さて大祭の朝、びっしりとスーツに決め込んだアリ先生、これまでビデオや人からの話だけであった合気大祭なるものを体験する。実はその日の朝チョッとしたトラブル。それは私が今回館長コラムに掲載した「危ないメッセージ」ご覧戴きたい。
大祭後開かれた「斉藤守弘師範をしのぶ会」二階の道場は人で埋まり、厳かに慰霊祭が行われる。すでに用意されていた豪華な料理が手際よく並べられる。懐かしい守弘師範の様な塾長の声が飛ぶ。「親子だな」とおかしな感心をする。さてその間、アリ先生はなんの違和感を持った様子もなく事の流れを楽しんでいる。彼の人柄もあろうが、それが斉藤守弘師範によって築かれたこの道場の気風なのだと考える。それゆえ、一代で世界中の指導者を育てたのであろう。
斉藤守弘師範を偲ぶ人は多い |
違和感なく寛ぐアリ先生 |
上野までの車中、合気道ジャーナルのスタンレープラ二ン編集長と席を並べる。私が現在資料調査している植芝と軍部、特に特務機関との関係、戦後の進駐軍による取調べ調書などについて意見を交わす。アリ先生と言えば飲めないアルコールと一晩の岩間体験の疲れからか死んだように眠っている。厳格なイスラム教徒の彼にとって岩間での経験をどのように捉えたかは知る由もないが、目を少年の様に輝かせていた事がすべてを語るような気がする。
斉藤塾長、奥様に深く感謝するものである。
京大合気道クラブの皆さんと |
京都大学合気道クラブ前主将の松尾壮昌君は日本館に内弟子経験をされた方で、その明るさとスマートさはアメリカ人門下生たちに好感を与えた。彼にお願いしメンバーの方たちとの交流の場を作っていただく。アリ先生から見たら子供の年齢に当たる若者たちであるが、「日本の若者」としては最適の方々である。
多いに話も弾み、グラスも弾み、アリ先生もその事には少々驚ろいていたが、それ以上に決して崩れない礼儀の正しさにもっと感心していたようである。翌日は昼稽古に参加を許されアリ先生を暖かく迎い入れてくれた。
手前が合気道クラブ、奥では合気道部が稽古している |
実は京大には2つの合気道がある。体育会所属の合気会合気道と斉藤門下寄りの合気道クラブである。しかしながら合気道クラブの筆頭師範は安部醒石師範であり、安部師範は合気会、かっては開祖の書道の師でもある。この二つの合気道は同じ道場で同じ時間に稽古している。互いに挨拶を気軽に交わし、そのどちらかが正面に礼をするときは他のグループも正座して稽古を止める。私が今回館長コラムに掲載した「危ないメッセージ」にあるような問題は存在しない。実に紳士的な日本の将来を担う京大生の姿である。若い方々との元気な稽古にアリ先生も大変喜ぶ。メンバー諸君に厚謝。京都の社寺を巡り高野山へ。
高野山にて |
私が案内する外国人は必ず案内する場所、世界遺跡の高野山である。この御山こそ言語も習慣も異なる者にとって、日本をその体で感じ取れる最もふさわしい場所であると私は考えている。そこには筆舌に尽きる歴史の事実が存在する。数え切れない墓石、そびえる高野杉の中に埋もれたとき、いかなる国の人も感動を覚
えると私は思っている。現に深い霧の中、顔の雫もいとわずアリ先生が佇んでいる姿にはこの御山の霊的な ものすら感じたのである。歩いた一
時間余り、無言でうなずくアリ先生 に私もただうずくだけであった。
宿坊での一夜、手際よく世話をしてくれる修行僧たちに圧倒されるアリ先生。翌朝の勤行でためらう事もなく祈る姿。「アッラーは私にとって絶対の神、私はイスラムの心にあって神仏を祈っている。教えに反しているとは思いません。イスラムは平和を求め、争いを好まないのです」。
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熊谷師範のホームページによれば師範とアリ先生との師弟関係は1980年前半頃からで熊谷師範がトルコとエジプトでの駐在員を兼務していた頃である。熊谷師範は両国あわせて7年ばかり滞在、多くの門下生を育成したトルコ合気道のパイオニアで、アリ先生は熊谷師範の意思を継がれ活躍されている門下生の一人である。
熊谷師範はわざわざ高野山の近くの駅まで迎えに来てくれ、熊谷師範の自宅に泊まり、翌日は名古屋までの新幹線に乗車させるため随分長い時間をかけて新大阪まで送ってくれた。私は水入らずを計らい一足先に、名古屋の丸山修道先生を訪れていた。遠方からの弟子をわが子のように思う心つかい。学ぶものがあった。
響岳太鼓の皆さんと |
昨年のリオデジャネイロに続き、今年の秋はトルコ公演を企画している日本館総本部。きつい日程であったがアリ先生をぜひ紹介したく長野県松川村の道場に向かう。道場では汗だくの練習中。練習後は我々のために宴を開いてくれた。世話人の茅野さんのご自宅に泊めていただく。築300年と知りアリ先生驚く。
飛び入りで太鼓を打つ。 |
子供の稽古を見るアリ先生 |
熱が入る大人の稽古 |
茅野さん宅にて朝食 |
観光舞妓さんにアリ先生もニッコリ |
勿論これだけの訪日ではなかった。一言で言うなら「書き切れない程」の体験をした。私も、そしてアリ先生も。旅も終わりになった頃、もう二人に余計な手話や絵はまったく必要なくなっていた。互いに「察しが付く」様になっていたのである。二人で過ごした不自由な10日間は不自由だからこそ深い理解を互いに求める事ができた。さて今度はメキシコに同行する。
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