米国の真ん中でホームレス食事支援体験

第一印象は、「普通だ」
 日本で生活して23年になるが一般的に呼ばれる「ホームレス」の人と関わったことは一度もないし、その事について考えたこともなかった。時々、高速道路の下などで、ダンボールなどで作った家のようなものを見掛けたり、登校のとき道端に落ちている空き缶を大量に拾っている姿を見掛けるだけで、流れる景色の一部としか思ってなかったような気がする。
 現在私が内弟子をしている日本館で23年も続いている食事支援をすると聞き、今まで知らなかった世界に触れる好奇心の反面、大丈夫なのだろうかと少々不安に思ったが、道場の皆さんたちと食事の準備をしたり、朝から大量のカレーを作ったりと楽しい経験をする事が出来た。ホームレスと言う社会問題を楽しんで良いのだろうかと考えもし複雑な心境となった。
 実際にホームレスの人達と出会い最初に感じたのは、始めに書いた通り、拍子抜けするほど普通だった。見た目もそうだが表情が明るい人が多くその場の雰囲気も明るかった。度々、サンキュウという言葉を聞いてこちらも嬉しくなったし、恐怖心も忘れてしまった。
 私はなぜ怖いという先入感を持ってしまったのか考えてみた。もし日本で同じことを行った場合、その場は「サンキュウ」ではなく「すみません」という言葉で溢れていたと思う。もちろん、日本人のすみませんには、「ありがとう」という意味も含まれていると思うが、その場の空気は重そうだ。私は勝手に重そうな空気を想像して不安を感じていたのだろう。

今回の体験で私はホームレスの人達に対しての警戒心が下がったように思った。しかし、食事支援終了後、先生の話を聞いて気を引き締め直した。なぜなら、私が見た世界はホームレスの人達のホンの一部に過ぎないのだそうだ。どんな武器を隠し持っているかもわからないし、その人が本当はどんな人なのか考えてもわからない。その人の一面を見ただけで気を許すのは危険な行為だという事を過去23年の体験を通して話してくれた。「でもね未来さん、英語の諺に、誰だってクローゼットの中に骸骨を隠している、と言うのが有るけど、どんな人でも其処に触れなければ安全だよ。一人の人間として敬意を持ってね。それに美味しいものを食べている時はみんな優しいよ」と本間館長。来月の食事支援も笑顔で参加したいと思う。

今回の体験で、まだまだ知らない世界が多くあることを痛感した。知らないというのは、その事について考える必要がないから楽だ。しかし、私は助けを求めている人を見逃さない人になりたい。そのためには、もっと多くのことを知る必要があるので、これからは足踏みしてないで知らない世界に飛び込んで行こうと思った。
                                
おわり
 


                    日本館総本部内弟子
                       合気道小林道場傘下道場所属
                              土屋未来 記