大洋州に浮かぶ島国、マーシャル諸島共和国。人口約6万人程の小さなこの国に、何があるのかと聞かれると、私は胸を張ってこう答えるだろう、美しい海と人々の笑顔、そして、温かさがあると。悲しい歴史の中を生きてきた彼らは、それを微塵も感じさせないほど陽気で、そして強く逞しい。日本統治時代の影響で、日系マーシャル人も多く、非常に親日的であり、「エンマン」「サンポ」「カリントン」等の日本語も、今現在も現地語として使用されている。そんなマーシャルでネット環境が整い始めたのは、ここ数年のこと。情報量は多いとは言い難く、様々な場面で選択肢の幅の狭さを感じる。この国で盛んなスポーツと言えば、バスケットボール、バレーボール、そして野球(ソフトボールのことを「Yakyu」と呼んでいる)の3つで、それ以外のスポーツをやるマーシャル人は非常に稀である。武道で言えば、映画の影響でカンフーは非常に人気があり、道端ではカンフーごっこをしている子供達をよく見かける。また以前活動していた日本人の影響で「空手」という言葉はよく耳にする。ただ、どんな日本の武道を見ても、全て「空手」に見えるらしく、「相撲」ですら「空手」と呼ぶ者がいる。そんなマーシャルで合気道を始めたきっかけは、自分自身の稽古を続けたいという、ただそれだけであった。ここでの2年間、全く合気道に触れないということに我慢が出来なかったからである。しかし、その気持ちは次第にマーシャルに合気道を紹介したいという気持ちに変わって行き、最終的に同僚一名、マーシャル人数名と、小さな合気道クラスを始めるに至った。開始後、同僚のサポートもあり、技に限りはあったものの、デモンストレーションを行ったり、新聞広告を利用する等し、合気道の普及にも努めたが、結局、長続きはしなかった。それは稽古に参加した殆どの者が何かを継続して練習するということに慣れていなかったこと、そして、合気道というものがどのようなスポーツなのか理解しようとせず、実際に使用できる技を習いに来た者が多かったということが大きな理由であった。また、自分自身のレベルの問題も勿論あった。人を指導するようなレベルに達していないのにも関わらず、合気道を広めようと考えたこと自体が問題だったのである。しかし、そんなことも言っていられない。自分自身はどうしても稽古を続けたかったのである。そんなある日、子供に合気道を教えて欲しいと言われた。始めは断っていたが、周りの後押しもあり、合気道キッズクラスを開いてみることにした。稽古は合気道というよりは楽しく体を動かすことを中心に、準備運動や基本技が殆どのクラスであるが、5人から始めたクラスも現在は12人に増えた。本物の合気道というものがどのようなものかを知らずに稽古を続け、合気道を習っているにも関わらず「空手」と言ってしまう、そんなキッズクラスの子供達にとって今回の先生方との出会いは、かけがえのない経験となったに違いない。初めは緊張していたが、目をキラキラと輝かせ、先生の話に必死に耳を傾け、新しい技に挑戦する彼らの姿を見て、自分自身も指導者として成長しなければならないと感じたし、やると決めた以上は中途半端に終わることなく、先に繋げていくことを考えながら活動していかなければならないと思った。先生方には無理をお願いし、滞在中は、「日本祭り」での一般向けデモンストレーション、大学での講義、小学校でのデモンストレーション等を行って頂いた。マーシャルの子供達、そして若者達は、先生方との出会いの中で何を感じ、考え、そしてそこに何を見たのだろうか。合気道そのものに興味を持った者、日本文化に興味を持った者もいるだろう。また、このようなスポーツは自分には合わないと思った者もいるだろうし、姿をなくしつつあるマーシャル武道「マンベ」について考えた者もいるかもしれない。そして、マーシャルの伝統文化を守ろうという考えを持つ者も出てくるかもしれない。勿論、何も感じなかった者もいるであろう。働きかけが何もなければ、全てゼロで終わってしまう。知られることなしに、終わってしまう。しかし、現在の状況は0(ゼロ)ではない。先生方の帰国後、道を歩くと「AIKIDO〜」、自転車で道を走っていても「AIKIDO〜」、タクシーに乗っていても道端から「AIKIDO〜」、タクシーの中から「AIKIDO〜」と呼ばれるようになった。「AIKIDO」は、今後、恐らくマーシャルの現地語として、そして、私の名前として使われていくことであろう。「AIKIDO」という言葉が口から出る。これは、紛れもなくゼロではないという証拠なのである。今までは一人で種を蒔いていた。その種が育つかどうか不安を抱えながら蒔いていた。そこへ強力な助っ人達がやって来て、一人では到底蒔くことのできない量の種を一緒に蒔いて、去って行った。そして、また一人になった。助っ人達はもうそばにはいない。しかし、今回の一人は前回の一人とは違う。助っ人達が近くにいなくとも、彼らを近くに感じることが今は出来るのである。これからは助っ人達に感謝し、彼らの労力を無駄にしないよう、マーシャルの人々と共に、マーシャルにあったやり方で、先を考えた活動を行っていきたいと思う。 |