■文化交流で学ぶ
信濃国松川響岳太鼓トルコ公演ツアーを終えて
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真剣な個人練習イスタンブル工科大学演奏会場にて
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トルコ、イスタンブルの飛行場。出国検査を終えた10人の打ち手たちは見送る私たちに明るい笑顔で手を振ってくれました。トルコ公演を成功に終えた笑顔、献身的に働いてくれたトルコ人スタッフの方々と交わす友情の笑顔でした。
主婦、公務員、薬剤師、福祉関係者、自営業、農家の専業あるいは兼業と10人の打ち手はそれぞれの仕事を持つ「普通の人」たち。しかし太鼓の前に立ちバチを構えたその瞬間、石火のごとき素早い集中力を発揮し、一糸乱れぬ「打ち手」に変貌する姿。このなんともいえない緊張感を錬りだすのはいったいどこからか、武道の奥義なんて云うものはこの辺ではないか。今日まで6年余りの響岳太鼓とのお付き合い、ボンヤリとではあるけど理解できるような気がした今回のご一緒でした。
長野県松川村、北アルプスを屏風とするその村に「信濃国松川響岳太鼓」の道場があります。県内はもとより、日本各地、世界各地で公演を重ねています。
日本館総本部との共同活動は在デンバー日本国総領事館との共催で「2004年日米修好100年記念デンバー公演」在リオデジャネイロ日本国総領事館との共催で「2005年AHAN日本館ブラジル支援公演」など、これまで七公演を行ない、TV出演や新聞報道など多くの反響を呼びました。
トルコのキーステーションの一つATVでTVDVDから抜き取り
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そして06年10月、在トルコ日本大使館主催としてトルコの首都アンカラで、世界遺産カッパドキアで有名なウルギュップ市では市との共催で、同じく世界遺産の街イスタンブル市では二つの財団との共催で「信濃国松川響岳太鼓公演ツアー」jを成功させました。いずれの公演も多くの関係者、諸団体の暖かいご理解と協力を得て行なう事が出来ました。深く感謝申し上げる次第です。
駐トルコ日本国大使公邸で阿部大使と一向
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アンカラ公演に先立ち阿部知之在トルコ日本国全権大使より昼食会にお招きいただきました。大使は緊張する我々を和やかに迎えてくれ大変有意義なお話を伺いました。
トルコと日本が古いころから友好関係にあることについて大使は「日本とトルコが距離的に遠く、過去に双方が問題を生じることが無かった事からでしょう。ただし友好関係と日本理解とを同等に考える事は別の事です。私は公邸から大使館など公用車に日の丸の旗を掲げて移動します。そのとき路上のトルコ人の方々が笑顔で手を振ってくれます。確かに非常に友好的とは思っておりますが、はたして日の丸の旗が日本であることが解って手を振ってくれているとは限りません。私たちの仕事と云うのは、そこから一歩踏み込んで日本を解ってもらえる事と言えます」私はこの言葉に大変感動しました。
日本人武道家として海外で生活し多くの弟子を持ち、AHAN日本館のリーダーとして精一杯の活動をしても、必ずしもそれが「日本文化や習慣の理解をしてくれている、親日、知日になった」と思い込む事は「単純過ぎるのではないか」といつも考えていたからです。
日本に滞在する外国人が日本武道など日本の文化に親しむと、必要以上に感動し「青い目のーー」と新聞記事になるほど注目を浴びる事があります(そうです、なぜか青い目なのです)地方に行けば行くほどその傾向が強く、中にはその「特殊な日本文化」を知り尽くし、その「特殊な日本文化」を巧みに渡り歩く外国人も多いのです。結果、とんでもない「日本感」を持って帰国した外国人に出会う事は珍しくありません。
外国人が日本食を食べたり、習い事をする、海外に出て日本文化公演をする事だけで「日本文化に理解を持っている」「友好関係が築けた」と思うのはどうも日本人の早合点であり、国民性なのかもしれません。明治時代に戻る「洋行帰り」のキンピカ主義がそのまま残っているような気がします。そういった単純な判断は、思い違いや重大な誤解の発生までの危険が潜んでいる事を忘れてはならないのです。
和太鼓という日本の伝統音楽を海外で演奏し、我々が何を与えるかでも何を与えられたかでもなく、「海外音楽公演」と言う企画を成功に導くまでの双方の努力、当然それまでに存在するさまざまな習慣や文化の異なりを乗り越える事が文化交流と私は捉えております。同時に「日本文化を海外で紹介」だけではなく「日本文化が海外で多くのことを学ぶ」でなければならないと思うのです。またそういった位置に自らを置いて海外の方々と交流を持つことが親善に結びつくと思っております。日本は古くから多くのことを海外から学んできました。そういった異文化との融合によって幾つもの「日本文化」が生まれました。
私がコラムなどで度々述べているように「日本#1思想」の位置からの世界への日本文化発信は自己満足に過ぎないことを自覚し「常に学ぶ立場」に立って相手と向き合う事を活動の最も大切なポリシーとして日本館の活動は行われています。
私は和太鼓を二つに別けて考えています。一つは照明や音響、特殊舞台設備を駆使して行なう「ショー太鼓」です。世界的にも有名な日本の和太鼓集団がデンバー郊外の野外ステージで日の明るいうちに行なった公演などは演出効果が使えず惨めなものでした。他の一つは「土の太鼓」です。生活の中から産まれ出たというか、村祭りや運動会で、社や運動場で演奏する太鼓集団の事です。もちろん高度な音響や照明などは無く、社の森や、紅白の幕が張られた地べたの上が舞台という公演スタイルです。
トルコ到着は深夜2時、早速部屋で太鼓を締める。
2時間を要しました。 |
響岳太鼓のブラジル、リオデジャネイロ公演のときでした。訪問した大学体育館の屋根の反響が激しく演奏が出来ない事がわかりました。会場でそれを判断した団長の茅野氏はそれでは外の芝生でーーとなったのですが外は今にも雨が降り出しそうな空模様。しかし茅野氏は「あの大きな木の下なら」と太鼓打ちにとって一番危険な雨を躊躇もせず客と向かい合おうとする姿に、数百人の観客が自主的に各自のイスを持って移動した事があります。今回のトルコ公演でも日、米、トルコ3カ国間のコミニケーションの不調から現場で突き当たったいくつかの公演上の問題がありましたが茅野氏は冷静な態度ですべてを切り抜けました。そういった態度が現地協力者の共感を呼ぶ結果となり公演成功につながりました。おそらく「ショー太鼓」ではキャンセルに結びつく事柄を乗り越えたのは「土の太鼓」だから可能であった事と私は思っています。見せる聞かせる太鼓ではなく、地元の人と一体となった公演態度がこの公演ツアーを成功に導いたのです。
現地コーデネイターのバヌさんも手伝っての太鼓締め |
ステージをセット |
ストレッチは体力維持の基本 |
司会の本間館長、通訳の町さんもリハーサル |
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