館長コラム◆◆  

■それぞれの合気道
マルコ君と奥さんのバーナデットさんは4年半程前に合気道を始めました。バーナデットさんは銀行員、マルコ君は音楽家、ロックとか何とかではありません。あの大きなズータイなのに出番の少ないベース奏者、長い音楽の時なんかでも「ボンかボンボン」なんですよ、この前なんか隣のシンバルの奴と話していたら忘れてしまって、と陽気に冗談を飛ばし仲間達を笑わせます。これでも息子はNYフィルのベース奏者と云うのが自慢。

1年半ほど前に、リオから2時間ばかりの山村に奥さんと一緒に「お帰り道場」という道場を開きました。土地面積2千坪余りの中に管理舎、道場と宿舎の建物があります。まだ農地の改造など多くの仕事が残っていますが、一応は
自然農法をめざして色々な野菜を植えてあり努力がみられます。なにしろ植物は良く育つので種を撒いたらそのまま、かえって細かい手入れに関しては興味が無いようです。でもこれが本当の自然農法かもしれません。落ち葉や飼っている鶏の糞を旨く混ぜればもっと土が肥えるのですが。

春に訪問したときには完成していなかった野外稽古場も完成しており、早速稽古させて戴きました。春にスケッチを残しただけなのに完璧なものが出来ており驚きました。


お帰り道場の仲間と

鍛錬打ち稽古も出来るようになった


この道場はリオなどからの合気道家が集まり稽古をして週末を過ごします。勿論、流派団体などこだわらない「ただ合気道が好き」なだけの6道場からなるグループです。やってくる人は皆「お帰りなさい」と迎えるのだそうです。
また近在の青少年の集まりの場としても使われています。この道場は村の青少年達にとっては都会との接点、リオから集まる合気道家が大切な「人間モデル」です。合気道を供に稽古するばかりではなく、近在の青少年に明日の夢を与える大きな責任もあります。稽古費など勿論ありません。
マルコ君達との会話の中で「2時間も歩いてやってくる」中学生達の事が話題になりました。その子に中古の自転車を貸し与えたら稽古日にはかならずやって来るようになったそうです。


中古自転車購入、リック先生、マルコ 、バーナデット

私達が忘れていた事柄がありました。この辺の子供達は朝早くから家の仕事、そして学校へ、帰宅後も多くの仕事をこなしての道場です。週末はそれ以上に忙しい事でしょう。お帰り道場は都会の道場でも町道場でもない、まさに村道場です。子供も立派な労働力、そんな中での2時間は貴重なのです。
私は其の話を聞いて、10台の中古自転車を「お帰り道場」に寄付する事にし、早速購入しました。私の子供の頃は自分の自転車は買えなかった。父親の自転車を借りてフレームの間に足を入れて独特の格好で大人用の自転車を乗り回したものでした。其の頃の日本では当たり前の事でした。自転車を持っている子は本当にうらやましいものでした。この自転車は稽古着や木剣、杖などよりも大切な稽古用品になる事でしょう。これは道場生みんなの自転車、みんなで乗り回し、壊れたらみんなで直し、2人乗りだって3人乗りだってしたっていい。歩く事の大切さを心配する事など余計な事かもしれません。すでに毎日が歩く以上の労働をしている子供達ですから。
来年この道場を再訪するのが本当に楽しみです。マルコ君、出番は少ないかもしれないけど貴方の「ボンかボンボン」があってこそシンフォニーがまとまります。小さな村で貴方がしている事は私達合気道家に「ボン」と云う快い響きを与えてくれます。頑張って下さい。


週末でもないのに人、人、人。商店には品物があふれ、売り子達が声をカラしていました。昔からの建物が並ぶこの地域は町並み保存地区との事、リオのダウンタウンにあるアラブタウンです。近くには数え切れないほどの露天が軒を連ねていました。すごい生活のパワーがグーと感じられました。
混雑につい見逃してしまいそうな商店の二階に「武術会」の道場がありました。道場長つまり経営者のムンザー君(munzaer)は持ち主である父親に武道スクールを開くのでーーと相談しました。随分イスラム教の教義に引っかかるところがあったようですが「今の若いモンは」ってな感じで道場オープンとなったそうです。


賑やかなアラビック街

道場の前で案内のマルシオと

武術会道場

私がこの道場を訪ねたのはお昼ちょっと過ぎ、狭く急な階段を上り中に入ると暗い道場の中で数人がストレッチしているのが分かりました。案内してくれたマルシオ(marcio)が私を見て「今、忍者のクラス中なので電気は点けないのです、集中が出来ないそうです」と真剣に云いすぐに顔を崩しました。
この道場では合気道、空手、太極拳、忍術、柔術、ハップキ道、コンバットなど色々な武道が下の商店街の豊富な品物のように稽古されています。しかも20畳程度の細長い道場で。私は何となくこの地域の住民であるアラビックの人々の心の広さのようなものを感じました。合気道を背負って毎日を暮らす私にとって、合気道も陳列棚のコ―ナーに他の多くの商品(武道)と同等に並べられ、それらが互いに支えあいながら道場を運営している事の奇妙さ、不思議さがかえって私には新鮮に感じたのです。合気道家としての立場から他を判断してしまう悪い習慣がここでは全く通用しないのです。
合気道を稽古するのではなく武道を稽古する、この境地にあるから他の武道同士が旨くやって行けると思うのです。私達は「合気道家」である事だけで「武道家」と思っているのではないか、そんな事を考える事が出来た貴重な訪問でした。
合気道のクラスはアラバロ先生(alvaro)が指導しており、「お帰り道場」と同じく月例会として他道場の指導者があつまって稽古もしています。
商店街にある門下生の溜まり場の店でよく冷えたビールを重ね、つい滑った質問が「ところで採算は合うの」、マルシオが笑いながら「オーナーのムンザーは人が好過ぎるのか、あったら貰うし無かったら貰わないし」との答え。アラバロ先生も弁護士のかたわら「合気道が好き」で採算抜きで指導しているのだそうです。

私は「武道は人が育み創るものであって、武道が人間を創るのでは無い。武道を善にも悪にも育てるのは人間そのものである。日本史を紐解けばそれは明白である」といつも述べています。
それぞれの場所で、それぞれの思いで合気道が稽古されています。組織や流派と云う保護の下、合気道に包み込まれて生きている合気道家より、こう云ったものに影響される事無く、生活の中に自由自在に合気道を育む合気道家こそがはるかに崇高な武道家に見えるのです。こういった合気道家達による活発な前線展開が行なわれる事によって新しい風が合気道界を禊ぐ事に成ると思うのです。
独立道場が多くなる中、将来はこれまでのように組織上部団体が一方的に傘下をコントロールする事は困難となるでしょう。特に海外では顕著でしょう。ネズミ講のように張り巡った組織の中で「落胆」や「限界」を感じる優秀な合気道家がいても不思議でありません。貴方の傍にもこういった合気道家が、ガレージで、ユースセンターで、週末の公園で黙々と稽古をしている事でしょう。本物はこの辺にいるようです。

                         平成15年12月3記
日本館 館長 本間 学

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