ニュース&イベントレポート

■日本研修旅行記

AHAN日本館本部は認定指導者研修として日本旅行を行いました。この目的は日本訪問体験を通して「現実の日本」を感じ取り、視野の広い指導者を育成する目的があります。私、フラナンド・ロメン(メキシコAHAN日本館 メキシコ武産合気)は、同じくメキシコ日本館指導部員のホセ・アウバレス氏と供に日本館本間館長の案内で日本各地を廻ってきました。
この日本訪問はAHAN日本館本部の経済的支援で実現しました。長年の合気道生活において「一度は訪日をしてみたい」という私の夢が叶ったこの旅を今回レポートしたいと思います。

ブラジルから帰米して僅か3日の本間館長は、研修を共にするミルウオーキー日本館指導員のエドワード・デロー君と、合流地であるテキサス州ヒューストンの飛行場で元気に我々を迎えてくれました。

快適な空の旅を12時間。日本各地への移動に便利という事で上野にホテルを用意。翌朝は6時半からの合気会本部道場の朝稽古へ。道主のご指導の下、多くの有段者と供に稽古が出来た事を、また道主が私達に気軽に話しかけて下さった事を大変光栄に思います。日本以外の海外で行われる道主の講習会ではその人数の多さから、遠くから眺める程度で会話など不可能。高額な費用と時間を費やして訪日した海外、特に開発途上国からの訪問者にとって、僅かな道主との会話は大変貴重なものである事をご理解願いたいのです。


ホセ氏と私 本部道場にて

そんな喜びを感じながら脱衣場を出て道場を覗きますと、朝稽古の後に日本刀や木剣で居合いの稽古のような事を多くの外国人などがしているのを見て驚いてしまいました。確か合気会では合気道と剣術は無関係としているはずですが。もし朝稽古の後で、あれだけの人数が空手の型を稽古していたら当然注意を受ける事でしょう。という事は合気道と剣との関係を承認しているのだろうか、そんな混乱した状態で本部を後にしました。一貫しない指導理念は末端の混乱を起こす事になるような気がしました。

午後からは上野から東に向かい、合気神社のある岩間に。神社を参拝後、岩間神信合気修練塾の斉藤仁弘塾長を訪ね指導を受けました。基本を大切にした丁寧な稽古をしてくださったばかりか、歓迎の宴も用意して下さいました。宿泊した道場では、内弟子の方がきめ細かな配慮をして下さいました。

翌早朝、開祖が生活しその技を完成させた「合気道人全てのモニュメント」である道場を見学して大いに感激しました。朝冷えのする斉藤塾長の胆錬塾道場、海外からの多くの門下生が鎮魂の後、近くのヒバの林に駆け込み、杖の稽古を斉藤塾長の指導で1時間。メキシコ育ちの私達にとってこの日の朝はだいぶ冷え込みましたが、白い息を出しながらもやがて軽い汗が出る真剣な稽古となりました。

朝食の接待を受けて道場を離れる時、斉藤塾長が道中長かろうと、蒸かしたサツマイモとバナナをくれ、わざわざ駅まで送ってくれました。もう電車が来る頃になって、「おーいこれ飲み物」と叫んでホームに入ってきてくれました。本当に驚きました。


私を指導してくれる仁弘塾長

ヒバ林内での朝稽古


仁弘塾長と

合気神社前にて

上野から北、秋田に向かいました。今では新幹線で3時間半ほどで着くのですが、以前は10時間掛かったそうです。ここは本間館長の故郷であり、また日本館とも深い関わりのある故河辺茂前秋田県支部長の道場「合気修練道場」がありご子息である河辺竜作先生(現道場長)と飯塚均先生の指導を受けました。稽古後は秋田の郷土料理で交流会を開いていただき、多くの門下生の方々と楽しい一時を過ごす事ができました。道場への宿泊、そして食事の世話まで、河辺未亡人は先頭に立って我々の面倒を母のように見てくれました。奥様、道場の皆さん本当に有難う御座いました。


河辺館長、道場の皆さんと

河辺未亡人と

翌日、秋田から電車と車で山中に2時間、そこには日本館と交流関係が10年以上続いた東成瀬村があります。過去には現日本館指導員のジャーミー、トレーシー先生夫妻など8名の長期滞在研修者を始め、300人近い人々が相互訪問をした村であると説明を受けました。この秋からこのプロジェクトが再開され、現在は日本館本部で内弟子を終えたスコット・ルニー君が役場の教育委員会で元気に働いていました。

この村で私達は偶然にも合気会本部師範藤田昌武先生ご夫妻とご一緒になることが出来ました。師範の奥様は秋田出身。忙しいご指導、特に海外指導の多い師範が、ニュージーランド指導を前にご夫妻で紅葉の秋田を訪ねたのでした。本間館長が帰国のご挨拶をしたいと予約を入れたところ、丁度秋田での日程が重なり「それでは秋田の山の温泉でも」となったそうです。藤田師範はよくメキシコにご指導に来られますが、まさか日本で温泉に入り、お食事までご一緒できるとは思いませんでした。ご夫婦の大切なお時間を私達にお譲り戴き有難うご座いました。


栗駒源泉前にて、藤田師範ご夫妻と

旅の後半は西日本。本間館長の案内で、あの宮本武蔵も決闘の場所とした「三十三間堂」をスタートに京都の古い社寺巡り。これまで写真やドラマ、映画のシーンでしか観たことの無いものが目の前に次々に現われ、伝統ある社寺が良くこれまで保存されていたものと驚き、日本人の心の底に流れる何かに出会ったような気がしました。


京都、三十三間堂にて

京都、清水寺にて


京都、3年坂にて

京都まで来たのだから、開祖生誕の地、田名部に行こうと云う事で電車に乗りました。
海岸沿いに走る電車、沿線には黄色く実ったミカン林がつづきます。紀伊田名部駅前には大きな開祖を讃える碑、駅から西の丘には開祖の眠る高山寺がありました。お墓にお参りをし、田名部大浜カッパークにある開祖の銅像、元町目漁(めら)のスポーツセンター横にある開祖を讃える石碑、さらには元町にある開祖の生家跡を廻って3時間。恐らく本間館長の案内なくしては人口7万の田辺市に点在するこのモニュメントは一日ではまわる事が出来なかったでしょう。


開祖のお墓

高山寺にて


開祖の銅像と

東京に戻った私達は、皇居や東京タワー、銀座、新宿、秋葉原、浅草などにも足を伸ばしました。柔道発祥の地、永昌寺や講道館にも立ち寄りました。講道館ではとても上品で親切な売店のおばさんが館内の説明をしてくれました。柔道資料館は常に一般に公開され、道場の見学も自由でした。海外からの研修生のような方々が礼儀正しく挨拶を交わし、講道館はとても親しみやすく感じました。


永昌寺前にて

加納治五郎翁銅像前にて

日本巡りは此れだけでは終わりませんでした。日本に来たら是非行かなくては、と東京から1時間余りの日光に連れて行ってくれました。日光は徳川家康を奉る社寺だそうで、その豪華さは紅葉の最高時とも重なり驚くばかりでした。


日光にて

東京最後の一日、本間館長が「もう一度本部で稽古する?」と私達に尋ねましたが、私達は顔を見詰め合ってからNOと答えました。それは長旅の疲ればかりではなく、本部で稽古する価値観というものが薄れたというのが本当かも知れません。

今回の旅は多くの日本人との出合い、そして千年の歴史の町から日本最大の繁華街、銀座までのタイムスリップ。合気道、合気会本部、日本、と縦一線に見ていた「日本観」が、それ以外の多くの事柄と出会った事によって「こだわりが解けた」それが大きな原因と言えます。

現在、私はメキシコ武産合気の道場長であると同時に、AHANメキシコのリーダーとして門下生の指導とAHAN活動に従事しております。今回の日本旅行では多くの事を学ぶ事が出来ました。ピンボールマシンのボールのような13日間が瞬く間に過ぎ、今後時が経ち、更にいろいろな事が整理され感動となることでしょう。

13日間、本間館長の驚異的な体力には驚いてしまいました。京都や日光などの社寺では長い階段などを私達が追いつくのも大変な速さで歩き、朝早くから深夜まで私達と行動を供にし、アメリカに渡ってから30年、600人以上のアメリカ人を日本に案内したという本間館長は「日本人のそのままを見て欲しい」といっては、恐らく外国人旅行者ではなかなか行けない幾つもの場所に案内してくれました。視野の広い見地から私達に指導者研修を体験させてくれた本間館長に心から感謝し、また訪日中お世話になった多くの方々にも深く感謝いたします。どうもありがとうございました。ムチョス グラシヤス

       メキシコAHAN日本館
フラナンド・ロメン 記

→上に戻る