遠当てのコラムを先に書いて懐かしい事を思い出した。1967年にミノルフォンレコードの十和田みどりが歌った「花の合気道」という曲の事である。私の手元に1966年のデビュー曲、「喧嘩街道」というレコードがあるが「花の合気道」はその翌年の秋頃発売されている。1978年ころまで新曲を出していたがその後は聞かなくなった。その後、別の歌手が歌ったと聞いているが詳細は不明である。芸名が秋田と青森の県境にある国立公園十和田湖に由来があり、当時は秋田の二ツ井町の出身になっていたと思ったが石川県金沢の出身と云う人もいる。いずれ芸能人の事、プロモーションする上で様々な事情があったのだろう。
合気会推薦とジャケットに明記してある「花の合気道」のデビュー公演は秋田市の千秋公園中土橋近くの秋田県民会館で行われた。満席の盛況であったと記憶している。といっても十和田みどりは前座、なんと云ってもその頃は「こまっちゃうな」や「夢見る私」の山本リンダの集客力であった。千昌夫が「北国の春」で評判になるのはこのあとの事。「星影のワルツ」もやっと好調になってきた頃であったと思うがリンダの個室と違い彼の楽屋はイマイチ舞台裏の大部屋であった。リハーサルの合間に十和田みどりに打ちかかるために用意した木剣で戯れた思い出がある。いまや大歌手となった千昌夫、テレビで見るたびに彼の気さくな性格と舞台裏で先輩歌手たちの世話を機敏にしていた事を今でも覚えている。
さて十和田みどりの話に戻ろう。私は彼女の歌う「花の合気道」の二番終了の僅か30−40秒の間に舞台中央の彼女にカラミで数度の受けを身を取った経験を持つ。私にとっては実に長い30秒の思い出である。
元衆議院議員の佐藤敬夫氏(現、佐藤敬夫総合研究所 主催)が地元秋田の青年会議所や地方TVのお偉いさんであったため、「十和田みどり、秋田に縁あり」という事で彼女の後援が決まったらしい。秋田出身である私にも人を通じて「受身を取れば一日千円が貰える」という事で声が掛かった。佐藤氏が秋田の楢山で営んでいた金照閣という温泉旅館の日本間で30秒ほどカラミの稽古を数時間行なった。小柄でとても綺麗な手をしていて「ワー歌手さんだなー」と感激したものである。さて困った、彼女は合気道は全くの素人。半身も構えも全く決まらない。私ともう一人の二人でカラムのであるが、素人が大観衆の前で二人を投げ飛ばす事など所詮無理である。幾度も二人で模範を見せてもどうにも様にならない。傍にいたスタッフから幾度も声が掛かった。最近この公演のプログラムを実家で見つけた。千昌夫のサインがありそのサインの隅のほうにそのとき十和田みどりに打ち込んだ技の順番がメモされていた。突き小手返し、正面打ち入り身投げ(表)両肩取り呼吸投げ、両手取り呼吸投げ(表、裏)各二回とある。呼吸投げは腰の決まらない人にはみっともない技である。後ろが楽団、なるべく舞台の左右だけに受身を取ってくれとも注文された。
さて翌日の本番、夕方からの公演であったが、早朝から会場入りをした。リハーサルが始まって驚いた。舞台は狭く、マイクや照明などの太いコードがあり彼女と言えば小学生のブラスバンド指揮者のようにギコチなく手を動かすだけ。30秒余りの間奏の間に技を入れるためには彼女自体が積極的に動いてもらわなくてはならないのだが期待は出来なかった。コードの痛みに耐えながら幾度も板の上で受身を取った。まさに山本リンダの「こまっちゃうな」である。出番はたったの30秒、本番までの時間は7、8時間。ただひたすら舞台裏での待機。本番数時間前になってフワフワの毛で包まれたリンダ穣がお付の人々と「お早うございます」と云って楽屋入りをした。千昌夫が飛び上がって挨拶してしまうほど迫力があり舞台裏に緊張が走った。
さて本番数分前、楽屋から出てきた十和田みどりに唖然とした。稽古着袴は良いとしても、手に持っているのはなんと男物の高下駄ではないか。素足で動いても決まらない動き、しかもコードだらけの床の上で高下駄。「無理だよ、危ないよ」などと考えているうちに、会場では司会の挨拶が始まり、そこは歌手、彼女は高下駄を履き、前奏に合わせて悠々と舞台に出て行ってしまったのである。あっという間に2曲目が終わり身構えた。「え!!高下駄脱がないの?ウソ?しかし動きは止められない。足を捻って倒れられたりしたら大変。無我夢中で彼女の手の動きに従って成るべく彼女に触れないように可能な限りの大げさな受身を取った。板の痛み、コードの痛みなど一切感じず3曲目が始った頃は拍手のみが聞こえて袖に下がっていた。おそらく、今であれば「脅威の遠投げ、十和田みどりの呼吸力」など言う触込みで、ネット上を賑わし話題の歌手になっていたに疑いない。
雑音だらけになっても繰り返し聞いた「花の合気道」。ヒットこそしなかったものの歌詞内容は合気道を志している者には大きな影響を与えたと思う。30秒の受身は合気道しか頭に無く、世間の事など何もわからなかった私にとっては合気道にのめり込むに充分な刺激であり、人生を大きく左右した30秒であった。懐かしい思い出である。
合気会推薦のこの曲。現在多くの合気道家がカラオケはもちろん演武会や講習会などで歌い踊っているようであるが果たしてこの歌詞の道を歩んでいるだろうか。指導者でありながら「小学生のブラスバンド指揮者」が余りにも多いのではないだろうか。時代と共に合気道を多方面からとらえ稽古する事は悪い事ではないと思うが開祖の衣を羽織っているだけの指導者をシッカリと見極めない限り開祖の合気道はどこかに飛んでしまうような気がする。
余談だが、裏面の大文字伸が歌った「男の魂」も歌詞がよく、実はどちらかと言うとこちらのほうが私は好きで、米国暮らしで苦しいときなど良く唸ったものである。紅葉し始めたデンバー日本館総本部の日本庭園、古い機械でシングルを回しザーと聞こえる雑音に過ぎた昔を思う秋の夜である。
(文章中、敬称を省略しました。)
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花の合気道
作詩 幸田栄
作曲 越純平
歌 十和田みどり
ミノルフォンレコードより
一、合気の道は一筋に 己を磨く為にある
人の為なら身を捨てる 強い覚悟が和を招く
二、正義に薄い今の世は 我慢のならぬ事ばかり
ここに合気の真髄で 破れ時代のよこしまを
三、流れる水はただ清く 転がる石に草はない
これぞ合気と知るまでは 汗の試練を積むがよい
四、一たび内に備えれば 外には全て憂いなし
技と心の一体を こめた演武に花が咲く
男の魂
作詞 幸田栄
作曲 越純平
歌 大文字伸
ミノルフォンレコードより
一、自分に自分が勝ちたけりゃ 死にものぐるいで 稽古しな
奥は深いぞ 合気の道は やってみなけりゃ 分るまい
やってみなけりゃ 分るまい
二、男と男の つながりは 顔ではないのさ 心だぜ
俺とお前は 同じ仲間 尽す誠が 胸にしむ
尽くす誠が 胸にしむ
三、つらい苦しい 修業だが 涙が落ちても 泣くじゃない
悔しかったら 気合いをこめて 富士を片手で 持ちあげろ
富士を片手で 持ち上げろ
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