館長コラム◆◆  

北米航空宇宙司令部を切り捨てた日本国総領事
東北大震災支援事業の陰で
 

 3月11日、震災2回目の東日本大震災追悼の春を迎えた。多くの角度からの豊富な取材をもとに被災地からの鮮明な映像が被災者の様々な思いとして私のオフィスのテレビに生中継されている。コンピューターでは様々な新聞記事を読む事も出来る。米国で39年余り生活する私にとって、遠い日本からのニュースも通信技術の向上によって祖国との一体感を益々緊密なものとしてくれている。
 
 東日本大震災2周年の追悼の日にあたる今日、産経新聞の国際欄に「米国、被災地へのミサイル攻撃“便乗有事≠警戒 北米航空宇宙司令部の要員派遣」と言うワシントン支局長佐々木類氏の記事が掲載されている。(日本3月12日付け)

産経新聞2012年3月11日
 米、震災時に「有事」警戒 福島原発へのミサイル 衛星監視

 尖閣諸島への挑発行為や独裁国家による恫喝など隣国からの繰り返される脅威に対して日本がどのように対処していくべきか。まさに日本人が真剣に考えねばならない事は日本国民であれは誰しも同じ事と思う。特に更なる日米関係の揺ぎ無い構築は最重要と思う。

 東日本大震災のあの日、忘れる事はない、忘れてはならない、あの米軍の支援に対して被災者たちはどれほど勇気付けられたであろうか。砂浜に書かれた「サンキュー」の文字、竹を切り取って揚げられた米日の国旗。
 実はこういった緊急派遣部隊急派ばかりではなく、日本に対する隣国からの予期せぬ便乗ミサイル攻撃を警戒し隙を与えず守った部隊が産経新聞で報道された北米航空司令部の存在である。あの時、混乱にまぎれて福島原発にミサイル攻撃されていたらーー考えたら恐ろしい事である。現実的にはなにも起こらなかったが、そこまで考えて行なうのが防衛である。もしかしたら防衛が功を発して起こらなかったのかもしれない。最近の隣国の行動を見たら肯定は出来ないが否定できる根拠はない。この手の作戦は手の内を見せないのが鉄則である。

 昨年の3月11日、丁度一年前のこの日、私は日本から和太鼓演奏の一向15名とこの記事で紹介された作戦の中央司令部のある米国コロラド州コロラドスプリングのピーターソン空軍基地内で、東日本大震災に於ける北米航空宇宙司令部を中心とした部隊の展開に感謝するための和太鼓感謝コンサートを開いた。
 いわば押しかけた我々であったが米軍側スタッフは将校らを中心に積極的にかつ、微々詳細に渡り計画の実行に当たってくれた。記事にある作戦に加わった四部隊の代表将校たちも制服姿で集まってくれ、観客も軍幹部も含め800名余りが集まり大成功を収めた。

 しかし、この大成功を収めた感謝公演の陰で、企画を応援した米国人スタッフ、米軍将校連、そして米兵の日本人妻たちに大きな疑問が残された。それは一人の外務省官僚によって日米の信頼を裏切る行為と断言して憚らない修復不可能な傷を負わされたのだ。私は(達は)この問題に関して一年経過した現在に至るまで再三の抗議と説明を求めたにも拘らず「その様に思われたら遺憾であり申し訳なかった」という繰り返しで納得の行く回答はなく、最近に至っては「答える必要なしと」メールを送ってきた。

 それではこの外務省官僚である在デンバー日本国総領事館大野郁彦総領事は何をしたのか述べてみたい。
 私共は公演8ヶ月ほど前からこの感謝公演を企画し国際交流基金からの一部援助、そしてデンバー総領事館とは「領事館名義使用契約」を取り交わしデンバー総領事館の名前をポスターなどの広告に掲示する事が許された。これは常識的に考えて後援もしくは協賛と多くの人は判断する事実である。 
 実際、公演の実施3ヶ月ほど前までは担当主席領事や現地職員が私共と一緒に基地に出向き幾度も連絡を重ねほぼ準備が整っていた。しかし公演まで2週間あまりに迫った頃、信じられない事が領事館側から一方的に要求されるようになった。3ヶ月も前から「今回の公演にあたり協力してくれた軍関係者10名ほどを公邸に招待して感謝の宴席を」との申し出が再三あり、軍関係者参加者名の資料を要求していたのにもかかわらず突然のキャンセル。なんとさらに驚いたのは「この会にはどれほどの星の(階級)の幹部が出てくるのか」の問い合わせが主席領事を通して大野総領事の意向として再三催促されるようになっていた。米軍は階級が上がれば上がるほどその個人の行動に対する情報には注意する。そういったことを承知かどうか、北米航空宇宙司令部参加者将官の階級を告げたところ驚くべき大野総領事の回答を告げてきた。「(私とは)位が違う」である。
 大野総領事が出席する前提で総領事館側担当の主席領事、そして現地職員が私共と軍基地に出向き、どこに駐車するのか、まずどこかの小部屋で休んでもらうとか、およそ感謝の会に出向く側の日本国の代表にそぐわない詳細な行動日程を組ませ、さらにはその小部屋で軍幹部との小宴のため軍側スタッフが寿司まで用意するほどの気を使わせておきながら、公演日の数日前に「位が違う」の一言で出席しないと突然伝え、驚いて再考を求める我々に結局は当日まで回答をせず、軍基地正面ゲートのネオン掲示板に「歓迎、日本国総領事大野郁彦氏」というサインを直す間もないドタキャンをし、軍スタッフを唖然とさせたのである。最終的に公演にやってきたのは総領事館側として大野総領事の命令で行動していた主席領事で、軍幹部が制服略章で参加したなか、ネクタイもせず現れ「私は首を覚悟で来ました。大野総領事には無断で来た。話にならない総領事だ」と告げて記念写真に収まる始末。
 
 驚いたのは米軍ばかりではない日本館スタッフの米国人たち、そして何よりも私の心に響いたのは「総領事こないの?何のための領事館、来るってアナウンスしていたのに」と呟いた定年米兵の妻たちの言葉であった。
 私共からの理由なきキャンセルの質問に「こういった事は本省に聴いてから」と逃れ「最近の日米関係を考えればーー」など訳のわからぬ回答を繰り返し、現在に至っても「なぜ突然、出席を取りやめたのか、位が違うとは誰と比べてか、貴殿の位とは、本省の指示とは何か」など様々な質問に一切答えないどころか、昨年6月ごろ発生したとされるデンバー総領事館に関する情報漏えい疑惑告発騒ぎ(和太鼓公演とはまったく関係ないと領事館関係者から聞いている)の告発者として私を巻き込み本来の問題を隠蔽抹消しようとしたばかりか、全ての責任を担当した主席領事に負わせ2年もたたないという短期在任で左遷させている。
 大野総領事に関する不適切行動はこれだけではない、後日行なわれた国主催の感謝会では7日前に「震災体験者を和太鼓公演の一向に加えないと交流基金を引きもどす」と総領事意向を受けた主席領事に恫喝を受け、僅か15分間の演奏のために70歳近い老人を福島から呼びつけるに至ったた(経費一切私共負担)。また会場でのアルコール類の提供が出来ないのを知りながら領事館職員の個人使用としてビールや酒を買って200人余りの客に提供するという違法行為を再三の善意の警告にも拘らず黙認実行したなど、およそ一国代表の判断と思えない行為が行なわれた。幸い事実が漏れず問題にはならなかったが、米国におけるアルコールに関する法律は極めて厳格である事に余りにも無知であった。

 私はこれらの事案が発生してからそれまで大変良好であった総領事館との関係は一切絶たれ、むしろ売名だ、便乗だ、金儲けだとまで騒がれ、私の経営するレストランにも大きな影響が出た。
 一時は自分自身の行動、つまり日本館の館長としての社会貢献活動にすら自信がなくなってしまい事前に約束されていた日程は消化したものの日本館HPでその活動を紹介すること自体、こういった役人達に無用な言いがかりを受ける事が不安で9ヶ間余りの今日までHPに活動報告を掲載する事も出来ない状態に陥っていた。
 しかし今回の産経新聞の記事によって少なくとも大野総領事が階級不足として切り捨てた北米航空司令部は東日本大震災での功績者であるばかりではなく今後の日米関係において最も重要な部隊である事、それらの部隊に対して被災国の代表として始めて、最大限の敬意を表する事が出来たのは実に光栄な事であったと勇気を得て久し振りにキーボードに向かう事が出来た。その最初の記事がこれである。
「自宅から出火し近所の若い者が飛び込んで火消し役に廻ってくれたのに位が違うといって近所に礼も言わない村長」こんなお役人、大野総領事で有るがゆえ、私たち民間でも承知していた北米航空宇宙司令部の日本との係わり、軍幹部の行動規範などまったく頭の中にはなかったのか、それとも当時、民社党政権下での総領事発令、あるいは韓国の大学を卒業し在韓国の日本外務省機関で北関係の情報分析をしていた大野郁彦総領事自身に米軍すなわち米国民を避けなければならない事情が存在したのか?説明のない以上どのように判断されても仕方がない。

出席キャンセルを伝えたとき米軍若手幹部は「それは残念だ。もういいよ、放っておけ」とはき捨てた。総領事とはこんな問題を起こす為に存在するのであろうか。デンバー総領事館のあるコロラド州は軍関係重要基地の存在する日本防衛上も極めて重要な州である。果たして「この程度の位」の人物がこの地を治めて日本の将来は本当に大丈夫だろうか。


                        
                        日本館 館長 本間学
   平成25年3月11日記
                        

 


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