合気道 真の強さ
    争わず、分かち合うこと

ソン・ズファン(成周桓)先生 記
               大韓合気道会 指導員
               東ティモール国連警察UNPOL
             任期2006年12月〜07年12月
                    韓国語からの日本語訳、ソン.ズファン先生
 


前列中央、本間館長, 左側に著者, 翁先生の肖像画を持った方が和田氏

明けましておめでとうございます。私はソン・ズファン(成周桓)と申します。大韓合気道会のユン・イカム(尹翼巖)先生の内弟子で現在 3段です。 私は2006年12月から1年間、東ティモールで国連警察(UNPOL)所属の警護員及び警察学校の射撃教官を勤めました。私の任務終了の二週間前に本間館長が東ティモールを訪問してくれました。現在私は韓国に帰国しておりますが、思い出に残ったそのときのレポートを書いてみたいとおもいます。

 まず東ティモールの簡単な紹介をします.。東ティモールはインドネシアとオーストラリアの間にあり、飛行機でバリから2時間、ダーウインから3時間がかかります.。また世界で一番新しい独立国です。400年以上のポルトガル植民地統治から1975年独立するやいなやインドネシアの侵攻でまた植民地になりました。1999年独立賛否投票渦中にも独立賛成派と反対派の間の衝突があり多くの犠牲者を出しました。あったりしました その時から国連が国家的基礎を再興するため支援しています。人々は一日 1ドルに満たない収入であり文字を読むことができない人が 50%を越えます。

2006年5月惨劇が起きました。東ティモールは地域的に東と西に分けられています。双方住民たちは対立しています。この日 FDTL(東ティモール軍)の西方出身者たちは要職を掌握している東出身者たちに不満を持ってデモをしました。この渦中に警察との銃撃戦が発生して 20余名の警察官が死亡し 5万名以上の罹災民が発生しました。 以後, 首都ディリには 10ヵ所以上の罹災民キャンプが建てられました。この事件で21世紀の一番若い国家東ティモールは法秩序が崩壊され大混乱となりました。これに対して国連が急遽 1600人以上の国連警察UNPOLを派遣、新しい国連ミッションUNMITの展開を始めました。

私は 2006年12月1日に東ティモールに入国しました。率直に言って, それまでこの国に対して聞いた事はなかったです。 ただ私は新しい所で警察として勤めて見たかったしこれが「武者修行」になると期待しただけでした。ハリウッドのアクション映画ではない本物の合気道修行も出来ると思ったのです。


押収された武術ギャングの武器

出動したUNPOL


UNPOL護送車

そういった私の密かな思いとは別に東ティモールはマシャル・アツ・ギャング(martial arts gang)たちに頭を抱えていました。彼らは手製パチンコで矢を飛ばしたりジャングル刀を武器として毎日互いに殺し合いをしていました。彼らはただ‘武術’という名前を掲げた問題集団であるだけでした。これらのため武道に対する一般人たちの認識は非常に良くなかったのです。これには本当に落胆しました。私は任務の合間を利用して合気道を現地の人たちに指導して武道の真正な意味を伝達しようという決心をしたのが東テモールでの合気道指導を決心したきっかけでした。

合気道は 2003年アジア開発銀行(Asian Development Bank;ADB)所属のイタリア人によってこちらに紹介されました。しかし彼は 4ヶ月後に帰国しました。 2005年にJICA 所属の和田泰一氏が東ティモールへ来て、2006年5月の混乱事態まで稽古を続けました。のち私は和田氏に会って稽古を再開しました。

 新しいクラスは 3月 1日にエジプト出身のジアド・アブアメ氏も参加し3人で始まりました。それと同時に私はギャングではない現地武術団体たちと接触して親交を結びました。国連の警察官が新しい武術を教えるといううわさはすぐに広まり多くの見学者が訪れ、見学者が入会しました。 これらの入会者の多くは罹災民や家庭内暴力の被害者たちでした。今は 30人以上が合気道稽古を楽しんでいます。

私は東ティモールでの合気道活動に関する報告書を先生たちに送り始めました。この中には本間先生もいました。 私は本間先生が韓国へいらっしゃった時通訳を担当した事があったし、先生も私の東ティモール行はご存じでした。

合気道の稽古をもっと紹介しようと私は 「友好演武大会」というアイディアを企画しテコンドー,、空手、少林寺拳法など他の武術団体に呼びかけました。それに対して他の武道からも同意を受けました。大会は9月29日開催され現地人及び外国人政治家たちが参観するなど大きい成功をしました。武術団体たちが調和を成してお互いに助け合う姿を見た事がなかった現地人たちと国連スタッフたちに「武道稽古」の意味を考える機会を提供しました。新聞、放送がニュースを伝えもう武術団体とギャングたちの同一視からの差別がなくなりました。

 そして遂に本間先生が訪問しました。 私は連絡を受け驚きました。日本館副会長の エミリー・ブッシュさんからメールを受けた時、私は事務室で喜びのあまり歓声を上げてしまいました。同時に私は心配になりました。 東ティモールはアメリカ・デンバーからは大変遠く「先生に長い距離と航空料金などの負担をかけて良いものか? 私一人でそんなに世界的に有名な先生をお世話できるのか?」

私は韓国のユン先生に電話をして尋ねました「本間先生に仕えて観察したら何が‘合気道の真正な力’なのか学べるんだ。そして合気道家はどんな人ではなければならないかも知る事が出来る」と話してくれました。


「合気道の技は特別に強くない。しかしその真の力は別にある」本間先生。

本間先生は 11月 17日にディリ空港に到着しました。飛行機は 2時間延着したため セミナーが始まる時間となっていました。長時間の移動による先生の疲れを憂慮した私はスケジュールを取り消すつもりもしたが, 先生はあまりにも活力にあふれてセミナーが開かれるGMT体育館に直行、30分の遅れで始まりましたがその分延長して指導してくださいました。

参加者一人一人が先生のセミナーを充分楽しました。彼らは世界的に有名な合気道の師範が稽古前に自ら一人一人に握手を求め、希望者には気軽に道衣にサインをしてくれることに感動しました。また 私も合気道を指導する方法に対する先生の助言を聞くことができました。

「合気道ができる事と教えることができる事は違うのね。」
「こちらの人々が私と握手をしたり、写真を一緒に撮ることだけでも喜んでくれたら 私も本当に嬉しいね。」

私は本間先生のお世話をさせていただきながら語り合いました。 合気道の歴史, 技術の変化した理由, 大先生及び有名な先生たちのビハインド・ストーリー、先生の道場日本館とAHANの運営など指導者として「どんな人にならなければならないか」に対するあまりにも価値のある助言をたくさん聞く事が出来ました。 先生は一見失礼とも思われる質問にも是々非々を明確に選り分けながら返事してくださいました。私の合気道に対する愛情はもっと深くなりました。

「‘武’は‘槍を止める’と言う意味にたびたび解釈されるため多く人々がこれを技術的なレベルからとらえ‘飛んで来る槍を取る’というふうに思う。しかしその真正な意味は‘槍をおろす’‘けんかを避ける’と言う意味だね.。肉体的強さをコントロールするにはまずは自分を納めなければならない。」
「指導者は何の抵抗をしない自分の門下生を投げ飛ばしている。だから‘裸の王様’にならないように気を付けなければならない。」


 住民の子供たちと本間先生

先生は自ら合気道の真正な力が上下の人間関係ではなく水平的なヒューマン・リレーションズとして人々と付き合うことを実践を通して見せてくれました。
57歳の先生が直接洗濯と掃除をなさって誰とも虚心坦懐に対話を交わす姿を見ながら、私は先生が世界的に有名で強い理由が分かるようになりました。

私の友達は先生と一緒に夕食をした後こんなに言いました。
「彼は良い人ではない. ‘超良い’人だよ!」

この文を書き終え、私は本間先生とエミリーさんに深い感謝の心を伝えます。先生はティモール人たちに稽古と言うのは争いではなく和解である事を教えてくださいました。

本当にありがとうございます!

 本間先生は9月22日東ティモールを発ちました。 先生は日本に到着後すぐにバングラデシュに行く予定だと言って飛行機に乗り込みました。先生は東ティモール6日間の滞在で多くの事を楽しみ学んだと言い残してくれました。 私は本間先生が 「いつも第一線に心を置く将軍」だと感 飛行機に向かう先生の広い後姿を撮りました。
 私が任務を終えて韓国に戻ってまもなく国連事務総長であるバン・ギムン氏が東ティモールを訪問しました。ジアドを含んだ 5人がその前で合気道を演武し、大きい拍手を浴びました。東ティモールの合気道はもう国連警察(UNPOL)と現地人たちの間の良い関係と国家の再建を象徴しています。また市民対象の合気道クラスはその稽古回数をふやしてくれと言う要望が殺到しています。




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