37〜38年前頃からである。日本館が合気道の他に日本語や茶道、華道、書道、料理などを米国人に紹介するナイトカルチャースクールを開いていた頃、日本から来ていたボランティアたちが日本文化のカルチャーショーを制作し、毎日のようにデンバー市内や郊外の小学校、中学校などを廻って文化紹介デモンストレーションを行なっていた。文化ショーは1時間にまとめられ、すでに録音されたデモンストレーション説明と日本の音楽に合わせて数種類の日本文化デモンストレーションを行なうというシステムである。この活動が評判となり多くの学校から依頼が殺到し1日に数校訪問する事もあった。もちろん一切無料である。運営費用は夜間のビル清掃で賄った。
日系人のステータスであった茶道や華道を1時間にまとめて日系人以外の人々に簡単に紹介する事に対し、地元日系人の一部の方々から様々な中傷や妨害にあった。しかし、その数を遥かに上回る方々からの要請があり活動を続ける事が出来た。その頃は日本経済の好調に共鳴したように驚くほどの日本ブームであり、20代後半であった我々は日本文化の理解向上に燃えていた。ジャパンハウス・カルチャーセンターとして現在の日本館の礎を成した頃の話である。
それから今日に至るまで日本館はこの活動を続けている。もちろん内容は大きく変化、これまでの学校訪問から学生がスクールバスで日本館を訪れる来館形式に変った。37年間余りに少なくとも7万人以上の米国の小・中学校の子供たち、保護者、教師に加え日本館の合気道クラス受講者2万5000人以上と接した事となる。日本からの学生も含む長期滞在者や日系人といわれる人々はわずかに5%程度である。莫大な数の民間人受講者との交流や記録から米国における日本のその時々の価値観を知る事が可能である。
また25年間延べ7万5千人以上に食事提供をしている亜範日本館の「路上生活者食事支援」も様々な国にルーツを持つ人々と毎月接する事によって米国の底辺を知る上で大変貴重な資料を積み上げる事が出来ている。しっかりした日本語で「ありがとう」と云う人も数人いるが、一回300人余りの食事支援での感謝の言葉は「シェイシェィ」や「カムサミダ」が飛び交う。しかし中国、韓国人と思われる人は過去25年で韓国人と日本人各一人だけである。この事実からだけでも日本は今何処にあるのかが浮かんでくる。
さらに私は日本レストランを20年余経営し一日最低200人の来客としてもかなり多くの米国人と接触している。「米国人と日本食」明かなのは米国人は日本食を食べているのではなく「いつもと違った食事」を食べていると云う事である。日本食文化は海外で受け入れられ、日本食文化が理解されてきていると「コチラ目線」で評価し早合点してしまうところが面白い。
訪れる子供たちには文化紹介する一般市民、道場では上下の関係が明確な指導者の立場、レストランでは腰を低くしての接客業、食事支援では奉仕者の姿など、それぞれの人々と接触するために多様な対応を必要とする。しかし、こういった多重層な環境で生活しながら多彩な米国市民の上下左右の生活行動を分析する事によって今後の文化広報戦略的なものが見えてくる。特に、コロラド州は民主・共和が比較的バランスの取れた地域であり流れを見るには最適の地であり、上下左右の様々な生活スタイルが存在している。日本では一生を棒に振るマリファナもコロラド州は条件さえ揃えばいつでも何処ても「堂々」と購入できる州であり、その法律が議会を通った事実からも多様な考えの方々が多く生活している事を裏付けている。
長い年月の間に米国の子供たちも大きく変った。例えば、合気道のデモンストレーション一つとってもその激変振りが理解できる。学校訪問を始めた頃、米国は武道ブーム、デモンストレーションを見る子供たちは肩を寄せ合い受け身の者が投げられるたびに抱き合うようにして声すらなかった。しかしここ数年は受け身の者が大きな受け身を取ると笑い声をあげ拍手をして喜ぶのである。この違いはいかに米国の子供たちの感情が変ったかを示す良い例である。非常に恐ろしい変化であり、社会では青少年の凶悪な犯罪も増加した。原因はいくつか考えられるが武道ブームの影響は否定できない。
この様に長い期間に同じ物事を繰り返し、同年代の子供たちと接していれば日本文化がどの様にアメリカに飲み込まれ咀嚼(そしゃく)されていくのかが見えてくる。
以前、日本館を訪れる小・中学校は通常春休み前に集中していた。しかし最近ではほぼ年間を通してやってくる。この課外授業は朝10時から2時間行なわれ、この時間に合わせて日本文化紹介デモンストレーションなどをしてくれるスタッフが、会社や学校から抜けてきて手伝ってくれる。訪問希望校は多いのだが、時間、場所、スタッフにも限りがある為、原則として50名以上の学校しか受け入れる事が出来ない状況である。今年はすでに1000人を越えており(年間2000人を越える)盛大ではあるが、最近理解しがたい現実にぶつかっている。それは日本、韓国、中国などを混同して「一つのアジア国」と考えている子供たち(残念な事に教師すら)も多く、日本紹介の専門的な資料や映像も無く、限られた情報での日本紹介は楽では無くなってきている。以前のように茶道や書道をデモンストレーションすると、すんなりと感動はしてくれ興味は持ってくれるが、その源を縦線で結ばれる事が非常に多くなった。とくに書道で書く文字などは「チャイニーズカルチャー」と捉えられてしまう。すでに日本の文化の源は中国、韓国などであると教育されているとしか思えない。これは日本にとって重大な流れの変化である。
日本政府出先機関は文化広報部門を置いて独自の活動をしているようだが、通常のアメリカ市民の生活からはかけ離れた能や前衛舞踏公演などに、毎度おなじみの人々を招待し、場合によっては終演後のデナーで「おもてなし」をしても「やらないよりは良い」程度の事である。握手を求め、大げさに「ワンダフル」とか「とてもエンジョイした」とかの表現は米国人としては通常の挨拶程度であり、これをもって盛況であったとの解釈は、日本人が「近くに来られましたらぜひ私の家に寄って下さい」という程度と考えなくてはならない。「何よりも外交上の人脈発掘と維持」というのであればもっと互いに理解できる文化事業は幾らでもある。
また、大学などで日本文化の講演等を行なうのは大変有意義な事ではあるが、米国主導となる義務教育時の公立の小・中学校基礎教育に積極的にコラボレーションする事が疎かになっている。
日本政府がスポンサーとなっての様々な人材交流、つまり「将来の架け橋」との思惑を持って、米国人の優秀な方々を日本に送っても、優秀なアメリカ人がゆえに日本に執着する事無く比較文化経験と捉える傾向にある。経験はその方々個々のキャリアアップとはなっているが、大衆性からは大きく掛け離れている。日本政府機関が顎足(あごあし)つきの日本体験滞在を用意してくれるのだから、それは誰でも興味と時間、将来の目論みでも有れば当然応募するであろう。それ自体で「日本文化紹介成る」とは早合点もよい所、いま米国人のアジア志向は残念ながら中国、韓国である。日本の金で育てた葱を背負った鴨が中国や韓国などの他国企業に歓迎されている例は実に多い。これはJICA派遣帰国後に消えてしまう日本の若者たちの様でもある。
アニメやコスプレで米国の子供たちの日本に対する興味を引こうとの思惑から政府も梃入れしているが、先に述べた、過去におけるブルースリー映画が火をつけた日本の武道(すでに武道は名ばかりの格闘技でしかないが)ブームは、必ずしも自らは行なわなくとも日本武道を取り入れたゲームやアニメ、漫画などバーチャルリアリティーによる「痛みや苦しさ悲惨さ」を自らの身体では感ずることなく仮想敵に対する英雄的正義感を持って殴り蹴り、切り付け、首を刎ねる「娯楽」でしかなくなったのが現在の一般大衆における武道感である。結局、投げ飛ばされた人物を笑いながら手を叩いて喜ぶ米国の子供たちを仕込んでしまった。野放し状態のアニメ、コスプレブームに便乗して、日本を認識させようとは少々幼稚ではないか。もっとも、梃入れ役の国会の先生方までがアニメの様な乱闘シーンをお茶の間に生中継してくれているのだから仕方がないのだが。
どうも日本人は米国人が寿司や日本産の高級牛肉を喜んで食べると「親日で日本に対する理解がある」と考えてしまう。単純なところでは箸を上手に使う人、納豆を食べる人のことまで「親日」として拡大解釈飛躍して考える傾向にある。現在におけるアニメ、漫画、コスプレなども同様と考えてよい。単純に経済効果のみに酔いしれているうちに大切な日本の文化の足元が消え去る事になってしまうような気がする。「アニメ、漫画、コスプレに興味を持ってもらう事」は日本に取って経済効果の一つであるが、すでに日本の専売特許物ではない。
日本館の初期、カルチャーセンターの頃は定員をはるかにオーバーする米国人が日本語を習い、クラスの数も多く、常時100人余りが受講していた。
受講者の多くは日本旅行などを計画していたり、日本企業への就職などに深い関心を持っていた。その頃は年に2回の日本旅行を行ない、15人の定員が欠ける事も無く5年ほど続いた。「日本ブーム」最高潮の頃であった。
しかし日本語クラスは15年ほど前から衰退し10年ほど前からはクラスを開いていない。しかし其の当時から続く日本館の合気道のクラスでは大人だけで2万5000人以上の初心者指導実績があり米国人の日本に対する興味の移り変わりが判断できる。最近では多くの生徒から中国で就職したいがとか、中国語は何処で習うのか、などと質問される。古い生徒にも実際に就職で渡った者もいる。子供が中国語を勉強している、中国に旅行に行って来たなどの話が頻繁に入ってくる。韓国に関しても同様である。日本に関しての質問や希望は以前に比べ「激減した」の一言である。
日本の報道では「海外からの観光訪日者が大幅増加」と政府発表を記事にしているが、この増加数から隣国の訪問者を引いた数、あるいは他国からの訪日者の帰国後の感想などの記事も必要であり官製報道の感がある。「何処もかしこも中国からの観光客で我々の歓待は感じられなかった」とは最近帰国した米国人夫婦の感想。爆買い観光客ばかりに注目して、日本を楽しもう学ぼうとした人たちに目が向かないとしたら残念である。
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さて子供たちである。日本館スタッフの学校訪問や、現在の様に学校が日本館を訪問するシステムを始めて37年余になるが、過去にも現在も日本政府出先機関の影響力と言うのは全くそれらの学校からは感じられないと言うのが本音である。日系の生徒数が中国や韓国に比べはるかに少ない学校区では韓国、中国の文化を入り口として日本文化を学びだしている傾向が見受けられる事は「仕方がないこと」ではあるが残念でもある。しかし実に多くの米国の子供たちが日本文化を学ぼうとしている事実は存在している。この事実を見過ごす事無く、臨機応変に対応する事が大切と思う。
アニメ、コスプレよりも学校教育の場での文化紹介がはるかに正等である。日本政府出先機関の文化広報担当者には「実感のある積極的な活動」を期待するものである。
素人集団である我々がこのような事を実践している事に対し「日本文化を安売りしている」との理屈に合わない批判を受けた事すらある。広報用資料や補助教材もない素人の我々が手探りでさえ出来る事を、なぜ公的機関の専門家たちが出来ないのか、それとも米国庶民の子供たちなどには興味が無く、洋行役人として鹿鳴館時代に酔いしれているのだろうか。いずれにせよ、政府出先機関ご用達の人間ばかりで「無難にこなす」体質が、足に纏わりつく他国からの難題を避けようとする大きな原因であると思う。
米国内での日本に対する近隣諸国からの理解しがたい要求、とくに教科書の編纂やユネスコ登録など、近隣諸国の方々が一体となって積極的な広報活動やロビー活動を繰り返しているとき、日本政府出先機関が興味のある一部の者にしか理解できない能や前衛舞踏などで時を浪費し、贅沢な日本食で見栄を張っても「多勢に無勢」である。正義よりも数が通る状況のなか「3年過ごせばさようなら」の鹿鳴館外交では米国の大衆をつなぎとめる事は出来ないであろう。
米国東海岸に続き西海岸サンフランシスコ市のチャイナタウンにも慰安婦像が置かれる事が決まり、同じくサンフランシスコ学校区の歴史教科書にも極めて疑問の多い慰安婦に関する内容が載っている教科書が採用される事になった。近隣諸国の草の根活動は国家同士の官民一体となって総力を発揮している。しかし残念な事に、現場からの危機感を感じ取り対処改善しようとする姿は日本の公的機関には感じられない。これでは様々な面で韓国や中国に遅れをとってしまうのも当然である。正に「蟻とキリギリス」の例えである。
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最後になるが、最近、気になる情報が寄せられた。確認したところ事実であったので掲載する。内容も呆れるが、劣化した管理体制にも驚かされる。
(補記ーーこの記事「日本文化は中国、韓国を源とする」がアップされた11月1日から9日後の11月10日に在デンバー日本国総領事館のHPより「不適切表現」の部分は削除された。
指摘部分を素早く削除(抹消)したが、少なくとも本年3月以降9ヶ月間の不手際が抹消されるわけではない。削除前の文章は次のとおりである。)
在デンバー日本国総領事館のHP欄コロラド州事情「治安情勢の犯罪統計の補足」として
注:強姦の定義は、2012年までは被害者女性の意に反し強要された性行為であったが、2013年より被害者の同意のない広範囲なもの(多少であれ、陰部に身体の一部や器具が挿入されたり、口腔に性器が挿入されたりしたら、性行為とみなされる)に変更された。
11月10日まで掲載されていた内容
2013年以後に強姦が増加した補足のつもりであろうが、法律学者や犯罪学専門の報告書ならまだしも、一般の青少年も含めた日本人向けの政府広報でこれだけ「念密」に表現して米国の強姦の定義を説明する必要はあるだろうか。理由はともあれ強姦が増加したのは事実であり、あえて注釈をつける必要もなく、低俗なゴシップ記事ならともかく、日本の大手新聞や公共放送では許されない表現ではないのか。推測の域を出ないが、米国人館員がFBIの資料をそのまま日本語に訳し、監督すべき日本人担当領事が見過ごしているとしか思えない。これほどの詳細な強姦の定義を掲載する事は「これ以外なら」と捉える事もでき女性軽視ではないのか。日本の国難多き時に、米国の強姦の定義にこだわっている時間が有ったら、足元で起きている自国の問題に時間を割くべきである。
情報が瞬時にあらゆる階層の人々に平等に流れる今日、無難な足踏みしているうちに、日本はドンドン置き去りにされる事であろう。広報活動は積極性と敏捷性が求められる。それが出来ないのであれば高額な税金を使って椅子を暖めている必要も無い。「日本文化は中国、韓国を源とする」と大手を振ってまかり通るまで、キリギリスの宴は続くのだろうか。むしろ現在の日本の置かれた現状は他国の無謀な横槍、中傷が原因ではなく、日本側の無防備さにその原因があるのではないか。
平成27年10月22日
亜範日本館
館長 本間学 記
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