下拵え組みの人々 |
日本館のAHAN活動を支える「基金募集講習会」が開かれました。今回の基金は12月の特別食事サービス予算や、その際ホームレスの方々に贈られる冬用の靴下400足の購入費とされます。ジャケットやパンツは寄付されるのですが意外と無いのが、下着、靴下です。また基金はモンゴル、ブラジル、メキシコの子供達に展開している日本館AHANプロジェクトの予算ともされます。
講習会は、メキシコ小児癌治療滞在施設、支援基金募集講習会を成功させ、帰国したばかりの本間館長の指導で2日間にわたって行なわれました。この講習会の最もユニークな点は、合気道の技のトレーニングである講習会に、ホームレス食事提供プロジェクトを組み合わせた事です。土曜日に4クラスの合気道稽古、日曜の朝9時から1時間、350人分の食事の下拵え、10時から更に2クラスの合気道、閉会解散後、夜5時と8時に食事提供のために収容施設、デンバーレスキューミッションに集合する、と云う日本館だからこそ出来るプロジェクトでした。参加者希望者が多く、下拵え組と給仕組に分けて参加していただきました。
今回は6200ドルの基金が集まりました。いつも通り、稽古には参加されず寄付をされた方も多く、また匿名で毎回、多額の寄付をされる方もおられます。誠に有難う御座いました。
受付のキャシー、演出も決まってます。
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稽古風景
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米国旗が美しい
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給仕組の人々
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80人分が一回、4回繰り返す。
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全員スマイルで |
この講習会で本間館長が、内弟子寮に掛けてある額入りのキャンバスを持ち出し、日本館の過去を振り返りながら心境を語られました。
これは1984年から89年と、89年から93年に道場に敷かれていた2枚のキャンバスです。この2枚は普段、指導者が座るあたりですが、当時の日本館の経済事情が想像できると思います。3重4重に手縫いされています。この厚いキャンバスが擦り切れるほどの稽古量もすごいのですが、このきつく張ったキャンバスを針と糸で幾重にも縫い上げる事は大変でした。張り替えるにも1500ドルものお金などありませんでした。ところが皆で縫い込んでいる内に、いつの間にか愛着が沸いてきて『何処まで縫えるかやってみよう』となって、門下生の心の中に結束の様なものが生まれたのです。いよいよ縫い切れなくなって困っていると生徒が、『オレに一切れ売ってくれ』となって、私も、俺も、となって、下に引くクッションの分のお金まで集まってしまいました。
そもそもこの一回目のキャンバスは、当時日本館で稽古していた、現在『スワローヒル合気道』と云う道場をデンバー郊外で指導している、フランク グラフィア先生が、道場が出来てもクッションが無く、辛うじて古い絨毯を重ねて『サーどうするか』と困っていたのを見て担いで来てくれた新品のドーネイションでした。そんな関係からどうしても粗末に出来なかったのです。結局はそのボロボロのキャンバスが思いも掛けない宝物となって、新しいキャンバスとクッションに生まれ変わったわけです。現在では、こんなに成るまで縫い込まなくても良い程度に日本館は安定していますが、決して最初から今の状態ではないのは、このキャンバスから理解できる事でしょう。
道場の家賃が滞り雨漏りがしても家主に文句が言えず、雨漏りを受けれる一切の器を道場に並べた時もありました。『日本館秘伝、鍋飛び受身』とか、器に響くそれぞれの音に合わせて『日本館スタイル鎮魂』などと遊んだ時もありました。
破れキャンバスの雨漏り道場で、文句ひとつ言わず耐え忍んでくれた多くの門下生の心が日本館には宿っています。日本館AHANプロジェクトの精神の源はここにあります。
AHANプロジェクトは決して恵まれた財源を基にして展開されているのではなく、多くの素晴らしい門下生に支えられて展開されているのです。
今日の日本館は、多くの素晴らしいアメリカ人に支えられて存在します。その支えによって現在の日本館があることへの『私の感謝の行動』が、日本館の諸々の社会奉仕活動です。
日本館も28年目を迎えようとしてしていますが、こういった道場開設の頃の事を知る人も少なくなってきました。今日に至るまで築き上げた多くの先輩達に感謝するものです。
現在、日本館は其の活動を更に大きく世界に展開しており、日々刻々と実績が積まれています。今回この会に参加されました方々、都合で稽古に参加できず、ご寄付だけ下さった方々に心から感謝します。また日本館の運営に関して、常に前向きな姿勢で意見を述べてくれる日本館顧問の皆様にも感謝いたします」。
活動の先頭には常に本間館長
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シェルターキッチンでコラムを打つ
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本間館長は3日後にはブラジル「AHANリオ」での、打ち合わせと指導のため本年2度目の訪問をします。
S.Y訳 |