館長コラム◆◆  

「おもてなし」と「クールジャパン」の裏側
 

2020年の東京オリンピック開催が決まり、日本国中が「おもてなし」に舵を取られつつある。最近日本から帰国したばかりであるが、確かに日本のきめ細かい人間関係はすばらしいものを感じる。しかしこの何となく自然体とは言い切れない、作られたような日本の対人関係は果たして世界の人々に通じるであろうか?
 多くの国々の人々が訪問する各国の観光地などにおいて「常識なし」「ろくでなし」、ときには「人でなし」すらとも遭遇する。日本の「おもてなしの心や行為」を外国人に正しく伝えるのは実に難しいのではないか。
 今回良い機会があった。ネパールのカトマンズでトルコ航空機が着陸に失敗し一本しかない滑走路をふさぎ、仕事で移動中の我々は4日間の足止めを喰らった。我々は軍関係の仕事であり、情報も無く飛行場内から締め出され数千人の乗客のような事は無かったが、事故4日目の朝に搭乗できるとの情報が入り飛行場に行った。しかし全く情報は無く「待つしかない」状態。外で待つ事4時間、中に入って更に4時間。「貴方は特別に」と幾人もの警察官も含めた飛行場職員が賄賂を求めるのを無視しながらの人間観察の時間となった。この飛行場には7−8便の国際便が定期、不定期に入っている。従って世界各国の言語、習慣、宗教などが全く異なる様々な人々が集まっている。ネパール語と英語だけの場内アナウンスでは混乱を増すだけであった。騒乱も充分に考えられる状態で武装警察官の姿も見られた。
 さてこの混乱の中で一番おとなしく整然としていたのは日本人である。しかし正確に言うと、力で押しのけて平然と割り込む他国の人や、係員にありったけの抗議をして航空券を手にする者たちに何も云えずにいたに過ぎない。東日本大震災の時に整然と並んで救援物資を受け取る姿に世界中の報道機関が賞賛の記事を書いたが、それは日本国内で通用する事。日本の常識は必ずしも、いや殆どが通用しないと考えて世界と向き合わなくてはならない。何も行動できずに動けないでいる日本人に感動する者などいない。前列に見知らぬ家族が割り込んでも何も云わずにいる。後方に並ぶ他国の人々はその一家を罵ると同時に「お前らが間抜けだから」と激しい罵りが日本人に浴びせられる。もちろんその割り込み一家は全く無視している。列が長くなると通行が困難になりその列を横切る事になる。日本人が通り道を開けた瞬間、その通り抜けた人物が割り込んで動かない。それでも一言も発する事は出来ないでいる。その都度後方の人々から抗議があっても黙っているだけ。私の護衛の軍人数名が周囲にいたので厳しく注意したにも拘らず「空いたから入った」ととんでもない言い訳をして譲らない。結局はポリスが引き出したものの、こういったケースが数え切れないほど発生し、それどころか今まで後方で抗議していた者までいつの間にか前に並んでいる始末。
 ウサギと亀がカケッコ競争。ウサギは先頭を切って山中へ、皆遅いと思いツイ昼寝をしてしまった。そこで亀が追いつきーー優しくどうしたのと声を掛けた。寝ているので今がチャンスと先にゴールした。ゴールした後でなぜ眠っている時に殺さなかったと攻められた。お馴染みのウサギと亀の童話も国によって解釈が全く異なる事を日本人も理解しなくてはならない。
 
 米国人のある若者が「日本女性を落とすのは簡単な事」として講習会を開き顰蹙を買ったが、これなど「おもてなし」の誤解釈から「NO」といえない日本女性の心を充分に読み込んだ手口といえる。「おもてなしの心」などと安易に子供達に教えて外国人と接し大やけどをする事を充分に組み込んだ教育が子供たちだけではなく日本人の大人たちにも必要だと思う。
 祖国日本の「おもてなし」騒ぎに、海外に長く生活する日本人なら誰しもが同様の危機感を持っているのではないか。訪日外国人の数を誇示して日本は素晴しい観光立国と浮かれるが、その数に見合っただけの「おもてなし被害」があるような気がする。それどころかその事に気のつかない日本人も多いことであろう。

 「クールジャパン」と云って「今日本は世界でクール」などと、他の国には無いような物事を紹介して「どうだ」とばかりに締めくくる番組が日本にある。他の国には無いものであるからして珍しい事が当然である。傑作なのは幾つかのリポートの中から最も良いものを選ぶのは集まった外国人レポーターではなく司会の日本人である。
  日本は「日本に関する過剰な自己満足」を改めなくては今後益々日本文化は消滅していく。それは文化どころか過去に戦争で争った近隣国とのバランスの取れた外交関係にすら響くと思う。自国過信と独りよがりの正義感が過去の日本の悲惨な結果を生じ現在もくすぶっている。この実感はむしろ日本人よりこれらの国々の人々が敏感に感じているのは海外で良く感じる事である。
 
 コスプレなど秋葉原に集まるスケベ親爺が原点、今や世界的な流行(文化ではない)では有るがすでにカラオケ同様、日本だけが美味い汁を得ることなどとっくに過ぎている。それを今だに政府が後援している。グッズなどの関連商品の販売の代価は日本人は漫画を読み、アニメーションを見て、寿司とラーメンを食べて暮らすでしかない。海外でニイハオと声をかけられ日本語で子供のようなアニメ言葉をかけられる。これが日本が目指した日本文化普及であろうか。日本のリーダーたちは少子化対策のためか、幼児を含めた子供達を中心とした話題で国力を高めているように見えるが、子供を作るのも育てるのも大人である。
 最近では和食和食の連呼、和食は長寿の原点。今和食が世界で大きく注目されている、世界への和食普及によって日本の高級食材の販売を促進Etc---TPP 問題締結が避けて通れなくなった農家の方々への僅かの間の慰めにはなるが、海外に於ける日本レストランはすでに日本人の独占ビジネスではないし日本人経営者を捜すのも難しい。経営自体も高い仕入れ値でやりくりしなくても同じ食材がはるかに安く現地生産されていたり、中国、メキシコなど世界各国からの価格の安い食材で充分成り立っている。それは米国やEU諸国に限らず、東南アジアに多数存在するショッピングモールにある日本レストラン街でも同じである。確かに高級レストランも存在するが日本レストランを名乗る全体数の収益と比べたら僅かなものである。
「だからこそ、正統和食をこの機会に」と政府が鐘や太鼓を鳴らしているようだが、第一線で現に客と接しているシェフや日本人経営者にこれまで何の支援や助言すらなかったのに「もっと売れ」と騒ぎ出す。過去においては「日本の食材を使わなくては日本レストランとは認めず」などと馬鹿げた事を公表した日本の機関も有る。それでは日本国内に全てを自国の材料で賄っている日本料理屋などいかほどの数であろうか、と言いたい。海外日本人レストランなどの経営者は数年で帰国する外交官や駐在員などはるかに及ばない数の現地人と長期にわたり直接ビジネスをしている。経験も情報量も豊富であり、それを一方的にコントロールする事など「世間知らずのお役人様」の行為でしかない。韓国や中国はアニメーション、武道道場、レストランにおける自国商品販売促進などその他諸々の対外ビジネスで実に積極的に国家支援とも言える支援をしている。このままでは日本は益々遅れをとっていくであろう。

 食文化だけではない、日本武道界。つい最近まで肩で風を切っていた日本武道も、海外の道場運営の殆どは外国人によって維持されている。しかも実に怪しげな「日本の武道」であり「なん茶って日本武道」が殆どである。
 アニメーション、コスプレ、すき焼き、シャブシャブ、天ぷら、寿司、ラーメン、柔道、空手、合気道、剣道ーーその国の社会の流れとともに活火山のように噴火した日本文化も国や地域によってはすでに風化が進み砂漠と化している。海外の日本人経営者は様々な工夫を凝らし生き残ろうと変化適応し頑張っているのである。
 日本政府派遣として一流シェフや武道家を海外に訪問させ「これぞ本物」とばかり大使館や領事館の奥でいつもの顔ぶれを集めて広報活動を繰り返すが、そういった高級食材を海外で食べれるのは富裕層といわれる階層や高級駐在社員あとは日本政府公館の役人くらいのもの。こう云う会があるたびに持ち帰り容器持参の外交官すら見たときがある。一流武道家など呼んでも、段位の乱発から世界中には高段者が溢れ、段位重視の武道界では少々の日本人高段者などあてにもされない。
 海外で日本文化や技術を普及や販売促進を目的として行なう場合、その目的が完璧なものになればなるほど、現地浸透が速く進み咀嚼され日本から切りとられた独立文化に発展する。日本の空手組織と全く関係ない他国団体主催でアニメーションのサムライやニンジャの衣装を身につけ全米規模の日本伝統空手の型コンテストが盛大に開かれたり、日本レストラン前で韓国民族衣装をつけた現地女性が日本語で「イラサイマセ」と客寄せし席を埋める。こういった事に対しては何も云えず「パクリだ 」「なんチャッテーー」とこぼすだけ。ネパールの飛行場に並んだ日本人たちと何ら変りは無い。空手を稽古し納豆や豆腐を好み、畳の部屋を作り,、禅の真似事をし、浴衣の合わせを左右間違えて着て、日本の漫画を読んだからといって日本を愛し理解していると思うのは早計である。むしろこの程度で「アイ ラブ ジャパン」などと云われるほうが危険である。
 日本の報道で目に付くのが「最近海外での日本文化が危ない」である。そんなことより国内の事を良く考えて欲しい。我々海外生活の長い者としては「最近、祖国の日本文化が危ない」である。特に外交面では黙って並んで日本人同士でブツブツ云っていた日本人客のように「善人を装った臆病者」たちが堂々と渡り合えない事の言い訳を美徳に変えている。「おもてなし」もその様な解釈をされるようでは大変に恐ろしいと思う。
 「もてなし」は相手を持て成すのである。相互に持て成しあう言葉ではない。ビジネスに於ける通常のサービス業務とも違う。コンビニでのあの儀礼的マニュアルサービスでもない。新聞記事に「もてなし」が出た時は悪いニュースでしかない。「もてなしの心」とはIOCの誘致委員とでも云う人々が金にめどをつけず行なった行為であり、東京開催は良しとしても、もてなしの意味すら解らず国民用語として一人歩きしている事には疑問を感じる。
 
 日本の大学教授などの俗に言う知識人に言わせると、私のような発言をする者はナショナリストとして傾いていく傾向にあり、結局は日本にとって害であるとの主張をする方もいるようだが、それはそれで抑制的な意見となり素直に受けとめた上で締めくくりたい。

 日本の若者よ、私の様な爺や婆など手遅れだ。安易にスマホなどに回答を求めず、もっと自ら海外を彷徨い外から日本を眺め、日本のあるべき姿を学んで欲しい。日本の流行雑誌や興味本位な報道記事などに惑わされる事無く自らの判断で我々の祖国を守って欲しい。
 日本という素晴しい真珠の中に埋もれている事無く、その真珠から抜け出し
磨き上げる若者になって欲しい。国際感覚は若いうちに苦労を重ね体験する事で身につく。亜細亜の範を世界に示す若者に育って欲しい。
                       



                        亜範日本館
                          館長 本間学
                      平成27年3月15日 記
                      

 


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