館長コラム◆◆  

■明日を打つ人たち 松川響岳太鼓米国公演を終えて


デンバー国際空港の朝、女性メンバーの多くは涙を隠そうともせず、ジム・ベイリーさんと抱き合って感謝と別れを交わしていました。ジムさんは、この公演で移動用車両の提供とドライブ役をしてくれました。仕事を休み、4児のパパが大切な週末の家庭サービスを、初めて会う日本からの訪問者の為に捧げてくれました。きっと男性メンバーだって胸が熱くなった人もいたでしょうが、そこは男が抑えたのでしょう。

この別れの日から僅か一週間前の、平成16年9月4日、長野県松川村の響岳太鼓16人の打ち手が、米国公演のためデンバーを訪問しました。これが5度目の訪問でした。しかし今回は以前とは条件が違っていました。二年余りの計画、準備を終えて最終段階という三ヶ月前、突然これまで米国内のプロモートを担当していた方が身を引かれ、米国公演の実現が難しくなりました。そこで以前の公演で懇意にしていた関係から「なんとかならないか」と私に連絡が入ったのです。私は他の人が手がけ、中途で離した仕事を受け取るのは気が進みませんでした。第一、この企画を実現する為の時間がたった5週間ではどうにもならないと考えていました。やったら中途半端は許されないからです。
しかし、メールのやり取りが繰り返されるうち、私はいつの間にか失敗した場合の負担が幾らくらいになるかを考えていました。それは決して私自身の打算の為ではなく、此れは自分で負担を背負ってもやらなければならないと思ったからです。16人の旅行者がアメリカを一週間訪問すれば、割引航空券を購入してやって来ても30万円くらい、480万円の費用が必要です。しかもこの旅行者達は素手では有りません。大きな太鼓を人間の数以上に持ち込むのです。割引航空券どころか、超過料金の心配をしなければなりません。幸い、三井住友生命財団が支援をしてくれたのですがどうも予算的に厳しい、米国の滞在費用は日本館で支援して戴けないものか、とまで打ち明けられました。日本の大企業財団と異なり私共も四苦八苦の毎日。僅かなプロモーション期間で16人の太鼓打ちに満足な演奏の機会と「成功」という言葉を御土産に持たせるにはよほどの覚悟が必要でした。
そんな状況でありながら、なぜ私を始め日本館スタッフが立ち上がったのか?それは今回の演奏団の茅野栄太郎団長の太鼓道に掛ける熱い、熱い情熱が私達に伝わったからです。
私はメールのやり取りの中で、滞在費を少しでも安くする為に、私の道場、日本館に雑魚寝をし、味噌、米持込の覚悟であるなら何とかなる、演奏会場の確保は時間が無いので何処でやるかは保証できない、とまで「脅かし」ました。それに対する団長の答えは「私達はアメリカの人々に我々の太鼓を、和太鼓の響きを伝える事が出来ればそれで充分、観光旅行に行くわけではありません。寝るのは道場でよし、食料持込でも結構です。会場が無ければ路上パフォーマンスでもいい、太鼓を打たしてください」この熱意に私は決心しました。なぜならこの言葉の裏には彼らの絶対の自信が読み取れたからです。

もう後ろに引けないと少々困っていた時、長い間の友人の一人、コロラド企業懇話会会長の鈴木隆之氏に事情を告げたところ「面白いですね、この切羽詰った緊張感、やりましょうよ」といとも簡単に協力を約束してくれました。何しろ鈴木氏は「最近太ってパンツがきつくて困ってます」という私に「困る事無いでしょう、新しいパンツを買えばいい」と切り抜ける人物で、物事を別の面から眺め対処する事のうまさをもった方です。その鈴木氏のお力で、多くの協賛団体をわずか2日間で集めてくれました。
丁度今年は、日米交流150周年にあたり、在デンバー日本国総領事館を筆頭に、コロラド日米協会、コロラド日系人会、そして鈴木氏が会長を勤めるコロラド企業懇話会の協賛は、夢の実現におおきな力となったのです。そればかりか総領事官邸での歓迎会まで行われるという事にまで一気に決まってしまいました。
鈴木氏とともに、協賛団体の一つ、コロラド日米協会事務局長の中里英さんは日系諸団体の窓口となって活躍してくれました。
また忘れて成らない人がいます。報道、広告、TV出演などプロモーションの仕掛け人、キャロライン・ケリーさんです。日本館会長のダク・ケリーさんの奥様で以前はニューヨーク在住のオペラ歌手、其の頃の経験を活かして、TVの生出演3本を含め、新聞、ラジオを賑わしてくれました。彼女は前回のモンゴル伝統音楽会に続いて司会もしてくれました。
そして困った時にいつも私の後ろに立っているのが日本館門下生達です。今回も中堅門下生に企画、進行、などの経験をしてもらうために、日本館の米国人スタッフ総勢32名に参加してもらいました。受付から緊急医療、警備に至るまで日本館ボランテアスタッフ達がこの会の裏方として完璧な仕事をしてくれました。
また、今回のコンサートでもアート インスティテュート(芸術学院)のスタッフがドキュメンタリーや演奏のビデオ撮影、CD用の録音など朝から深夜まで献身的に行なってくれました。その撮影されたラフテープは22時間にもなります。
演出台本、進行表、日程など、私が書いた原稿を深夜まで英文訳をし、一行と行動を供にした、日本館の副会長でありAHANプロジェクトのエミリー・ブッシュ会長も限界に近い、分刻みの多忙スケジュールをこなしてくれました。
会場となったデンバー中央劇場(Denver Center for Performing Arts)のスタッフの方々、もう一箇所の公演地であったコロラドの高級リゾート地、テリュアライドでのリック・トンプソンさん、KOTOラジオ局、コロラド フードフェアーでのステージスタッフの方々、その他多くの皆様の実に好意的な支援も忘れることは出来ません。

勿論、16人の打ち手たちは、こういった人々の期待通りに活躍してくれました。早朝からのTV出演、「コロラド フードフェアー」での熱演、日本人学校や小中学校演奏訪問、中央劇場750満席での熱演、テリュアライド劇場新築後最初のコンサートとして500席を満席にし、滞在中の一週間、寝不足、時差ボケ、富士山の5合目というデンバーでの高山病と闘いながら、全精力を太鼓にぶつけ、打ち抜いて行きました。

慰労会で16人全員が立ち上がり、団長の茅野さんが「我々だけではこの演奏会は実現しませんでした」と感謝してくれました。
「文化の架け橋」と云う言葉をよく聞きます。華々しくスポットを浴びるのは、橋を双方行き交う文化です。しかしその橋桁となっている多くの人々を忘れない感謝の言葉に、私の喜びがありました。米国生活も30年となろうとする時、失った30年をこの感謝の言葉で取り戻す事が出来ました。米国在住日本人として日米の間に立って生活する者にとって、独自のアイデンティテーが確認できた事を私は大きな収穫と思っています。

今回の太鼓公演が大成功という結果で終えることが出来たのは多くの在米日本人、そして涵養で純真なアメリカ人(勿論、米国籍の日系人の方も含みます)の大きな支えによります。多くの人々が16人の打ち手の為に献身しました。そして16人は其の献身に見事に答えてくれました。
肉体を宙に舞い上げるような彼らの太鼓の響きは、響岳の名のとおり、ロッキーの御岳に響き渡り、国境も人種も宗教も越え、存在したのは一切を超越した「感動」と「人の和」でした。太鼓、それを乗せる台、そしてバチが、其々の役割をしっかり果たし大きな感動の響きを創り出すように、多くの人々が其々の立場で善意を提供し、今回の成功はありました。

お蔭様で、道場に雑魚寝という事も無く、予算内で慰労会の祝宴も出来ました。感動した観客は立ち上がって惜しみない拍手を繰り返しました。彼らの太鼓は「土から産まれた」神秘的なものを感じる、日本トップクラス鼓童に匹敵もしくはそれ以上だ、の評論が飛び交いました。

9月11日、一行は飛行場の検査場を見下ろせる場所に立った私達に最敬礼をして挨拶し、手を振ってくれました。1週間行動を供にした、ジム・ベイリーさんは何も無かった様に家路に向かいました。そのゲストの去った彼のバンには、誇り高き米国海兵隊除隊兵のステッカーが張られ、下には響岳太鼓のステッカーが張られていました。テロの追悼で反旗が力なく翻るこの日、16人の打ち手は「人の和」の大切さ、平和の大切さを残して西の空に消えました。

信濃之国松川響岳太鼓、明日の日本と米国、日本と世界のために、これからも和太鼓道を極め、世界中で活躍される事をいのっております。
ご協賛下さいました方々、スタッフの方々本当に有難うご座いました。そしてお疲れ様でした。

       平成16年9月22日
日本館 館長 本間 学 記

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