16人の打ち手達は、日本館AHANリオの人道支援活動の啓蒙キャンペーンの支援団体としてブラジル公演を引き受けてくれました。16人の打ち手、大きな太鼓や衣装を遠くブラジルまで移動するには大変な出費を必要としました。
地元公演などでのお礼の蓄え、村からの援助などが有ったとしても、その殆どは自己負担での参加となりました。
今回の遠征グループには家庭を持つ方々も多く、仕事や家事のやり繰りを済ませ、夜遅くまで毎日練習に励む事ができた蔭には、職場の上司や仲間、理解有る家族が存在しなければ不可能であった事は言うまでもありません。後方支援をされたご家族、関係者の方々に厚くお礼を申し上げる次第です。
また受け入れ側で有る日本館AHANリオのブラジル人スタッフ、入出国等の手続きを親身になって手伝ってくれた在リオデジャネイロ日本国総領事館のスタッフ、また企画本部となった米国の日本館本部スタッフたちの3カ国を結んだプロジェクトチームも献身的にこの成功を支えました。
リオ到着 |
時差ボケが敵 |
自分の荷物より先ず太鼓の世話 |
太鼓の締めなおし |
担ぎ太鼓は女性が担当 |
池田主席領事も駆けつけて。歓迎会 |
元気に活動開始 |
リオ総領事館、神谷総領事を囲んで |
日本からは全く裏側のブラジルに32時間をかけて到着し、4ヶ所5回の公演を打ち抜いたその超人的体力とチームワークは、単に和太鼓による日伯文化交流のみならず、「日本人の姿」をブラジル人の心に強く焼き付けました。
多忙スケジュールのなかで、特に印象に残るのは、サンパウロから夜行バスでやってきた松川村出身移住者者27名との交流でした。「信濃の国」を元気に歌い、涙ぐんでバンザイを繰り返す、多くは70才以上を超えた出身者に「懐かしい故郷」を届ける事ができたのは、この遠征の最大の収穫であったと私共は喜んでおります。その顔、その手に長い間のご苦労が刻まれ、出身地の消息を尋ねる姿は感動的なものでした。
故郷の唱を歌う |
故郷の消息 |
唱で答える |
ブラジル名物シュラスコで歓迎 |
日本館AHAN総本部は今回の公演を「ブラジルに生活する人種を超えた全ての人々を対象としているが、ブラジル日系人コミニティーに配慮した企画を織り込む必要が有る」という公演主旨を事前に松川響岳太鼓の皆様と確認しての日系訪問であり、その面においては大きな役割を果たしたと思っております。
日系会館慰問公演では地元日系子弟を中心に活動している「リオ日系太鼓」との共演も含め、集まった日系関係者に「日本の響き」を満喫して戴きました。今回の訪問で唯一若い日系人グループであった「リオ日系太鼓」の方々ともっと充分な交流の時間を持ちたかったのですが、スケジュールの関係で実現できなかった事が残念でした。
リオ日系太鼓に指導する茅野団長 |
フィナーレはリオ日系太鼓と |
公演を終えて、左から本間館長、茅野団長、池田主席領事など |
リオから2時間程のバストス大学での公演では大学担当者の想像を超えた太鼓の音量から体育館の反響が激しく、急きょ野外へ。ところが外は今にも降り出しそうな空模様。すでに会場の外では入場を待つ人々の列。団長の茅野さんは思案のあげく野外公演を決意、ときおり小雨がパラ付くなか一時間三十分の公演を見事に演じきりました。太鼓打ちにとって太鼓の皮が濡れる事は命取りでありながら、大樹の下を巧みに使い、公演を待つ人々に答えた茅野団長のリーダーとしての決断力に敬意を表するものです。会場移動を苦情一つ云う事無く、各自の椅子をもって移動してくれた300人を越える日系ブラジル人を中心とした観客の大らかさと寛容な心に多いに救われました。自分の椅子のみならず、残された椅子もセッセと運ぶお客様までおり、打ち手たちのバチにも熱が入りました。
真剣な公演前のミーテング |
移動の椅子運び |
野外に変更、益々熱が入る |
みんな集まってくれました |
撮影にも気軽に |
サインも |
ブジョウズ市中央広場公演の前に訪れた日本企業なども支援している小学校では「松川響岳太鼓発足以来」と驚いた教会祭壇での演奏というハプニング?があり「もともと、神事に打たれたのが太鼓、キリスト様も神様だしーー」と納得、熱の入った演奏をしてくれました。
教会で演奏は始めてーーと。 |
子供達にとっては全てが驚き |
沢山の子供が集まった |
そして、このコラムの冒頭ですでに書いた感動と興奮のコンサートを終えたブジョウズの舞台。観客も去った頃、舞台下に並んだ16人の打ち手たちはその舞台に向って深々と頭を下げました。延べ二千人を動員したこのツアーの最終公演終了後のシーンでした。16人の打ち手たちは、自分達の太鼓に舞台にその公演成功を感謝したのです。
翌日、町を散策する打ち手たちに、地元の人や旅行滞在中の人々が拍手や声をかけてくれた事は、全力を出し尽くした打ち手に対して最大の祝福となりました。
鯉のぼりを揚げて客集め |
無邪気な子供 |
公演はピークとなって |
舞台をおりて |
最終公演を終えて |
公演を終え、舞台に最敬礼の打ち手たち |
松川響岳太鼓は海外遠征も豊富で 昨年は私共の本部の有る米国デンバー市などにおいて人道支援キャンペーン公演を成功させ、その結果の一つとしてモンゴルに100台の新中古コンピューターを贈っています。
興行公演としてメディアで脚光を浴びる太鼓集団が多いなか、松川響岳太鼓集団は手弁当で世界に飛び出し「日本人の心意気」を世界の人々に紹介し、人道支援、文化交流に活躍しています。
延べ二千人余りを感動させた松川響岳太鼓ブラジル公演。これからの更なる活躍には松川響岳太鼓の活動実績を充分に評価下さることに有ります。地域の皆様の理解と支援が、日本と世界との文化交流ばかりか人道支援にも通じる事になる事をご理解いただき、また松川響岳太鼓集団の公演経験を磨く為にも、皆様のエベント企画等にお声をかけてくださる事をお願いするものです。
AHANリオスタッフの蔭の力も見逃せない
ステージ進行の打ち合わせ |
劇場の照明クルーと |
太鼓の運搬から会場整理、いつも彼たちの力があった。 |
松川響岳太鼓16人の打ち手の皆さん、本当にご苦労様でした。あなた達の太鼓の響きは熱狂的な観客ばかりでなく、孤児救済、スラムの改善などの活動に献身する多くのブラジル人スタッフにも大きな自信と勇気を与えてくれました。皆様の善意はやがて大きな反響となって日本館AHAN活動を包み込む事でしょう。最後にこの企画に奔走してくれた方々を明記し、皆様の支援に心から感謝申し上げる次第です。
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