館長コラム◆◆  

『米櫃(こめびつ)の心配をして合気の指導はしてはいけない』
■■■開祖の残した言葉■■■
 

意外と、こういった現実的な開祖の言葉は伝記にも指導語録にも残ってはいない。「宇宙だ、愛だ、平和だ」の列挙であるからして、多くの合気道家も空を飛ぶような事を言い出す。
 春先のツツジの花が咲く前であったと思う。まだ私の腰の高さくらいしか大きくなかったツツジを開祖は「枝を払うように」と云われた。その時は何を考える事もなく云われたとおりにお勤めをした。
 そして今から19年前の事、日本館総本部の日本庭園工事の最終段階の時、デンバー講習会で訪問中の故斉藤守弘師範(当時岩間道場長、合気会師範九段)が私に云った言葉がある。全米から450人ばかりを集めた講習会を終えた翌日、宿泊先であった私の自宅から道場に向かう朝、いきなり軽い四股踏みをされた。「先生、今日はお元気ですね」と語りかけると「庭が気になって眠れなかった。あそこを直さないと帰れない。」と稽古中には拝見する事のない笑顔で道場に向かう車に乗り込まれた。現場に立った師範は、あの道場での厳しい姿になって幾つかの庭石の移動を命じ、力任せでサッパリ動かせないでいる若い弟子たちに割って入り、飄々(ひょうひょう)と移動して「これは開祖が石臼を片手で動かすのと同じだ」と笑い飛ばし、2時間余り休む事無く采配を振るわれた。やがて庭石に腰掛けた師範は完成した庭を眺め「あと10年もしたら見事な庭になる。開祖は『庭の枝は自分で切るな、人に任せろ』とよく言ったもんだ。せっかく伸びたのに切るのは惜しくなって、結局は庭がしまりのないものになり、収まりがつかなくなる。良い庭を造るためには切らなくてはダメだ」と美味そうにビールを飲みながら語ってくれた。金もなく、一鉢千円くらいの特売の小さな植木を大きな石の陰に植えていただけなのに、師範は10年後の庭を考えていたのである。
 この3月、年々大きくなってゆく庭の樹木に満足しているうちに、実は庭ではなく樹木の集まりになっていた事に気がつき、思い切って樹木に手を入れた。その枝葉の数は処分に困るほどの量であったが、この春は陽が充分に入るようになったのか素晴しい庭となって春を迎えた。開祖や守弘師範の言葉がこの時ほどよみがえってきた事はなかった。
 日本館総本部も40年近くになり、枝葉が伸び不動であるべき道場の姿が覆い隠され「ただ大きいだけの道場」となってしまっているのではないかと身を引き締める機会となった。不必要な枝葉を落とし、伸びるべき枝葉を正しく育てる、手を抜かない日々の道場維持の大切さを学ぶ事が出来た。
 
 余談であるが現在、容姿よく育った岩間のツツジは岩間道場敷地内に分散して植え替えられ見事な花を咲かせている。数年前、ある米国に長い日本人合気道師範が合気神社大祭で訪れたとき「私が開祖の稽古を受けていた頃の昔と全く変わっていない」とツツジの前で感激していたのに驚いた事がある、それはとんでもない事、開祖存命の頃は神社側に面した塀の沿って植えられていたものであり、現在のツツジナは落花生などを植えていた畑に移植したものである。やがてこういった事実と異なる事が彼の伝記として残るのだろう。ともあれ現在のあの見事なツツジの枝ぶりを見るとき、私も過去に鋏を入れた事を懐かしく思い出す。
     

 
 ある日の朝、突然「本部に行く」と開祖が言い出した。いつもの通り奥様に旅費の交渉が始まる。確か一回2万円ほど、奥様が箪笥から出してお供の私に渡すのだが「それでは足りない」と開祖と奥様の予算折衝が始まる。微笑ましいその交渉中の姿は今でも忘れる事が出来ない。そのとき奥様が口癖のように繰り返した言葉が「米櫃の事もあるから」であった。
 10数年たってからであろうか、斉藤守弘師範が「開祖はな、『米櫃の心配をしては合気を手ほどきしてはならん』とよく言っていたもんだ」と私に告げました。「米櫃」すなわち「生活の糧」を心配しながら合気道を指導してはならないという意味である。
 最近、道場主や指導者から道場運営の質問などの問い合わせメールが実に多くなってきた。合気道以外の武道家からすらある。どうも武道道場ビジネスは不況であるようだ。その多くは「独立道場で成功するには」「門下生をどうやって集めるか」というものである。早く言えば「レシピを教えてくれ」と言うようなものであるが、独立などレシピだけで出来るものではないので回答は控えていたが、数の多さに答えるべく、開祖のお言葉である「米櫃」の話を例として述べて見たい。

 私は現在の場所に移転し日本館を開くにあたり、斉藤守弘師範の助言に従い、まず米櫃の安定を考え現在のようにレストランを経営した。その他に幾つかの仕事を持っている。斉藤守弘師範自身、お元気な頃は洗濯屋、すし屋、料理屋、蕎麦屋などを経営し、そういった余裕の中で世界中を飛び回って指導されたお方である。
 さてこの米櫃の話し、私たちはどの様に受けとめるべきであろうか。合気道を指導しようと職を離れ、あるいは一切の職を持つ事無く「プロの合気道指導者」となる事は「合気道が出来、それなりの段位」だけで成しえる事ではない。
それは人間性とか精神力とかの問題でもなく、安定した経済力がなくては、極端に云えば合気道指導以外の安定した経済的自立がなくては、家賃を払い場所を借りて看板を出す事は出来ても、維持運営そして継続していくのは困難である。試合も無く大手スポンサーの確保も難しく、自治体の予算支援もママならない合気道はその収入を授業料や昇級昇段審査、登録料に頼り、頻繁に講習会を開き参加を義務付けて得るしか手段はないのが実情である。そこには当然「客と経営者」の立場が生まれ不正や馴れ合いが生じ、いまや段位の切り売りとも言える行為は当然のように行なわれている。ましてや自分の道場を持てば電話代、電気代、保険料、借り物道場であればその家賃、家族がいればその生活費etc.と50人や100人の門下生では賄いきれない出費がある。やがては人気稼ぎの客商売となって道場自体の腰が弱くなってしまい挫折に向かっていく。残ったのは借金だけと言う話すら幾らでも聞く。
 海外に目を向けてみよう。私は独立道場の指導者として様々な団体の合気道グループを指導してきている。もちろんその多くには合気道大手企業、合気会の傘下道場も含まれる。まず90%は組織上のトラブルを抱えている。その多くが金銭の流れに関するものである。組織内でもさらに分裂し、様々なルールが作られ少しでも自己の組織にカネが落ちるようにするための争いである。結果的には更なる分派を生じ同じ国に幾つもの合気道関連の団体が現れる結果を招いている。さて残りの10%である、比較的安定している組織の長とは、間違いなく何らかの合気道とはかかわりのない生業を持っている人である。つまりは「米櫃の心配のない人」といえる。但し、困った事に海外では段位が絶対的にものを言うため、ともすると経済力のある人は上部に対する上納金も多く、幾つもの講習会に頻繁に顔も出せるし、たまに指導に訪れる日本からの昇段審査権を持つ指導者に対して映りも良いため、袴もまともに着けられないのに高段位を持つ者が多い。
 過去、そして現在の日本の状況を見てもそれは解る。開祖時代に10段位を取得したのは殆どが地方の地主やその息子、あるいは裕福な家庭の者である。50代そこそこで10段位を貰った者までいる。現在の状況も大して変わらない。経済力のない人で支部長などになっている人などいない。
「米櫃の心配をして合気(武道)を指導してはならない」と言う開祖の言葉は非常に重要な合気道指導者への忠告である反面、金で地位を買い取るような不逞(ふてい)の輩(やから)がはびこる原因ともなる「両刃の剣」となりうる戒めの言葉でもある。

 最近、独立を希望する方からの質問内容をよく吟味すれば「組織への上納に追いつかない、それならばー」と「一儲け」を企む者もいる。あるいは単に大きな夢で「開祖の道を歩みたい」というのもあった。しかしいずれも「米櫃」を道場経営に求めている方々であり、私が親身になって助言するべき人たちではない。
 私は多くの門下生を有する個人道場主であるが、会計担当からは少なくとも25年以上は給料を受け取っていない。現在では全ての道場収入を道場運営や亜範活動に使い切っている。(もっとも以前は貧乏道場で受けとる金さえなかったが)長い間、クリスマスや誕生日のカードやプレゼントも一切受け取る事はなく、幹部スタフの招待であっても飲食の支払いは必ず自分で支払い、門下生個人招待のパーティー等には決して参加しない。そのくらいの覚悟と実行力がなくては独立道場など維持運営できないのである。こういった私の方針を理解出来ない者もいるが、私は道場を経営しているのではなく、「私個人の研鑽の場」を求める人達に提供しているのであって「いらっしゃいませ」ではない。独立道場の成功は「内に厳しく外に優しく」である。日本館の亜範活動が外に対する顔である。
 ともすると私の様な独立道場を「溢れ者」的に評価するものもいるが、門下生に必要以上の金銭的負担を掛ける事無く、組織上のトラブルもなく、活発な活動を重ね、更には独自の合気道精神の解釈で社会に貢献している事に誇りこそあれ後ろめたい気持ちなど一切存在しない。一切の組織的支援もなく、たった一人でゼロ以下から始め、全て自前で維持運営している日本館合気道。
 本当に独立道場主として成功されたいのであれば、まずは私の道場での修業を薦める。いかなる合気道流派団体の方でもかまわない。私は「道場のあるべき姿」と「社会的価値」そして、その「価値の実践法」を探求しているのであって、流派団体にこだわる気はない。私も今月で合気道修行50年を迎えた。求める人には稽古を通してこれまでの経験を残してあげる事になんら抵抗はない。


                        平成26年5月28日記
                         合気道日本館総本部
                      

 


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