館長コラム◆◆  

ユン先生と若い力
 


韓国合気道の将来を担う合気道家達

 合気道も長くやりますと独特の「袴歩き」という「合気族」の歩き方になります。そうです、貴方もそうなのです。一杯やっての梯子の途中、付いてくる後輩たちがその歩き方をまねして遊んでいる事を気が付かないだけなのです。会議中、つい小手返しや二教運動をして、慌てて手を擦り合わせる様な症状も「合気族」の特徴です。
 「合気族」も極まった人になりますと、歩き方から身のこなしまで自分の長い間の指導者にそっくりとなります。べつに意識してそうなるわけでなく、一寸一秒も見流さない熱心な稽古態度が自然に身体に染み付くのでしょう。

 ソウルの高台に位置するシーラホテル。迎えに来てくれたのはユン先生、奥さま、そしてお弟子さん達でした。だいぶ大きなロビーで混雑もしてましたが、私はユン先生を直ぐに見つける事が出来ました。なぜなら、ホテルのロビーを遠くから歩いてくるユン先生は小林師範そっくりの「合気族」極まりの人だったからです。  
 ユン先生の師である小林師範とは東京小平市に本部の有る「合気道小林道場」の小林保雄師範で、多くの指導者を育てられ、世界各国に支部道場を持ち活発に指導されている私の尊敬する合気道師範のお一人です。
www.kobayashi-dojo.com


 ユン.インアン先生の社団法人大韓合気道連盟本部道場は韓国ソウルの麻浦区老姑山洞にあります。ユン先生はそこの道場長です。韓国で始めて合気会合気道
を定着させたパイオニアです。ユン先生と小林師範の出会いは後で紹介するとして、今回の韓国訪問でのチョットしたエピソードを。

 韓国移動中のバスで隣に乗り合わせたアメリカ人客、韓国にルーツのある宗教団体の世話役らしく20人ばかりのアメリカ人を引き連れていました。バスには他のホテルから乗り込んだ日本人客もおりました。バスはこのアメリカ人グループの行動の鈍さから20分以上も遅れてしまいました。このバスには英語と日本語の若い女性ガイド二人が添乗しており、日本人客に遅れている事情を恐縮しながら説明していました。
 日本語ガイドから始まったのがまずこの世話役の気に触ったらしいのです「英語が国際語だ」と呟きました。さて英語のガイドさんが「皆さんこれからは集団行動です。時間は厳守して下さい」と遅れたこの一団にピシャリ。これに世話役多いにプライドを傷つけられたらしく「なんだアイツは日本人か」と隣にいる私に顔を寄せて聞くのです。「どうして?」と尋ねますと「あんなルードな事を云う女は日本人だ」と断言したのです。3時間余りの移動中この世話役は彼女のありとあらゆる中傷を周りの人に云い続け、挙句の果てにはどこかに電話をして「彼女をもう採用するな」とまで言う始末。しかし彼女は英語の勉強中のアルバイト韓国人学生だったのです。
 どんなに私が紳士を気取っていてもここまで。「なぜ、ルードな人物であれば日本人か」と問い返し「私は多くのアメリカ人を知っているけど、貴方は最も悪い例のアメリカ人だ」と睨みつけました。
 世界平和等に関する会議の部外活動で、隣り合わせた人とのカード交換のような事がありました。私の隣に座った韓国女性、私を上から下までジーと眺めて一緒の人に「日本人なの、嫌だ」と云ったのです。私がアメリカから来たのでアメリカ人と思っていたからです。「日本人なら嫌だ」と云われてもどうしようもないのでその場を離れました。

 この二つのハプニングは韓国の方々になんの悪意も持たない私にとって大きなショックでした。小学生のころ同級生の遊び友達もいたし、アメリカに住む今も週に一回は韓国のスーパーや焼肉屋に行くし、そこのやさしいオネーちゃんも、気前のいいアジュモニも、洗濯屋のアモニも、私の整体士も、韓国出身の方との付き合いは長かったからです。
 このハプニングは、子どもの頃の故郷を訪ねたような、穏やかな一時を楽しんでいた私を日本と韓国の暗い歴史にグイグイト引き込んでしまいました。

 1910年日本は朝鮮半島を植民地侵略、民族抹殺政策とも云われた日本人化(皇民化)政策を強行し、強制的日本人名への変更、韓国語から日本語への強制変更、そして日本帝国軍人としての強制徴用、日本本土での強制労働、帝国日本軍人相手の強制慰安婦などなど、随分な事をしました。 
 この悲惨な歴史は皮肉にも「日本政府はすでに謝罪している」と繰り返す日本政府によって逃れられない事実となっています。悪くなければ謝罪する必要がないのですから。
 戦後、朝鮮半島の方々は蹂躙された民族の誇りを取り戻そうと、先ずは強要された日本化の名残を払拭することに力を入れ、つい最近まで、日本の文化、芸能、歌謡、雑誌など日本的なものは拒否されてきました。勿論日本語は厳禁で、たとえば合気道は ハップキ道、柔道はユウ道、剣道はカム道と韓国読みしました。7年くらい前からかなり自由になったとはいえ、日本で有名になった韓国人の歌手が「日本の歌」という理由で祖国では歌えない、そんな事があったり、日本を好評価した韓国人TV司会者が降ろされるという事も起きています。それほど韓国の方々の心の奥深く過去の歴史が刻み込まれているのでしょう。

 韓国に深く関わりの有る宗教団体の方が日本人女性を「ルード」と決め付けたり、私を「日本人は嫌い」と切り捨てた韓国女性にも、日本の植民地侵略の後遺症は身に染み付いているのでしょう。この女性が戦後生まれであっても祖父母や両親からの影響は強いでしょうし、韓国右派宗教団体のメンバーと思想を共にする外国人が影響を受けて当然の事でしょう。
 戦後生まれの私にとっては耐え難い事であるけど、むしろこの二人の行為は、日本と韓国の過去の歴史を忘れないための警鐘であり、私が生れた国である日本が犯した愚かな行為を認識し、平和の大切さを確認する意味で謙虚に受け止めようと私は考えました。
 なぜなら、日韓の過去を充分に知りながらも満面に笑みを浮かべ、私の暗い気持ちを吹き飛ばしてくれた多くの韓国人の方達にも出会ったからです。
このコラムで紹介するユン先生と韓国各地から集まった若い指導者や門下生もそういった方達でした。ユン先生と奥様はもう長い間の友人のように私を彼の道場に迎えてくれ、奥様の日本語は私に何の不自由を与えませんでした。そればかりか稽古指導のチャンスすら気軽に与えてくれました。元気な門人の皆さんも大変に友好的で、その熱心な稽古姿は将来の韓国における合気道の大発展を見るようでした。

 ユン先生は1960年生れ、韓国合気道のパイオニアであり,明日を築くリーダー育成の大任をこなしておられます。ユン先生は警察などにテッコン道を指導していた父親の影響を受け幼少の頃から武道に興味をもち、テッコン道、剣道、ハップキ道、空手、キックボクシングなどを稽古されました。特に軍隊ではテッコン道を指導、キックボクシングを韓国で始めてプロモートされた経歴を持っています。


ユン先生と本間館長

 台湾をキックボクシングの試合のため訪問した際「韓国と同じ合気道と書く日本の合気道」を知り、其の時に出会った小林師範との関係から小林道場に住み込んで修行を始められ、日本の合気道を始められました。その後度々日本の小林道場を訪れ稽古を重ねておられます。
 小林師範との出会いはユン先生にとって衝撃的であり「隣の人の好いおじいさんみたいな小柄な人に、ハップキ道6段、テッコン道5段、過去にはキックボクシングのチャンピオンにもなった自分がポンポン投げ飛ばされる。ハップキ道とは全く異なるその不思議な技に私は益々興味をもち、この道を修めたいと決心した」と著書に述べておられます。1994年にソウルに始めて道場を開き、現在では韓国全土に支部、門下生を有する組織に育て上げました。

 韓国には戦後、ハップキ道(日本ではハブキ道と書くようですが、ここではアメリカ読みに書きます)という日本語で「合気道」と書く武道があります。ユン先生が合気道(アイキドウ)として指導を始められた時には多くの方々が「混乱」したのは云うまでも有りません。色々なご苦労があったとお聞きしました。
 30年前のアメリカにもハップキ道と呼ばれた合気道はどこの街にも道場を開いていました。その多くは合気道開祖植芝盛平の写真を掲げ、漢字で「合気道」と書き、私は随分と疑問を感じたものでした。最近は写真も合気道の漢字も除かれ、韓国オリジナル武道として指導しているようですが、数はだいぶ少なくなりました。
 私が調査した「ハップキ道と日本の大東流や合気道の歴史的関わり」についての考証は、このコラムで触れる事はしませんが、戦後、韓国内の日本文化払拭時代に始まったハップキ道が、どの様に発展したのかは大変興味のあることです。

 ユン先生の本部道場で若い方々と稽古をさせていただきました。その日は韓国各地の指導者の研修会であったそうです。道場には一種独特なパワーがあり、俗に云う「体育会系」のムードが張り詰めていました。稽古後は懇親会を開いていただき、フレンドリーな青年門下生とマッコリを飲み交わしながら有意義な一時を過ごし、翌日にはユン先生や幹部のお弟子さんがソウルの町を案内してくれました。穏やかな心使いはとても温かいものを感じました。


道場の皆さんと

 私はユン先生の道場訪問前、南北境界ゾーンDMZにある板門店を訪れていました。1953年南北朝鮮戦争停戦協定以来、同じ民族が南北に分かれ、分断国家として今日に至っています。この悲劇の歴史を紐解く時に、日本の植民地侵略が大きく関わっていた事実を、同行の若いガイドさんは一言も口にする事は有りませんでした。 
 年老いて死期の迫った分断家族の事、南北間の友好事業の事など、悲劇の中にポジティブな将来を探る若い韓国人女性ガイドさんに、熱いものを感じ、心の中で「ありがとう」と言いました。


板門店北朝鮮側にて

DMG板門店南側より

 ユン先生を中心に飛躍的発展をしている大韓合気道連盟。韓国の若い合気道家が、前向きな日韓関係、そして世界の架け橋となって活躍してくれる事を心から期待するのです。

 今回の訪問にあたり、私は事前に日本の小林保雄師範にユン先生道場訪問の承諾を得るためEメールを送りました。数時間にして返信があり「私からも伝えておきます」と快諾してくれました。小林師範が育てあげた日本人、外国人指導者は世界各国で活躍されています。最近、合気道生活50年を振り返ったご著書を拝読し、大変なご苦労の末に今日の小林道場が有る事に感動しました。
 小林師範の寛大寛容なお心によって、私は韓国で素晴らしい出会いをする事ができました。深く感謝申し上げるものです。同時にお世話になりましたユン先生、奥さま、門下の方々にも感謝申し上げます。有難う御座いました。

       平成17年7月29日
日本館 館長 本間 学 記

→上に戻る