館長コラム◆◆  

■ナビの無い旅
合気エキスポ03に参加させて頂きました。いろんな事を考えるとても良い機会でした。とくに演武会で披露された他武道の洗練された技術は私にとって大きな感動であり、合気道家にとって見習わなければ成らない多くの事を学びました。参加された武道家の皆様に感謝申し上げます。どうぞ皆様、デンバーに来られた時は気軽に日本館に立ち寄って下さい。歓迎いたします。

さて改まって原稿を書こうとすると決まって何かがあるもので、店の方でなにやら騒がしいのです。従業員は興奮して「ハリウッドスターが来ている」と云うのです。そう云えば今夜40人のパーティーがある事は知っていましたがそんなグループなどとは知りませんでした。ジョーズやアメリカングラフィティーなど多くの映画に出演しているリチャード・ドライフス氏一行なのでした。なんでもシルバーシティーと云う映画のロケでデンバーに滞在しているのだそうです。映画にはまったく興味の無い私ですが店の主人としてテーブルに挨拶に伺いました。決まり文句の挨拶をすると彼は立ち上がって握手を求め、丁寧に今夜のサービスに感謝してくれました。私はオフィスに戻ってから少し考え込んでしまいました。

たった今挨拶を交わしたハリウッドスターは本物だったか、つまり演技でない本物の挨拶をしてくれたのか? もし演技であったら随分高価な演技料を払わなければなりません。もちろん彼が私に演技をしても仕方が無いのですから当然本物でしょうが、我々指導者と云うのはこうした些細な事を真剣に考える事があるものです。長い間「武道の先生という生活」をしている私にとってどの辺に自分は存在しているのか、本物の自分で生きているのか、「先生」に包まれて生きているのではないか?など、道場も大きくなり生徒数も増えると「先生稼業」に追われ自分自身を見失っている自分と鉢合わせする時があるものです。

ロッキーの山の色も最高潮になっているとの連絡があって、デンバーから5時間ばかり南西のロッキー山中の町、テルヨライドという町に行ってきました。

テルヨライドの町


紅葉のロッキー
「高級リゾート」と呼ばれる町です。景色は紅葉真っ盛り、といってもロッキーは黄色一色、5時間のドライブも其の美しさに退屈する事無く過ぎてしまいました。その町には「山道場」と云うリック・トンプソン君がやっている小さな合気道グループがあります。リック君は私のアシスタントとしてブラジル、メキシコなど海外にも同行している日本館の門下生ですが彼の町を訪問するのは初めてでした。彼は大学で合気道を始め卒業と同時に12年前にこの町に移ってきました。でも合気道の為ではありません。スキーの為です。英語で「スキーバム」、つまり「スキー乞食」になる為です。好きなスキーをやる為に乞食生活も辞さないという大決心の言葉です。その彼が「見せたいところが在る」と言って私を路地裏のビルの間に案内してくれました。そこには立ち入り禁止のサインとフェンスに囲まれた一軒の小さな小屋がありました。すでに閉鎖されている小屋のドアーの上には古いスキーが飾られたままでした。彼は照れながらここに3年間住んだというのです。億単位の別荘や自家用ジェットでわざわざやって来る人が珍しくないこの町のイメージには程遠い彼の旧宅でした。小さいながらこの小屋は築100年以上の文化財、解体もされず残っているのです。日中にスキーが出来るというので、すぐ近くのパン屋で早朝の仕事を3年やって食いつないだと言います。さらにデンバーに5年住んで家具製作の修行をしました、合気道も忘れる事が出来ず日本館に稽古に通いました。彼が日本に行って稽古したいというので彼の人柄を知る私は喜んで紹介状も書きました。私の期待通り立派に日本滞在を終え帰国しました。また幾度か日本館に長期滞在し内弟子修行もしました。その間、結婚や別れもあったようですがこう云った事は人生スパイスとして成長の糧としたようです。町に戻った彼はもう少し大きな古い小屋に住み、裏山の廃坑となった坑道を仕切って作業場を構え、注文家具の製作や伝統内装の仕事をしています。この山の奥にはオペラやトムクルーズの別荘があると胸を張って指差す彼自身の生活は相変わらす質素なものです。

リック君の最初の小屋

彼の自宅横で


坑道内の作業場
合気道の方は、と云うと場所を移りながらも門下生4名を持つ"先生"です。ダンボールに無造作に書いたAIKIDOのサインが窓に吊るされ週3回稽古しています。

仲間達と

観光地のこの町では定住者よりシーズンによって移動する人が多く生徒も定着しないのです。私はこの町に2晩滞在し稽古もしました。なぜかたった5人の仲間でも大変充実した稽古が出来ました。そういえば私も仲間3、4人と始めたのが現在の始まりでした。リック君の道場での稽古がとても新鮮に感じたのその頃の頑張りと空腹と孤独感にタイムスリップしたためかもしれません。とても懐かしく想いだされたのです。

「合気道が好きだから仲間と稽古をする」本当はこの程度のあたりに最も純粋な合気道が存在するのではないのか。闘志むき出しで勝敗を争うテニスよりも友達とテニスを楽しむ程度のようにーーーなどと朝から晩まで合気道に浸りきっている自分自身を考えるわけです。

彼を指導する先生は傍にはいません。しかし彼の技術は確実に伸びています。決してビデオやDVDでの写し取りの技ではありません。そういった技はすぐに私に見抜かれてしまいます。与えられる機会が少ないからこそ大切にする、丁寧に稽古する、つまりは反復稽古の繰り返しにより基本がしっかり身に着くからと思うのです。なんでも自由に買い物の出来る都会のスーパーと違い田舎町の商店では品揃えも少なく限られたもので工夫する事を考えなくては成りません。その「限られたもので工夫する事」が修行の原点のように考えるのです。「限られた」の後に色々な言葉を入れたとき益々それは明確になります。

さて私達を取り巻く修行環境はどうでしょうか?。今やお金さえ出せば道場に行っても言葉も交せないほどの距離にある師範が一瞬にして目の前のモニターに飛び出し、惜しげもなく其の技、哲学をさらけ出します。アメリカでは映画やTVの番組に年齢に合ったグレードが明記される州があります。此れは子供達を守る為です。見せたくない番組を止めるシステムもあります。有名な画家ノーマン・ロックウエルの絵に、両親の部屋にサンタクロースの衣装一式を見つけて戸惑っている子供を描いたものがあります。まさに合気道界はこれに良く似ています。

本来なら自己の努力によって積み上げるべき修行の過程を「全てを公開します」などといとも簡単に商品化することによって薄っぺらな合気道家が速成されている事を指導者は考えるべき時でしょう。いずれこの様な風潮が続けばやがて級や段位の価値を下げ、武道教育としての地位は狭まり組織自体の弱体化も招く事でしょう。目先の収入と自己宣伝の為に「日本武道」を安売りする事は提供側、購入側どちらにも余りいい結果にはならないでしょう。

私は決してビデオが悪い、と言っているのではありません。それを止める事は表現の自由が保障されているアメリカでは不可能な事です。あくまでも指導者(制作販売者)のモラル、そして何よりも稽古者自身が「稽古修行の意義」を理解する事が大切である事は云うまでもありません。ヘリコプターで一気に頂上に行き写真を撮ったところで悪いわけでもありません。しかし自力で頂上を極めて撮った写真とくらべれば、同じ背景の写真でもまったく異なった価値観となります。私達は修行の道程の簡便さばかり求めてはいないだろうか。多いに反省するところです。

東西の道場を巡り歩き、ビデオや指導書を読み漁り、其の身から合気道がこぼれんばかりに納めた人に限って技を見たときガッカリするときがあります。こう云った合気道家を最近は随分みかけます。合気ナビゲーションさえ追っていけば、迷う事無く、考える事無く目的地に到達し、ついには「それは自己の力」とまで錯覚した合気道家です。

しかしナビを消し自分で歩む大修行。ここに本物と偽物の差が滲み出て来る様な気がするのです。リック君の技の上達はロッキー山中の小さな道場、限られた環境のなかで繰り返す基本の稽古にあります。基本がしっかりしているからこそどこの道場に出稽古に行っても充分応用ができるのです。

毎日を合気道で生きる私にとって、小さな合気道グループの訪問は私達を目覚めさせる大切な事を教えてくれます。

ナビの無い旅。鈍いからこそ得るものは遥かに多い旅。私はそこに修行の価値を求めたいと思います。                                     

                         2003年10月記
日本館 館長 本間 学
このコラムは英語版を日本人向けに一部直して掲載しております。

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