館長コラム◆◆  

■AIKI EXPO 03 私感と抱負

AIKIDOジャーナル電子版のAIKI EXPO03までのカウントダウンもだいぶ少なくなりEXPO03もあと一月余りにせまった。クラススケジュールも発表され、主催者側の多忙さは察して余りある。私は光栄にもインストラクターとしてこの催しに参加させていただく事になっている。そこでEXPO03についての定義そして抱負を私感としてまとめてみた。

まずこの催しの主催者でありAIKIジャーナル創立者兼編集長のスタン プラニン氏について述べてみたい。この文は彼の伝記ではないので詳細は省くとして、80年代初頭、旧式のタイプライターで打ち上げられた僅か8ページ、スタンダードサイズの少し厚めの用紙を外側に、さらに普通の同サイズの用紙を内側にし、それを半分に折りステープルで止めた「AIKIニュース」が全米の合気道家の手元に送られていた。私の手元にある幾冊かを手に取るとスタン プラニン氏の合気道に対する、そして開祖植芝に対する純粋で探究心に溢れた姿が蘇える。その頃の彼と現在の彼ではその探求の規模といい、事業の規模といい天地の差ほどの発展をとげている。

評価されるべき彼の最も大きな功績は開祖植芝の徹底的研究である。人はともすると偉大な者には飲み込まれ、ただ従順となり口を閉ざし目を閉じる、しかし彼はあたかも神の偉大さを解釈し証明するため医学、数学、天文学などが発展したように、開祖植芝の歴史的、哲学的、或いは宗教的解釈を求めて黙々と活動を積み重ねた。日本人的価値観では理解しがたいこの行動は一部の体制維持保護の合気道家からの迫害というに値する苦しい状況のなかでも勇気をもって進められた。開祖の一生にまつわる一切の事柄を調査し其の事実の確認作業、資料の保護整理に情熱をかたむけた。またそれらの歴史にかかわる事柄、即ち大東流の武田惣角、開祖植芝の直弟子高段者の歴史的、技術的調査研究、大本教や関連した多くの他武道の研究と紹介など多岐におよぶ。これまでは団体や個人が自己の発展を考えて都合の良いように公表するのが一般的であったこれ等の事柄を彼はあらゆる資料を基に総合的に事実を拾い出し立体像としての開祖植芝を多くの合気道家に提供した。学術的にもすぐれた貴重な研究は日本武道史に残る功績である。

多くの合気道家は指導者によって与えられる「手本」を従順に肯定し、それを忠実にトレースする事に修行の原点を置く。とくに合気道において疑問やレジスタンスは「武道精神」に反するとばかり否定され従順さばかりが美徳となる。しかしながら本来武道とは否定と疑問によって発展するのではないのか。開祖植芝の人生を振り返る事によって益々その感が強くなる。体制への、強さへの、精神性への、否定と疑問が開祖植芝に大きな変革と成長を与えている。我々修行者は開祖植芝の完成された美しい部分のみをトレースしていないだろうか。挫折や苦悩の中で生き抜いた「開祖の苦しみ」にこそ「価値のある部分」が存在するのではないのか。この部分があってこそ現在の合気会合気道が、世界の合気道が存在しているのではないのか。決して開祖植芝が銀のスプーンをもって生を受けたのではないこと、ましてや神のごとき力を持ってこの世に存在したのではない事を世に知らしめ、開祖植芝の「負の部分」を我々に開放したスタン プラニン氏の功績は大きい。

さて今回のAIKI EXPO03について。参加者は合気道関係者に限らず他の多くの武道家も指導者や演武者としてこのエベントに集まっている。前に述べた通り、スタン プラニン氏の合気道に対する探究心を考えれば当然の事と言える。それはいわば、チベットの僧が見事に描き上げた砂曼荼羅を何のためらいも無く崩し去るように、彼一切の合気道感をすべてひっくり返し、まだ植芝武道が多くの他武道の中から「独立創生」し合気道が生まれようとしていた頃に戻り、合気道の源をもう一度探ろうと云うものであると私は解釈している。こう理解する事で「なぜ合気道のEXPOに他武道が?」という疑問が消滅するのである。この考え方は全く私の合気道感と同じであり、私がこの催しに出席する意義が成立する。この解釈から考えれば、集まる武道家はその個性なり特徴が有ればあるほどこの催しは面白くなるのであって、興味深いものとなる。特に合気道に関しては、集まった合気道指導者がそれぞれの特徴を明確にして、其の相違関係から合気道を立体的画像で浮かび上げる事ができることを私は期待している。それがなければ単にトレースされた相変わらずの合気道に過ぎない。指導者達がたんに物珍しい技を参加者にトレースするだけであっては主催者であるスタン プラニン氏の本意に背くものであり、集まった参加者に対するプロ意識の欠如といえる。

次に私にとってAIKIEXPO03参加の価値をもう少し深く述べてみたい。
日本語版AIKIニュースから「参加の一言を」と声が掛り私は「この道の先生方、多忙らしくコロラドの小さな道場主まで声が掛りました。私はいわば屋台のラーメン屋、私独自の調理法によるアイキラーメンを楽しんで下さい」と答えた。
私は開祖が入神してから今日まで、数多くの師を求め教えを受けたが組織的には何処にも属する事もなく一人でこれまでやってきた。また支部もあえて持たない。最近は異なった合気道が集まり講習会を開く事が「仲良し合気道」とばかりその価値を主張しているが私はそういった集まりにも興味は無い。またここ20年間は古い友人が20−30人を集めてやっている数箇所の道場を友人として訪問指導する程度で講習会もやった事が無く声を掛けてくれる多くの道場主には失礼をくりかえしている。私は既成の大きな団体と背比べをする気は無く、自己の背丈で可能な修行をすることを人生の目標としている。

多くの傘下支部を持ち週末はその道場を忙しく飛び回るアメリカンドリームの象徴のようなフランチャイズ道場の先生方と私は其の人生価値観がまったく異なっている。多くの合気道家は組織の大きさに身を任せるが、私は孤立する事自体を自己の修行相手としている。80年代米国、私はどの合気道家の動きを見てもその指導者や所属団体を確実に言い当てる事が出来た。「アナタは何処そこの誰先生系の合気道ですね」と。それが今頃では大変困難になっている。以前は体の転換法や舟こぎ運動はそれぞれの日本人指導者の特徴が充分に現れていたが現在では、宙を舞うごとき動きか、映画のシーンの様な一本化した単純なものになってしまった。デンバーの古い通りにピートキッチンという小さなダイナーがある。1950年にオープンして現在もそのままの盛況を続けている。フランチャイズ化が全盛のなかで「生き残る」事は大変なことである。あえて体制の流れとは別に生きていくという事は、自己をしっかりと確認し、其の価値を認識し他と背比べをせず「自分の味」をしっかり守っているからであり、それなりのたゆまない工夫と改善を繰り返し、毎日が真剣勝負の日を送っているからであろう。私もこの古いダイナーの如く身を置いて自己を磨ているのである。見渡せば私以上に自己修行にその人生をかけている合気道家は結構存在する。その価値観も多いに認めて貰きたいものである。恐らくこのEXPO参加者の中には大人子供合わせても20−30人という小さな道場からの方もいると思う。私はこういった合気道家に自信と勇気をもって合気道の稽古が出来るように其の見本となれば幸と考え、一般公開講習会はしないという私のポリシーを曲げて参加することになった。小さなラーメン屋台の親爺だからこそ可能な事は沢山ある。私は其れを皆様に紹介出来る事を誇りとしたい。

さて最後に今回皆様に何を提供できるか事前にお知らせしたい。日本を始め各地から素晴らしい武道指導者が集まるなか、指導内容を明確にする事は参加者が限られた時間を充分に活用できるようにと願う私のお客様サービスのひとつであり、商品の内容表示の様に、私の屋台では何を得る事が出来るのかを明確にする事によって公平な消費者サービスが出来る、という私の指導理念からである。それぞれの会場の収容者数が異なるためサイズにあった指導を考えてみた。9月19日と9月21日は大きな会場であり日本館の最もユニークな指導法である「木剣、杖の動きと体術の動き」の指導をさせていただく。この指導法は1979年に3本のビデオとして制作、その後2000本以上を合気道家の皆様に届け、結局は原版からのコピーが困難となり制作中止となったほど多くの注目を集めたもので、其の頃は現在のように木剣、杖に関しての明確な説明をしていたのは岩間流、そして私の日本館だけであった。現在は「ストラクチャー オブ 合気道」として出版され多くの合気道家に御愛読いただいている。また同じく日本館独自の指導法である「響き取り技」「崩し取り技」などを通して合気道の起源を探って見たいと思う。9月20日の午前9時からのクラスは「立ち固め取り技」を指導する。これは開祖植芝の高弟であった白田林二郎先生から私が15歳のころ技をかけられ全く動けなかった技で、その後開祖の下で修行した時、岩間の道場で開祖が微笑みながら私を相手にかけた技を思い出しまとめたものである。しかしこの技は大東流の技とも類似する為か本部などでは決して行う事はなかった。今は消滅した技の再現である。合気道の変革を知る事のできる技といえる。同日の午前10時50分からは会場が狭いので、同じく日本館の指導哲学ともいえる「気の超越」について稽古を通して説明したい思う。私は1985年に「合気道 フォア ライフ」という本を自費出版した。(その後1990年ノースアトランテック社から出版された)4ヶ国語に訳され4万部発行の息の長い本である。私は其の本の中で明確に「気に酔う」事を否定している。その関係上多くの人が「本間の合気道には気が無い」と誤解しているようである。しかし私が言うのは「気のデモなどによって気に盲目となる事」をたしなめているのであって「そういったものに心を囚われていては真実は見えない」という警告でしかない。このクラスでは徹底的に「気のデモ」などのマジック、トリックを解明し、純粋な合気道家を取り巻く「気の亡霊」を取り除きたい。気に対して疑問のある方、真相を知りたい方にお集まり願いたい。

最終日の9月21日の午前10時50分からのクラスでは中小サイズの道場指導者や経営者ならどなたでも知りたい「単独運営道場でありながらどうやって生徒を集め、維持し成功するのか?」について日本館の道場運営法を皆様に紹介したい。年間、成人だけで600人余りの初心者が入門する日本館の事務運営、広告、初心者指導、など1976年の日本館発足いらい1万5千人に及ぶ初心者指導のノーハウがこのクラスで知る事が可能である。道場運営でお悩みの方これからやってみたいと考えている方にお集まり願いたい。

同日午後3時30分からの最終クラスは会場も広く、一回目のクラスと同じく、木剣、杖や体術など日本館独自の技でしめくる。私の合気道の指導理念では「足技」「蹴り」「レジスタンス」も肯定されたものとなっており意外な技も紹介したい。以上がラーメン屋台の今回の品書きである。

最後にこのAIKI EXPO03に指導者として招聘してくれたスタン プラニン氏に対して感謝と敬意を表するものである。またこのEXPOの成功に向かって献身的に努力をされている多くのスタッフの方々にも感謝したい。一人でも多くの武道家の方々とラスベガスでお会いできる事を期待する。

                    
                         日本館 館長 本間 学
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