館長コラム◆◆  


アリ先生との10日間
 


京都二条城で本間館長とアリ先生


 成田到着  長くかかる事は予想していたが1時間待っても入国審査場から出てこない。荷物を受け取るターンテーブルはもうとっくに止まり人の数も少なくなり係り官に事情を告げる。「旅券を拝見」といって私の旅券を持って審査場に。待つことさらに1時間。ニコニコ笑いながら検査官の後から出てきてやっと再会。入国査証は問題なかったが、日本連絡先である私の実家に確認の電話を入れたら「知りません」との事。実家が連絡先になっていることを伝える事を忘れていた私のミス。普段から実家には「オレ俺詐欺に注意」と云っていた効果でもあるが。検査官「最近不法労働者を運ぶ日本人が多くてね。ご苦労さまです」なぜか「はい」と答える。

合気会本部朝稽古へ


朝稽古後 合気会本部道場で


 日本訪問者の多くは時差ボケから朝5時ごろに目が覚める。それを見込んで合気会本部の朝稽古に参加するため新宿若松町へ。あいも変わらず事務的で無愛想な受付にアリ先生を紹介し稽古許可をもらう。「お早うございます。この方はトルコ合気道協会の指導者で和歌山の熊谷師範のお弟子さんです。朝稽古を受けさせて下さい」「こちらで稽古料を支払ってください。道場は2階です」長旅の慰労の言葉もハローやグッドモーニングの国際共通語の一言もいえない受付。外国人が多くあえて意識しないのでしょうが挨拶は常識である。いまや日本人以外の合気道家がはるかに多い中で大切な事ではないのか。
 
合気道養神館道場訪問稽古


道場前にて

稽古後道場にて

「米国日本館の本間です。トルコの合気道指導者の方に養神館の稽古を体験させたくて参りました」応対された若い方は丁寧に「ご苦労様です。しばらくお待ちくだい」やがて「井上館長は只今留守にしておりますが、遠方からお出でいただいた事でもありこの後の研修生クラスでよかったら稽古して下さい」と中に案内される。前日の合気会の窓口とは大違い。稽古前の若い研修生たちは元気な挨拶と機敏な動きで掃除整頓などの作務を行い、その姿にアリ先生は大いに感動していた。カリキュラムのしっかり組まれている研修生クラスに飛び込み稽古者を認めてくれ、さらには個人稽古にも近い指導配慮をして下さった指導師範の寛容さに大いに感謝する。養神館道場を訪問するたびに開祖のお元気な頃の合気会本部道場の雰囲気を感じる。

岩間訪問


伝統岩間流、胆錬塾


 
伝統岩間流、胆錬塾の斉藤仁弘塾長を訪ねる。相変わらずである。胆錬館道場に入る段を、内弟子の先頭に立って重機を使って石積に変える工事をしていた。その熱気は挨拶どころではなく私とアリ先生はただ立ち尽くすだけであった。それにしても手際が良いのは御尊父守弘師範譲りか。守弘師範は岩間中の庭園にその名を残しておられる。実は日本館総本部の庭も「目を通して置かないと帰られない」といって四股を踏んで手直しをしてくれたものである。


常に先頭にたっての斉藤塾長

内弟子たちとアリ先生

 サーサーと案内され、私は塾長から昼食を戴く、アリ先生はあえて内弟子の中に放り込む。特別待遇をしないほうが彼のために良いのである。布団を運んだり、掃除をしたり20人ほどの世界中からの若い内弟子に混じって結構楽しんでいる。


岩間の先輩から稽古を受ける

 夕方の稽古、混み合う道場でアリ先生ビッシリとやられる。気の毒に思ったが甘くないのだ。私が内弟子たちにシチューでもと考え、彼をスーパーに。彼にとって食料品の買い出しなどは経験のない事らしく何やら微笑みを浮かべている。

各国の内弟子のために夕食を作る

 さて大祭の朝、びっしりとスーツに決め込んだアリ先生、これまでビデオや人からの話だけであった合気大祭なるものを体験する。実はその日の朝チョッとしたトラブル。それは私が今回館長コラムに掲載した「危ないメッセージ」ご覧戴きたい。

 大祭後開かれた「斉藤守弘師範をしのぶ会」二階の道場は人で埋まり、厳かに慰霊祭が行われる。すでに用意されていた豪華な料理が手際よく並べられる。懐かしい守弘師範の様な塾長の声が飛ぶ。「親子だな」とおかしな感心をする。さてその間、アリ先生はなんの違和感を持った様子もなく事の流れを楽しんでいる。彼の人柄もあろうが、それが斉藤守弘師範によって築かれたこの道場の気風なのだと考える。それゆえ、一代で世界中の指導者を育てたのであろう。


斉藤守弘師範を偲ぶ人は多い

違和感なく寛ぐアリ先生

 上野までの車中、合気道ジャーナルのスタンレープラ二ン編集長と席を並べる。私が現在資料調査している植芝と軍部、特に特務機関との関係、戦後の進駐軍による取調べ調書などについて意見を交わす。アリ先生と言えば飲めないアルコールと一晩の岩間体験の疲れからか死んだように眠っている。厳格なイスラム教徒の彼にとって岩間での経験をどのように捉えたかは知る由もないが、目を少年の様に輝かせていた事がすべてを語るような気がする。
 斉藤塾長、奥様に深く感謝するものである。

京都大学訪問


京大合気道クラブの皆さんと

 京都大学合気道クラブ前主将の松尾壮昌君は日本館に内弟子経験をされた方で、その明るさとスマートさはアメリカ人門下生たちに好感を与えた。彼にお願いしメンバーの方たちとの交流の場を作っていただく。アリ先生から見たら子供の年齢に当たる若者たちであるが、「日本の若者」としては最適の方々である。
多いに話も弾み、グラスも弾み、アリ先生もその事には少々驚ろいていたが、それ以上に決して崩れない礼儀の正しさにもっと感心していたようである。翌日は昼稽古に参加を許されアリ先生を暖かく迎い入れてくれた。


手前が合気道クラブ、奥では合気道部が稽古している

 実は京大には2つの合気道がある。体育会所属の合気会合気道と斉藤門下寄りの合気道クラブである。しかしながら合気道クラブの筆頭師範は安部醒石師範であり、安部師範は合気会、かっては開祖の書道の師でもある。この二つの合気道は同じ道場で同じ時間に稽古している。互いに挨拶を気軽に交わし、そのどちらかが正面に礼をするときは他のグループも正座して稽古を止める。私が今回館長コラムに掲載した「危ないメッセージ」にあるような問題は存在しない。実に紳士的な日本の将来を担う京大生の姿である。若い方々との元気な稽古にアリ先生も大変喜ぶ。メンバー諸君に厚謝。京都の社寺を巡り高野山へ。
 
高野山


高野山にて
 私が案内する外国人は必ず案内する場所、世界遺跡の高野山である。この御山こそ言語も習慣も異なる者にとって、日本をその体で感じ取れる最もふさわしい場所であると私は考えている。そこには筆舌に尽きる歴史の事実が存在する。数え切れない墓石、そびえる高野杉の中に埋もれたとき、いかなる国の人も感動を覚 えると私は思っている。現に深い霧の中、顔の雫もいとわずアリ先生が佇んでいる姿にはこの御山の霊的な ものすら感じたのである。歩いた一 時間余り、無言でうなずくアリ先生 に私もただうずくだけであった。
 宿坊での一夜、手際よく世話をしてくれる修行僧たちに圧倒されるアリ先生。翌朝の勤行でためらう事もなく祈る姿。「アッラーは私にとって絶対の神、私はイスラムの心にあって神仏を祈っている。教えに反しているとは思いません。イスラムは平和を求め、争いを好まないのです」。


高野山一乗院にて

熊谷師範と再会



 熊谷師範のホームページによれば師範とアリ先生との師弟関係は1980年前半頃からで熊谷師範がトルコとエジプトでの駐在員を兼務していた頃である。熊谷師範は両国あわせて7年ばかり滞在、多くの門下生を育成したトルコ合気道のパイオニアで、アリ先生は熊谷師範の意思を継がれ活躍されている門下生の一人である。
 熊谷師範はわざわざ高野山の近くの駅まで迎えに来てくれ、熊谷師範の自宅に泊まり、翌日は名古屋までの新幹線に乗車させるため随分長い時間をかけて新大阪まで送ってくれた。私は水入らずを計らい一足先に、名古屋の丸山修道先生を訪れていた。遠方からの弟子をわが子のように思う心つかい。学ぶものがあった。
 
長野響岳太鼓訪問


響岳太鼓の皆さんと

 昨年のリオデジャネイロに続き、今年の秋はトルコ公演を企画している日本館総本部。きつい日程であったがアリ先生をぜひ紹介したく長野県松川村の道場に向かう。道場では汗だくの練習中。練習後は我々のために宴を開いてくれた。世話人の茅野さんのご自宅に泊めていただく。築300年と知りアリ先生驚く。


飛び入りで太鼓を打つ。

子供の稽古を見るアリ先生


熱が入る大人の稽古

茅野さん宅にて朝食

最後に


観光舞妓さんにアリ先生もニッコリ

 勿論これだけの訪日ではなかった。一言で言うなら「書き切れない程」の体験をした。私も、そしてアリ先生も。旅も終わりになった頃、もう二人に余計な手話や絵はまったく必要なくなっていた。互いに「察しが付く」様になっていたのである。二人で過ごした不自由な10日間は不自由だからこそ深い理解を互いに求める事ができた。さて今度はメキシコに同行する。
 
     
日本館総本部
館長 本間 学 記


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