武道の社会性を考え世界に実践する  日本館 総本部
 

米国合気道日本館滞在プログラム研修を修了された方々の
体験文を紹介します (クリックでどうぞ)

■30日間で何を学んだか 遠藤 孝彦
■内弟子サマーストーリー    八木 大樹
■内弟子生活2010      末長 剛
■「好きなようにやりなさい」私が救われた言葉 林 憲央
■デンバー日本館内弟子生活を体験して 西井 琢真
■デンバーを訪ねて                     松尾  壮昌

30日間で何を学んだか 遠藤 孝彦(東京出身22才)
  2010年度滞在
   日本大学四年
  就職内定
   合気道小林道場所属

 私は中学三年生の時から合気道を習いなじめ今年で8年目になりますが、アメリカへ行くまでは正直合気道の稽古をしていても何のために合気道を稽古しているのかが定かではありませんでしたし、私のしていることがすべて正しいのだと思っておりました。ですが、本間先生をはじめ、日本館の生徒の方々と稽古をして思いました。自分の考えていることが全てではない。この考えは合気道についてだけではなく、習慣、文化についてもそうです。今から書くことは私が感じたことであって全ての日本人に当てはまるとは限りませんが、私が実際に感じ、勉強になった実体験をお話します。

7月27日日から8月27日までアメリカのデンバーにある日本館という本間学先生が指導なさっている合気道の道場に内弟子としてお世話になりました。この本間先生と私の師である合気道小林道場道場長小林保雄は合気道の開祖である植芝盛平翁のもとで内弟子をなさっていた戦友でもある間柄であり、数年前に数十年ぶりに会って以来交友を深めていらっしゃるようです。その縁で稽古をまじめにしていた私は小林保雄道場長に学生最後の夏休みを利用して、日本館へ内弟子を経験してきてはどうか?というお誘いをいただき、本間先生のもとで一ヶ月間お世話になることとなりました。
もともと私も学生最後の夏休みは思いっきり思い出になるようなことがしたかったし、合気道が私にとって何なのかを確かめたかったので(余談ですが、私は白人の金髪の女性がタイプです)、お二人の好意に甘えて行かせていただきました。

デンバーへ旅立つ前に日本館でプチ内弟子のヒロさんとこまめに連絡を取り合い、あっちで必要なもの、情報をいろいろと教えていただきました。正直、メールの段階では私の想像のヒロさんはとても厳格な人だと想像しておりました。(実際は、一緒にいて頼りがいがあり、私と西井君の憩いの場所で、兄貴のような存在でした。)彼に初めて空港でお会いしたとき、彼からすごい「生」のオーラを感じました。ハキハキしていて、日本人にはなかなかいないタイプです。それとイタリア出身のミケレさんも出迎えてくれました。日本館へ向かう車中私には見たことないものばかりで、時差ボケもすっ飛んでしまいました。無料で広い高速道路、乗り捨てられた車、お金を求めるホームレスなどなど。今でもその興奮は覚えています。

日本館につくとすでに稽古が始まっていて、大きい道場に大きい人がいっぱいいて、
活気で満ち溢れていました。その中をせわしなく、動き回っていたのが内弟子生活中のルールを1から10まで教えてくれた剛さんでした。
本間先生への挨拶を済まし、稽古に出ようとする私を、先生は「見学していなさい、まだ体が慣れていないから」とおっしゃってくださいました。内弟子生活中、本間先生は私だけではなくみんなの体を気遣い、「昼寝をすると体がだるくなるぞ」「オレンジジュースを飲め」と毎日のようにおっしゃって下さいました。本間先生は0の状態からからアメリカで合気道、日本食レストランで有名になった方で、どんな困難も乗り越えてきた方です。僕らのような毎日をボーっと過ごしているような怠け者とは違います。内弟子の休日になると先生はたまに課題を課します。私はデンバーに到着して次の日ぐらいにダウンタウンにある議事堂のてっぺんまで行ってくるよう言われ、びくびくしながら街を歩き、結局議事堂の前までは行ったものの、てっぺんまでは行けなくて悔しい思いをしました。ですが違う機会に訪れることができ、なんだか自信がつきました。他には「今日は〜まで行って来い」と日本人二人とイタリア人で遠出したことを覚えています。結局それも目的を達成することはできませんでしたが・・・でもつたない英語を使うことに抵抗があまりなくなった私は、日本に帰ってからたくさんの外国人の友達を作ることができ、今をとても楽しんでおります。

本間先生のクラスの稽古はとても人気で、内弟子は稽古が始まる前や体操中は道場の端のほうにいるのですが、ギュウギュウの状態がしょっちゅうでした。何故そんなに本間先生が人気なのか、僕にはわかります。もちろん合気道の技、指導方法などはとても魅力的な先生ではありますが、先生は「気」が使えるからです。このような言い方をすると誤解されてしまいますが、人に対して、気を使える優しくて男らしい人だということです。だから私も本間先生みたいな男気のある人が好きで、一ヶ月間苦しいことはありましたが先生についていけたのだと思います。
生徒も先生のような男気のある人ばっかりで、忙しい中、本間先生の還暦パーティーに駆けつけてくれたり、指導代行を引き受けたり、内弟子の健康を気遣って大量のスポーツドリンクとバンテリンのようなものを買ってきてくれたり、内弟子を観光に連れ出してくれたり。私はアメリカを訪れる前までは、アメリカ人は我が強い人ばっかりで、強気で向き合わなければ負けてしまうと思っていたのですが、そんなことはなくて、日本館の生徒だけかもしれませんが、日本人よりも気がきく方ばかりでした。

なので、合気道日本館はHOMMAISMで溢れかえっている道場で、家族のような温かさを感じることができます。私が日本に帰ってきて日本に対して感じたことは、体の大きさの違いと、相手を思いやる心の温かさでした。今、日本人に必要なものはこれで、私は一カ月間、本間先生にこれを学んだのだと感じております。

 

内弟子サマーストーリー 八木 大樹(愛知県出身27才)
  2010年度滞在
  帝京大学卒、デンバー大学大学院卒
  日本館総本部道場所属
 

エイ、トウ、エイ、トウ」、勇ましい声と気合が道場内に充満している。歯を食いしばり、ホフク前進でマット上を進む。もう体が動かない。両肘の皮は剥け、胴着とマットは血に染まっている。先生の罵声が飛び、仲間の激が飛び交う。内弟子11人で過ごした今年の夏は最も暑い夏になった。ミケ、アルトロ、バヌ、ジハン、ミスターホセ、ジェイソン、ローズ、ゴウ、タカ、ニシ、そして私、ヒロ。世界中から集まった合気道を愛する武者達だ。
例年ならば、誰か先生を日本からお招きして、セミナーを行うのだが、今年は、合気道マラソンと称し本間先生自ら毎日一ヶ月間ご指導くださるという、異例のプログラムが組まれた。期間中、先生のクラスには上記で紹介した内弟子を含み60人ほどが稽古に毎日参加した。また、不思議と大人数にも関わらず、ぶつかり合う人はいない。これも稽古の成果であろうか。人で溢れた道場は活気がある。内弟子の練習は午前十時から一時間、午後四時から一時間である。その後、五時十五分から九時まで一般の練習に参加する。正直、長時間の練習はきついが、活気がある道場で練習すると多少辛い稽古でも楽しくなる。稽古終了後、先生を囲んでの夕食だ。これが、格別にうまい、そして、楽しみである。稽古中見せることのない、仲間たちのおどけた表情。ジョークが飛び、笑いが起こる。疲れなど何処かに飛んでいってしまう。そして、内弟子であるからこそ聞かせて頂ける、先生が翁先生の下で内弟子をなさっていた当時の話などを聞かせて頂き、さあ明日もがんばろうと寝床に就く。
内弟子とは、ただ単に、練習生と言うわけではない。先生の身の回り、道場の御用をさせて頂く。その中で学ばせて頂く事は多い。ある時、道場の庭に壁なしの小屋(ゴジボ)を作るのを手伝わせて頂いた。基礎を打ち、柱を建て、骨組みを作り、屋根を乗せる。他の内弟子と「あーでもない、こーでもないと」話し合い、毎夜深夜まで作業をした。デンバーで大学院に行っている事もあり、英語には少々自信があったが、一緒に効率的な方法を模索し作業をするという事は中々難しい。考えてみれば、日本人同士でも難しいのに、文化、育った環境の違うもの同士が作業を共にするということは尚難しい。日本の文化というものは、本来「和」を大切にするものであると思う。それが近年、個性「個」を大事にするという風潮になり、知らない間に「我」とう風潮に至った。コラム「ホームレスシェルターより」で先生は電車内、多く人が通信機器に没頭し、音楽を聴き自分の世界に閉じこもっている事を例に挙げ、将来日本の若い方は人間 同士が向き合って話し合うという事が出来なくなってしまうのではないかと警笛を鳴らしている。それの延長線上として、社会現象の引きこもりが増えているのではないだろうか?内弟子生活と言うものは寝食、稽古、その他の御用を共にする。現代社会に欠けている「和」コミニケーション、社会を構築する上で最も大切なものを内弟子生活を通して学ばせて頂いた。

また、Aikido Humanitarian Association Network (A.H.A.N)またの名を亜範(アジアの規範となると願いが込められている)の活動を通して先生の唱えているエンゲイジド武道イズム(社会直視実践武道主義)を肌で感じた。ホームレスディナーとは本間先生が20年間継続なさっているA.H.A.N活動の一つであるり、食事の支度から配給まで、ホームレスの方達に供給し、皆さんに喜んで頂こうというものである。活動への参加は正直、始めは少し不安感が有ったが、メディアでは流れることのないアメリカのリアリティーを理解し、社会に対し嫌悪感を抱き、心を閉ざしていた一部のホームレスの方から、「ありがとうの言葉」をいただいた時エンゲイジド武道イズムの実践の真の必要性を肌で感じた。「エンゲージド ブドウ(武道)イズム」思考  Engaged Budoism  2008年に感じたことの中で 先生は「家舎離不家舎離」(寺院(自己)を離れて寺院(自己)を離れずの信念)という仏教のアイディアを用いてエンゲージド武道イズムを説明なさっている。「道場を離れ道場を離れず」の思想をまさにホームレスディナーを通じて実感した。道場から一歩外に出たとき日ごろの稽古の成果が問われる。ここで言っているのは、技術ではなく心である。物理的に的に道場にいなくても、心は道場に存在し、合気道のアイディア、哲学思想を実社会に活かし積極的に社会貢献をする大切さをひしひしと感じた。  
一ヶ月間の合気道マラソンのフィナーレを僕たちはサライダ(コロラド州の南部)での一泊二日の山合宿で迎えた。申し遅れたが、コロラドとはロッキー山脈を有する山岳地帯だ。デンバーでも標高は1600Mを越える。高地ならではの清清しい空気と澄んだ空、青々と茂った木々の中で僕たちの暑い夏は終わった。今日でお別れだ。内弟子それぞれが故郷に帰っていく。「エンゲージド武道イズム」という思想と共に。


内弟子生活2010 末長 剛
  2010年度滞在
  東京芸術大学卒
  メディアコーデネイター
  千葉 山根政行師範門下
私は日本館に2010年6月〜9月の3ヶ月間滞在しましが、その間毎日が楽しく新鮮でした。日本館にいるスタッフ、先生、生徒たちは本当に素晴らしい人達でした。始めは合気道を学ぶ外国人とはどんな人たちなのか想像もつきませんでしたが、皆驚くほど(と言っては失礼ですが)礼儀正しく、親切で、気持ちの良い方々でした。子供クラスの子達たちも礼、挨拶はもちろん、掃除も徹底していて行儀の良さに(これまた失礼な話ですが)驚かされました。

一日6時間近い稽古は厳しく、時にはつらく感じるときもあります。かなり厳しいトレーニングの名物のクラスがあるのですが、そのトレーナーの方はクラスの時間は鬼のように厳しいです。しかし、いったんクラスが終わるととても優しく、いつも私たちの体を気遣って下さいました。差し入れにスポーツドリンクや筋肉痛を和らげるクリームなどをいつも届けて下さいました。厳しい稽古の日々ですが、稽古するときは稽古をし、遊ぶときには遊ぶ。と、週末には時々生徒や先生方と山や湖に出かけ、先生にホームパーティーやレストランに連れて行って頂いたして、アメリカ生活をエンジョイする事ができました。そして夜は体はどれだけ疲れていても、毎晩のように仲間と(時には先生とも一緒に)語り明かし、たくさんの楽しい思い出を作ることが出来ました。英語は積極的に話す事ができれば上達すると思います。僕もついたばかりの頃にはあまり話せませんでしたが、時間を見つけては勉強をして少しずつ話せるようになり、帰る頃には日常的なコミュニケーションはとれるようになっていました。

本間先生は常に私たちの事を考え気を配って下さっていました。私が受けを取りそこない首を痛めたときなどは、とても心配して下さり直ぐに手当をし、その後カイロプラクティックに連れて行って下さいました。普段から「怪我をしたら無理をせずに休みなさい。」「体調は大丈夫か?」「飯は足りてるのか?」といつも私たちの体調を気に懸けて下さいました。そして、道場の中でけではなく今の社会において開祖植芝盛平翁の合気道を実践しようと地元のアメリカはもとより、国際的な支援活動を通し人生を懸けて真摯に取り組んでいらっしゃる姿を拝見し、敬意を払わずにはいられませんでした。また、時折朝稽古や食事の時間に先生から伺うお話はとても興味深く、青年時代に内弟子として過ごされ経験された開祖との逸話を伺えたことは貴重な体験でした。

私が滞在している間、世界各地から日本館を、そして本間先生を訪ねる人がやってきました。イタリア、トルコ、ボリビア、メキシコ、ノースダコタ、ネパールそして日本。多くの仲間と出会えた事、多くの時間を共有し過ごした事は僕の大きな財産です。皆であるプロジェクトを企画したのですが、その準備やミーティングを重ねる中で私たちはより親交を深めることができました。そのプロジェクトが成功したときの達成感は今でも忘れられません。

これから日本館を訪ねようと考えている方で、合気道の経験について危惧されている方もいらっしゃるかもしれません。もちろん稽古歴は長いにこした事はないでしょうけど、僕の場合は初めて日本館にお世話になった2010年は合気道を初めて3年足らずでした。年齢は30歳。同じ時期に参加してた生徒には合気道歴10年以上の19歳の男の子がいましたが、とても仲良く和気あいあいと過ごし、彼とは日本に帰ってからも時々連絡を取り合う良き仲間となりました。厳しい稽古も仲間がいたからこそ乗り越えられたのだと思います。

またなんといっても、日本館はDOMOというレストランと繋がっていて、食事はDOMOのメニューから選んで食べさせて頂きました。厳しい稽古の日々にあっても毎回堪能出来る素晴らしい食事には本当に助けられました。最高のごちそうが食べきれないほど食べられるという、体を資本とする格闘家であれば垂涎の環境でしょう。また、僕の滞在中は本間館長自らの特別メニューをご馳走して頂く機会にも恵まれ(先生は「いつも同じメニューで飽きるだろう」と言われるのですが、メニューはたくさんあり、飽きた事は一度もありませんでした。)その先生の作る料理は本当に、本当に美味しいのです。ご飯の心配がいらないというのは体を作る上で最高の場所でした。実際に私はだいぶビルドアップし、体重が10kg増えました。見た目にも贅肉が消え、筋肉が増えました。日本に帰ってから少したるんできてはいますが、、、。

気候ですが、夏のデンバーは日本とは違って湿度が低く、カラッとしていて本当に気持ちのよい天気でした。洗濯した道着は外に干しておけば次の昼には乾いていました。日本のような熱帯夜という物がなく、夜は涼しく過ごせます。また、水は水道水でも十分に飲める良質の水で、生活する上でとても過ごしやすい場所でした。

日本館は合気道を通して海外での生活を体験し、語学の勉強をしつつ多くの海外の方達とコミュニケーションをとりたいと考えている人には最高の場所だと思います。また、海外での新しい環境での稽古や活動を通して、今後の人生に広がりが持てることでしょう。現在も日本館で出会った方々とは連絡を取り合っています。近年はインターネットの普及によってEメールなどで容易に連絡を取ることが出来ますし、時々突然電話を頂いたりして、驚くとともにとてもうれしく思います。来年2011年の春には長く一緒にいたイタリア人の滞在生徒の元を訪ねる予定でいます。この日本館という場所が様々な人が出会い、稽古をしながら互いに切磋琢磨する、活気のある「道場」として長く存続し続けることを心から願っています。本間館長を始め日本館の皆様、本当にお世話になりました。ありがとうございました。今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。


デンバー日本館内弟子生活を体験して  西井 琢真(神奈川出身20才)
  2010年度滞在
 
  合気道小林道場所属
 
 8月3日から9月9日までデンバーにある日本館にて内弟子として短期滞在プログラムに参加してきました。全く一人で海外に発つのは初めてで、3日に日本を出発しロスでの乗継に多少の不安を持ちつつも無事にデンバーに降り立つことができました。すでに日本から滞在していた内弟子の二人の方が空港に迎えに来てくれました。デンバー空港から日本館までの交通手段を考えていたのでほっとしました。空港からは車で30分ほどで到着。本間先生に挨拶と道場の皆さんに紹介をして頂き最初の稽古は見学となりました。内弟子生活のスケジュールは朝7時に起床、月曜から金曜までは毎日9時からの内弟子だけの朝稽古。内容はストレッチと筋トレ、剣・杖の稽古。14時に昼食。16時から17時まで内弟子稽古。17時15分から18時30分まで、その後19時45分まで、次は21時までと3回のクラス稽古。一日最後の稽古が終わってすぐに夕飯の準備。夕飯は21時半からで、片付けが終わって床に就くのは00時過ぎ。何と一日5回の稽古が毎日でした。火曜と金曜は朝稽古の前に8時から一時間のジョギング。土曜・日曜だけは朝稽古のみで午後はフリーでした。稽古の合間には日本館内の掃除や庭の水遣りなどの作務がありました。
 日本館から3時間余りのロッキーの山里にある道場に一泊二日の合宿、本間先生が20年間も続けている路上生活者への食事支援の手伝いなど多くのイベントや休日や自由時間には他の内弟子や門下生と出かける事も出来ました。思い起こせば色々な事がありすぎて、滞在期間中(38日間)毎日付けていた日記をそのまま載せる事にしました。(注、日記部分は編修部が抜粋しました)


8月3日
 ついに日本館に到着。ヒロさん、ゴウさん、ミケさんに会った。みんな気を使ってくれた。本間先生に英語でスピーチをしてと云われうまく言えなかった。
8月4日
 朝9時から本間先生の内弟子稽古。飯を食べてから雑用。4時からマイケルさんの地獄のブートキャンプ。肘を痛め二回目の稽古は休み、3回目の稽古に出た。本間先生の教え方はただ技をやるだけではなく話をしながら教える。内弟子は袴の人とだけやる。それ以外の帯の人とはやってはならない。先生が技を披露し終えたら、すぐに自分からお願いしにいく。みんな早いので袴の人を捕まえるのが難しかった。
8月5日
 朝ミケさんがどこか行った。16番通りをタカさんに案内してもらいスーパーに。稽古は16時から21時までぶっ通し。足が死んだ。
8月6日
 朝一時間のランニングをした。ゴウさんと一緒で標高が高いため、ついて行けるか心配だったが何とかついて行けた。日本館に着いてすぐに稽古。筋トレと剣の稽古。休み時間にタカさんとゴウさんと州庁ビルの展望台に行った。デンバーを一望できた。
8月7日
 8時半から本間先生の稽古。その後はじめて子供クラスの稽古を手伝った。日本人は自分一人だけだったので不安だったが、何とか無事に終えることが出来た。食後に石運びをした。
8月8日
 8時半から10時までブライアン先生の稽古。それで今日の稽古は終了。昨日の残りの石運びをした。みんな裸で作業したので日焼けした。JAYさんとマーシェリーさんにビッグフリーマーケットに連れて行ってもらった。ターキーレッグを食べた。日本館についてからまた労働作業。疲れも溜まっていたので21時まで寝た。それから1時半くらいまで本間先生の秘密の部屋で4人で飲みながら過ごした。日曜日だ。
8月10日
 今日は朝から一時間のランニングだ。犬のヨンタと一緒だったので気持ちよかった。戻ってから朝稽古だ。本間先生の作る料理はどれも最高に美味しい。食後は13時まで掃除をした。16時から17時まで筋トレ。17時15分からマイケルさんの稽古。途中エミリーさんに初対面の挨拶をした。エミリーさんはバングラデッシュとミャンマーに行っていたらしく今日帰国したのである。マイケルさんの稽古は18時半まで続き、その後の稽古もハードだったので疲れた。
8月11日
 朝起きていつも通りガーデンに水をまき、ランプにアルコールを入れた。9時からは杖の稽古。本間先生が指導してくれた。マイケルさんの稽古も終わって18時半から本間先生の稽古。今日始めて本間先生に受けの相手に呼ばれた。引き続き19時45分からの稽古はサンさんの指導だった。サンさんは女性の方でとてもうまい。自分が今まで見てきて女性の方で一番上手いと思った。0時過ぎぐらいにいつも通り洗い物、ガーデンの水まきをして寝た。
8月12日
 朝の仕事が終わるとマイケルさんが色々と差し入れをしてくれた。ガーデンの芝生をスコップで掘る作業が終わると11時から本間先生の稽古。内弟子だけの指導で贅沢だ。16時から内弟子稽古はエミリーさんだった。サンさんも上手いがエミリーさんも上手い。二人とも5段だった。次の稽古もエミリーさん。次は本間先生。最後の稽古が終わった時は死んだ。1時には寝れた。
8月14日
朝は8時半から本間先生の稽古。上手い人が多く来た。子供クラスもあった。昼食後日本館にもどりミケさんの運転でMt.Evansに登る事に決まった。12時に出発。1時間30分くらいかけて到着。景色が最高に良かった。標高が高いため息が苦しかった。さらに上に行くことになったが車でいけたのでほっとした。富士山より高い山に登ったのである。景色がすごかった。帰りの車中は寝た。日本館に着いたのは19時半。今日も良い体験ができた。23時には終わりいつも通りの仕事をして1時には寝た。
8月15日
 今日は8時半からブライアン先生のクラス。10時に終わる予定だったが内弟子は支援活動のため30分早めに終わった。なんと本間先生のDOMOレストランにテレビの取材が来たのである。支援活動の準備におわれた。みんなでカレーやサイドメニューを作ったのだ。約300人ほどのホームレスが来るため量はハンパではない。みんなで大量のニンジンを切ったり、玉ねぎを切ったり。内弟子だけでは間に合わないので道場の会員の人達も手伝ってくれた。15時頃テレビの取材が来た。コロラドで放送されている7NEWという番組である。本間先生は20年間多くのホームレスの人達に食事を提供している。番組で取り上げられ、ナイス・ワークと称えられていた。合気道の稽古の様子や料理を作っているところを撮影していた。ホームレスの人達が集まる場所に食事を運び仕事を分担して働いた。自分の仕事は席の案内をしたり、食べ終えた食器を片付けたり水を交する仕事をした。最後には余ったおかずをホームレスの人達に提供した。忙しかったがみんな嬉しそうだ。サンキューといってもらいこちらも嬉しかった。21時には終わった。
8月16日
 内弟子だけで本間先生の還暦祝いの計画をねっていた。19時45分から本間先生の稽古。今日は月曜なので袴会だ。体の大きな人と何回もあたった。21時に稽古が終わり夕飯が終わったころにもう一人の内弟子が来た。ボリビアから来たアトロウさんである。これで内弟子は8人になった。

8月20日
 今朝のランニングを終え、なんと今日の朝稽古は円心空手を習いに行くことになった。二宮城光先生に教えてもらうことになったのだ。日本大会でも一位にり、世界大会でもベスト3に入るくらいの凄い人らしい。本間先生と知り合いだったので稽古ができたのだ。実際に空手を体験した。本間先生はいかに合気道という武道が弱いのか?合気道という武道は何なのか?どうすれば良いのか考えて欲しかったのだ。16時からクリスさんの稽古、本間先生の剣の稽古が続く。稽古が終わりディナーの準備。しかし今日の準備は忙しい。なぜなら今日は本間先生の還暦パーティーだからだ。自分の仕事はたくさん写真を撮る事だった。途中で内弟子だけのお披露目芸があり、先生は私たちが考えた「フンドシダンス」を気持ち悪いと言いながらも大変喜んでくれた。これは東京芸大卒のゴウさんの振り付け、無事にパーティーが終わり寝たのは2時だった。
8月22日
 今日は内弟子と生徒と一緒に朝から山に登ることに決まった。計15人である。時間がかかるので朝稽古にはでなくてすんだ。8時に日本館に集合。続々と生徒たちが集まり車3台で行くことになった。途中休憩も入れて1時間30分くらいかけて到着。景色は最高だった。前回は行った時は人数は少なかったが、今回は内弟子の人数も増え生徒もたくさん来たので楽しかった。写真もたくさん撮った。
8月23日
 今日はランニングの日。8時に出発した。順位は2位。なかなかアウトロウさんには勝てない。日本館に戻りすぐに本間先生の指導で剣の稽古だ。昼食後ぶどう狩りをした。ガーデンにあるブドウでワインを作ると言うのだ。タカさんと収穫したが相当な量だ。16時からクリスさんの内弟子稽古。次にスコット先生の稽古があった。
8月24日
 今朝は8時に起きてしまった。しかし雨が降っていたのでガーデンの水遣りはやらずにすんだ。9時から朝稽古は杖だった。まだ伸びきっていないところを注意された。最後に本間先生の話。話はジェイソンさんのイレズミに書いてあるオドの神業から始まった。朝食後ワイン作りの続きをした。16時からの稽古はスコット先生。ほとんど空手のような稽古だった。次の稽古は本間先生。いつもと違いグループを作ってディスカッションをしながら技を見せる稽古だった。
8月26日
 今日はタカさんの最後の日。稽古が始まる前に本間先生が作ってくれた松茸のバター焼きを食べた。こんなにたくさんの松茸は初めてだった。16時からエミリー先生の稽古が終わり、次は本間先生の稽古。タカさんを100本投げした。
8月27日
 今日の朝稽古はタカさんがいなかったせいか、静かに感じた。稽古は本間先生が早めに終わらせてくれた。でも嬉しいことが一つあり昨日の100本投げで、褒めてもらった。16時まで時間があったので道場で大の字になって寝た。内弟子稽古はクリスさん、ブライアンさんの指導で剣と杖。金曜日なので17時15分から19時まで本間先生の稽古だった。最初の準備運動は自分が前に出てやった。明日はマウンテンの日。準備をしてから寝た。
8月28日
 今日は泊まりでマウンテンに行く日。60人くらいの生徒たちも一緒だったので何台かの車で行った。3時間くらいかけて到着。都会ではなく田舎だ。そこで出迎えてくれたのはYAMADOUJOの8人の人達だ。リュック先生が教えているらしい。稽古が14時からで時間があったので内弟子達だけで街を歩いた。何気にアーティスティックな街で写真が絵になった。
8月30日
 今朝はランニングの日。この人数で走るのは今日で最後だ。日本館に戻りすぐに稽古。ジェイソンさんが教えてくれた。みんなと稽古できるのも今日で最後。ジェイソンさんは最後に涙ぐんでいた。昼はチェリークリークというショッピングに連れて行ってくれた。アトロウさん、ホセさん、ジアンさんと一緒だ。しかし値段が高いものばかり。何も買わずに終わった。疲れていたが内弟子稽古が始まり、先生はクリスさん、次はスコット先生。目を閉じて技をするという変わった稽古をした。途中でマイケルさんがきてこの前とられたパッチのために戦った。無事にパッチは取り戻した。19時45分からは袴会。明日で自分は20歳になる。日付が変わるとみんな祝ってくれた。
8月31日
 朝7時にはジェイソンさんはいなかった。今日の朝稽古はなし。本間先生が皆を連れて朝食を食べに連れて行ってくれた。日本館に戻るとバースデイケーキを用意してくれていた。嬉しかった。食後バヌさんに英語で手紙を書いた。16時からスコット先生の稽古。途中でバヌさんとジアンさんが帰った。みんな寂しそう。引き続き17時15分から稽古。次の稽古は休みで、その間にヒロさんとお別れをした。日本でまた会おうと約束した。
9月1日
 朝稽古はアウトローさん、ゴウさんと一緒に稽古をした。今日はアウトロウさん最後の日。16時からマイケルブートキャンプ。いつものやり方とは違った。しかし体力は使った。稽古は続く。17時15分からまたマイケルさん。杖取りの稽古だった。次はビギナーズクラスで内弟子のミケさんが教えていた。最後はブライアン先生。21時に稽古が終わった。かなり疲れた。夕食は4人で食べその後内弟子だけで日本館での思い出のDVDを皆で見た。次の日の朝5時にアウトローさんはボリビアに帰っていった。
9月5日
 今日の朝稽古も8時30分からだった。先生はノーエルさん。10時から自由稽古だった。11時に終わり本間先生が飲茶を食べに連れて行ってくれた。食後ホームセンターでランプや棚を買いリフォームの手伝いをした。内弟子ルームも変わった。夜は22時から7NEWSが始まる。その前に録画の準備をしていた。合気道の稽古風景には出なかったが、食事準備の様子の部分には自分が映っていた。
9月7日
 今日、本間先生が「もう帰国だね」と云って自分だけを連れてすし屋に連れて行ってくれた。先生と2人だけで少し緊張したが色々と話をした。日本館に着くと新しい内弟子がいた。
9月8日
 朝はいつもの通り仕事をし、朝稽古は筋トレをした。そして最後のマイケルブートキャンプの時間がやってきた。いつも以上に気合が入って疲れた。今日で最後。胸が痛かった。次はクリスさんが教えてくれた。始まる前に本間先生から賞状を渡され、終わりに100本受身をした。みんな袴の人達が10本づつ投げてくれた。すごく疲れたが一生の思い出となった。次はビギナーズクラス、テクニカルクラスと稽古が続く。ラスト稽古ということでマイケルさん、ローズさんが見に来てくれた。最後の最後にまたビギナーに二本ずつだが投げてくれて終わった。
9月9日
 7時30分に起床。出発の準備をし、10時に日本館を出発。内弟子期間終了だ。終わってからの達成感は今までにないものとなった。デンバーに行くまで色々とあった。来て良かったと思えて良かった。親に感謝すべきだ。

 内弟子滞在期間は本間先生をはじめ、指導してくださったすべての先生と生徒、そして一緒に過ごした内弟子の仲間には本当によくしていただきお世話になりました。いろんな方との出会いの大切さを実感しました。ありがとうございました。
またこのような経験をすることができ、小林先生には感謝いたします。本当にありがとうございました。 

                               

「好きなようにやりなさい」私が救われた言葉 林 憲央(埼玉県出身21才)
  2009年度滞在
  現在二度目の滞在中
  フリーター
  合気道小林道場所属
私の過去は野球の人生でした。特にある高校に野球部員として推薦入学してからは同級生の青春時代とはかけ離れた野球、野球に明け暮れました。でも100人以上もいる部員から正選手になれるのはほんの僅かです。私はそれから漏れてから歩くべき道が見えなくなりました。いろんな事情から進学も諦め、フリーターの生活をしていました。親戚に合気道を指導している先生がおりその関係で合気道小林道場で合気道の稽古を始めました。ある日、小林保雄道場長から「ブラブラしているならデンバーでも行って来い」とデンバー日本館を勧められました。私は余り海外に興味は無かったのですが「レストランをやっているから飯だけは大丈夫」と聞き簡単な気持ちで渡米しました。
 私はまったく英語は出来ません。日本館に行ってもすべて英語、本間館長は海外出張で留守、こんな心細い事は有りませんでした。しかし道場の皆はとても親切で兄弟が帰ってきたように私を迎えてくれました。しばらくして本間館長が帰ってこられて「稽古にだけ出ていればあとは好きなようにやって良いよ」と一言。
 これまでまったく好きなようにやってきた私に「好きなようにやればいい」といわれ内心困ってしまいました。本間館長は一切デレクションをくれる事は無く「飯食ってるか」「体の調子は」などと尋ねるだけでした。日本では好きな事に自分を費やす事はたやすく出来るけど「丸ごと英語」のアメリカでは「好きな事」をやるには大変な事と気が付きました。2週間位してから本間館長が私の口の横が切れているのを見て「よっ、口の横が切れたな。それで人並み。内弟子症候群というんだ。気を使って胃酸が多くなり疲れて寝込んでいるときにヨダレが流れて弱い口の横を切るんだよ。切れて人並み。これが治って本当の内弟子が始まるわけよ。ところでニューヨークまでバス往復して来いよ。5−6日くらい掛かるだろう」「ルートを調べ切符も自分で手配してな」といきなり言われました。私は無口でもあるし消極的、キット本間館長も私を見限ったと思ってしまい「それじゃー行ってやろう」と切符売り場を探しグレイハウンドバスに飛び乗りました。行き先を間違いフロリダに行くなどの「過酷な旅」をして戻ったとき本間館長は「な、やれば出来るだろう。あんたは野球をしてたんだし走って逃げるのは早い。なにも心配はしていなかった。どうだ自信が付いたろう」と話し「腹減ったろう」と食事に連れて行ってくれました。「あんたは小林師範から預かった大切な人だけど、今のあんたに大切なのはジャングルに飛び込む事だった。一人のバス旅行は大変と思ったけど、男はときにはリスクを負うこともいい経験だよ」と打ち明けてくれました。私はその夜内弟子部屋のベッドに横になりその硬いベッドが本当に快適なものに感じられました。本間館長はバス旅行に行く前に私を毎日デンバー市内を「ウロツキ」させていたのはその予行練習であった事に気が付きました。その後の日本館滞在は充実の日を送りあっという間に過ぎてしまいました。
 その間、本間館長がたった1000ドルの資金と英語力0から現在を成したお話など若い頃は大変な苦労をされた事などを話してくれました。

 帰国が近くなって「時間など一瞬のうちに過ぎてしまう。全て完璧にやろうとするから大変だ。所詮人生は紅葉の葉っぱ、裏もあれば面も有る。いいじゃない好きなようにやるんだよ。コンビニで働いて金貯めて、行きたい所に行って、なくなったらまた日本で稼いでーー。いいナー若いうちは何でも出来るからな」私はとても許されたような感じがしました。
 私は帰国後、引越しのバイトで稼いではタイ、ベトナム、韓国などと旅をし、2010年12月から3ヶ月間の予定で2度目の日本館滞在をしています。今回は日本館に住み日中は語学学校に通っています。合気道は夜の稽古時間ですので問題はありません。当然、内弟子の作務は週末や朝に参加しています。
 私の(過去)の様に行き詰まった青春を送っている方もいると思います。私は米国合気道日本館の本間館長の門を叩いて本当によかったと思います。館長は私を信じ自由にさせながらも大きなお心で導いてくれました。もし貴方が「どうしても抜け切れない」状態であり「自分は抜けたい」と思うのであれば本間館長は優しく迎えてくれるでしょう。

デンバーを訪ねて 松尾  壮昌(新潟県出身27歳)
  2009年度滞在
  京都大学大学院卒
  京大合気道部元主将
  大手ビール会社研究室勤務
  阿部醒石師範門下
2月17日、デンバー空港に降り立つ。その日はとても寒い日で、この滞在の初日としては、決して望ましいとはいえない天候であった。デンバー空港には内弟子の方が車で迎えに来てくれることになっていた。サンフランシスコでのフライトが一時間近く遅れたたが、待っていてくれていた。はじめての渡米であり、日本からデンバーまでの16時間を越す長いフライトで、やっと一息をつけた瞬間であった。車上では、片言の英語ではあったが、色々と道場の話を聞くことができ、これから始まる生活に不安を感じつつも、胸を膨らませた。
 
 合気道を始めて4年程になる。色々と合気道の歴史等を調べるうちに、日本館の存在を知ることとなる。日本館は内弟子を取っているようで、大学最後の春休みに集中的に稽古をしようと考えていた自分にはとてもよい機会であった。
 英語圏へ行きたいという思いは以前からあり、日本を離れて、異国の地で合気道をしてみたい、視野を広げたい。自分を試してみたい、そんな思いが日増しに強くなった。
 言葉も異なる、知らない土地に一人で行くわけだから、不安もあったが、踏み留まっていては何も始まらない。自分を追い込むことが成長への一歩だと考え、日本館にコンタクトをとり、内弟子の許可を頂くことが出来た。
 空港から30分もすると、日本館に到着した。あたりは一面の雪である。この時期には珍しいほどの冷え込みだとか。日本館はデンバーのダウンタウンから徒歩10分のとても便利な場所に位置する。荷物をひもとくと、さっそく稽古である。金曜日は武器のクラス、武器技と体術の関連性が合理的に説明され、とても納得のいく内容であった。
 稽古が終わると、日本館付属で、コロラド州でも指折りの日本食レストランである『DOMO』 にて(詳しくは日本館ホームページ、英語版にて)、他の稽古生とともに食事を頂く事になった。皆、本当に快く歓迎してくれた。日本酒を片手に、デンバーや、日本、京都の事等、様々な会話を交わした。言いたいことは上手く伝えられなかったかもしれないが、身振り手振りでなんとかなりそうな気がした。
このレストランのおかげで、一ヶ月、食事に困る事が無かった。他のレストランでも食事をする事はあったが、やっぱり日本食が一番だ。アメリカでも、日本食はかなり愛好されており、異国の地で日本食を食べる事が出来たのは、とても幸いな事であった。つくづく、私には米が必要だと思った。Give me rice!
 
 それにしても、こっちの人はよく食べる。最初は、時差ぼけで体調が優れなかった事もあって、完食するのがやっとであった。滞在も半分を過ぎると、こちらの量にもなれ、むしろもっと欲しいと思うようになったのは、人間の適応力の賜物であろうか。VIVA!DOMO!!
 日本館の館長である本間先生はというと、海外のAHAN活動等のため不在であった。もちろん了解済みである。AHANとはAikido Humanitarian Active Networkの略で、日本語でいえば、合気道を通した人道的援助のネットワークであろうか。合気道の精神は、愛だ、平和だと唱える人は多いが、実際に、こういった合気道の精神を現実に移し、社会貢献をしていこうとする道場はそう多くはない。今回の先生の訪問は、インド、ネパール、バングラデッィシュ、モンゴルと発展途上国を自ら訪問し、その現状を自分の目でみて認識し、今後の活動に生かすことが目的の一つであったと考えられる。
 AHANの活動は、ホームページに詳しく紹介されているので、ここで改めて言及する必要もないが、デンバーのホームレスに食事を提供したり、発展途上国にコンピューターや稽古着を寄付したりと広範な活動を展開している。私も、ホームレスへの食事提供を手伝わせてもらった。皆、とても迅速に動いており、私は、その流れを切るまいと懸命に働いた。こういった活動はとてもすばらしいし、なかなか出来るものではない。現に、日本館は数々の表彰を受けている。このような人道的活動が他の道場や、団体の啓蒙となり、賛同する人がますます増えるとことを願う。それにしても本間先生の行動力には脱帽するばかりである。
 先生がアメリカに帰国されたのは、私がデンバーを訪れた一週間後であった。一ヶ月の長旅からの帰国で、大変お疲れなのに、その夜、夕食へと連れて行って下さった。発展途上国で行われている合気道の事情や、先生の合気道観等、様々な話をして頂いた。実際に訪れて、見て感じた経験は、教科書では学べないとても貴重なものである。発展途上国は貧富の差が極めて大きく、ますます拡大するばかりだという。
 世界的に裕福である日本で生まれ、育ったことを幸せに感じた。それは優越感からではなく、純粋に感謝の念からであった。足るを知るという言葉があるが、何不自由なく生活できる現在の状況に満足するべきだ。五体満足で、大学にも通え、春からは大学院へと進学する。こうやって春休みを利用して、海外で好きなことをしている。それだけで、十分恵まれている。一歩立ち止まって考えてみれば、ありがたいと思えるし、なにもあせることはない。
 資本主義社会の弊害は、際限のない上昇志向であろうか。発展、成功のみが善とされる。皆が常に上を向いている社会。そんな私も例に漏れず、自己の精進のため、さらなる成長を求めて、アメリカ行きを決断したものであった。武道を始めたのも、肉体的にも、精神的にも強くなりたいと思ったからであるが、この4年で何事にも動じない心の強さが得られたかというと疑問符がつく。発展途上国の人々は今日、明日の生活のために、黙々と働く。それだけで、十分強いのではないか。と先生がおっしゃっられた。なるほど、と思った。上へ上へ、と思っていてもきりがない。まずは自分の足元を見て、一歩一歩着実に進んでいく。時期がくればその歩みが結実し、花開くであろう。地に足のついた生き方を。
 日本館での生活はというと、合気道の稽古は夕方からで、午前中は、基本的にフリーであった。朝は、掃除から始まり、昼の食事時はレストランの手伝い等がある。私は、英語が不慣れだったため、レストランの手伝いはせず、街を観光したり、庭の手入れの手伝いをした。インターネット設備も完備しているので、メールチェックも可能だ。朝の掃除後には、お茶を飲みながら、先生のありがたいお話を聞くことも日課の一つであった(笑)。
 稽古は16時から内弟子の稽古が1時間あり、その後、一般クラスが三クラスある。内弟子クラスは必須として、その他のクラスの参加は、本人の意思によるのだろう。よく分からなかったので、全て参加したが、体力はついた気がする。日本では、それなりに力があると自負していた私でも、こちらの人の強さには驚くばかりであった。まともにやったらやられるなー。いかんせん体がでかすぎる。熊並です。何食ったらそんなに大きくなるんだ。私は、食べても食べても痩せるばかりなのに…
 日本館には美しい日本庭園がある。デンバーは乾燥しているので、毎日の水やりは欠かせない。周りに緑が無いわけではないが、突如現れた日本庭園という感じだ。雪化粧した庭は、京都の庭園のように趣深く、この上なく美しい。思わず、見とれてしまう。なんとこの庭、先生と道場生の手によって作られたとのこと。さらに、故斉藤守弘師範によって、石の角度等が修正され、現在の形になったそうだ。まっこと驚きである。石には表情がある。今まで、考えたことも無かった。この庭の手入れを多少手伝ったのだが、農学部なのに、たいした仕事もできず、申し訳ありません。先生。庭に植えた松の木が、無事育つことを願っています。
 週末は、スキーやスノーボード等を楽しんだ。本場アメリカで。AHAN会長でもあるエミリー先生が道場生に声をかけて下さっていたらしく、コロラドでの生活を十分満喫することができた。ありがとうございます、エミリー先生。
 また、ある土曜日、本間先生に連れられて、天国に最も近い学園都市と言われるボルダーという街を訪れた。学園都市だけあって、中心街は学生等、多くの人で賑わっていた。ここは、高地トレーニングでも有名であり、高橋尚子も練習したことがあるとの事だった。日本料理のお店がいくつかあるようで、寿司屋と居酒屋、お茶屋に連れて行ってもらった。どこへ行ってもオーナーの方と仲が良く、良好な関係を築いているようであった。同業者にも敵を作らない。というのが、本間先生の考えで、ここにも合気道の精神が生きているという。
 最後の日本料理屋では、NBAのチケットを頂いてしまった。その日の試合だったため、急いでボルダーを後にし、会場へと向かった。歓声うずまく会場は、埋め尽くさんばかりの人で溢れていた。本場でみるNBAの試合は、とても熱狂的で、ものすごく興奮したことを思い出す。迫力あるダンクシュートは会場を何度も沸かせた。
 デンバーでの生活に慣れたのも束の間、日本に帰国する時間が次第に迫ってきた。一ヶ月、長いと思っていたが、実際終わってみるとあっというであった。皆、とても良くしてくれた。こちらの人は、本当によく声を掛けてくれる、気さくな人ばかりであった。言葉は上手く通じなくとも、合気道は出来る。言葉なんて必要なかった。合気道を媒体とした人と人とのつながり。試合のない合気道だからこそ可能であるのかもしれない。
 試合がないゆえに、日本では、他流派の技を非難しあう事も多々見受けられるが、私にいわせれば、とても了見が狭い。道場長ともなれば、その技を守る事は大事なことであろう。しかし、私たち学生、一般人は、そういった事に捕らわれず、いろんな物を見たほうが良いように思う。色々なものを吸収し、生み出していく。武道が人を作るのではなく、人が武道を作るとは、本間先生がよく口にされた言葉だが、それこそ武産ではないだろうか。海外で合気道をしたい、視野を広げたいという方は、日本館の門を叩かれる事をお薦めする。快く受け入れてくれるであろう。
 いよいよ、出発の日。この地に足を踏み入れた日とはうって変わり、とてもよい天気であった。ロッキー山脈が遠く彼方に佇むのが見える。内弟子のJoshuaさんが空港まで送ってくれた。飛行機に搭乗し、窓の外を眺めていると、様々な出来事が走馬灯のように私の頭を駆け巡った。最初はまったく知らない土地でも、次第に愛着がわき、いざ旅立たんとする非常に切なく、寂しいものである。確かに、此処に一ヶ月存在した。合気道をし、楽しく語り合い、充実した日々を過ごした、言いたい事が伝わらず、苦労することもあったが、皆、本当に良くしてくれた、そう思うと涙がこみ上げる思いがした。ひょっとしたらこれが最後になるかもしれない。そんな思いが胸を詰まらせた。飛行機から見るコロラドの大地は雄大で、暖かく、包み込んでくれるようであった。ありがとう。またいつの日か。   
桜の開花を待ち焦がれる春の日に
松尾 壮昌



 

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