デンバーを訪ねて

2月17日〜3月17日

 2月17日、デンバー空港に降り立つ。その日はとても寒い日で、この滞在の初日としては、決して望ましいとはいえない天候であった。デンバー空港には内弟子の方が車で迎えに来てくれることになっていた。サンフランシスコでのフライトが一時間近く遅れたたが、待っていてくれていた。はじめての渡米であり、日本からデンバーまでの16時間を越す長いフライトで、やっと一息をつけた瞬間であった。車上では、片言の英語ではあったが、色々と道場の話を聞くことができ、これから始まる生活に不安を感じつつも、胸を膨らませた。
 
 合気道を始めて4年程になる。色々と合気道の歴史等を調べるうちに、日本館の存在を知ることとなる。日本館は内弟子を取っているようで、大学最後の春休みに集中的に稽古をしようと考えていた自分にはとてもよい機会であった。
 英語圏へ行きたいという思いは以前からあり、日本を離れて、異国の地で合気道をしてみたい、視野を広げたい。自分を試してみたい、そんな思いが日増しに強くなった。

 言葉も異なる、知らない土地に一人で行くわけだから、不安もあったが、踏み留まっていては何も始まらない。自分を追い込むことが成長への一歩だと考え、日本館にコンタクトをとり、内弟子の許可を頂くことが出来た。

 空港から30分もすると、日本館に到着した。あたりは一面の雪である。この時期には珍しいほどの冷え込みだとか。日本館はデンバーのダウンタウンから徒歩10分のとても便利な場所に位置する。荷物をひもとくと、さっそく稽古である。金曜日は武器のクラス、武器技と体術の関連性が合理的に説明され、とても納得のいく内容であった。

 稽古が終わると、日本館付属で、コロラド州でも指折りの日本食レストランである『DOMO』 にて(詳しくは日本館ホームページ、英語版にて)、他の稽古生とともに食事を頂く事になった。皆、本当に快く歓迎してくれた。日本酒を片手に、デンバーや、日本、京都の事等、様々な会話を交わした。言いたいことは上手く伝えられなかったかもしれないが、身振り手振りでなんとかなりそうな気がした。

 このレストランのおかげで、一ヶ月、食事に困る事が無かった。他のレストランでも食事をする事はあったが、やっぱり日本食が一番だ。アメリカでも、日本食はかなり愛好されており、異国の地で日本食を食べる事が出来たのは、とても幸いな事であった。つくづく、私には米が必要だと思った。Give me rice!
 
 それにしても、こっちの人はよく食べる。最初は、時差ぼけで体調が優れなかった事もあって、完食するのがやっとであった。滞在も半分を過ぎると、こちらの量にもなれ、むしろもっと欲しいと思うようになったのは、人間の適応力の賜物であろうか。
VIVA!DOMO!!


日本館の館長である本間先生はというと、海外のAHAN活動等のため不在であった。もちろん了解済みである。AHANとはAikido Humanitarian Active Networkの略で、日本語でいえば、合気道を通した人道的援助のネットワークであろうか。合気道の精神は、愛だ、平和だと唱える人は多いが、実際に、こういった合気道の精神を現実に移し、社会貢献をしていこうとする道場はそう多くはない。今回の先生の訪問は、インド、ネパール、バングラデッィシュ、モンゴルと発展途上国を自ら訪問し、その現状を自分の目でみて認識し、今後の活動に生かすことが目的の一つであったと考えられる。

 AHANの活動は、ホームページに詳しく紹介されているので、ここで改めて言及する必要もないが、デンバーのホームレスに食事を提供したり、発展途上国にコンピューターや稽古着を寄付したりと広範な活動を展開している。私も、ホームレスへの食事提供を手伝わせてもらった。皆、とても迅速に動いており、私は、その流れを切るまいと懸命に働いた。こういった活動はとてもすばらしいし、なかなか出来るものではない。現に、日本館は数々の表彰を受けている。このような人道的活動が他の道場や、団体の啓蒙となり、賛同する人がますます増えるとことを願う。それにしても本間先生の行動力には脱帽するばかりである。

 先生がアメリカに帰国されたのは、私がデンバーを訪れた一週間後であった。一ヶ月の長旅からの帰国で、大変お疲れなのに、その夜、夕食へと連れて行って下さった。発展途上国で行われている合気道の事情や、先生の合気道観等、様々な話をして頂いた。実際に訪れて、見て感じた経験は、教科書では学べないとても貴重なものである。発展途上国は貧富の差が極めて大きく、ますます拡大するばかりだという。

 世界的に裕福である日本で生まれ、育ったことを幸せに感じた。それは優越感からではなく、純粋に感謝の念からであった。足るを知るという言葉があるが、何不自由なく生活できる現在の状況に満足するべきだ。五体満足で、大学にも通え、春からは大学院へと進学する。こうやって春休みを利用して、海外で好きなことをしている。それだけで、十分恵まれている。一歩立ち止まって考えてみれば、ありがたいと思えるし、なにもあせることはない。

 資本主義社会の弊害は、際限のない上昇志向であろうか。発展、成功のみが善とされる。皆が常に上を向いている社会。そんな私も例に漏れず、自己の精進のため、さらなる成長を求めて、アメリカ行きを決断したものであった。武道を始めたのも、肉体的にも、精神的にも強くなりたいと思ったからであるが、この4年で何事にも動じない心の強さが得られたかというと疑問符がつく。発展途上国の人々は今日、明日の生活のために、黙々と働く。それだけで、十分強いのではないか。と先生がおっしゃっられた。なるほど、と思った。上へ上へ、と思っていてもきりがない。まずは自分の足元を見て、一歩一歩着実に進んでいく。時期がくればその歩みが結実し、花開くであろう。地に足のついた生き方を。

 日本館での生活はというと、合気道の稽古は夕方からで、午前中は、基本的にフリーであった。朝は、掃除から始まり、昼の食事時はレストランの手伝い等がある。私は、英語が不慣れだったため、レストランの手伝いはせず、街を観光したり、庭の手入れの手伝いをした。インターネット設備も完備しているので、メールチェックも可能だ。朝の掃除後には、お茶を飲みながら、先生のありがたいお話を聞くことも日課の一つであった(笑)。

 稽古は16時から内弟子の稽古が1時間あり、その後、一般クラスが三クラスある。内弟子クラスは必須として、その他のクラスの参加は、本人の意思によるのだろう。よく分からなかったので、全て参加したが、体力はついた気がする。日本では、それなりに力があると自負していた私でも、こちらの人の強さには驚くばかりであった。まともにやったらやられるなー。いかんせん体がでかすぎる。熊並です。何食ったらそんなに大きくなるんだ。私は、食べても食べても痩せるばかりなのに…

 日本館には美しい日本庭園がある。デンバーは乾燥しているので、毎日の水やりは欠かせない。周りに緑が無いわけではないが、突如現れた日本庭園という感じだ。雪化粧した庭は、京都の庭園のように趣深く、この上なく美しい。思わず、見とれてしまう。なんとこの庭、先生と道場生の手によって作られたとのこと。さらに、故齋藤盛弘先生によって、石の角度等が修正され、現在の形になったそうだ。まっこと驚きである。石には表情がある。今まで、考えたことも無かった。この庭の手入れを多少手伝ったのだが、農学部なのに、たいした仕事もできず、申し訳ありません。先生。庭に植えた松の木が、無事育つことを願っています。

 週末は、スキーやスノーボード等を楽しんだ。本場アメリカで。AHAN会長でもあるエミリー先生が道場生に声をかけて下さっていたらしく、コロラドでの生活を十分満喫することができた。ありがとうございます、エミリー先生。

 また、ある土曜日、本間先生に連れられて、天国に最も近い学園都市と言われるボルダーという街を訪れた。学園都市だけあって、中心街は学生等、多くの人で賑わっていた。ここは、高地トレーニングでも有名であり、高橋尚子も練習したことがあるとの事だった。日本料理のお店がいくつかあるようで、寿司屋と居酒屋、お茶屋に連れて行ってもらった。どこへ行ってもオーナーの方と仲が良く、良好な関係を築いているようであった。同業者にも敵を作らない。というのが、本間先生の考えで、ここにも合気道の精神が生きているという。

 最後の日本料理屋では、NBAのチケットを頂いてしまった。その日の試合だったため、急いでボルダーを後にし、会場へと向かった。歓声うずまく会場は、埋め尽くさんばかりの人で溢れていた。本場でみるNBAの試合は、とても熱狂的で、ものすごく興奮したことを思い出す。迫力あるダンクシュートは会場を何度も沸かせた。

 デンバーでの生活に慣れたのも束の間、日本に帰国する時間が次第に迫ってきた。一ヶ月、長いと思っていたが、実際終わってみるとあっというであった。皆、とても良くしてくれた。こちらの人は、本当によく声を掛けてくれる、気さくな人ばかりであった。言葉は上手く通じなくとも、合気道は出来る。言葉なんて必要なかった。合気道を媒体とした人と人とのつながり。試合のない合気道だからこそ可能であるのかもしれない。

 試合がないゆえに、日本では、他流派の技を非難しあう事も多々見受けられるが、私にいわせれば、とても了見が狭い。道場長ともなれば、その技を守る事は大事なことであろう。しかし、私たち学生、一般人は、そういった事に捕らわれず、いろんな物を見たほうが良いように思う。色々なものを吸収し、生み出していく。武道が人を作るのではなく、人が武道を作るとは、本間先生がよく口にされた言葉だが、それこそ武産ではないだろうか。海外で合気道をしたい、視野を広げたいという方は、日本館の門を叩かれる事をお薦めする。快く受け入れてくれるであろう。

 いよいよ、出発の日。この地に足を踏み入れた日とはうって変わり、とてもよい天気であった。ロッキー山脈が遠く彼方に佇むのが見える。内弟子のJoshuaさんが空港まで送ってくれた。飛行機に搭乗し、窓の外を眺めていると、様々な出来事が走馬灯のように私の頭を駆け巡った。最初はまったく知らない土地でも、次第に愛着がわき、いざ旅立たんとする非常に切なく、寂しいものである。確かに、此処に一ヶ月存在した。合気道をし、楽しく語り合い、充実した日々を過ごした、言いたい事が伝わらず、苦労することもあったが、皆、本当に良くしてくれた、そう思うと涙がこみ上げる思いがした。ひょっとしたらこれが最後になるかもしれない。そんな思いが胸を詰まらせた。飛行機から見るコロラドの大地は雄大で、暖かく、包み込んでくれるようであった。ありがとう。またいつの日か。


桜の開花を待ち焦がれる春の日に
松尾 壮昌