ニュース&イベントレポート◆◆  
 

 
--目次----------------------------------------------------------------------
合気道日本館総本部海外講習会報告
■マーシャル諸島マジュロ市CMI日本文化祭
■イタリア パラマ市小児病院基金募集合気道講習会
■ネパール陸軍レインジャー部隊格闘技講習会
■モンゴル5年ぶりの訪問
■本間館長ボリビア訪問

亜範日本館総本部海外活動報告
■タイ ビレイハウス クリスマス 本間館長訪問
■タイ カレン族難民コミニティー教会完成 本間館長出席
■ミヤンマー シッツウエイ市 本年三度目の訪問
■タイ ビレイハウスにノートパソコンなど寄贈
■本間館長 ミヤンマー シッツウエイ市再訪
■本間館長 タイ ホエパク集落AHAN教育センター建設現場訪問
■ミヤンマー、ヤダナポン僧院男児支援施設 本間館長訪問
■ミヤンマー、シッツウエイ市、緊急亜範プロジェクト本間館長訪問

亜範日本館総本部米国内活動報告
■元ミヤンマータイムス編集長 米国、日本訪問
■路上生活者食事支援プロジェクト報告
    ミッションでの食事サービスから新体制に
■秋の勤労奉仕 「ベッドTOベッド」

海外亜範日本館コーデネイターからの活動報告
■亜範日本館ネパール
■亜範日本館ミンダナオ教育センター(フィリピン)
■亜範日本館イズミル(トルコ)
■亜範日本館バングラデッシュ
■亜範日本館ミヤンマー

合気道日本館総本部ニュース
■夏季集中マラソン稽古
■合気道史家 スタンレー プラニン先生日本館総本部講演
■ユースクラス生 道場宿泊体験
■本間館長日本訪問

道場便り

編集部より





合気道日本館総本部海外講習会報告
マーシャル諸島マジュロ市CMI日本文化祭
  平成25年2月5日〜2月13日



元気な子供たちと
右 森山先生 左 トンプソン先生

緑青色に囲まれた真珠の首飾りと呼ばれる北太平洋のマーシャル諸島(RMI)ロサンゼルスからハワイに6時間、乗り継ぎに7時間要して、さらにRMIのマジュロ環礁の空港まで5時間、日本館総本部のあるデンバーからの飛行時間を加えたら結構長い旅でした。マーシャルアイランドカレッジ(CMI)はこの島のダウンタウンにありました。
 滑走路の両側に海が迫り、このまま海に入って行くのではないかと思われる飛行場、外に出て車一台分の向こうは海。さらに在マーシャルアイランド日本大使館の加嶋臨時代理大使が直接お出迎え下さり驚きが重なりました。


加島臨時代理大使宅で

訪問目的は加嶋臨代の紹介により、JAIC派遣でCMIで日本語教師をしながら自主的に合気道を子供達に指導している森山史子先生からの依頼で合気道演武と指導のためでした。演武は5年ぶりに復活させた日本文化祭「MATSURI」で行なわれ、現在RMIで活躍するJAICスタッフが総力を挙げて行なった企画でした。その他に大学での公開教室、生徒数600人余りの小学校での演武、RMI警察長官ご列席での演武、子供合気道クラス指導など充実した日程をこなしました。


会場には日本館持参の鯉幟も


CMIの学生に合気道原理を指導する本間館長

学生に指導するトンプソン先生

RMI警察長官など警察関係者を前に特殊演武


長官(中央)鹿島臨代(白いシャツ)

早朝、島の人々に合わせてユックリ歩きながら本間館長が私に話した言葉をどうぞ。「とんでもない遠い島にたった一通のメールで来ているけど、これが現在の日本館の原点だよ。アメリカに私が渡ったときは稽古着だけ、現在のように生徒に囲まれていたわけでもない。其の頃はすでに富木流合気道や諸流派の空手がしっかりと日系人組織に食い込み、私の入る隙間どころか随分非情な事も繰り返されたものだ。仕方が無いから小中学校巡りやどんな小さなエベントでも依頼があれば出かけて行った。いわばドサ周り、良く言えばストリートパフォーマーの繰り返し。今は大きな道場になり外での演武はしないようになったがやっぱり基本は一般大衆の前での演武、その手ごたえこそ自身のレベルを確認する良いチャンスなんだ。ましてや努力して合気道の普及をしている人が支援を求めるのであれば出かけてくる事も大切と思う。前線に出て大衆の好みを知らなければ道場などやっていけないよ。だからこういったチャンスを貰える事に本当に感謝しているよ」
 普段の日本館内弟子稽古などでは決して見せない、和やかでジョーク交じりの演武、子供クラスの指導では創意工夫を凝らした指導法、大学生相手には武道の歴史講義からの深い説明。すでに本間館長には数カ国のお供をさせて戴いているがこれほど幅の広い指導を経験したのは始めてでした。


会場には日本からの寄付による分別のゴミ箱が

本間館長は帰りの機内で「美しいこの島も一時はゴミの島と呼ばれ日本政府を中心としたNGOの活躍によって分別習慣が住民にいきわたったと聞いた。小学校でのリサイクルの授業には感動した。JAICからの若い教師たちが日本語や数学を指導しその献身振りに頭がさがった。その殆どは2年の任期で帰国するがこういった体験を積んだ優秀な若い方々を日本でどのように評価してくれるのか心配。ご苦労様、だけではなく派遣隊員の体験が日本で充分に生かされて欲しいね。苦労が思い出だけに終わって欲しくない」と窓の下の美しい海を眺めて語りました。
 滞在中、CMIの学生で今回のエベントのリーダーとして活躍していた「ニコちゃん」の実家で伝統的歓待を受けました。マーシャルの方々は日本人にはとても友好的で、日本統治中の面影が随分残っていました。


ニコちゃんの家族と


これが伝統食、パンの木や椰子の甘さのおにぎりなど

バスケットの作り方を教えてくれた

わずか数日前はイタリアでの講習会、そしてマーシャルアイランド。63歳とは思えない本間館長のエネルギー「呼んで貰えるうちはね」と館長スマイル。
イタリアに続いてRMIでも杖のパフォーマンス、ユーチューブでヒット中。どうぞこちらをご覧下さい。
http://youtu.be/6KuepCs2Tws

http://youtu.be/XoqMvpnOBTw

森山先生からとても素晴しいコラム「アイキドー」が届いています。
森山さんのコラム

なお、子供達に稽古着が本間館長から寄贈されました。

お世話になった皆様に心から感謝申し上げます。


本間館長と私トンプソン

日本館総本部指導員 山道場 
道場長 リップ トンプソン 





イタリア パラマ市小児病院基金募集合気道講習会 
 平成25年2月1日〜3日



イタリア北西部パラマジャンチーズと生ハム(プシュドー)の特定生産地で有名なパラマ市において、マイケル ネム先生http://www.aikidoinsieme.it/ が主催する合気道インシメで本間館長を招き講習会が開かれました。合気道インシアムはいかなる合気道団体にも属さない独立団体ですがイタリアでは規模の大きい団体です。


講習会にはイタリア各地からの参加があり「体術を学ぶための剣に対する杖の動き」を集中テーマに行われました。収益はパラマ市に新らしく建設された小児病院に寄付され講習会場で代表者に手渡されました。なおマイケル.ネム先生ご自身は開業医として多忙な毎日の中、合気道インシメの指導者として活躍されています。

指導中の本間館長

この講習会において「江南スタイル合気道」として本間館長がおこなった杖の動きがユーチューブで大きなヒットとなりました。これは韓国のサイが歌った 「Gang nam style」の曲に合わせて即興で杖の動きをしたもので、過去においても訪問先の国々のポピュラーな曲に合わせて披露しています。
本間館長曰く「針金を折り曲げたような、ロボットの動きのような、人間の自然な動きを無視した「形」にばかり拘っていてはいけない。外から要求されての「形」は組織のイニシエーションとしておこなわれている場合がある。心の中から湧き上がるイメージを杖に伝える動きが大切であり、いわば杖は自己の動きの指揮棒と言える。開祖の合気神社内での朝の参拝のときに奉納した「杖の舞」は正にそれであり、こういった音楽に合わせて動く私をとやかく言う人もいるようだがそれは開祖の動きを実際に見ていないからであり、また出来ないからである」と断言しています。

興味のある方は映像をどうぞ。
http://youtu.be/6KuepCs2Tws

この講習会に関して日本館内弟子成就で6回もの日本館内弟子経験を持つミケロザンレ指導員の感想があります。こちらをご覧下さい。
ミケロザンレ指導員の感想

日本館内弟子成就(イタリア在) 
ルカ ボセディ指導員報告

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ネパール陸軍レインジャー部隊格闘技講習会
 平成24年11月1日〜5日



ヒマラヤ山脈を背に
   右からミケロ、ドミニコ、ルカ、光一、館長、ビスタ、グルン軍曹

 レインジャー部隊定期訓練のため本間日本館館長がネパール陸軍レインジャー部隊を指導しました。この訓練には本間館長の長い友人である円心空手創始者、二宮城光師範(www.enshin.com)のご子息で円心会館総本部で指導も務める二宮光一先生を同行しました。合気道を基本としているレインジャー部隊の格闘技においてフルコンタクトの空手を導入する事に関し本間館長は次のように説明され部隊員の同意を得ました。
「合気道は多様性のある武道であり一面を向いての技術ではない、子供、女性、老人それなりに家舎離不家舎離の原則を守りながら変化をもって指導しなければならない。人を合わせるのではなく武技を人にあわせなければならない。諸君はサムライである、命を懸けなくてはいけないときもある。そのためには考えられる全ての武技を修めて置く事になんら問題は生じない。特に合気道には突きや蹴りが無きに等しく、其の訓練はきわめて重要である。
 この度、光一先生の父親である円心空手創始者二宮城光師範より許可を得て皆様に円心の技を紹介していただく。城光師範は極心空手第一回世界大会のチャンピオンである。今後は円心空手も取り入れて完璧な武技に育てて欲しい。なお円心空手は今後ネパールにおいて光一先生を中心に普及して戴きたいと考えている」


指導中の二宮先生

指導中のビスタ先生


指導者候補生と


訓練生たちと


山岳訓練中の特殊部隊員と 

本間館長による合気道指導、二宮光一先生の円心空手野外稽古などがカトマンズ郊外の基地において、ヒマラヤを見渡す郊外山中の訓練基地ではレインジャー候補生訓練がおこなわれました。この訓練は多くの軍幹部の理解と協力の下で実現されておりますが、軍規定により個々の幹部名等の明記は差し控えます。
 この訓練には館長随行スタッフとして日本館内弟子成就のミケロ、ルカ、ドミニコの三名の指導員がイタリアから参加しました。
 
http://www.youtube.com/watch?v=57j9iQcn3ZA
                           
ネパール日本館合気道指導員 
ラジシ ビスタ先生

ネパール陸軍レインジャー部隊格闘技指導員 
軍曹 ダン グルン
                    

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■モンゴル5年ぶりの訪問     
平成24年7月19日〜23日
 


スフバートル(Sukhbaatar Square広場前で
右からバヤナ、ウルフ、館長、ボルドウ、インク

本間館長がモンゴル、ウランバートルを5年ぶりに訪問しました。
この訪問は以前、デンバーの日本館総本部で本間館長のお世話を受けた私たち在ウランバートルのモンゴル人有志が招待したものです。
本間館長は1990年3月の民主化後、海外に将来を求めたモンゴルの方々を様々な面で支援してくれました。その最も功績のあったのはモンゴル人の文化紹介としてモンゴル音楽の演奏会をコロラド州で始めて開催した事でしょう。
 モンゴル大統領随行として訪米した一行8名の公演スケジュールを一手に引き受けてデンバーパフォーミングセンター(DCPA)で盛大な公演を成功させてくれました。当時、見知らぬ海外の地で暮らす私たちは涙を流して一緒に歌った事を覚えています。また当時のモンゴル教育支援のための日本の響岳太鼓出演の和太鼓コンサートもDCPAで開催、800席を満席とし収益金で中古コンピューター80台を贈ってくれました。数年にわたり、新年にはデンバー在住のモンゴル老人50人余りを日本館総本部の新年会に招待、異国の地で孫の世話だけに毎日を暮らす老人たちを慰めてくれました。
 一方モンゴル国内では合気道日本館の普及、孤児支援活動、教育機材支援活動などを先に帰国した我々が中心となって展開していました。
 過去数年は以前のような苦学生として米国滞在が目的ではない「不法滞在者」 が多くなりデンバー在住モンゴル人の支援は中止され今日に至っていました。
 しかし、以前デンバー在住中に本間館長にお世話になった我々有志の間から館長の再訪を望む声が出て今回の訪問となりました。


派手な道場でウルフ先生と

私と音楽大学教授の主人


バヤナはレストランオーナー

ボルドは奥さんと幸せ

本間館長は我々がデンバーに滞在の頃から「社会主義から解放後の変化」を同じ社会主義であった東欧、中央アジア諸国の訪問体験をもとに様々な忠告をしてくれていました。最近のモンゴルの発展は著しいものの、本間館長の話されていた通り、物価と所得の格差、貧富の差の増大、外国資本の搾取的投資、犯罪の増加など隠し切れない現実が身の回りにおきています。
 本間館長からは今回も「自国での食糧自給は国の根源」というお話をいただき、農業畜産に対する興味が大きく沸くひと時でした。


伝統デルを着た本間館長 ウルフ宅で

また本間館長は合気道日本館ウルフ道場やボルド道場を訪問指導してくれました。亜範活動で多忙とは存じますがお体に気を付けて益々お元気である事をモンゴル有志、ボルド、インク、バヤナ、ウルフ、そして私アリマが心からお祈り申し上げます。                     

亜範日本館モンゴル 
コーデネイター アリマ報告

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本間館長ボリビア訪問    
 平成24年7月4〜7月11日
 


ボリビアの各道場の代表者と

ボリビアのラパス市で合気道指導者講習会があり本間館長が訪問しました。
ボリビアの合気道は様々な国から指導者が訪れ、その指導者の生徒がそれぞれ合気道団体を展開しています。しかしボリビアではそれらの団体にこだわる事無く互いに自由にそれぞれの講習会に参加して合気道の稽古に励んでいます。
 このボリビアの状況を本間館長は「本当にグルメになりたかったらなるべく様々な料理を食べなくてはならない。食べてみなくては何が美味しいのか解らないしね」と話されました。


館長と筆者


ボリビアの町角

二度目の訪問である本間館長は4千メートルの飛行場に降りてその後3千800−3千200メートルの高度差の中を幾度も往復されたにも関わらず、お元気に指導してくれました。飛行場には用心のために酸素ボンベを持って出迎えるのがボリビアスタイルで私も持参しましたがまったく必要としませんでした。日本館総本部のあるデンバーが富士山の5合目(2035m)に相当する高地にありその影響だろう、とは本間館長。


施設の歓迎を受ける館長

スタッフの方々と

今回の講習会参加費の純益はすべてラパス市内にあるthe IDAI Home for Childrenとand Teenagers with Disabilities and the Albergue Transitorio Chuquisaca Children’s Shelterに粉ミルク、紙おむつ、玩具などの寄付購入資金とされました。また亜範日本館からも支援金があった事をお知らせします。
本間館長、ボリビアまで来ていただき有り難うございました。

亜範日本館ボリビア 
コーデネイター  アトロー 河合

今回もアトロー君 カルロス君に大変お世話になりました。これはボリビアに限った事ではありませんが、皆さん真剣に稽古されている事は素晴らしいのですが、映画のアクション世界に入って酔いきっている方や、技を最後までやらず受身を取らない指導者など、ボリビアでもこの二つの合気道家を見る事が出来ました。ここ数年各国で見かける合気道家たちで、武道修行の根本を理解していないのは誠に残念に思います。両君は其の改善のため努力されているのですが何しろ「指導者不足」と嘆いていました。


高度4千米をはるかに越える古代インカ道


右カルロス君、左アトロー君

 一日をアンデス山脈の「オールド インカ道」に沿ってドライブをしてくれました。広大な景色は、前回の訪問で訪れたチティカカ湖に並ぶ美しさでした。
いつかこの道を私も自転車で踏破したいと思っています。
 若手弁護士のお二人はインテリそしてジェントルメン。仕事が多すぎるのか独身生活。合気道やアンデスを楽しむのも良いけど、パートナー探しも頑張ってください。今回は本当に貴重な体験、有難う御座いました。
                         
日本館総本部 本間 学

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亜範日本館総本部海外活動報告
タイ ビレイハウス クリスマス 本間館長訪問
 平成24年12月24日〜26日


タイ、ホエパク村を訪問した本間館長はタコラン村に移動しビレイハウスでクリスマスを過しました。飾り付けられたビレイハウスでは本間館長がミヤンマーから買い込んだ3本のギターを弾きながらみんなで大合唱。午後からは子供たちの運動会、大人の信者さんが世話をしながら油の塗った竹のぼり、短距離走、走り幅跳び、口にくわえたスプーンでのライム運び、ビスケット食い競争、椰子の実割りなど多彩なゲーム。順位がつけられ賞品が出る細かさ、里からはアイスクリームが樽事とどく差し入れも。見ていた本間館長は日本の運動会そっくりの内容で驚いていました。国連難民キャンプで活躍する日本人スタッフの影響かもしれません。


クリスマスの食事作り、外はまだ暗い

夜明けと供に忙しくなる


サッカー

水落し


油竹登り

椰子の実割り


プレゼントのギターに大喜び


動物園で


楽しかった買い物

 翌25日は本間館長が乗り合いトラックをチャーターして2時間余り離れた町へ遠足。動物園を見学後はショッピング。本間館長から全員に戴いたお金で好きな物を食べ、好きなものを買う楽しいひと時を過しました「子供たちはやがて社会に出なくては成らない、お金の使い方や大切さを学ぶ良い機会になってくれれば良い」と館長は話されました。

 翌日子供たちがお金を出し合って買った汗拭きタオルを本間館長へプレゼント。
「飴でも買ったらよかったのに」と涙を見せた本間館長に私も泣いてしまいました。どんな苦しい寂しい生活の中でもこの子供達に愛の心がある事を神に感謝しました。


新しいモーターサイクルをプレゼント

中学生にはミシンをプレゼント

ビレイハウスの女の子のために縫製ミシン、そして私には一番欲しかったホンダの軽バイクのプレゼント。本間館長、本当に有り難うございました。

http://www.youtube.com/watch?v=xJxRhmF6reI

タコラン ビレイハウス 
カレン族ビレイ牧師 報告

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タイ カレン族難民コミニティー教会完成 本間館長出席
 平成24年12月23日

 


完成した「ホエパク コミニテー教会」

タイ西部ミヤンマー国境近くにあるホエパク村で今年の春から建設工事の始まっていたミヤンマー カレン族難民のための「ホエパク コミニティー教会」が完成しテープカットに本間館長が出席しました。(過去記事はこのページ内にあります)


館長と私、クリスタル


マスターオープニングの本間館長

4時間のミサは大変だったとは館長


オープニングミサ

教会の外も大勢の信者


600に余りの食事を振舞う

カレン族伝統の食事が並ぶ


タコラン、ホエパクと二つの建築を行なった大工さんと館長、ホエパクにある源泉で

オープニングには1千名余りの参加者が各地から集まり教会へ続く道には露天が店を出す賑やかさでした。今回の建設には本間館長の多大な献金があって実現しました。また私はアメリカに難民として渡ってから5年ぶりに実家のあるこの村を訪ねる事が出来ました。本間館長に心から感謝申し上げます。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=93R8Yhqpzug


                        
亜範日本館総本部  
ミヤンマー担当スタッフ  クリスタル ハツウ報告

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ミヤンマー シッツウエイ市 本年三度目の訪問
 平成24年2月15日〜20日

 


とても器用なメイちゃん

ミヤンマー西部のにある僧院孤児院の支援活動を進めている亜範日本館の本間館長が本年三度目となる現地訪問をしました。レポートは私タンがお送りします。
私は民主化の学生運動を経験し現在はヤンゴンの新聞社に勤務しています。
亜範ミヤンマーのコーデネイター、ニイラは私の妹です。


改修中の仏塔の前で、左、私タン


古いレンガは手入れをして再利用される

現地には夜間外出禁止令が続き外国人の立ち入りは厳しい審査が必要でしたが過去の日本館の僧院に対する人道支援などが認められ問題なく入れました。
 僧侶の逮捕後工事が中断していた子供たちの新たな施設となる建物の工事は順調に進められていました。ただし工具が古く電動工具も無かったため仕事がはかどらず本間館長が町に戻って電動工具を買い揃えました。仏塔の改修は一度解体して古いブロックを再利用するもので本間館長も手伝いました。


改築中の建物

現在施設には施設解散連行後(関連記事この項の前にあります)各地に散っていた子供たちが僧侶の帰院を知り10名ほどが戻って生活をしています。同じく逃避行から戻った19歳のメイさんが炊事などの世話をしています。子供達にとってこの僧院は唯一の生活の場であり安心の場でもあるのでしょう。
 僧院には支援米、にんにく、玉ねぎ、ショウガなど保存の聞く食品3か月分、 メイさんには他の子供の衣服修繕用にミシンが送られました。


帰ってきた子供たち


米や油を買う

ニンニク、玉ねぎ、唐辛子は欠かせない食材

 この僧院には2001年に東京外国語大学に留学していたミヤンマー女性の呼びかけで発足した「ELAN」という支援団体から多数の学生が2010年まで支援訪問していましたが僧院が実質的に解散となり、その後子供たちの消息を尋ねたりの努力をしましたが政局不安定もあり活動が休業した状態となっていました。現在本間館長が連絡のため調査を始めています。
 私は今後この僧院の子供たちの記録をまとめる仕事を本間館長に指示されています。
                      
亜範日本館教育センター  
コンピューター教師 タン ウー
    

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タイ ビレイハウスにノートパソコンなど寄贈
 平成24年11月7日〜10日
 


PCを前に喜ぶ子供たち

タイ カレン族難民孤児や生活困窮家庭子弟の生活の場、ビレイハウスに中古のノートパソコン5台、ビレイ牧師に新パソコンが寄贈され本間館長とネパール遠征講習会を終えた二宮光一先生がビレイハウスを訪問、中学生5人に操作法のレッスンをしました。と云っても本間館長は「こう云う事は若い人たちに任せて」と逃げ腰。同時に持ち込んだ縄跳び、バトミントン、卓球などの遊び用具で小学生などと遊んでいました。


日本館ロゴキャンペーンからの寄付

学用品や遊び道具などが贈られる

これらの寄贈コンピューターはコロラド州ウエストミニスター市のロータリークラブが主催する「コンピューター フォア キッド」キャンペーンからによるものです。このアレンジをしてくれたマーク ウイルソン氏、ガース ゴッドウイン氏、また新PCを寄贈してくれたは日本館総本部シニア門下生ヒン ニュアン氏に感謝申し上げます。
なおビレイハウス内ではインターネットの接続はしておりません。


PC操作を教える二宮先生


ビレイ牧師を囲んで子供たちと二宮先生

二宮先生は円心空手の指導者でもあると同時に大学はミュージック学位を持っている方で、今回の訪問ではビレイハウスの子供たちが歌う賛美歌を録音する作業をしてくれました。二宮先生によると、シンプルな飾りの無い自然な歌を「ゼネリック音楽」と表現するそうで、子供たちの自然な歌声を収録するための努力を繰り返していました。子供たちの歌声はこちらで聴く事が出来ます。

http://www.youtube.com/watch?v=m6PS_GQLo4U&feature=youtu.be


待ちにまった食事に並ぶ

給仕が始まります


完成したゲストハウス

ビレイハウスは常に何らかの工事が行なわれており、建築中のゲストハウス二軒も完成しました。これらは全てビレイ牧師と子供たちで作るもので、その技術には驚かされます。海外からなどの訪問者の宿泊に使われます。

バンコク在住 建築設計士 
カレン族 スナイ 報告


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本間館長 ミヤンマー シッツウエイ市再訪
 平成24年10月25日 





本年7月に続き二度目の訪問となったミヤンマー西部の町シッツウエイはイスラム系ロヒンジャとアラカンとも云われるラカイ族との民族争いが多発、本年6月、10月初旬そして到着日にも双方が争い多数の犠牲者を出していました。私は偶然、殺害された遺体(あえてどちら側の遺体かは明記しない)の検死の場を映像撮影する事が出来ました。民族争いは復習の繰り返しでありその殺害は陰湿であり、確認できた8体の遺体は喉もとや身体の各所が切り裂かれた遺体、逃げ込んだ水中で溺死したのち切り裂かれた遺体、断末魔の様相をしたままの遺体など執拗に傷つけられた遺体を前に、オバマアメリカ大統領のミヤンマー訪問日程のニュースが世界に流れ、民主化に浮かれる現実にやり切れない思いをしました。しかしこういった問題に関しては根深い民族問題や政府対応の問題がありこの項では触れる事は差し控えます。
 この地域への世界的支援が民族闘争に集中されるなかで、極めて悲惨な事実が隠されていました。(編修部追記アリ)ただしこれらの問題は発生当時の国内事情、いわば内政問題であって子供支援を目的とするAHANの範囲以外の事と解釈し「事の正悪」に関しての論評はせず、ポジテブな見地から2010年のミヤンマー暴動時に強制解散させられた僧院孤児院の再興支援プロジェクトを支援する事だけにAHANの立場を明確にする事にしました。 


多くの子供のその後は分かっていない。


日本館総本部のレゴキャンペーンで送られたレゴや縫いぐるみで喜ぶ子供たち



2010年7月27日、2歳以下の障害幼児も含めた事情のある孤児または養育不能家庭の子供74名が、僧院孤児院を仕切っていた僧侶の軍政府による突然の逮捕によって閉院。軍政府によって各地に分散連行された子供達の所在の多くは現在も分かっていません。とくに障害幼児のその後の資料は一切ありません。僧侶は8年3ヶ月の刑で収監されますがアムネステーの支援によって20ヶ月後に釈放され現在は僧院復興に努めており離散した数名の子供も帰院して暮らしています。


贈られた支援米と子供たち


子供たちの食事を作るメイさん

食事の世話をするメイさん

この子供たちがまた安心して戻ってこれる施設、今それが急務であり僧侶逮捕時建設中であった収容施設の完成を急ぐ事になりました。また熱心な仏教徒である彼らにとって仏塔は心の支えであり、600年以上前の仏塔ブロックを使って建立された由緒あるこの僧院の崩れかかった仏塔の修復工事支援を始めました。
この改修工事は帰院した年長者の孤児たちが担当し「労働=毎日の暮らし」を認識させる目的も含んでいます。食料や物品の支援だけでは彼らを「支援漬け」に追い込む結果となり、表現は厳しいですが「働かざるもの食うべからず」の実戦も行なっています。男子の就業率が大変に低いため、耕運機を購入し請け負いの農作業等の就労をさせる企画も検討中です。
 支援は米国を中心とする海外在住の熱心な仏教徒ラカイ族の方々と供にAHAN日本館が中心となって勤めます。


子供の衣類修繕用にミシンを贈る

2歳ほどでこの孤児院にに母に連れてこられた現在19歳の女性メイさんのドキュメントビデオを製作中です。彼女に何が起こったのか、そして今彼女は何を考えているのか。民主化で世界の注目を浴びるミヤンマーで前向きに生きようとする、民主化運動の犠牲者の証言をまとめます。
 なお、今回の訪問には亜範日本館ミヤンマー教育センターの数学教師で日、英語の堪能なジンジン ウーさんが同行してくれました。
                     
10月29日シッツウエイ市にて                     
日本館館長 本間学 記 


この朝日の感動を全ての人に、シッツウエイにて

※編集部注:
この原稿は平成25年3月に整理されており、24年11月19日にはアメリカ大統領も訪問しているなど、ミヤンマーの現状は好ましい方向に大きく変化しています。
この支援活動は海外ラカイ族の前向きな郷土愛からの支援行為であり過去の悲惨な事実に対する掘り起こし行為ではない事を明記し、人権が守られ、美しいこの町の朝日をすべての人が平等に感動できる様になる事を祈るものです。

※これまでのミャンマーの関連記事はこちらをクリック
 




本間館長 タイ ホエパク集落AHAN教育センター建設現場訪問
 平成24年7月24日〜27日  




彼らにとって感動の一瞬であった


工事関係者と本間館長

ミヤンマーの国境を越えてタイに入って1時間ほどの村ホエパクに難民定住しているミヤンマー、カレン族の人々への支援活動として本年5月から始まっている「希望の星コミ二テー教会」の建設現場に本間館長が訪問しました。
このプロジェクトの発端は在デンバーのカレン族難民であるクリスタル君と本間館長との出会いでした。
 「今タイに逃れたカレン族はタイ語を学ばなくてはタイの生活は大変苦しいものになる。将来平和になって祖国ミヤンマーに帰える事になったとしても子供たちがカレン語や文化習慣も忘れてしまっている。私の願いはいつかは皆で祖国の地に帰ることです。いつの日かわからないがその日のために皆で集まり学ぶところが必要です。それはとても重要な事です。私は私の母が住むホエパクの村にそういったことの可能な教会施設を建てたいと願っています」彼の希望を本間館長が検討し行動に移すまでには僅か2週間でした。

 本間館長がデザインをし、ビレイハウスの3Dデザインも手がけたイタリア在住の日本館内弟子成就のルカ君が今回もデザインを担当しました。設計はビレイハウス建築の有力スタッフ、バンコク在住のルカイ君がしてくれました。


プロジェクトバーナー

本間館長はモンゴル、東京と滞在を重ねての訪問でしたが大変お元気で、すべてがミヤンマー(旧ビルマ)からの難民であるボランテアの方々と鍬を振り、土砂やセメントを運び作業をともにしてくれました。


現場に到着した本間館長


鍬を振るう本間館長

工事は80%完成しましたが現在は雨季であり、乾季まで待ってモルタル工事をし、完成は10月ころ、オープニングはクリスマスに行う予定です。
本間館長からの様々な助言に感謝申し上げます。


※編集部注:今回のプロジェクトは実質的には教会ですが目的は教育支援でありプロジェクト名を「ホエパク集落AHAN教育センター建設プロジェクト」としました。

建設ドキュメントタイ ホエパク村、希望の星コミ二テー教会建設ドキュメントはこちらをご覧下さい。
http://youtu.be/ewMQNknKMyo

タイ ホエパク村プロジェクト
現地コーデネイター スナイ ハツー


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ミヤンマー、ヤダナポン僧院男児支援施設 本間館長訪問
 平成24年7月28日




食べなさい。元気でありさえすれば明日がある

過去4年間毎月1トンの支援米を提供しているヤダナポン僧院を本間館長が支援確認のため訪問しました。支援は現地コーデネイターの二イラさんのご苦労で毎月正しく行われ、70名の子供たちの一月分の支援米の提供が確認されました。 
 今回の訪問でも僧院には支援米や支援の品々が運ばれ、昼食の支給に立ち会いました。子供たちは中学、高校の年齢になると希望するものは本間館長の支援でジャンゴン村に完成した「亜範日本館ジャンゴン教育センター」支援施設に移り、施設の僅か300メートルほどのところにある日本政府が過去に建設した学校に編入する事が出来ます。教育環境の良さと生活物価の安い事が利点です。
支援施設訪問の映像報告をご欄下さい。

http://youtu.be/ml9UnceAN5I
           
亜範ミヤンマー日本館
アシスタント コーデネイター ジンジン サン報告

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ミヤンマー、シッツウエイ市、緊急亜範プロジェクト本間館長訪問
 平成24年7月29日〜31日




米国デンバー在住で日本館スタッフのラカイン族が郷土の避難住民に食事を提供

イスラム系と仏教系の長い間の紛争が続き、本年6月にも大きな紛争で多くの尊い命が失われ、数多くの人々が争いを逃れて安全な僧院などに逃れている、ミヤンマー西部、バングラデッシュと国境を接しているラカイン州のシッツウエイ市を緊急亜範プロジェクト調査のため訪問、必要としている支援の調査をしました。
 このプロジェクトは米国デンバー在住のラカイン族難民がすでにミヤンマーで活動経験のある私に依頼したものです。私は4年前にバングラデッシュ側にあるチッタゴン市も難民視察しており、この地域の民族紛争に大きな関心を持っていました。






紛争によって女性や子供が最も犠牲となる

撮影 サン タン

 ミヤンマーは雨季の季節。時にはバケツの水を浴びせられたような大雨が降るなか、靴を履いたままでは抜けなくなり、ぬかるみ道を裸足になって施設、僧院などを訪問しました。
 最初に訪問した僧院ではデンバー在住のラカイ族有志が寄付金を集めて避難民として僧院に避難している150人余りの人々に食事をサービスがあり、亜範からは支援米が寄付されました。避難するだけで精一杯であった避難民はかなり厳しい生活環境にあり特に子供への環境が心配されました。
 また、以前は100人余りの子供を保護養育していながら、様々な罪状で逮捕され18年の刑を受けアムネステーの援助で2年で釈放帰院し、現在は厳しい環境のなか子供たち10人余りの世話をする僧院も訪問、苦しい状況を聞く事が出来ました。詳しい内容はミヤンマー国内の法律に従い今回は公表を差し控えます。
 バングラデッシュ側ではすでに廃墟になってしまっているインド様の仏塔がこの地域では残っているほど古い僧院が多いなか、僧院の施設の中には建設途中にして放置されたままのところも多く、過去に大きな変化が起こった事が伺えます。


避難民収容の僧院を訪れた本間館長

熱心な仏教徒であるラカイ族の人々は非常に慈悲深い方々が多いのですが、イスラム教徒であるロヒンギャの方々とは常に一触即発の緊張関係にあります。ロヒンギャの方々にも実に気の毒な歴史的事情があり、この緊張関係に入り込む武装集団も暗躍し問題は大変複雑です。
 亜範総本部は宗教や政治に関わり無く「窮する人々」一様に支援をする事をポリシーとしています。ただし当然の事ながら支援を受け入れる環境であると判断した上で実行し、著しい危険を伴う行動、法を無視しての行動はしません。
 これまで支援を必要とされる様々な方々と出会い感じる事は、まずは食料、それと同等に必要とするのは子供たちの一般教育であり、その教育は読み書きを教えながら生活のルールやマナー,衛生などを指導する極めて基本的なもので、多少時間を必要とするが基本教育つまり「しつけ」の教育は子供たちの将来にとって重要と考えています。


僧院で支援プロジェクトの打ち合わせをする本間館長

非常に危惧される事は多くの仏教僧院やイスラム寺院では自己生産、たとえば鶏、アヒルなどの家畜、ときには畑に至るまで自己生産や施設外での労働行為をを宗教上の戒律から行わないのが一般的で、避難民などを収容した場合はそのほとんど一切を寄進に依存します。それによって難民は受容するだけの生活となりまったく生産性のない日常習慣となります。また国連や各国の大型支援が重なり「支援受容中毒」(ソーシャルサポートアデック)と云われる状態に陥りやすくなります。
 亜範日本館の支援はタイ、ビレイハウスプロジェクトで行っている自己生産型の支援を理想としており、シッツウエイでのプロジェクトも速やかに同様の支援を行うため僧侶からの理解を得る事に務めています。
 現在午後6時から朝6時までは外出禁止令が出ており違反者は裁判無しの6ヶ月の禁固刑という不自由な生活環境が現在の状況です。
 この支援活動にはデンバー在住のミヤンマーラカイ族難民定住者であり日本館のスタッフであるラカイン州出身の人々の善意の協力がありました。


伝統的マネーツリーを作って寄付を集めたラカイの仲間

http://youtu.be/kGmhuXaebyQ

日本館総本部
館長 本間学 報告

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亜範日本館総本部米国内活動報告
■元ミヤンマータイムス編集長 米国、日本訪問
  平成23年11月28日〜12月13日





渡米前、ヤンゴンの飛行場でご家族と

米国オバマ大統領の今月19日のミヤンマー訪問によって民主化の動きが本格化したミヤンマーから、軍政権以前から新聞編集業務に携り、自らや家族の投獄、地方強制移住などを受けながらも、厳しい軍政権の検閲と対峙しながら編集長として報道の炎を守りぬき、この夏定年を迎えたウ タン オン氏が亜範日本館総本部の招きで渡米、デンバーを訪問しました。
 タン氏の米国入国の査証は事前に資料があったのか10分も要さない速さで取得でき、在ミヤンマー米国大使館近くのヌードルショップで待機していた私共が注文したヌードルを食べ終わる前に戻ってきて、オバマ大統領訪問によってこれまでには考えられない大きな変化があった事が実感として理解できたと当時ヤンゴンに滞在した本間館長が話しておりました。
 デンバーの飛行場に出迎えた我々は予定便到着後も出迎えゲートに現れないタン氏にパニック。本人はすでに出迎えゲートを出て我々の後ろに居たのです。
これまで民族衣装のロンジを腰に巻き同じく民族衣装のタイポンの姿しか見ていなかった我々はタン氏のスーツ姿を一度も見た事がなく、先入観で探していたため見逃してしまったのです。
 デンバー滞在中は多くの心温まるウエスタンホスピタリティーを賜りタン氏は心から滞在を楽しまれ関係者に感謝をしておりました。なお歓迎レセプションではケリー羽田判事のご紹介により各界の方々から歓迎メッセージの手紙を戴きました。
 ケリー羽田判事、ミノル安井財団ロビン ラッセンフィールド会長、米国上院議員マーク ウダル氏、米国下院議員ダイアン デゲッテ女史、デンバー市長 マイケル ハンコック氏、デンバー市会議員デビ オルテガ女史に主催者として厚く感謝申し上げます。


羽田判事とタン氏 日本館民俗ルームで

最後になりましたが亜範日本館の活動理解者のみならず、コロラドアジア系社会におけるリーダーとして活躍されるケリー羽田判事の多大な支援があった事を明記します。深く感謝申し上げます。

 今回の訪問はヤンゴンにある亜範日本館教育センターの校長、そしてコーデネイターのニイラさんの父親であるタン氏にミヤンマーの本格的民主化を前に米国や日本の事情を体験してもらおうと本間館長が招待したものです。

タン氏訪問ドキュメントはこちらをご欄下さい。
 タン氏、米国日本訪問ドキュメント
          
ウ タン オン氏米国招聘プロジェクト企画担当
亜範日本館インターナショナルコーデネイター エミリー ブッシュ




■路上生活者食事支援プロジェクト報告
   〜ミッションでの食事サービスから新体制に〜




レスキューミッションでは最後となった食事サービスに参加した日本館スタッフ

22年前本間館長が一人で始めたデンバーレスキューミッションでの路上生活者食事支援は7万食支援達成を目前にして大きな転換期を迎える事になりました。
 2012年夏頃から毎月の食事サービス後にミッションのキッチン管理とスタッフのあり方に本間館長が疑問を述べるようになり、とくにミッションスタッフの衛生管理能力の欠如が目立ち、レストランを営業するオーナーシェフとして危険すら感じる状況を毎月の報告書に記入していました。とくに週末に民間から大量に持ち込まれる作り余った食品の寄付には恐怖心すら抱いたと訴えています。マヨネーズ入りのサラダ、ハム、クリームの入ったメキシカンフードなど数え切れない食品が身元も確認されず持ち込まれている現状が続き、何らかのトラブルに巻き込まれる心配から場合によってはレスキューミッションでの食事支援を打ち切らなければ成らない時期が来ると私に告げていました。また一部スタッフによって寄付された高価な食品、ハム、チーズ、食肉などの持ち出しも平然と行なわれ、秩序の存在しない状態の中で「いわれのない責任」が押しつけられる事を心配して常に私に何らかの対策が必要と訴えていました。しかし私共ボランテアにはそういった問題を訴える権限はなく、またミッションでのボランテアには交通違反などでのコミニティーサービスの人も多く「させてやる」意識が強くボランテアの立場は常に弱く、ミッションスタッフにはそういった先入観で善良なボランテアに接する方も多く内情を報告する事など出来ないムードがあったのです。
また常に入れ替わるスタッフが独自の運営アイデアを出すため22年間の経験の積み重ねがまったく生かされない状態が繰り返されていました。しかし毎月第三週の食事を楽しみにやってくる路上生活者も多く多少の事は目を瞑って食事支援さえ出来ればと考え今日まで続けていました。
 そして悲劇は起きました。ミッションで提供されたターキー料理の食事後に数百人の路上生活者に食中毒発生と大きく報道されました。もちろん日本館はまったく無関係です。食中毒発生の可能性は常に本間館長から聞いており驚きはしませんでした。その後保健所の立ち入り、そして保健所からの通達内容がミッションからあり「ミッション部外者のキッチンでの調理は出来ない事」になりました。特に日本食の場合、300食以上の食事を安全に提供するには加熱などの現場調理が不可欠でミッションキッチンの、たとえメニューの内容を変えても現在のミッションの衛生管理能力には疑問があり継続困難と判断しなくてはなりませんでした。
 本間館長はオーナーシェフとしてデンバーでも一流の日本食店を経営しており衛生管理と調理には絶対の自信を持っておりましたが、今回の通達に従ってデンバーレスキューミッションでの食事支援は丁度22年終了となる10月を最後に終える事になりました。今後は衛生管理と運営責任の明確な施設2ヶ所をすでに選んでおり5月度から路上生活者食事提供サービスを継続します。
 これまで22年間の間、路上支援者食事支援のため調理施設を借用させて戴いたデンバーレスキューミッションに深く感謝申し上げます。

亜範日本館インターナショナルコーデネイター
日本館総本部副会長 エミリー ブッシュ

*亜範日本館食事支援記録

  7月15日――324食
  8月19日――313食
  9月16日――296食
  10月2日――334食
  
   1991年からの総計68,238食

   人件費を差引いたこれまでの食材コスト----約8万ドル
   食事支援に参加した奉仕者数----約5千人以上






■秋の勤労奉仕 「ベッドTOベッド」  
  平成24年10月13日





22年続くお馴染みのグループ写真

22年間続く恒例秋の勤労奉仕、今年はワシントン公園の花壇の刈り取りと土起こし作業。公園局専門家の方針で花壇を維持するため最初の霜が降りる前に現在の草花を抜き取る「花壇(フラワーベッド)を寝台へ(ベッド)」と呼ばれる作業をしました。確かに幾種類もの草花が種をつけ花壇に散り、それを放置したなら翌年大変であり、多年草の草花を残してもその間から別の花が出てきてバランスの取れた綺麗な花壇を維持するには経費や手間がかかり過ぎるのも理解できます。しかし公園を散歩する花を愛する方々には少々理解が難しいらしく、なぜまだ咲いているのに摘み取るのか?多年草は残しておいたら?などと疑問の声も飛んできます。数年前には新聞のタイトルに「サード(寂しい)」と大きく写真入で掲載された時もあります。この時は本当にショックでした。

秋の深まった公園で作業する日本館生

そんな事を考えながらの作業、今回も立ち止まってアゴに手を当て首をかしげる人もーー。もちろん私たちも同じ考えですが来年の美しい花壇に期待して作業を終えました。花のブランケットを剥ぎ取られ、行き場を失い戸惑うネズミ。
ごめんね。
                       
春のボランテア リーダー
日本館総本部ブライヤン ヘイ先生  

■子連れボランテイア、三井領事日本帰国

在デンバー日本国領事館の三井浩二領事は四年間の勤務を終えて、日本の外務省本省に転任になりました。ほぼ毎月の路上生活者食事支援や春、秋の市内環境整備奉仕作業にご子息健一君と一緒に参加してくれる常連ボランティアでした。
日本の外交官は顔が見えないと云われる中で積極的に米国庶民の世界に飛び込まれての活動は日本館幹部一同の最も敬意を表する事実です。長い間誠に有り難うございました。             

日本館総本部 会長 ダグ ケリー




海外亜範日本館コーデネイターからの活動報告
亜範日本館ネパール



ネパール陸軍レインジャー部隊より活動報告が届いています。「国内の安定が続く現在のネパールでは軍の役割が戦略的国防のための武技の訓練のみならず。民心の平穏な毎日を維持する大切な任務もあります。民間人との交流は大切な事であり、合気道を通しての影響化活動は我々の大切なパブリックサービスといえます。現在合気道はレインジャー候補生の必修トレーニングとなっております。
                        
ネパール陸軍合気道指導員
日本館総本部認定指導員
ラジシ ビスタ先生


人の多く集まるヒンズー寺院で演武のあと


訓練指導中のグルン軍曹

山岳訓練場に本間館長よりマット寄贈

山岳訓練場にて

演武訓練

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亜範日本館ミンダナオ教育センター(フィリピン)




ハリケーンや地震など自然災害が続きその都度道場がシェルターとしての役割を果たします。また普段のバジャオ族への食事支援の経験からこういった非常時の炊き出し等にも敏速で、門下生も一体となって活動してくれます。本間館長がいつも話す「道場は道の場、いわば人生の長い道を歩む人々の安心(寛ぎ)の場所であれば良い」のとおり、地元と一体になった活動が大きく道場の発展を支えています。

ユースクラス風景

奉仕作業のユースメンバー


亜範日本館ミンドナオ教育センター
合気道日本館ミンドナオ  アバ ヤンチャ先生 

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亜範日本館イズミル(トルコ)




日本館総本部での厳しい内弟子稽古を基本に私は現在,スポーツジムのクラスとして指導しています。
本間館長の「兵役に行く義務が非常に近い、とにかく兵役を終えるまでは自分の道場は持たないで地道に活動しろ」のアドバイスを守って活動しています。
 亜範活動は学校などからの依頼で子供達に忍耐,継続、努力などを合気道デモを交えて講演しています。子供も大きくなりました。

亜範日本館イズミル(トルコ)
日本館総本部認定指導員  シアン コログラス先生

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亜範日本館バングラデッシュ



マデラッサ イスラム女児自立施設などを8年余り支援している亜範日本館総本部は現地コーデネイターであるマジ君の管理の下、毎月500KGの支援米が届けられています。2013年1月2月の領収書が届いています。

マデラッサ施設などに関しては関連記事をご覧下さい。
                     
亜範日本館バングラデッシュ
コーデネイター マジ サカー 

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亜範日本館ミヤンマー





私の家族です。学校の教師でも有ります。

ヤンゴンにある亜範日本館教育センターは将来の増築を視野に入れ隣接地を購入、現在は私の夫ジュリーが中心になって生徒とオーガニックガーデンにチャレンジ中。


種を蒔いて、収穫の喜びを語る生徒たち

現在のヤンゴンは建築ブーム、億単位の新築家屋が郊外に立ち並び、貧困層との格差がすでに目立ってきています。

豪華な屋敷が並ぶ

亜範日本館ミヤンマー
コーデネイター ニイラ サン

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合気道日本館総本部ニュース

夏季集中マラソン稽古    
 平成24年8月6日〜9月6日



今年も夏のマラソン稽古がありました。この稽古は30日間毎日行われるものです。この特別クラスは6ヶ月以上を海外での講習会指導や亜範活動で総本部を留守にする本間館長自らの集中稽古として稽古、指導をするものです。この稽古に合わせて各国からの内弟子たちが夏期休暇などを利用して集まり内弟子の特別稽古も行われました。

「2012日本館総本部内弟子稽古映像」
http://youtu.be/7agFE5IEbxQ  

日本館総本部では過去において総本部内弟子を成就した者には渡航費用の一部もしくは全額の援助もされます。本間館長は「高名な指導者が週末に二日指導しても道場や生徒のレベルが著しく向上する事はない。むしろエベント的効果でしかない。それよりは各国から初段―参段レベルの若い合気道家に集まってもらい日本館の生徒と交流を深めながら稽古する事で日本館のモチベーションが大きく向上する。渡航費用をサポートし食事と宿舎を無料提供しても充分に価値がある。参加する門下生も都合の良い時間にクラスを取れるのでミスしたという実感がわかない」と話しています。
 マラソン稽古中は様々な企画が組まれ、ただ汗だけを搾り取る稽古ではない、クオリティーの高い集中稽古が行われています。最終日にはデンバーから3時間余りのロッキー山中の町サライダでキャンプをしながら山稽古を楽しみました。
この町には日本館総本部認定指導員のリックトンプソン先生の山道場があり合同稽古も楽しみました。
 2013年のスタートは8月6日から9月4日です。内弟子希望者はその期間を挟んで3ヶ月間まで滞在する事が出来ます。食事宿泊費は無料です。

手続きについてはこちらをご覧下さい。
内弟子募集要項




合気道史家 スタンレー プラニン先生日本館総本部講演
 平成24年8月12日





世界的な合気道史家であるスタンレープラニン合気ジャーナル創設編集長による講演が日本館総本部で開かれました。この講演は夏季集中マラソン稽古のプログラムとして行なわれました。集まった参加者の中には日本館シニア門下生のほかデンバー市判事であり日本館顧問のケリー羽田氏、在デンバー総領事館の三井領事など多彩な顔ぶれがありました。
 プラニン氏の講演は合気道開祖植芝盛平の戦前における史実を中心に約2時間に渡りスライドを交えて行なわれ、証言者が世を去り、事実が失われたり、歪曲されている昨今、多方面にわたる莫大な取材と個人的に収集された日本武道史資料の裏付けによるプラニン氏の合気道史講演は、我々合気道家にとって合気道の歴史的事実を知る上で素晴しい機会となりました。
 本間館長とプラニン氏は以前より合気道界にかかわる情報交換や、氏が以前主催した合気エキスポ参加などで縁も深く、今回の講演依頼もご多忙のなか快諾を戴き実現しました。
 本間館長は独立道場とはいえ、岩間に於ける開祖最後の内弟子であり夕食を供にした二人は夜遅くまで語り合っていました。
 プラニン氏は執筆や莫大な資料の整理、各国での講演など多忙な毎日のなか、有志と供に稽古もされている現役です。著書、コラムなど多数。米国ラスベガス在住。
www.aikidojournal.com





ユースクラス生 道場宿泊体験       
平成24年8月4日





早朝のマラソンから

マラソン稽古のプログラムとしてユースメンバーによる道場一泊稽古がありました。ユースメンバーは100人余り在籍していますが普段の厳しい内弟子稽古を知っているのか、参加するとなると少し怖いのでしょう。本当は楽しいのですが事前に余り驚かしてしまったようです。こちらの映像をご欄下さい。

http://youtu.be/DLeMgSqxE38





本間館長日本訪問 




・12月27日
 都内で在日本デンバー会、日本館日本支部関係者および支援者と会合。


・12月26日
光気会の丸山修道会長の新道場を訪問、会食。
渡米当時の米国合気道史を多いに語ってくれた。
 

丸山会長と

・11月13日
 茨城県岩間(現座間市)の伝統岩間流神信合気修練会の斉藤仁平会長宅訪問。

・11月12日
 福島県本宮市在住の渡辺徳太郎氏を響岳太鼓会長の茅野英太郎氏、団員の山本藍さんと訪問、デンバー公演特別参加の感謝を伝える。テーブル上には放射能測定器が置かれ、渡辺氏が生産した様々な食品の放射能検査表を見せてもらい問題の大きさに驚かされる。県内の和太鼓グループの代表の方々も集まる。

・8月1日−2日
 合気道小林道場総師範小林保雄先生と都内で会食
 日本館総本部日本支部関係者と打ち合わせ

・7月18日
 在日本デンバー会の方々、日本館総本部日本支部諸君と会食




道場便り

 *将来の内弟子か



亜範日本館イズミル(トルコ)の日本館認定指導者シアン君の二世。本間館長が危なっかしく抱いています。珍しい写真とはスタッフの話。
こちらは亜範日本館ミヤンマーのコーデネイター、ニイラさんの赤ちゃん。
「新年に生徒や関係者から赤ちゃんの写真を入れてくる。ところが一枚だけでないので混じってしまうと親と子が分からなくなってしまう。名前を書いてもらわないと後で可愛い女の子ですネと云って実は男の赤ちゃんだったなんていう事もーー」と本間館長。おめでとう。


シアンの赤ちゃんルズガーちゃん

ニイラの赤ちゃんイエ トエちゃん

 *七夕祭り

日本では7月の7日に願い事を書いて葉の付いた竹に結びつけるシーズンのお祭りがあります。デンバーの日本補習校でも少し早いお祭りがあり、今年も日本館日本庭園の竹が届けられました。

 *野外編集


海外からの内弟子が多いに活躍
総本部の活動ネットワークは広く、多くの質問や情報が舞い込む。
内弟子たち総出で対応にあたる時も度々で数カ国の言語も飛び交う。
暑い夏は庭に出ての編集です。

 *忙中之閑


池のアヤメを切る館長

海外プロジェクトで多忙極まりない本間館長、今日は庭園の手入れ。「16年前に膝の高さしかない安い植木しか買えなかった。 手入れをしていれば大きく育ってくれる、庭と道場は同じだな」


 *玄平逝く

日本館総本部で13年間内弟子であった玄平が6月13日老衰で亡くなりました。
入門した門下生はすべて記憶し、初めての訪問者は一瞬で見抜く特技がありました。また多くの内弟子たちを見つめ、彼が避ける内弟子は必ず何らかの問題を起こしていました。ここ数年は弟のヨン太の兄貴分として存在しましたが道場親分の座は奪われ隠居状態でした。
 本間館長はこの報告をモンゴルで聞く事になりました。「出かける前にお別れしたから、悔いはないよ」と一言。さようなら玄平。

 *館長の本音

夏のアジア遠征を終えて帰米途中の本間館長のバンコク発成田行きのUA便が飛び立って30分ほどでオイル系統に不都合がありバンコクに緊急着陸。機内では勤務以外の私服のUAパイロットがそれぞれ補助役として席を立って配置につき、緊張状態に。「数年前、乗客が病気で緊急着陸した時は乗客みんなで拍手したけど、機体不都合はさすが全員緊張した表情。でも高級ホテル泊で豪華な食事ができたのでーー」とは本間館長「そりゃー武道家と云えども怖かった」こちらが本音。


飛行機ユータンの珍しい写真




編集部より




※これまで亜範日本館は「孤児院」もしくは「孤児収容施設」との表記をして、おりますが、これらの施設には両親もしくはいずれかを失った子供以外に、両親あるいは親戚等があっても貧困などの事情から養育不能な家庭の子供も多く含まれているほか、場合によっては子供の将来を考え密かに越境させるケース、家庭内暴力、宗教的迷信などによって孤立化した子供も多いなど様々な条件下の子供たちが家族親戚から孤立して暮らす施設を広く解釈して意味します。




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