ボゴタの入国審査の列が長くカリ行きの最終便に乗り遅れ飛行場で夜を明かす事に。飛行場スタッフは親切でベンチで寝ていた私に毛布をもってきてくれた。暑い国であるけどビルの中は冷え込んでいる。向かいのベンチに薄目を開けて横になっている乞食の女が気になったが私も移動の時はあまり良い格好をしていない。向こうも同じことを考えて寝れないでいたのかもしれない。
朝一番でカリ市へ。 カリの飛行場でコロンビア日系人会館の中田文子館長とカリ日本武道館のホルへシルバ先生が大きな南国の花束で迎えてくれる。
宿泊先は140年余りの歴史ある旧スイス公邸、査証発行業務を現在も行なっているがホテルである。宿泊客の中になぜか家族連れが多いのだがヨーロッパ系夫婦にしては子供の様子がおかしい。聞こえてくる朝食の会話が耳に入った「この子どうかしら」「アノ子もいいと思うけど」養子縁組の体験生活中の人々であった。「これでは仔犬のーー」と大きな?マークが頭の中に浮かんだ。引き取られていく子供の将来の幸せを祈った。
カリ日本武道館の指導の合間にAHAN日本館コロンビアの設立にあたり支援対象として候補に上げてくれた施設などを訪問した。
最初に訪問したのはホルへ先生の生徒でもあるセラピストのアンドレス.ロドリゲス.メラ氏のカデアー財団を訪ねる。そこは低所得の子供たちに無料あるいは安い費用でフェジカルセラピーをしているほか、健全な子供たちとの交流プログラムなども実践している。政府の援助はなく民間の寄付で運営している。「給料は?」の質問に「給料ってなに?」と笑い捨てる。
治療中の皆さんと、 左二人目中田日系会館館長、右端、ホルへ.シルバ先生、本間館長の右メラ氏
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駐車場の小さな管理小屋に彼が治療しているルイス君を訪ねた。スラムで家族と暮らしていたルイス君は体に障害があり車椅子生活であった。一度も治療を受ける事がなかったが皮肉にも母親の病気治療でスラムから家族で市内に出てきた。財団のプログラムで家族が駐車場の管理小屋と仕事を貰い、母親の治療と一緒にルイス君も治療を受け現在は車椅子を必要としない状態まで回復した。「スラムと町とどっちが住み良い?」「それはスラムだよ。仲間がたくさんいるし、ここには仕事も治療もあるから感謝しているけどーーーーー」。やがて仲間ところに帰れる事だろう。
元気になったルイス君
本間館長に抱かれて |
気さくなポリスと遊ぶルイス君
立っているのはメラ氏 |
カリ市内北西に車で10分ほどにあるテロン.コロラド地区、子供たちの集会所に向かう。ホルヘ先生がドライブしながらどこかに電話している。麻薬取引危険地帯のためホルへ先生が登録ナンバーと立ち入り目的を警察に報告しナビゲーション警備をしてもらう。警察が常に車の所在を確認し異常が発生したらすぐに駆けつけてくれるシステム。
ルイス、ダリオの兄弟と本間館長 |
子供たちのホール |
太陽と月財団の入り口
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この地区には合気道の門下生でもある2人の若者が運営する青少年施設「SOLY LUNA太陽と月財団」がある。五年前に民家を借りて始めたというこの施設は狭い階段を上がって20畳ほどの部屋を中心に5つほどの小さな部屋。31歳の弟ルイスさんがデレクターをし34歳の兄ダリオさんが手伝っている。常時30人ほどの子供が集まり、知的障害のある子供などもここで一日を過ごす。市から僅かな資金援助を受けているが昨年の12月から届いていないという。月150ドルの家賃の支払いも難しく家主から転居を迫られているという。食費は一人一日2ドル、食材のほとんどは賞味期限の切れた寄付品を使う。集まる子供のほかに昼には近所の子供たちも食事にやってくる。不自由な状況の中で二人の青年リーダーと子供たちの笑顔がとても素晴らしいものに見えた。
子供たちと |
子供たちの話を聞く本間館長 |
午後五時よりカリ中心から少しはなれたスラムに近い通りにある空手道場「清水道場」へ。ここでは10人ばかりの低所得者の子供にリンカーン君がボランテアで剛柔流空手道を指導している。ホルへ先生の合気道の門下生でもある。リンカーン君は同じビルにあるジムのトレーナーで生計を立てている。子供たちの腕前はなかなかのもの。狭い道場ながらも若い指導者の熱意が道場にあふれていた。
元気な子供たちと、左の黒帯、リンカーン先生
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稽古中の子供たち
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翌日朝10時、合気道の門下生でもあるマリオ.パロミノ氏が日系会館に迎えに来てくれた。サンタエレナ地区にあるディギニテーアンドライフ財団を訪問するためである。ラジオ司会者のマリオ氏の妻ジュリエッタさんがこの財団を立ち上げ現在マリオ氏がデレクターを努める。彼がオートバイの事故を起こして死の境目から戻ったとき人生の価値観のようなものを感じ活動に深く関わる事になったという。コンピューター関係の仕事をしながら先頭にたって活躍している。
サンタアナ地区の入り口
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雑貨や食料を届けて
中央、設立者のジュリエットさんデレクターのマリオさん
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高級住宅街を抜け舗装が急に切れ5分ばかりの所に集落があった。そこは市の所有の土地であるが自由に採石ができるためスラムの人々の砕石場となっている。四人が一組となり主に建築ブロックやタイルを切り出している。一日の生産は25ドル程度8時間働いても7ドルにも満たない。240余りの家族が生活し一家に7−8人の子供がいる。マリオ氏は集落の入り口に竹小屋を立て毎日150人余りの子供に昼食(土と日は朝と昼)提供して5年になる。学校に行っていない子供たちのため食後に勉強を教え、また家族の相談も受けている。
サンタアナ地区前にて
本間館長、マリオ、中田さん
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財団の集会所
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食事は豆のスープとライス、飲み物は黒砂糖の水、肉はたまに寄付が有ったときだけ、それもめったにない。豆は一ヶ月150キロ米は300キロ、黒砂糖も飲み物用として必要としている。調理は近所の親たちが交代で奉仕参加して作っている。集落には一週間に一時間だけ飲み水の配給がある。雨水が貴重な生活水である。
ボランテアのおばちゃんたち
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集会所内に吊るされた自転車
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集落の竹小屋集会所の天井に新品の子供自転車が吊るされていた。クリスマスのプレゼントであったこの自転車は、成績が落ちた子供がもらい損ねたものであった。「約束を守らなかった、その約束を守るまではお預けなのさ」マリオ氏はニッコリ笑った。彼がいかに真剣に子供たちの将来を考えているのか理解できた。
山を降りるときマリオ氏は高級住宅街との境目で突然車を止めて私に言った「ここまでは0地域、そしてこの先が6地域。コロンビアは所得に応じて6階級に別れ集落は1以下の0の地域。危険地域に不法に住んでいるとして社会福祉は受けられないのさ」
スラムの直ぐ下はレベル6地域
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水タンクは貴重品 |
この集落の12歳から16歳までの20人ほどがマリオ氏のポンコツバンに乗りこの地域を横切ってカリ日本武道館の合気道教室に通っている。コロンビア日系人会の暖かい理解とホルへ先生と中田館長の努力により実現している。6地域を徒歩で通過し警察官に追い返される事があり山からほとんど降りるときのなかった子供たちは日系会館の水洗トイレに驚き、水とお湯が壁から出てくると驚いたという。
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