館長コラム◆◆  

■合気道の新しい方向性
 メキシコ小児癌患者支援基金講習会をおえて

それはよくある「偶然」なので驚きませんでした。10月末から11月の中旬までの僅か4週間に合気会本部の藤田師範、USAFの山田師範、カナダの河原師範がメキシコの首都メキシコシテー市に集まりました。皆さん合気会公認の師範の先生方ですが指導先は全く別々の現地道場でした。現地では挨拶以上の言葉は交わさない関係にある道場同士だそうです。他道場の講習会に合わせて道場主が開く「ヒット」と云われる講習会で珍しい事ではありません。スケジュールが互いの講習会と近すぎたのか日時を変更したり戻したりとそれぞれの主催者側に動揺がみられました。全くつまらない事をするものです。
そんな中で私達の講習会も開かれました。集まった人数は大人が100人余り中高生が30人位でしょうか。多くの見学者もいました。主催者によるとこの参加人数は他のセミナーと比べてもたいして変わらないのだそうです。しかもこの会を主催したフラナンド先生の武産合気道場は、私の道場日本館のようにメキシコ国内の合気道団体には属さない、僅か5年前に始めた独立道場です。組織や動員力に乏しいのにこの人数です。しかも「昇段試験あり」などの飴玉もありません。講習会費だって殆ど変わらなかったそうです。
どこから参加者が集まったのか、私は多いに興味が沸き彼に尋ねました。
主に参加したのは自分の道場生であるけど,何と云っても8カ所の独立道場の指導者が生徒を伴ない国内各地から参加したのが大きな数となったそうです。そう云えば色々な道場マークが稽古着に見られたのは其の為でした。
この講習会の成功が何故だったのか、を分析する事は"講習会を成功させたい""道場運営を改善したい"と願う合気道家への何かの助言になるのではないかと思いまとめてみる事にしました。
ここ数年合気道界に大きな流れの変化がみられます。それは指導者層の高齢化です。60年代多くの若い日本人指導者が合気会本部や個人で世界に飛び出しました。色々な人生模様を展開し、今やその殆どの指導者は60歳前後、すでに世を去った方も居ます。ここ数年は日本人指導者に限らず現地人指導者にも高齢化がみられます。いわば世代交代が"待ったなし"の状態です。残念な事にその高齢化は技の円熟さどころか指導のマンネリ化を生み、体力の衰えを権威で補おうとするため門人離れを起こし、それを抑えるため更なる組織ルールを強化、そんな悪循環の繰り返しのように見られます。
こういった師範や道場主たちの行動を背景としてか、最近は独立道場が実に多くなってきています。でもここで大切な事があります。こういった独立道場が増加している原因は、最初は師範や道場主に対する離反ではなく、ましてや合気道そのものからの離反でもありません。殆どは師範からの経済的な要求に応じ切れなくなり、そういった事への「気まずさから疎遠」となり、それを「今まで面倒を見てやったのに、義理が無い」と日本人独特の判断によって解釈されるためです。結局はそういった事から対立してしまい悪い結果を招いている事がほとんどです。また、人種的尊厳が損ねられたり、性的差別であったりと、それ以外の事もあります。或いは又、初段審査対象まで9年間以上の会員である事が義務付けられたり、初段に合格しても2年間免状が指導者によって保管されるとか、師範や道場主の「経営維持」の為の「独自のルール」なども問題を起こしています。勿論、単に大きな夢から独立した者、或いは不品行から破門となり、自己の正当性を裏付けようと独立道場を立ち上げる人などもいます。何れにせよ、最近のように情報が相互に行き交うなか、自己の置かれている立場に気がつき疑問を感じる合気道家が多くなっているのです。その結果こそが独立道場の増加と云えるでしょう。

理由は後記しますが、私の日本館も独立道場のひとつです。渡米した時から今日まで、いかなる合気道団体にも入りませんでした。道場を維持し現在まで築き上げるのは大変でした。しかし反面、上部団体を持たないという事は自己団体にとっては何の拘束もない事であり、自由でユニークな活動展開が可能でした。金銭の事にせよ、上納するところがあるわけでもなく資金力もそれなりに大きくなったのです。今では独自の活動を世界各地で繰り広げているのですが、其の活動を背景としてか、実に多くの独立道場や独立予備軍の指導者から問い合わせや講習会指導の依頼があるのです。そういった関係で日本館を訪れたのがメキシコシティー市にあるメキシコ武産合気道だったわけです。
春、夏とデンバーの日本館に滞在したフラナンド先生一行から講習会開催の依頼を受け経費等に関して尋ねられたとき、私は答えました。「もし貴方が新しい考え方で合気道に取り組んでくれたら私は無償でも出掛けて行きます。合気道をどの様に社会に実践して行くかを真剣に考え、貴方だけの合気道ではなく少しでも多くの人に合気道の恩恵をシェアーできる講習会、つまり日本館AHANプロジェクトの主旨に沿うのなら喜んで協力します」と。これが今回開かれた講習会でした。私は3ヶ月前にもメキシコシティーを訪問し現地の事情を良く調べた上での承諾でした。
私は彼に講習会からの自己収入に期待はせず、それを社会に還元することを助言しました。これは主催者にとっては大変な思考転換です。講習会はやっぱり収入が大きな目的のひとつ、それを忘れろと言うのですから彼も戸惑った事でしょう。私の好きな言葉に「善をもって行なう者は福をもって天が助ける」というのが有ります。もともとメキシコの人々は信仰深く、特にカソリック教徒の彼はこの言葉の説明を素直に聞いてくれました。そして彼は還元場所としてメキシコ小児癌治療滞在施設支援をその講習会の目的に定めました。私は彼の従順さに敬意を表し、日本館AHANプロジェクトとして予算を組み積極的に応援しました。
会場はメキシコでも最も由緒ある、私立モンテレイ工科大学の設備の整ったバスケットコート2面分の体育館、マットスペースも充分で木剣や杖の稽古も安全に出来る広さでした。会場には受付の他に荷物預かり、救護テーブル、などがセットされ救護班のメンバーは腕に赤いリボンを着けていました。日本館講習会の会場セットを参考にしてくれた事がすぐにわかりました。開会式では大学関係者が来賓として並び、この会の主旨が述べられました。伝統舞踊が華をそえメキシコらしい明るい雰囲気でのスタートでした。講習会は8クラス、それぞれのクラステーマに沿って参加者全員、熱の入った稽古が行なわれました。
そして最終日、会場にはメキシコ小児癌治療滞在施設「カサ-デ-ラ-アミスタド」(www.casadelaamistad.org.mx.)から数名の子供達と一緒に創設者であるドクター田中御夫妻が参列されました。挨拶の後、この会のホストであったフラナンド先生、ロシオ先生夫妻から、講習費収入からの寄付目録、日本館AHAN本部からも1000ドルの寄付金が手渡されました。この寄付金財源には合気ジャーナル(スタンレー プラニン編集長)からの志も含まれて居ます。彼はこの講習会の意義を理解してくれ推薦文も快く応援してくれました。合気ニュースのサポートもこの会の成功に大きな力となりました。
会場は割れんばかりの拍手が響き、見学席の人々は全員起立をして拍手を続けました。参加者は皆笑顔で互いを祝福しあいました。この瞬間こそ、主催者や多くの参加者、見学者、そして愛を必要としている子供達全てが「無報酬の無限大報酬」を得た感動の時でもありました。

多くの合気道家は「将来は合気道を生活手段として」と考えて稽古を始めたわけではないと思うのです。それがいつの間にか指導者となって自分の道場を持ち、家賃や電話代を払わなくては成らない、努力の割には生徒の集まりが悪い、上部の師範からは「どうしてるんか」と圧力は来るしで状況は大きく変わり、それらが自己に対して大きな負担となり、否応なしに経営者としての才能を求められる様になります。しかし経営学だけでは道場をやっていく事は難しい事に気が付くのもそんなに時間はかかりません。
実際に道場運営を経営面で成功させている人は少なく、殆どは他に収入源を持っている人の献身的な支えで現在の合気道の繁栄が維持されていると言っても良いくらいです。この献身的な合気道家の善意によって生活を支えているのが専業師範と言われる「職業」の人々です。純真な合気道家ほどこの献身は強く、突然切れてしまう人もこういった人たちです。其のほとんどの理由は金銭の事、献身努力に対する無関心など、先にあげた理由によります。まさに「金の切れ目は縁の切れ目」「円の切れ目は、縁の切れ目」です。
私はこう云った人々から心を打ち明けられると先ず言う言葉が先に述べた「将来は合気道を生活手段としてーー」です。いつの間にか初心がずれてしまい、知らぬ間に「合気道を稽古する」から「合気道を指導する」だけになり「皆と楽しく稽古する為の道場」から「明日の支払いを作りだす為の道場」に変わってしまったあなた自身を見つめなさいと助言します。こういった状態から開放され初心者の頃のような純真な心に立ち返って合気道と向かい会ったら、そこには無限大の可能性が秘められて居る事を私の経験を基にして説明するのです。
私は子供の頃、敗戦となり野に放たれた将校を父に持つ家族の末っ子で、生活に追われ必死に家族を守ろうとするがゆえに両親にも諍いが絶えませんでした。其の頃から私は「家族喧嘩」の惨めさを自覚していました。開祖の御入神後の合気会の内部分裂の醜さを若いうちに体験し、その後、私が米国にやってきた頃はまさに「合気道一家大喧嘩中」のときであり、私の人生にとって信じるべき人、頼るべき人が争うのを見るのは耐え難いことでした。私は否応なしに静かにコロラドで自分の生き方を考えなくてはなりませんでした。これはもう心的な潜在意識としてそうしたのです。私は元々、他の先生方と違い、合気道を指導し生活する目的で渡米したわけでも無かったし、ましてや日本館などという現在の姿など考えてもいませんでした。未だに私が、支部の展開や昇級昇段システムを設定し、道場の増収を図ろうとしないのもその頃と変わらぬ気持ちだからです。
しかしこの「合気道一家の大喧嘩」が私に自分で生きることを教えてくれました。組織の無い私は独りで生きていかねば成らなく、語学力はなく、資金も無いなかで頼るのは門下生たちの善意と愛でした。私は善意に溢れたアメリカ人門下生によって生き延びることが出来たのです。10年以上苦しい生活が続きやっと生徒も安定した頃、其の感謝を何とか自分の行動で表そうと、内緒で13年前に始めたのがホームレスの方々への食事サービスでした。毎月材料を買い込み食事提供する事は、電話の広告代と電気代に値する金額で決して楽ではありませんでした。2年位い続けた頃に新聞に載り、バレてしまったのです。しかしそれから私を取り巻く環境が氷が解けるように変わり、優秀な門下生がさらに集まり、道場は大きく発展し、現在のようなAHANを活動母体とする国際規模の奉仕活動を行なう合気道場となったのです。門下生の善意に感謝し、生きている事に感謝した其の瞬間、私には「無報酬の無限大報酬」が与えられました。
私はいま、独立道場として孤立したり、道場経営に行きずまっている優秀な合気道家に、ぜひともこの報酬の喜びを得てもらいたいと思うのです。天井をはずし壁を払い、社会と横一体なった合気道の展開が、金では手に入らない新鮮な喜びと成功を与えてくれます。しかもその実践は簡単な事です。貴方の門下生に対する感謝の心を「行動」として社会に実行するだけです。何者かが必ずそれを見てくれて更なる善意と愛がめぐってきます。


この笑顔が最高のベネフィット
閉会式に参加した子供達とDr. 田中御夫妻


フラナンド ロマン先生

ロシオ アグエロ先生

メキシコ武産合気道、フラナンド先生とロシオ先生、独立道場としてやって行くだけでも大変なのに、良く私の助言を受け入れてくれました。あなた方はメキシコ国内では最初に自分の道場以外の為にチャリテー講習会を開いた、パイオニアです。何十年も合気道の技と精神を説き、それを人生としている人々にもできない事を、道場設立僅か5年の独立道場が成し遂げた事に、将来の合気道界の方向が伺われます。新しい事を実行するのは大変な勇気が必要です。貴方達の行動は多くの人々の心に計り知れない感動を与えました。合気道自体の社会的信頼の向上にも貢献し、それは他のメキシコ合気道家全てのベネフィットともなりました。この講習会は全ての人に喜びを与えたのです。私はこれこそが開祖植芝合気道の現代に於ける実践行為であると信じています。合気道の社会的信頼を高め自らも成長する、新しい道場の有り方です。
家業を投げ出してこの会を手伝ったセニョール ホセ、セニョール ウイマー、そして多くの人たち。この会の主旨を理解してメキシコ各地から集まった合気道家の皆様、そして大学関係者、滞在治療施設の関係者に心から感謝をのべるものです。来年はさらに多くの独立道場主の協力を得て大きな講習会になる事でしょう。

"善をもって行なうものは福をもって天が助ける"流派や団体に執着する事無く、新しい道場の有り方を貴方も真剣に考え「無報酬の無限大報酬」の喜びを分かち合いませんか。
日本館では世界各地でこのキャンペーンを展開しています。「伝統」という「マンネリ化の隠れ蓑」から脱却し、健全な指導者による、社会との共存を考えた新しい合気道の流れを実践しています。皆様のご理解と協力をお願いするものです。
最後になりましたが、私と同行したエミリー・ブッシュAHAN会長、リック・トンプソン日本館指導員、スペイン語の通訳として大活躍されたジョージ・ギブソン氏、さらに会に賛同されて参加した日本館の方々にも厚く感謝いたします。

                         平成15年11月18記
日本館 館長 本間 学

※このコラムは英語版日本館HP用に書かれたものです。理解し易くするため内容に多少の違いが有ります。
S.Y訳


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