館長コラム◆◆  

バンコク行きの機上にて
 

入国管理官に「貴方は飛行機の中で生活してるのか」と冗談を言われるほど旅の多い私ですが、最近は驚くほど元気な方々と同乗する機会が多くなり、迷惑この上ない空の旅を幾度も体験するようになった。国名は出しませんが出国カウンターで大声で話しながら並んでいる集団がいたら密かに覚悟をしなければなりません。今日のフライトでも「ご一緒」の様なので、この元気な集団とのこれまでの経験を書いて時間潰しする事にしました。
 この集団は、背負ったバックや肩に掛けた大きな袋が通路側席の人を直撃しても全く無関心で機内になだれ込み、すでに収納されていた座席上の荷物に「誰だ俺のスペースに入れた奴は」と怒鳴って他人の荷物を通路に投げ出し、座席が指定されているのに強引に家族で他人の座席を占拠するし、遠い座席間で大声で会話をし、前の乗客のリクライニングが倒れた事が気に喰わず蹴り返し、ゲホゲホ激しい咳の挙句通路に痰を吐き、到着間際に座席の上で電気剃刀を使ったり、後ろの人など気にせずに長い髪をすいたり、歯を磨きながら通路を歩たりなどなど事例は数え切れません。ここ数年益々ひどくなり、これでは客室乗務員の接客態度が何となく粗雑になっても文句は言えない状態といえます。正にモラルの欠片もない『傍若無人』そのものの行列で、一番の迷惑は個人で旅行している私までが同一視される事です。こういった体験はアジア圏を飛ぶ航空便が圧倒的に多く、最近では驚かされる事にすら慣れてしまっています。到着までは途中下車も出来ない機内は閉ざされた空間、こういった状況下で5−6時間同乗する空の旅は「快適な空のたびをお楽しみ下さい」というアナウンスさえ皮肉に聞こえてしまうのです。
 米国内線でもこんな事がありました。余り米国内を移動しない私ですが、久し振りにフィラデルフィア行きの飛行機に乗りました。座席もだいぶ埋まった頃アジア系の若い女性が大きな荷物を引いて入ってきました。いかにも重そうな荷物は背丈の低い彼女では座席上の荷物入れには納めれないと判断した私が揚げてやりました。苦労して場所を作りやっと納め振り返ると彼女は座席で携帯を取り出して何か打ち込んでいました。願われてやったわけでもないのですがサンキュウの一言も無いのです。彼女は通路を隔てた真ん中の席、通路側には中年の白人女性が座っていました。やがて彼女とこの中年女性のおしゃべりが始りました。なんとそれは飛行機が飛び立つ前から着陸までの3時間半余り続いたのです。何処の国の出身で、米国には何をしに来て、何処に行くのかで始り、米国の人種差別や紛争地域での覇権主義、民主主義の弱点などのレクチャーが始ったのです。やがてまだ1949年自国が正式に建国される以前の歴史に始まり、いつの間にか日本との過去の歴史に飛び火し、第二次大戦中の日本の行為から始まり現在の日本の醜悪さ、不法に奪っていると主張する島の話など、坂道でボールを転がしたように話続けました。聞き手役の中年女性といえば彼女の話に合わせるように返事をしたり質問したり感心するほど聞き上手。飛行機は早朝便であり一時間もすれば多くの乗客の多くは居眠りを始めるなかで彼女の甲高い声は止まなかった。日本人である私のすぐ傍で20才にも満たないと思われる若い女性が平然と他国の人に明白な根拠も無い日本の悪口を話しているのには耐え難い怒りを感じ不快も頂点に達したとき、思い出した事がありました。トルコのアンカラの古城に行くといつも子供が寄ってきて古城の歴史を語り始めるのです。小使い稼ぎのガイドなのですがトルコ人の門下生に言わせると驚くほどの情報量だといいます。ところが途中で別の質問をすると答える事が出来ないばかりか、また始めからスタートしなければさっきまで説明していた部分に戻れないと云うのです。つまり知識として裏付けがあって解説しているのではなく機械的に暗記しているだけとの事。バングラデッシュのイスラム教の男児孤児院でも同じような事を目撃した時があります。4―5歳の子供が壁の机に正座して身体を前後に揺すりながら一心にコーランを読んでいるのですが、毎日10時間以上それを繰り返し、半年もすると殆ど暗記してしまうと言うのです。
 機内で席が一緒となったこの若い女性、日本とは隣国にあたる国の出身でデンバーで語学研修を終えペンシルベニア大学の留学生としてフィラデルフィアに行くと言うのですからそれなりの教養も身につけてはいるのだろうが、実証の伴わない一方的な教育で身につけた知識をなんら抵抗もなく、そして周囲を気使う事も無く淡々と披露する彼女の行動にトルコの子供やイスラム教の孤児たちを重ね、私は不思議な哀れみと洗脳教育の恐ろしさを感じました。
 やがて着陸し隣の女性が立ち上がったとき私は訪ねました。「大変でしたね」と。すると彼女「とてもよい勉強になった、とても彼女の国が好きになった。貴方もそうでしょ」と皮肉たっぷりにスマイルして何も無かったかのように出口に進んで行ってしまったのです。そして振り向くと「貴方が納めたのだから」とでも云いたそうに私を見つめる彼女、仕方なく重いバックを降ろしてやったのですがサンキュウの言葉はやはりありませんでした。恐らく今迄彼女が散々悪く云っていた日本国の人間である事など全く気がついていないようでした。国の一人っ子政策のなか裕福な家庭に育ち充分な教育も受けたのでしょうが、どう見てもオジさんとしか見えない私が重い荷物を取り扱っても一言もない道徳感に彼女の出身国の日本やアジアに対する最近の尊大な行動を見る思いがしたのです。
 米国は民主主義の国であり、これから学ぼうとする名門大学で、多くの優秀な学生たちとの生活の中からモラルや常識と言うものを学んでくれる事を祈るだけでした。聞き役であった中年の女性が残した「とても彼女の国が好きになったーー」とは私のような短気な年寄りより数倍上手の知識人の結論であったのかも知れません。    
 通路を歩いていると、飛行機から降りて手を引かれて歩いていた子供がジャケットを落としてそのまま行ってしまいました。拾って手渡した子供は無言で受け取るとすかさず母親と思われる白人女性がその子供に「なんて言うの?」と語りかけました。恥ずかしがっている子供は小さな声で「サンキュウ」、母親も大きなスマイルでサンキュウと返してくれた。機内での若い娘の無礼な行為は全て吹き飛んでしまいました。
 「サンキュウ」の一言は人間の信頼関係を築き感謝に満ちた生活の潤滑油として神が人々に与えた言葉であり、いかに財力を持ち地位を得ても感謝の言葉の無い人間に神の恩恵と繁栄は与えられるとは思えない。「衣食足りて礼節を知る」の言葉は彼女の生まれた大陸で紀元前に生まれた諺である。経済が発展し豊な生活が可能となっても礼節を悟れない国の人々。金満家は我が物顔に振る舞い、一人っ子政策で育った子供は、米国のホームレスさえ云う言葉「サンキュウ」も云えないのです。
      
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 さて、此処で一息つかなくてはならない。これではただの批判文でしかない。舵を大きく切って考えなくてはならない事がある。「我々日本人はこの国の人たちを批判できるであろうか」である。かって日本がバブル景気のころ、エコノミックアニマルやセックスアニマルなどとの日本人に対する言葉が飛び交い、世界中に日本人が溢れていた。海外観光地の路地を曲がると日本人集団に進行を妨げられることすらあった。旗を持ったガイドが大声を上げて叫び、日本語看板が乱立し、お土産売り場の売り子たちは日本語で客寄せし、お土産を買いまくり、トイレに押しかけ、男子トイレからおばハンが出てくる。他の人には目もくれず割り込んで写真を取り、フィリピンやタイでは現地女性目的の男たちが甚平姿で大挙して押しかけ、少女のような娼婦を連れまわしては金をばら撒いていた。いや現在でもマニラの飛行場では入国審査を出ると直ぐに空港職員などから「社長さんフィリピンの奥さん欲しい?」「ガールフレンドは」と幾度も声をかけられる。この定着した日本人に対する先入観は誰が作ったのか。
 バブルの頃、日本航空のキャビンクルーであった門下生が日本から飛ぶ路線でアジア路線と北米路線では子供連れの日本人家族の状態が全く違うと話していたときがあった。家族によって違うであろうがと前置きして「駐在転勤と思われる家族はアジア路線では子供が通路を走りまわり、大声で騒いでも親は気休め程度は嗜めるが、一般的には放任したまま、我々、クルーも引いてしまい注意できなかった。しかし北米路線では子供が騒ぎまわると直ぐに親が注意し、その親までが恐縮している。この両サイドを知る事の出来た我々は日本人の隠された二面性みたいなものを感じた」と話したときがあった。同じくこの頃、日本国内でも海外に於ける日本人のマナーが取沙汰され、新聞やテレビで話題となり随分と変化はあったがそのスピードは実に遅かった。
 バブル華やかな頃、アジアの国々の人は日本人の行動をどう見ていたのか。恐らく現在私たちが感じるのと同じ思いであったと思う。あるいは現在のこういった人々の行為は単純に、金ぴかの日本人が当時アジアで行った行為を「金満の象徴」として「パクッテ」いるだけなのかもしれない。昨今、日本と隣国が過去の歴史、とくに戦時中の歴史認識について様々な摩擦を起こしているが、政治的決着済みと声高に訴えても、国民的悪印象が一度定着したらその回復は容易ではない。

 フィラデルフィア行きの機内で話し続けた若い女性の言葉を冷静に考えれば、2−3世代受け継がれた日本に対する思いが基本になっている。自国が行なっている、領土や領海の拡張政策がアジアの国々の不安材料になっている事などまったく出てこなかった。そういえば両親が教育者である家庭に生まれ日本で7年間勉強したベトナム人と話したときがあるが、ソンミ村虐殺や米国側に参戦したある国の虐殺行為や強姦などによる孤児問題などに関しては一切学校教育の場では伝えられる事は無いとの事だった。学校やその場で使われる教科書などが国民統制の手段であるばかりか、自国の片寄った認識を他国の教科書へ浸透させようとしたり、自国の過ちを他国の教育現場から抹消したりする行為が現実に起きている事は実に恐ろしい事である。

 さてまもなく、タイ、バンコクに到着する。これで制限時間一杯。書ききれない事は沢山あるがこの次にする。まもなく着陸というのに後方の座席では飲みすぎたのか賑やかなグループの声が聞こえる。やばい、日本語じゃネーか。オワリ。                               


                       2015年3月25日
                          亜範日本館
                          館長 本間学
                      

 


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