受け、この学校に新中古コンピューター、伝統楽器、縫製ミシン、文房具などを贈っています。同時にコンピューターの調整や指導にAHANモンゴル支部のスタッフが、伝統楽器の指導には、モンゴル馬頭琴王の国家的称号をもつ、アリンバヤー氏が継続的に貢献しています。


演奏を聞かせてくれる

指導をするウランバーヤ氏

寄贈されたコンピューターに取り組む子供達、講師は日本館モンゴルスタッフのインクさん

学校は、ゾルグ財団の保護の下、教育熱心な素晴らしい教師と、貧しくとも明るく素直な子供達が、1枚のビスケットと薄い番茶のランチを楽しみながら「明日のモンゴル」に向かっています。5人の教師の内、2人は身体に障害のある方ですが、その献身的かつ教育に対する姿勢は多くの関係者に感動を与えています。
なお、国会議員サンジャスレン.オユン女史を中心とする方々の働きかけにより、ユニセフもこういった子供達の支援に乗りだす事になりました。子供達、もう直ぐですよ。


みんな、又会いましょう

日本の皆様へ  AHAN日本館モンゴルよりお願い

日本の皆様、引き出しに眠っている、少しだけ使った筆記用具、折れたクレヨン、絵の具、消しゴム、などの文房具。ノートや画用紙などの紙類、学校ごとクラスごと、そしてオフィスごと、集めてみて下さい。不ぞろいでも、使っていても「今の私達」にはとても役に立ちます。ご寄付下さい。
送り先:
  AHAN NIPPONKAN MONGOLIA
  c/o Alimannsar
  P.O.BOX550
  Ulaanbaatar 211049
  Mongolia
※現金、食品はご遠慮下さい。大量の御寄付に関しては、通関等の手続きなどのため、日本館本部、www.nippon-kan.org にご連絡下さい。



●旧正月の挨拶訪問


モンゴル日本館スタッフのボルド家にて

2月9日は旧正月、本間館長はモンゴルの習慣に従い、お世話になっているモンゴルの方々の自宅を訪問し新年の挨拶をしました。翌日も含めて7家族。     
モンゴルの新年訪問は玄関だけでの挨拶では失礼となります。家族一同の出迎えを受け室内に入り、家長に贈り物もしくは僅かの現金をプレゼントし新年の祝いを述べ、年少者が両手を年長者の両肘に沿えるように互いに合わ、「アムライノー」と云って左右に抱擁をします。席に着くとチャイ(薄い塩味のミルク茶)が出てきます。また長老から嗅ぎタバコが廻ってきて互いにそれを交換します。会話を交していると次に出てくるのがシュウマイの形をした羊肉の餃子、ボウズ。高く積まれて出てきます。新年を迎える為に1000個から3000個を一家総出で作ります。ベランダに出しておけば直ぐに冷凍食品になります。モンゴルの正月はボウズを食べる事でもあります。テーブルの上には茹で上げた羊(お尻の部分に脂身が多くある羊がいい)とオルボーといわれる大きなクッキーが積まれキャンデーや乾燥した乳製品が上げられます。

旧正月はどの家でも大切な行事

羊をナイフで削ぎ、皿にとって食べます。その頃には神聖な飲み物とされるアリッヒ(ウオッカ)が大きなムングンアヤクといわれる銀のカップに入れられ回ってきます。受け取ると一言挨拶して、右の薬指を軽く入れ、親指で弾き飛ばすように、山や空の神々に敬意を表してから飲みます。また家庭によってはミルクから作るアルコール飲料も出されます。冬期間は貴重品ですがアイラク馬乳酒も出てきます。
テーブルにはサラミとピクルス、ニンジンサラダ、ポテトサラダなどロシアの影響を受けたプレートが並びます。最近は韓国に出稼ぎに行った人が多く、キムチも出てきます。それが何処の家でも同じで、次から次の来客で大変な混雑となります。40分から1時間をメドに一家総出の見送りを受けて帰ります。
普通ですと一軒で「出来上がって」しまうのですが、モンゴルの人はアルコールの強い人が多くご機嫌で次の家に向かいます。本間館長はこのモンゴルの習慣を知っており「この接待をまともに受け取っていたら一軒で終わりだよね」といって乳製品を沸かして分離したタンパク質の塊「ウルンム」や、羊の脂身などを食べて胃を守っていました。


ソッダムダルチ教授宅にて
教授は日本館とモンゴルの最初の橋渡し役

本間館長、二日酔いもなく、馬頭琴製造、祭事用マスク制作、ゲル工場などを訪問、米国への輸出等の打ち合わせをして帰国されました。
                      
以上レポートは、日本館モンゴル、コーデネイター アリマさん

アリマさん――日本語通訳、及びビジネスコーデネイター。モンゴルの大学で日本語を専攻、日本に2年間留学後、日本の政府、民間のモンゴル事業関係者や旅行者の通訳業務をする。2002年に渡米、日本館でAHAN活動に付いて研修、モンゴルに帰国後次の仕事を専業としています。

■業務
 日本語モンゴル語通訳
 観光、事業所等の案内   
 事業コーデネイト
 調査、レポート
 取材アレンジ、移動手配 
 要人面会手配
 要人警護手配
 カルチャルイベント
 発送、輸入手配手続き
■連絡方法
 E-MAIL alimansar_n@yahoo.com
 携帯 モンゴル976-11-99194387


 アリマさんとガンダン寺にて



日本館道場活動報告

円心空手対日本館合気道 激戦10年
 平成17年2月27日
 


今年は日本館の負け。二宮館長と本間館長

10年前、本間館長の友人である、国際空手道円心会館 二宮城光館長の誕生日を記念して始めたこの対戦。今年は4年ぶりに円心空手がトロフィーを手にしました。参加者は130名余り、敗戦の日本館の内弟子は恒例によって10ガロンの氷水を浴びました。双方の道場門下生の交流が深まるボーリング大会からのレポートでした。


内弟子にとっては運の問題

また来年



日本館年末年始行事

 

日本と同じ様に、と言う考え方から日本館の年末年始行事は行われます。今回は本間館長のパソコン日記からドキュメンタリーしてみたいと思います。

■煤払い
 平成16年12月28日

「いちねんのほこり」と打ったら「一念の埃」と出た。確かに道場は毎日掃除をしているが手の届かぬところにはフンワリとのっている。マットで擦れた稽古着や袴の埃であろう。稽古に打ち込んだ者たちの「一年の誇り」でもある。
掃除を手伝ってくれた門下生の方々、ご苦労様でした。

■稽古納め
 平成16年12月29日

いや早い事。もう締めくくりの日。若き頃は時間が坂を登っていた。50を過ぎたころからだったか、急な坂道を下っているようである。稽古後の一本締め、そして乾杯、もっとも運転の事を考えて、盆の上にはペットボトルの水も酒と並ぶ。直会で会話の弾む門下生を眺めながら、この一年、修行者、そして指導者として悔いのない一年を過したか振り返ってみる。


乾杯

■正月仕度
 平成16年12月30日

餅つきはここ数年、友人の円心空手会館、二宮城光館長にお願いしている。以前は内弟子全員で餅つきをしたものだが、此れがなんとも手数がかかる。ましてや外人内弟子、折角餅つきをしても「美味い」ともいわず、食べるのは一回程度。カビを飾って置く様な物。そこで最近は臼をひっくり返し、もっぱら腰掛代わり。たった年に一回なのに餅つき機を買うこともあるまいと、二宮館長の家の機械にお世話になる。まあ、交友の証と勝手に考え納得する。松飾をつくり、紅白の幕を下げ、御幣を切ってしめ縄を飾り、正月気分が始まる。  


館内には松飾

■年越稽古
 12月31日午後1130分〜1月1日午前1時

深夜にも拘らず多くの門下生が、沈黙の道場に集まってくれている。この日だけは神道行事をする。手を打ち、天津祝詞を奏上し神々の名を唱える。日本館は宗教の場ではない。従ってこの会も事前に神道行事があることを教えて、個人の宗教を侵害しないよう気を使う。クリスマスで騒ぎ、正月で神に願いお盆で仏にすがる日本人の不思議な器用さを持たない、信仰深いアメリカ人に敬意を表してである。

年越稽古

■新年会
 新年1月2日

テーブルを置いての300人は日本館道場ではきつい。40フィートのテーブルに並んだ料理も見事。家族でやってきたり、友人と来たり、モンゴルの仲間達も民族衣装で。またデンバーで道場を開かれている他武道の先生方の姿も。アメリカ伝統音楽、モンゴル音楽、そして門下生の飛び入り。賑やかな新年会である。しかし全て旨くいかないのがこれまた傑作である。「先生おめでとう」と集まってくれたのに、風邪が私を会場から引き離した。うまく騙してきたつもりだったが突然の入り身であった。会場にいたのはたったの30分。お蔭で今年は二日酔いはなかった。
会場設定から接待、後始末と大忙しの担当門下生、ご苦労様でした。


コート係は子供クラスの仕事

豪華な食事が並ぶ


モンゴル子供のダンス

馬頭琴と歌う


ラマ僧も

モンゴル、ツァム祭の踊りも


ウエスタンミュージックも

子供達も輪になって


日本支部長、菊池さんも大活躍

■稽古始 
 新年1月3日

今年は1日早く稽古始である。余り長く休みたくないと言う門下生の希望からである。道場に入ると幾列にも並んだ正座姿の門下生達。足が痛いだろうに。「楽にして」と言いたいところだが、そこはマッタがかかる。
多少は頑張って稽古始らしくして欲しい。写真も撮るわけだから。
役員やスタッフの発表が40人以上。功労者に感謝状。免状授与。役員の挨拶、そして稽古、と時間はたちまち過ぎる。しかし忙しい後で、日本館の役員の集まりである「ムークラブ」の新年会。心の許せる長い間の仲間たち、酒が旨い。
津波の件で「特別義援金募集講習会」の相談があり、そのことに絡めた新年のスピーチをする。
(編集者、本間館長新年スピーチ 「命の価値と支援の差」をご覧下さい。)


初稽古を迎える

館長演武


日本館の最長老、モーリスさん(82歳右)と皆勤賞のハインズさん(62歳)

■初心者クラス始まる
 平成17年1月10日より4クラス

毎年、何人集まるかと気をもむ。一年に24クラス開かれる初心者クラス。新年の集まり具合で今年の調子がわかる。其々の人が其々の思いで道場に集まってくる。過去30年、1万5000人。良く集まったものである。幸運であったかもしれないが、幸運を呼ぶためには多くの犠牲もあった。多くの助けもあった。目的も大きい新年の初心者クラスの生徒達。成功の秘訣は「前後裁断」余計な事を考えず一つ一つの稽古を大切に。
第一期の3クラスが今年も70人を越えた。もう一クラスあるので今年も100人を越える。さて何人を何処まで引っ張っていけるだろうか。


先ずは合気道体操から

■小中学生日本館訪問始まる 
 平成17年1月11日

今年も渡り鳥のように子供達が戻ってきてくれた。館内を見学し、デモを見て、弁当を食べて。子供にとっては驚く事ばかりだろう。今年も春だけで2千人余りの子供が日本館を訪れる。
子供が支払う弁当代などの10ドルの内、7ドルがAHANの活動費となる。この訪問を支えてくれている門下生ボランティア。弁当作りに朝早くから出勤し無報酬で働いてくれるレストランスタッフ。大変な事である。


説明役のエミリー.ブッシュAHAN会長
この項の編集 依田


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